第34話 初めて見る夕日
山の向こうに沈んでいく夕日が空を赤紫色に染め上げ、昼と夜の境界線を曖昧にしている。黄昏時というのだろう。実に神秘的で幻想的な光景だ。これには思わずエルシャも足を止めて魅入ってしまう。
そして、叫ぶ。
「み、みなさん大変です……! 山に巨大な火の玉が落ちていきます! 空がこんなに真っ赤なのも、きっと大火事になっているからです!」
まるでこの世の終わりが来たかのように慌てる様子のエルシャに対し、マリーベルとヨミは至って冷静。というより、意味が分からずポカーンとしていた。だが程なくしてエルシャの言葉の意味が分かると、クスリと笑みを浮かべた。
「エル、あれはね。夕日っていうのよ」
マリーベルは優しく教えながらも、笑いをこらえるのに必死だ。
「ゆ、夕日……?」
「そう。夕方になると太陽はあんな感じになるの」
「え、あれ太陽なんですか? でもあんなに大きかったでしょうか。もうちょっとこう、控えめな感じだったと思いますけど……」
決してエルシャはふざけているのではない。むしろ大まじめだ。しかし昨日まで日が出ている時間は石像になっていたので、夕方という時間帯を知らなかったのだ。
初めて出会う夕方の景色に新鮮な反応を浮かべるエルシャではあったが、マリーベルやヨミにとっても同じことが言えた。夕方の景色にここまで激しい感情を露出できる人に出会うのは、ある意味新鮮な経験だった。
「なんだか、生まれたての赤ちゃんみたい」
率直な感想である。
しかも頭の中に浮かんでいるのは人間の赤ちゃんではない。おそらく子猫か子犬のような小さい動物だ。
そんなマリーベルに続き、ヨミも感想を述べ始める。
「ですが、次の町に到着する前に驚いてくれてよかったというかなんというか。さすがに町中で夕日相手に大騒ぎされたら大変ですからね」
「そうね。きっと他人のふりしちゃうかも」
「そ、そんなぁ……」
しょんぼり落ち込むエルシャ。
とはいえそろそろ日が落ち、夜になってしまうのもまた事実。
一行は歩みを止め、近くの開けた場所で野営の準備をすることにした。
旅の道中で何度も野宿を繰り返しているヨミはともかく、エルシャやマリーベルにとっては初めての体験。新鮮な驚きに満ちた夕食の時間が始まった。
火を囲みながら、三人は明日のことについて話し合う。
「次の町へはあとどれぐらいで到着するのでしょうか……」
エルシャはスープの具材に息を吹きかけながら、ヨミにつぶやくように尋ねた。
「明日の内には着くと思いますよ。もうひと頑張りです」
「そうですか。よかったです~」
「ところで、マリーベルさんはその町へは行ったことがあるんでしたよね?」
「ええ、数年前になるけどね。小さな町だけど、活気があっていいところだったわ」
マリーベルは嬉しそうに答えると、懐かしむように目を細めて町の様子を話し始めた。
「賑やかな通りがあって、おいしい食べ物がたくさんあって……」
「あれ? マリーベルさんもしかしてお腹が空いてるんですか?」
「べ、別にそんなことないわよっ!」
言葉とは裏腹にお腹の鳴る音が大きくなってしまったマリーベル。そんな彼女を見てヨミが笑うので、空になったお椀に新たなスープを注いであげるのだった。
「あはは、なんだか前もこんな感じのことがあった気がします」
「ないない! ないったらないの!」
「え、そんなことがあったんですか? エルシャさん、私気になります。何があったのか教えてください」
「あーもう! この話はもうおしまい!」
照れ隠しにそっぽを向きながら、マリーベルはお椀を受け取る。
そうして三人は和気あいあいと語らったのち、協力して立てたテントで一夜を明かした。
そして翌早朝。
三人の中で最後に目覚めたエルシャが、眠そうに目をこすりながらテントから這い出てくる。空を見上げると、朝焼けに染まった空がこれまた美しい。夕焼けとは違った趣があるように感じた。
「おはようございます、エルシャさん。いい夢は見られましたか?」
と、しみじみ空を仰ぐエルシャにヨミが挨拶を投げかける。
昨日までと同じように毎日のように繰り返してきたやり取りだが、今日はどうも違和感がある。
どうして朝なのに「おはよう」と言っているのか……
「ち、違う!」
「え。もしかして悪い夢を見ちゃいましたか? そういう時は思いっきり叫んでみるといいですよ」
「ああいえ、そうじゃないです……」
面倒なことになってしまい、エルシャは困惑する。説明が難しい。昨日までは夜に目を覚ましていたので、夜に「おはよう」と言われることに慣れてしまった弊害が出てしまった。
究極の夜型生活を送ってきたエルシャが朝の「おはよう」に慣れるのには、まだまだ時間がかかりそうだ。
「あ、エル。おはよう」
「おはようございます、マリーベルさん」
屋敷の書物庫の本に書いていた。慣れるためにはとにかく回数をこなせ、と。エルシャはその教えに従い、マリーベルと挨拶を交わす。すると、不思議と爽やかな気分になった気がした。心が高揚し、一日頑張ろうという気持ちになれる。
(これが、挨拶の魔法……!)
心の中でエルシャは確かな手ごたえをつかむ。
これなら思ったよりも慣れるのに時間はかからなそうだ。
「はいこれ、朝食ね」
そしてこれが夢にまで見た朝食……!
朝の訪れと共に石化していたエルシャは、当然朝食というものも未経験だった。
そして初となる朝食は、ベーコンや野菜をパンで挟んで作ったマリーベルお手製のサンドイッチだった。香ばしいパンの香りに、野菜のみずみずしさがたまらない。味付けは塩を少々加えただけとシンプルだったが、朝食としては実に申し分がない。
「マリーベルさん、これ美味しいです!」
「ほんと? 初めて作ってみたけど、喜んでもらえてよかったわ」
マリーベルはエルシャの反応を見て、嬉しそうにはにかむ。
そうして腹を満たした三人は、残りの道中を歩き切って次なる町――ベルーネへと到着するのだった。




