第25話 龍の雫
翌日、ヨミはマリーベルを連れて町の北西部に来ていた。この辺りは手つかずの森林や山々が広がる自然豊かなエリアである。あまりに色濃く残る豊かな自然に、逆に不自然ささえ感じてしまうほどだ。なにせここは一応は町の中。建物が立ち並ぶエリアとは徒歩数分くらいの距離しか離れていない。
意図的に手が加えられていない。というより、手を加えることができない。そう表した方が近い気がした。
ならば何か神聖なものでも祀っているのではないか。ヨミの言う石化を解くための『カギ』とは、神聖な場所にある何かだ。というマリーベルの予想は、当たらずといえども遠からず的中することになる。
件の洞窟は、切り立った山肌のふもとに目立たないようにして口を開けていた。大して広くはない洞窟だ。それどころかむしろ内部は平坦な一本道だった。しかし道なりに進んでいった先で待っていたのは、鉄格子で阻まれた行き止まりだった。
「そんな、進めないの!?」
焦るマリーベルをよそに、ヨミは懐から鍵を取り出す。
「大丈夫です、エドガーさんにお話しして鍵は借りています。……あ、カギっていうのはこれのことじゃありませんよ。あれは単なる比喩ですから」
「わ、分かってるってば」
どこかでやったようなやり取りだ。
「けどこの鉄格子の向こうにカギとやらはあるのよね?」
「はい、それは間違いありません」
ヨミはそう言いながら鉄格子の鍵を開ける。先に進んでいくと、少し開けた場所に出た。灯りも必要ないくらいに明るい。日の光は当然届かないが、代わりに発光する苔のような植物が周りの壁や地面に生えている。だが何より目を引くのは、中央にある石造りの祠だ。
「どうして洞窟の中にこんな祠が」マリーベルはふと疑問をこぼす。
「元からあったものではないそうです。この祠も、あの鉄格子も、マリーベルさんのご先祖の方があるものを祀り、そして守るために用意したのだとお聞きしました」
「そのあるものっていうのが、あなたの言うカギというわけね」
「そういうことです。マリーベルさん、祠を開けてみてください」
マリーベルは頷くと、祠の戸を緊張した手つきで開ける。恐る恐る中を覗く。そこにあったのは、透明な液体が入った小瓶。それに一枚の古びた紙切れだった。
「こ、これは何? 触ってみてもいい物なの?」
「どうぞどうぞ。手に取ってご覧になってください」
「は、はぁ。それじゃあ」
マリーベルはまず、透明な液体の入った小瓶を手に取る。見たところは何の変哲もない水のようにしか思えない。
続いて古びて色あせた一枚の紙切れ。それには何か文字のようなものが書かれていたが、全くといって読むことは出来なかった。少なくとも自分の知識にはない、未知なる言語で書かれていたのだ。
「うぅ、全然読めないわ。いったいなんて書かれてるのかしら」
「これは龍の雫といって、どんな病気や怪我も治してしまう超絶スゴイお薬だよ」
「……は?」
唐突にヨミが小さな子供をあやすかのような変な口調になり、マリーベルは耳を疑った。二度見もした。が、やはり先の言葉を発したのはヨミだった。このわずかな隙に別人に入れ替わったという訳ではないらしい。
「ちょっと、こんな時にふざけないでよ」
「別にふざけてなどいませんよ。何と書かれているか聞かれたので、文面をそっくりそのままお読みしたまでです」
「え、あなたこの文字が読めるの?」
「ふふふ。どうです、すごいでしょう? 20年前ここに来たときは読めなかったんですけど、今ならこの程度の短文は造作もありませんよ」
「にしては意訳が多分に含まれている気がするけど……」
「そんなまさか。本当にそっくりそのままお読みしただけです。マリーベルさんも竜人族の言語を学べばそのうち読めるようになりますよ」
「か、考えておくわ……って、竜人族? それって確か今はもういない、大昔に絶滅してしまった種族よね?」
竜人族は人間とドラゴンの特徴を兼ね備えたハーフ種族だと言われている。普段は人の姿をしているが、身体能力は普通の人間の数倍。さらには巨大なドラゴンに変身する能力を有しているとも。
しかし個体数は人間よりもはるかに劣り、繁殖力もかなり低いためすでにこの世界には存在しない種族となっている。
「そうですね。まあ大昔と言っても300年程度ですが」
「充分昔よ……」
前々から思っていたが、ヨミの時間感覚はいったいどうなっているのだろうか。エドガーは20年前から姿が変わっていないと言うし、考えれば考えるほど頭がこんがらがってしまう。
「話を戻しましょう。龍の雫は竜人族にしか作ることのできない、大変貴重な薬です。この世に存在するありとあらゆる病気や怪我、果ては凶悪な呪いさえも取り払ってくれるといいます。エルシャさんの石化も、これを飲めば一発でしょう」
「病気も……なるほどね。あなたの言うカギって、この龍の雫っていう薬のことだったのね」
「そういうことです。さあマリーベルさん、あなたがエルシャさんのところまで持って行ってあげてください」
「そっか、こんな近くにあったんだ……」
「マリーベルさん?」
マリーベルは指でつまんだ小瓶の中身をじっと見つめている。まるで外の世界を遮断するかのように。ヨミの声もおそらく届いてはいない。夢中で何か考え事をしているようだ。
「おーい、マリーベルさーん」
「はっ! ごめんなさい、少しボーっとしてたわ。そうね、早く持っていってあげなくちゃ。きっとエルも首を長くして待ってるはずだもの」
マリーベルは小瓶を大事そうに握りしめる。そして洞窟を出て屋敷に戻ると、辺りはすっかり暗くなろうとしていた。




