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第139話 竜人言語

 竜人族。

 それは300年前に消滅したはずの種族の名だった。

 しかし文明や文化までもが完全に消滅したわけではなく、竜人族が歩んできた歴史と痕跡は今の世にも残っている。かつてエルシャがハイネと共に興じた竜人将棋もその一つだ。

 そして、目の前にある手帳に刻まれた竜人言語は、今もなお研究対象として多くの学者が解読を取り組む難解な言語だった。

 

 それをなぜエルシャは読み解けたのか。普通の言語でさえままならないはずのエルシャが、どうして。


「あなたの疑問にお答えしましょう。なぜ竜人族の言語を、難なく読み解くことが出来たか……」


 セティスはエルシャの頬を優しく撫でながら、覗き込むように自分の顔を近づけて囁く。


「それは、あなたが竜人族の生き残りであるからに他なりません」


「わたしが……竜人族の生き残り? さ、さすがにあり得ませんよ。わたしはこの通り、何の変哲もない人間です」


「果たして本当にそう言えるでしょうか。少なくとも私には、何の変哲もない人間が竜人文字を読めるとは到底思えません」


「それは、その……」


 エルシャは返答に詰まってしまった。どうして初めて見る言語を難なく読むことが出来たのか。理由はエルシャ自身にも分からない。


「そもそもあなたは何の変哲もない人間とは呼べないでしょう。どこの世界に300年もの年月を石像として過ごした人間がいるのですか?」


「……! な、なぜそれを……!」


「おや。否定はなさらないのですね。まあ、否定したところであなたの正体は揺るぎませんから。素直に認めてくれた方が私としても話が早くて助かります」


 エルシャの頬を冷たい汗が伝っていく。墓穴を掘ってしまった以上、どんな言い訳も通用しない。それにセティスの発言は全て、エルシャの正体を知っていることを暗に示していた。


「私にはすべてが分かっています。まあ、分かっていると言ってもこの預言書に書かれている範囲の限った話ですけどね。でも困ったことに、この預言書が預言してくれているのは現時点……つまり、あなたがこの預言書を手に取る瞬間までしかないのです。ここから先の未来は誰にも分かりません」


 セティスはエルシャを片手で抱き寄せると、もう片方の手で預言書をめくった。

 そうしてめくったページは白紙になっており、何も書かれてはいない。だがそのページを見た瞬間、エルシャは得体の知れない悪寒に襲われた。丁度その時、セティスは不気味な笑みを浮かべていた。


「ですので、ここから先のことは私たち自身の手で、私たち自身の意思で切り開いていくしかありません。そして私は決心しました。いえ……これは決心というよりも、使命と言った方が正しいかもしれません。私は聖竜教団の大司教。その使命はもちろん、邪竜をの痕跡をすべて根絶し、人々に真の平和をもたらすこと。そのためにはエルシャさん。あなたには平和のための礎となってもらいます」


 セティスはエルシャの腕を強い力で締め上げる。まるで憎悪の念も込められているかのような、そんな痛烈な痛みだった。

 エルシャはなんとか振りほどこうとするが、セティスの腕はまったく動かない。ただ締め付けられるだけだ。


「や、やめてください! どうしてそんなことをするんですか!?」


「もうとぼけなくたっていいんですよ。あなたの正体は分かっています。すべてはこの預言書が示してくれました。あなたの正体は光の魔女でも、ましてや影の魔女でもない。300年前、この地を深い闇で覆いつくした邪竜グラスファ……その子孫にあたるのがあなたなのです」


 邪竜グラスファ。その名をエルシャは知っている。魔の森の霧が生み出した幻影がそう名乗っていた。そして、魔の森が生み出す幻影は、人の記憶を媒介に作られる。エルシャとグラスファに何らかの関係がある可能性は限りなく高い。だが限りなく高いだけであって、そうだと決まったわけではない。腕を締め付けられる痛みに耐えながら、エルシャは叫ぶ。


「何かの間違いです! だいたい、竜人族というのはとっくに滅びたはずですよね!?」


「何も間違ってはいません。300年前、確かに竜人族は滅びました。ただ一人を除いて……そう、石像となっていたあなたは竜人狩りを免れた」


「竜人狩り……? な、なんですか、それは……!?」


「おっと、私としたことが口を滑らせてしまいましたね。ですがじきに死にゆくあなたにはどのみち関係のないこと。さあ、平和のための犠牲となりなさい邪竜の子よ……!」


 セティスの手がエルシャの首を掴み上げる。彼女の細い体のどこにそんな力があるのか、片腕だけでエルシャの体は宙に浮く。反撃しようにも首が締められ、意識が朦朧として体が動かない。視界は徐々に狭まっていく。もはや断末魔を上げる余裕すらなく、エルシャの意識は途切れる――その寸前。


「や、やめろぉぉぉ!」


 途切れゆく意識。視覚はもはや機能を失っていたが、かろうじて聴覚は生き残っていた。メルティーナが叫ぶ声は、鮮明にエルシャの耳にも届いていた。


「邪魔しないでください、メルティーナ王女殿下。あなたには生きていて貰わねば困るのです」


 素顔を隠しているはずなのに正体が分かっていることなど、もはや些末な問題だった。セティスはメルティーナの制止を軽く振りほどき、エルシャの前に立ちふさがる。その威圧感にエルシャは思わず後ずさるが、この奇妙な閉鎖空間に逃げ場と呼べるものは何処にもなかった。


「さあ……いきましょう。そして誇りに思いなさい。あなたという存在はきっと永遠に語り継がれることになりますよ」


 セティスとエルシャの距離が淡々と狭まっていく。今にして思えば、この限りなく奇妙な空間はありとあらゆる物事に対して都合が良かった。普通には立ち入れない時点で、あらゆる物事を隠し、秘密にしておける。そう、例えば暗殺するにはうってつけの場所と言えてしまう。もしかしたらこの空間で始末された人間は他にも数多くいるのかもしれない。そんな最悪の想定ばかりが、切羽詰まった脳の片隅に流れていく。


「なぜ……そんなことをするのですか? そんなに、その預言書とかいうのは信用に足るものなんですか!?」


「悪は打ち倒して然るべきものですよ。そして預言書の信頼性は……あなた自身もよく分かっているはずです」


 セティスが掲げた右腕の先に、いくつもの魔法陣が展開される。エルシャは思わず瞼をギュッと閉じた。するとその時だった。


「……!? 預言書が……」


 セティスの意識が脇に逸れる。その視線の先には、言葉通り預言書があった。台座から宙に浮き、不自然なほどに眩い光を放つ預言書の姿が。

 あまりに突然すぎる出来事に、セティスはエルシャの首を締め上げていた腕から思わず力を緩めた。そしてエルシャがドサッと床に落ちた次の瞬間、預言書から放たれる光はさらに強さを増していき、やがて部屋中を光で満たす。

 その明るさは目を開けることすら困難にさせ、セティスは反射的に腕で目を覆った。


「……ッ!」


 程なくして発光も収まりを見せる。ゆっくりと腕を下ろすと、傍にいたはずのエルシャとメルティーナの姿が消えていた。


「なっ、いったい何処へ……!?」


 そして消えているのは二人の姿だけではなかった。あれだけ目立つ光を放っていた預言書も、二人と一緒に消えてなくなっていた。

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