第22話 旅人
「おはようございます、エルシャさん。気分はいかがですか?」
石化が解けると同時にエルシャの五感は一気に蘇る。早くも見慣れた書物庫の景色。紙とインクの独特な匂い。目覚めの挨拶も決まって、夜なのに「おはよう」だ。エルシャにとっての一日は、太陽ではなく月が昇って沈むまでの間のことを差す。暮夜の爽やかな挨拶にももう慣れたものだ。
まったくもっていつも通り。
かと思いきや、いつもと違う点に違和感を覚えたのは少し遅れてからのことだった。
「ヨ、ヨミさん!? なぜここに……というか、み、見ちゃいましたよね。わたしがその、石像に……」
「ええ、バッチリ見ちゃいました」
そう、それはヨミの姿だった。先ほどの挨拶もヨミからのものだ。
「……驚かないんですか?」
「マリーベルさんやエドガーさんから事情は伺ってましたし、私はほら。旅人ですから。不可思議現象には慣れてます」
「そう、なんですね……」
よく分からないがエルシャは適当に相槌を打っておいた。旅人ってすごいんだなー、くらいの適当さである。または旅人万能説とでも言うべきか。
「それはそうと、なんでヨミさんがマリーベルさんのお屋敷にいるんですか?」
「もう、エルシャさんったら忘れんぼさんですねー。昨日お会いした時に言ったじゃないですか。明日マリーベルさんのお屋敷に行くって」
「あ、そういえば……そうでしたね」
と言いつつもエルシャの顔は渋めだ。宿屋でヨミに会って話をしたことはなんとなく覚えているが、そこから先の記憶があやふやだ。確か自分は屋敷を抜け出して何処かへ向かったはずだが、どういうわけか元の場所にちゃんと戻ってきている。ヨミがなぜここにいるのか聞くより、まずはなぜ自分がここにいるのかを聞くのが先だったか。
いや、違う。いろいろと聞くべきことが多すぎて混乱の極みにあるエルシャだったが、時間の経過とともに昨日の出来事が徐々に思い出せてきた。
自分の記憶が正しければ、昨日ヨミは……。
思わず目をそむけたくなるような光景がフラッシュバックし、エルシャは言葉を詰まらせる。
「あ、あの……」
「無理に話さなくても大丈夫ですよ。エルシャさんが言いたいことは何となく分かりますから。なぜ私が生きているか、でしょう?」
「……はい。わたし、あの時はすごく動揺していました。わたしのせいでヨミさんが死んでしまったんじゃないかって、でも……」
残念ながらそこから先の記憶は途切れている。思い出そうとしても思い出せない。ヨミの言葉を待つしかなかった。
「確かに私はあの時、銃で撃たれました。でも、これが私の命を守ってくれたんです」
そう言ってヨミが取り出したのは、いびつな形に歪んだ500エン硬貨だった。
「まさか、それに当たったんですか?!」
「どうやらそうみたいです。いやはや……こんなことが現実に起こるだなんて、本当に驚くしかありませんね~」
ヨミは形の歪んだ硬貨を指でつまみ、しみじみと見つめる。銃弾の軌道が少しでもズレていたら命を失っていたかもしれないというのに、表情や声色には全くと言って焦りなどの感情が見えない。旅を長く続けているだけあって肝が据わっている、あるいはよほどの大物とでも言うべきか。
だがそこで、エルシャはヨミの言葉に違和感を覚えた。
(あれ? でもヨミさんはあの時、血を流していたような気がするけど……思い違いかな)
昨日の記憶はぼんやりしていてはっきりしていないが、今考えたことが事実ならばヨミの言っていることは矛盾していることになる。
どうしてヨミはそんなことを言ったのか。発言の真意はどうであれ助かったのだからいいじゃないか、そう言われたならそこまでだが、エルシャにはどうしても確かめてみたい気持ちがあった。
「……すみません。一つ聞いてみても……いいでしょうか」
恐る恐る怖いものに近づくかのように尋ねるエルシャに対し、ヨミは優しく微笑み返す。
「はい、なんでも聞いてくださいね?」
「ヨミさん……わたしの記憶だと、あなたは血を流して倒れていたはずです。なのにどうして500エン硬貨が守ってくれただなんて嘘をついたんですか? そもそも、なんで生きてるんですか!?」
エルシャは思わずまくし立てる。自分でもびっくりするくらいに言葉が洪水となって喉の奥から溢れ出てくるが、それだけ疑問に思っていたということだろう。その証拠に他人とは絶対に目を合わせようとしないエルシャがじっとヨミの目を見つめている。
「ふむぅ。そう言われてもちょっと困っちゃいますね。だって私は現に生きてるんですから。きっと見間違いでしょう」
「ご、誤魔化さないでください! わたしはちゃんと、この目で見ました!」
「あー……見られちゃってましたか。どうやら白状するしかないようですね」
「白状……?」
やはり何かを隠していたのだろうか。無意識に身構えてしまうエルシャだったが、ヨミの口から語られた真実は予想の斜め下をいくものだった。
「先ほど言ったことは半分本当で半分嘘です。確かに銃弾は硬貨に当たったのですが、完全には防げなかったんです。軌道が逸れて、私のおなかに当たってしまったというわけです。おかげで致命傷には至りませんでしたけどね」
「どうしてそんな嘘をついたのですか?」
「単純なことです。カッコつけてみただけですよ。だって懐に仕舞っておいた硬貨が銃弾を防いでくれただなんて、すっごくドラマチックでしょう?! まあ現実はそう上手くいってくれませんでしたけどね……」
「そ、そんな理由で……」
「はい、そんな理由です。がっかりさせてしまいましたか?」
「そそそ、そんなことはありません! 無事で何よりです!」
「心配していただき、ありがとうございます。エルシャさんはお優しい方ですね」
「いえいえ、当然の心配をしたまでですから……」
「そんな謙遜なさらないでください。あ、そうだ!」
そう言って微笑むヨミは、何かを思いついたのか人差し指をピンと立てた。
「この500エン硬貨、エルシャさんに差し上げましょう。ぐにゃぐにゃになっているのでお金としては使えないかもしれませんが、幸運のお守りにはなると思いますよ。効果も私が保証いたします」
「いいんですか? わぁ、ありがとうございます!」
確かに効果のほどはヨミが身をもって証明している。エルシャは手渡されたお守りの硬貨を受け取ると、失くさないよう大事にポケットの内側へしまい込んだ。
「さて。ではそろそろ本題に入りましょうか」
一方、ヨミは真剣な面持ちでエルシャを見つめる。急激な雰囲気の変わりように、エルシャはまたしても混乱しそうになる。むしろ今までの話は本題ではなかったのか、と思う余裕も隙も度胸もない。
「本題……?」
「はい。私がここにいる理由。そしてあなたに会った理由。すべてはこのことを告げるためだった……と言っても過言ではないでしょう」
ヨミはもう一度真剣な眼差しを向けた、その刹那。
「エルシャさん。私の旅に同行してください。あなたが求めているものは、きっと私の旅の終着点――つまり、私の故郷にあるはずです」
「た、旅……ですか」
思わぬ提案に、エルシャは思わずたじろぐ。求めているものとは、やはり300年前の自分が書き記したという手帳のはずだ。先日ヨミと会った時に所在は明らかになっている。
だが、すぐさま提案に乗っかることは出来なかった。
旅という言葉の意味はさすがのエルシャも表面上だけとはいえ知っている。知っているからこそ、首を縦には振れなかった。きっと想像できないほどの困難が待ち構えていることだろう。
それに、今の自分は夜の間しか行動できない。この致命的な弱点のせいでヨミに多大な負担をかけてしまうことは容易に想像できてしまう。
「さすがにすぐには答えられませんよね」
「すみません。ちょっと、まだ頭が回らなくて」
「大丈夫ですよ。あと一日だけですが、私はこの町に滞在しますから。明日までには答えを聞かせてください」
「わ、分かりました……」
タイムリミットはあと一日だけ。きっとそのタイミングでヨミは町を発つのだろう。それまでに心積もりが決まるかは……エルシャ自身にも分からない。
失った記憶はもちろん取り戻したいが、それ以上に心に引っかかった何かが一歩踏み出すことを躊躇させている。その何かの正体もまた、今のエルシャには分からない。旅の困難さ、あるいは石化してしまうことではなく、もっと根本的かつ単純な何かのような気はする。
「では私はこれで。っと、その前に」
ヨミはそう言うと、部屋の扉の前で立ち止まる。
「こっそり立ち聞きなんてしなくていいんですよ? そこにいるのは分かってます。……マリーベルさん」
「――!」
そう言った瞬間、扉の向こうでガタンと足音のような何かが聞こえた。扉がゆっくりと開き始めたのはその直後のことだった。姿を現したのは、やはりマリーベルだった。彼女の面持ちは神妙そのものである。
「ごめんなさい。話、だいたい聞いちゃった」
「マリーベルさん……」
「それで、エルはヨミさんの旅に付いてくつもりなの?」
「まだ分かりません。どうすればいいのか、全然……」
「けど迷ってるっていうことは、旅に出たいという気持ちもあるってことよね?」
マリーベルからの問いかけに、エルシャは真意を突かれたかのように目を見開く。そしてしばし考え込んだのち、首を縦に振る。
「大変な道のりになるとは思います。けど、わたしはどうしても記憶を取り戻したい。自分が何者なのかくらい知っておきたいんです」
「……そう、なんだ」
またしても二人の間に沈黙が流れる。マリーベルはエルシャが唯一自然に会話が出来る相手だが、今ばかりは言葉が紡ぎ出ない。
そしてそれはマリーベルも同様だった。
しばらく沈黙が続いたのち、マリーベルはたどたどしくも必死に声を絞り上げる。
『私、信じてるから! エルならきっと記憶を取り戻せるって!』
というふうに笑顔で送り出すつもりだった。
しかし、実際に出た言葉はそれとはまったくもって真逆。意図せずして出た言葉に、マリーベル自身も驚いてしまう。
「エルが行くって言うなら……私も、旅に同行させてほしい」
それは心の根底に沈んでいた思いが浮かび上がって出てきた、いわば無意識のうちに隠していた本心ともいうべき真実の言葉だった。




