第134話 異形
その後、エルシャ達は村の付近まで移動した。村の外周には簡易的な柵が設置されており、普段はそれによって魔物の侵入を防いでいるのかもしれないが、さすがに魔獣までをも阻む能力はなかったらしい。
四人は策の隙間を通り抜け、村の中に歩みを進める。
この辺は普段からのどかで静からしいが、今は村民全員が王都に避難しているため、静寂がより一層際立っている。
いや、正確には全員ではない。逃げ遅れたと思われる村民がどこかに取り残されているはずだ。
しかし、村の中には逃げ遅れた村人はおろか、魔獣の姿さえも見当たらなかった。何かがおかしい、と思いつつも四人は村の中の捜索を継続する。やがて四人はある建物の前で立ち止まった。そこは、教会で話をした女性の自宅……つまり行方不明になっている男性の自宅でもあった。
「もしかしたら旦那さんがこの中にいるかもしれません。念のため確認していきましょう」
ヨミが先陣を切り、玄関のドアを開ける。鍵はかかっていなかったようだった。四人は手分けして室内を探すが、やはり誰の気配も感じられない。
ここにもいないか、と落胆したエルシャだったが、ふと奇妙な感覚に襲われた。少し遅れてメルティーナもそれに気づいたようで、首をかしげながら言う。
「二階……誰かの気配がする」
その声に釣られるように、他の二人も階段の先を見つめる。確かに何者かの気配が感じられる。それはきっと気のせいではなく、耳をすませば微かに物音も聞き取れる。誰かが二階にいるのも確かなようだ。
「ど、どうしましょう……」
エルシャは三人に相談する。しかし返答が返って来るよりも早く、ヨミが二階に向かって声を放つ。
「あのー、どなたかいらっしゃいませんかー? いたら返事をお願いしまーす」
「うぇっ?! ちょ、ちょっと何やってるの……」
あまりの大胆さ、そしてあまりの無神経さにメルティーナは思わずギョッとしてしまった。ただ物音がしただけで、誰がいるとも分からない。もしかしたら非常事態に乗じて盗みに入った強盗が潜んでいるかもしれないのだ。
「誰かがいらっしゃるようなので、呼びかけてみました。きっと旦那さんだと思いますよ」
「そうと決まったわけじゃないでしょ。危ない感じの人だったらどうするの?」
「その時は……まあ、四人がかりで何とか」
「あ、あたしをその数の中に入れないでくれるかなぁ」
メルティーナは呆れた様子でため息をつく。とはいえ、他に妙案が思いつかないことも確かだ。ここでぐずついていても仕方がないということで、結局ヨミの案をそのまま実行してみることにした。もし危険だと判断されればすぐ逃げるよう念を押し、エルシャ達も覚悟を決める。
ゆっくりと階段を上がり、二階の廊下に出たところですぐにその正体は明らかになる。そこにいたのは一人の男だった。いや、正確に言えば男とは断言出来ない。さらに言うならば、人間とすら断言できない人型の何かだった。
姿形こそ四足歩行の人間そのものではあるが、肌は灼熱の炎に焼かれたかのように赤黒く爛れており、手や足には獣の如く鋭利な爪が生えそろっている。
「な……なんなの、あれ……!?」
異形。
まさにそう呼ぶにふさわしい何者かの出現に、メルティーナは悲鳴のような嗚咽を漏らしてしまう。
「まさか、あれも魔獣……!?」
マリーベルの言葉に、ヨミは首を横に振る。
「いえ、魔獣にしては姿があまりに違いすぎます。もしかしたら大怪我をしている旦那さんなのかもしれませんよ」
「じゃああの爪は何なのよ!?」
「……確かに、あれを旦那さんだと言うのはさすがに苦しいですね」
ヨミにしては珍しく「もしかしたら」という可能性に賭けたのかもしれない。しかし、その可能性にはあまりにか細い糸だった。村を徘徊しているはずの魔獣が見当たらなかったのは、このように人間サイズの魔獣が屋内にいたからだとすれば説明がつく。
ヨミは、腰に携えた刀の柄に手を掛けた。
それに呼応するかのように、“異形”もこちらへと近づいてくる。
「どうやら、やるしかないみたいですね」
“た……す……”
(……え?)
その時、エルシャはハッとする。
近づいてくる異形が、何か言葉を発したように思えたのだ。
“……け……て”
勘違いではない。
確かに異形は言葉を発している。
「ま……」
エルシャは思わず後ずさる。
だがその時すでに、ヨミは鞘から刀を抜いていた。
「ま、待ってくだ――」
エルシャは叫ぶが、ヨミの刀はすでに弧を描いている。異形の眼前まで迫った刃は、そのまま異形の首を一刀の下に斬り伏せた。一瞬の間の出来事った。異形は断末魔を上げる暇すらなく、黒い霧となって消滅した。そう、跡形もなく……。
「さ……い……」
エルシャはその場にへたり込む。
首が斬られる直前、あの異形は確かに言ったのだ。
助けて……と。