第36話 分からせてあげるんだから
そう言ってきたのは、店の前を偶然通りがかった町の住人だった。声の様子からして相当「ファル様」という人物に恐れを抱いているように思える。加え、エルシャにだけ聞こえるような声量で言ってきたのは忠告をするためであったのかもしれない。
しかし、真意は不明だった。町の住人はそう言ったきり、地面に片膝をついて俯いてしまった。体勢の隙間からわずかに伺える表情は、恐怖そのもの。緊張で全身が張り付き、恐れおののいている。
ふと大通りに目をやると、彼の他にも……というより、エルシャ以外の全員が跪いて俯いていた。
唯一の例外は、大通りの向こうから闊歩してくる薄桃色の髪をした一人の少女。外見は非常に幼く、背もエルシャより低い。彼女がファル様、もといファルなのだろうか。
エルシャが戸惑っているうちに、幼い少女は目の前までやってきていた。
「……あなた、頭が高いわよ」
少女はエルシャを見上げながら、威圧感たっぷりに言い放つ。とてもかわいらしい声に反し、実に刺々しい一言である。これはいったい何のイベントだろうか。
「え、もしかしてわたしに言ってるんですか?」
とりあえず確認を取るエルシャ。
「あなた以外に誰がいるっていうのよ」
「た、確かにそうですよね。すみませんでした」
状況は未だに掴めないものの、とりあえず謝ってみることにした。だがその軽薄な判断が、少女の逆鱗に触れてしまったらしい。
「なによそれ。あなた状況分かってる?」
「……え?」
「やっぱり分かってないようね。ならいいわ、分からせてあげるんだから。……そこのお前、この女を捕らえなさい」
「はっ、仰せのままにファル様!」
先ほど忠告してきた男が俊敏に立ち上がる。やはり彼女がファルであるらしい。だが、なぜ町の人々はみな自分よりも年下の少女に頭を下げているのか。そして、なぜ年下の少女の不条理な命令に従うのか。疑問は次々に浮かんでくるが、今のエルシャにそのようなことを考えている余裕はない。
「な、なにするんですか!?」
男にいきなり腕を掴まれ、エルシャは困惑するしかない。
「さっき忠告はしたんだからな……! 察せなかったお前が悪いんだからな……! 俺は悪くない、俺は悪くない、俺は……」
いったい誰に向けて謝っているのだろうか。意味の分からないことを叫びながら、男はエルシャを拘束する。その形相は必死そのもの。よほど切羽詰まっているようだ。
「や、やめてください! どうしてこんなことをするのですか!?」
「黙れ! ファル様に逆らったら町の皆の命がないんだよ!」
「それは、どういう……」
「エル!」
店の方から声がした。振り向くと、そこには会計を済ませて店から出てきたマリーベルの姿があった。彼女もまた状況を何一つ理解できていないが、エルシャがピンチであることだけは即座に理解した。
杖を手に取り、エルシャの足元に転移魔法陣の展開を試みる。
「駄目だ、マリーちゃん! キミまで捕まってしまう!」
しかし、背後から近づいてきた何者かに杖を鷲掴みされ、魔法の発動を阻害されてしまった。
「ちょっと、なにす――!? あ、あなたは……」
マリーベルはその少年の顔に見覚えがあった。
それは決して先ほどのサンドイッチの店で見たという意味ではない。
確かに彼は数少ない客の一人ではあったが、それよりも以前に見かけたことがあるのだ。
声を聞いたおかげでやっと思い出せた。
なにより自分のことを「マリーちゃん」と軽々しく呼ぶ人物など、この世で知っている限りだと一人しか知らない。
「……シルヴァ!?」
マリーベルは驚きの声を上げる。シルヴァとは兼ねてより面識があった。彼もまた自分と同じく領主の家の生まれであり、家同士の交流もあったが、数年前に比べて顔がやつれているように見える。目つきも以前より鋭く、まるで別人のようであった。
「覚えていてくれて嬉しいよ。けどここはボクの言うことに逆らわないでほしい」
「何か事情があるってわけ?」
「……」
シルヴァは無言で頷いた。
「分かった。でもちゃんと話してよね。その事情とやら」
マリーベルが承諾すると、シルヴァは掴んでいた杖から手を放した。
遠くなっていくエルシャの背中を尻目に、二人はヨミがいる宿屋へと足を運ぶのだった。
◇
「ええっ? エルシャさんが屈強な男に連れ去られてしまったのですか!?」
「いやいや、屈強とまでは言ってな……まあ確かにがっしりはしてたけど」
勝手に言葉を付け足すヨミに呆れながらも、だいたいは合っていたので受け流したマリーベル。彼女とはまだ短い付き合いながらも、すでに扱い方はマスターしたようだ。
三人はロビーにあるソファに腰を下ろしつつ、これまでの経緯や今後についてを話し合う。
「ところでそちらの方は?」
ヨミは向かいに座る初顔の少年について尋ねた。
「彼はシルヴァ。昔からの付き合いがあって、偶然同じお店でお昼を食べたの」
「へぇー、そうなんですね」
「初めまして。シルヴァです」
「こちらこそ初めまして。私はヨミと申します」
シルヴァとヨミは互いに挨拶を交わす。
「ヨミ……さん。珍しい名前ですね」
「確かにこの辺では聞かない名前だと思います」
「では、どこか遠い国からいらしたのですか?」
「そうですね。はぁ~、もう何十年と帰っていないので故郷の景色が懐かしいです」
「な、何十年……」
ここは笑うべきなのだろうか。シルヴァはどう返せばいいか分からず、ただただ困惑。ヨミの年齢は見た目からして自分と同じ、もしくはほんの少し上程度かと思っていたが、それは違うのだろうか。まさか、何百何千もの歳月を生きている……!?
「あー、気にしないで。いつもの冗談だから」
マリーベルはため息をつきつつ、混乱中のシルヴァに補足した。隣に座るヨミはぷくりと頬を膨らませていたが、これ以上話を脱線させないためにも無理やり本題へと話を進める。
「そんなことより教えて。あのファルっていう女の子は何なの? どうしてみんな怖がっていたの?」
「それは……」
そう言うなりシルヴァ周りをきょろきょろ見回す。まるで周囲に人がいないかを確認するかのように。そして誰もいないことを確認した上で、彼はようやく話を始めた。
「簡潔に言うと、彼女は魔族です」
「ま、魔族……!?」
思わずマリーベルは驚いてしまう。
魔族は古くから人間と対立関係にある種族である。過去に滅亡してしまった竜人族と同じく数は少ないが、体内に宿す魔力量はあらゆる種族を凌駕する。加え、身体能力も竜人族よりは劣るものの人間と比べればはるかに高く、ゆえに少数であっても脅威として恐れられていた。
「この町は彼女に支配されています。この町では彼女の命令は絶対。背けば自分の命だけでなく、家族の命までもが危険に晒されてしまうでしょう」
淡々とシルヴァは語るが、言葉の随所に怒りが散りばめられているように感じる。
絶句。
それではまるで独裁ではないか。
先ほどの光景を思い出す。この町の住人はファルが近づいただけで皆一様に下を向いていた。あれは独裁体制を敷いているファルに恐怖を抱いていたからなのか……。
「け、けど!」
マリーベルはテーブルを叩き、勢いよく立ち上がる。
「シルヴァ、あなたのご両親は何も反対しなかったの? たとえ魔族が相手だからって、何も言わずに引き下がるのが領主の務めなの!?」
「…………」
しばらく訪れる沈黙。
柱時計の針が何度も時を刻んだのち、ようやくシルヴァは口を開ける。
「ボクの両親は死んだ。いや、殺されたんだ」
「――!? い、いったい誰に?」
「意地悪なこと聞かないでよ。本当はキミも分かってるんだろう?」
シルヴァは眉をひそめ、目つきを険しくする。
「……あのファルって魔族に決まっているじゃないか」




