第33話 いきましょう
穏やかで心地のいい風が吹き抜け、空は雲一つなく晴れ渡る。昨夜の襲撃はまるで嘘だったかのように。
マリーベルの屋敷前の庭園に集まる人々の中心にいるのは、安らかな顔で眠るセイラだった。その手には彼女が好きだった白色の花が握られ、棺桶の中に横たえられている。
「セイラさん……」
エルシャは傍らに立ち、じっとセイラの顔を見つめていた。見れば見るほど、ただ眠っているようにしか見えない。
だからこそだろうか。何事もなかったかのように起き上がり、不思議そうな声色で挨拶をしてくるのでは。と、どこかで期待している自分がいる。
だがセイラは二度と目を覚ますことはない。
初めて直面する誰かの死。
感情がぐちゃぐちゃになって、無力感が全身を支配する。
本当ならばセイラは龍の雫を飲むことで、今日も普通に目を覚ますはずだった。
しかし、実際に龍の雫を飲んだのはエルシャだ。
日の下を歩けるようになったのは、セイラが自分に龍の雫を託したおかげだ。
初めて浴びる太陽の光。
それは決して気持ちのいいものではなかった。
「グラスファ病に侵された人はみな苦しみながら死んでいくと聞きます。でもセイラさんの顔を見てください。とても……幸せそうじゃありませんか」
うなだれるエルシャの肩を、ヨミがそっと抱き寄せる。
「私はこれでいいと思ってる。セイラもきっとそう望んでいたはずだわ。だから、あまり自分を責めないで……」
そう言ってマリーベルは、棺に新たな花を供える。
本当ならば彼女が一番つらいはずだ。妹を亡くし、泣きたいはずなのに。ここにはセイラの血縁者はマリーベルしかいない。領主であるエドガーは昨夜の被害の対応にあたらなければならず、家族の死を弔えずにいる。だからこそ家族の代表として、気丈にふるまおうとしているのだ。
以前マリーベルは、エルシャに対して「あなた、強いのね」と言った。自分が光の魔女の子孫ではないと判明し、広場まで逃げてきた時のことだ。
しかし、今ならば断言できる。本当に強いのはマリーベルであると。受け止めたくない事実を受け止め、精神的に成長した姿がまさに目の前にある。
やがて献花の順番がエルシャに回ってきた。
セイラの周りには、すでに白い花で埋め尽くされている。ここにはいないエドガーや、他の使用人たち。それにヨミとマリーベルが供えたものだ。
エルシャは震える手で、一輪の花を手に取る。
未だに現実感は湧かない。
どういった感情なのかすらよく分からない。
ところが改めてセイラの顔を見た途端、これまで抑えていた感情が一気に押し寄せてきてしまう。
「セイラさん。わたしの命はあなたから頂いた命です。だからわたしは何があっても生き続けます! セイラさんの分まで精一杯生き抜きます! だから……だから、見ていてください。どうかわたし達を、お空から見守っていてくださいね……」
そう言って、エルシャは笑顔でセイラに別れを告げた。
そして目の下を一度だけ強く擦ると、棺に背を向けヨミがいる方へと振り返る。
「……いきましょう」
「もうよろしいのですか?」
「はい。早くしないと、日が暮れてしまいますから」
「ふふっ、そうですね。では出発するとしましょうか」
◇
二人は皆より一足先に庭園を後にすると、町の門を目指して歩き始める。旅立つにはこれ以上ないほどいい空模様だ。見納めになる町の景色を目に焼き付けつつ歩いていると、町の人々のいろいろな会話が耳に入ってくる。
「昨日の竜を倒してくれたのって、やっぱり噂になってる影の魔女なのかなぁ」
「いや、違うね。きっと光の魔女が復活したんだ。広場の石像がなくなっているのが証拠だよ」
いろいろな、とは言いつつも、内容のほとんどは昨日のことに関してだ。
もちろんその二人だけでなく、町のいたるところで「光の魔女」「影の魔女」の論争が繰り広げられている。
当の本人であるエルシャは、顔を下げなければ恥ずかしくて歩けないほどである。
「みなさんエルシャさんの話をしていますよ。いっそのことバラしちゃいましょうか」
「ととと、とんでもないこと言わないでください……!」
と誤魔化しつつも、心のどこかでは得意げに鼻を伸ばすエルシャ。恥ずかしさと誇らしさのせめぎ合いは、永遠に決着することはないだろう。
「またまた~。エルシャさんだって本当は嬉しいんですよね?」
「……っ」
そんな風にヨミにはからかわれたりしながらも、二人はやがて門の前までたどり着く。
「おお、奇遇だな。あんたらも出発するところか?」
するとそこへ、馬に乗ったヒューゴが反対方向からやってきた。彼も彼で王都へと向かう予定とのこと。
「はい。セイラさんにお別れの挨拶も済みましたので」
ヨミがそう答えると、ヒューゴは「なるほどな」とつぶやく。
「実は俺もマウラの葬儀を済ませてきたところなんだ」
「マウラさんの……?」
意外そうにヨミは聞き返す。
「確かにあいつは俺たちを裏切った。けど、だからといって花の一本も持たせてやらないのはあまりに可哀そうじゃないか。短い間ではあったが、あいつは俺にとって初めて出来た後輩なんだ」
ヒューゴは笑みを浮かべながらも、どこか寂しげな目をして空を眺める。
マウラの命を奪ったイドラについては、のちに駆けつけた衛兵たちによって取り押さえられた。地下牢に数日間幽閉したのち、別の大きな町の監獄へと移送される予定らしい。
未だ謎に包まれていう聖竜教団に深く関わっている人物だけあって、扱いも相当厳重だ。近々向こうから装甲付きの馬車が迎えに来るという。少なくとも徒歩で町を出るエルシャや、馬に乗って自力で王都に向かうヒューゴとは格別の扱いである。奴は本当に大罪人なのかと首をかしげてしまうレベルだ。
「それにしても、町が大変な時に離れなければいけないなんてな。お上からの命令とはいえ、少し罪悪感があるぜ」
「本当にヒューゴさんはこの町を愛しているんですね。けど心配は必要ないと思いますよ? だってほら」
ヨミは視線を町中に促す。
そこにいたのは、苦しみながらも懸命に立ち直ろうとする人々の姿だった。中にはヒューゴの同僚の衛兵たちもいる。瓦礫を運んだり、行方不明になってしまった人の捜索にあたっているようで、こちらの存在に気づくと無邪気に手を振ってきた。
「お、ヒューゴじゃん! まだ出発してなかったのかよ!」
「早くしないと怒られちまうぞ~!」
「王都から帰ってくるときはお土産もよろしく!」
ただ能天気なだけかもしれないが、少なくとも彼らは前を向き始めているようだ。
「ああ、そうだったな。あいつらには心配するだけ無駄だったわ」
ヒューゴは苦笑いしつつ背中を向けると、「じゃあな」と手を上げて門をくぐっていた。彼にはこの町で少なからず世話になった。遠ざかっていく背中を見ると、少し寂しさを感じてしまいそうになる。
「行っちゃいましたね、ヒューゴさん」
「でも永遠の別れというわけではありません。王都に寄った時に、また会いに行ってみましょう」
「そうですね」
とエルシャは言い、ヒューゴに続いて門をくぐろうとする。
これからはヨミとの二人旅が始まる。
本音を言えばマリーベルにも来てほしかった。
だが無理強いは出来ない。
妹を失ってしまった辛さが分かるのはきっと姉のマリーベルだけだろう。
棺の前でずっと立ち尽くす彼女を旅に誘うような残酷な真似は、さすがのヨミですら出来なかった。
振り向きたい思いをぐっと堪え、二人は門をくぐる。
振り向けばきっと、マリーベルとの別れが惜しくなってしまうから。
「ちょっとちょっとー! 待ちなさいよそこの二人ー!」
と、その時だった。
背後から聞き馴染のある声が聞こえ、反射的に二人は振り向いてしまった。
「なんで声もかけないで行っちゃうのよ!」
そこにいたのは、そこはかとないお転婆さと高貴さを兼ね備えた赤い髪の少女だった。背中携えるは少女の背丈と同じくらいの長さを誇る杖。先祖代々に伝わる由緒正しき杖。相当硬い木を素材にしているらしく、殴打されれば簡単に鼻が折れてしまうと噂の杖である。
そんな彼女の名を、エルシャは叫ぶ。
「マリーベルさん!? どうしてここに!?」
「私も旅に同行すると言ったじゃない。もう忘れちゃったの?」
「で、でも……」
思わず言いよどむエルシャ。
だがマリーベルはそんなことなどお構いなしに言葉を続ける。
「確かにセイラを亡くしてしまったことはすごく悲しい。恥ずかしい話だけど、さっきまで私はずっと泣いてた。けどね……」
そう言うとマリーベルは、顔をすっと上げる。
「それ以上に私は、セイラの夢を叶えてあげたいと思った。セイラはあんな体だったから、町の外には一歩も出たことがないわ。だから、私がセイラに代わっていろいろな場所の景色を見せてあげたいの」
思いの丈をつづるマリーベル。
その言葉をヨミは受け止めると、深く頷いて見せる。
「どうやら私たちはマリーベルさんを見くびっていたようですね」
「み、見くびって……どういう意味よそれ」
「マリーベルさんは十分に強いということです。エルシャさんもマリーベルさんを加えるのに反対はありませんよね?」
「もちろんです!」
エルシャは満面の笑みを浮かべて即答した。
そしてマリーベルと固い握手を交わし、改めて目的の達成――エルシャの記憶を取り戻すことの成功を誓い合う。
カギを握るのはヨミの故郷にあるという手帳だ。
きっとこれから長い道のりになるだろう。
しかし、この二人が付いているならばどんな困難でも乗り越えられる。
エルシャはそんな気がしていた。
〈第一章・完〉




