第123話 荒野の怪鳥
魔獣討伐隊一行は関所を抜け、北の荒野へと足を踏み入れる。先ほどまでの緑豊かな草原とは打って変わり、視界の先には赤茶けた大地が広がっていた。
「ベルトラン様、疲れてはいませんか? ちょうどそこに日陰があります。疲れているのであれば休んでいきましょう」
「必要ない。先を急ぐのが優先だ」
先頭を行くのはベルトランだが、彼の周りには常に護衛のペトラが目を光らせている。呼び方こそ「坊ちゃん」から「ベルトラン様」に変わってはいるものの、根元の心配性な性分は変わっていないらしい。
「それにしてもさっきから風が強いな……この辺はいつもこんな感じだったか?」
ベルトランは風にはためくマントを片手で押さえ、まるで独り言のようにそう呟く。その言葉がペトラに届いていたかどうかは分からないが、彼女は黙ったまま前を向いて歩みを続ける。
一行が目指すのは魔獣の巣窟のはずであったが、それらしき影はまだ見えない。しかしこの気候、この天候……訪れる者にとって最悪のタイミングで来てしまったと言わざるを得ないだろう。ただ風が強いだけならまだしも、その風に砂塵が乗って常に目を攻撃してくる。おかげで視界性は最悪だ。
「……おや」
風の音と自分たちの足音しか聞こえない荒野で、ペトラはふと何かを感じ取る。それは風に乗って漂ってくる鉄のような匂い。五感というよりかは第六感に近いものであったが、彼女の研ぎ澄まされた知覚力は的確に遥か上空から迫りくる襲撃者の姿を捉えていた。
「皆さん、伏せてください!」
その直後。
反応が遅れた後方を歩く私兵が悲鳴を上げる。
「うわああぁぁぁぁーーー……ッ!」
そしてその声は、瞬く間に遠くの方へ離れていく。より正確に言うならば、上空から襲い来る巨大な鳥型の魔物に攫われたのだ。
「な、なんだあれは!? まさかあれが魔獣か!?」
「いえ、あれはおそらく怪鳥ルフでしょう。こういった荒野に生息しているとはよく聞きますが……もしかしたら気づかないうちにルフの縄張り内へ踏み込んでしまったのかもしれません」
パニックになるベルトランと、冷静に解説するヨミ。
砂塵を巻き上げるほどの暴風に乗り、容赦なく私兵の一人を攫っていった魔物の名はヨミの言う通りルフという。黄緑色の体毛の下には光沢のある鱗が並び立ち、しっかりとした骨格を持っているのが見て取れる。他の動物に例えるならば飛竜種に近い骨格をしているだろう。
「そんなことを解説してる場合か!? 連れ去られたアイツはどうなる!?」
「そりゃまあ……巣の中へ連れ込まれるか、もしくは途中で振り落とされるかでしょうね」
「巣の中へ連れてかれたらどうなる!?」
「雛の餌にされるんじゃないでしょうか」
「じゃあ振り落とされたら……」
「地面に叩きつけられて死にますね」
ヨミとしては淡々と事実を述べただけだったが、その冷静さが逆にベルトランのパニックをさらに加速させてしまう。
「どどど、ど、どうにかならないか!?」
相変わらずベルトランが慌てふためいていると、上空から落ちてくる小さな黒点のような物が全員の目に入る。言うまでもなくそれは振り落とされた私兵の姿だった。
「私が行きます! 私が、落下地点で受け止めて……!」
「いやいや、さすがにあなたでも無理よ」
無茶なことを言いだすペトラを、マリーベルが冷静にたしなめる。
「でもこのままでは彼は……!」
「私に考えがあるわ。あの人にはちょっと濡れてもらう羽目になってもらうけど……まあ落下死するよりはマシでしょ!」
小さな黒点はだんだん人の形になってくる。もはや猶予はない。マリーベルは背中の杖を取り出すと、私兵の落下地点に重なるように転移魔法陣の展開を試みる。目標地点がずれると大惨事になってしまうので、いつも以上に慎重に、しかし肩の力は抜いて。
「……――ゎぁぁああああ!」
「そこ!」
落下地点ちょうどに展開された魔法陣に、空から降ってきた私兵が吸い込まれる。彼の姿が消えたその直後、近くにある池に何かが勢いよく落下した。言うまでもなくそれは池の真上に転移してきた件の私兵だった。
「はぁ、はぁ、た……助かったのですか、私は……」
池の中から這い上がってきた私兵はずぶ濡れにはなったものの、命は無事に助かった。
「良かった……無事に成功して……」
ギリギリの作戦。さすがのマリーベルも、彼ほどではないが生きた心地がしなかったようだ。額に浮かんだ大粒の汗を一拭いすると、力なくその場にへたり込む。
「あなたも中々無茶な……いえ、私などよりずっと無茶しているではありませんか!」
ペトラは呆れ交じりにマリーベルの手を取る。
しかし、その無茶が無ければ今頃私兵はルフの餌食になっていたことだろう。マリーベルの機転に救われたのは事実だったし、何より彼女が転移魔法の使い手でなければこの作戦は成立しなかった。
「ははは……もうちょっとスマートに行く予定だったんだけどね……」
終わり良ければ総て良し。と言いたいところだが、怪鳥ルフは未だに上空を旋回して二度目の襲撃を画策している。依然として油断は許されない状況だ。
「う……ううう……」
一方ベルトランはというと、怪鳥ルフの目の当たりにして完全に腰が抜けてしまったようだ。ペトラに肩を借りながらどうにか立ち上がりはしたものの、その顔は恐怖で引きつっていた。
「大丈夫ですか? 腰を抜かしてしまうとはベルトラン様らしくないですね」
「い、いや、抜かしてなどいない。少し風が強かっただけだ」
「そうですか……そうですよね! ベルトラン様であればあの怪鳥も倒してくださいますよね?」
「もち……ろん……いやだああああああ!!」
ベルトランはまたも取り乱し、あてもなく走り出してしまう。こんな危険な場所、一刻も早く逃げ出したいという思いが彼の必死な姿からひしひしと伝わってくる。
「ベルトラン様、危険です! 単独行動は怪鳥にとっていい的ですよ!」
「いえ、ベルトランさんは敢えてそうしたのだと思います」
そう言うのはヨミだった。一体どういうことかと聞かれるよりも早く、ヨミは次の言葉を絞り出す。
「私兵の皆さんを危険に晒させないため、そして私達に的を絞らせるため……ベルトランさんは自ら囮になったのです」
「そ、そうだったのですか!?」
「はい。彼の想い……無駄には出来ませんね」
もちろんそんな事実はない。ヨミが適当なことを言っただけである。
「うわあああああーー! く、来るなーーーーっ!」
しかし、ベルトランが図らずして囮となっているのは事実だ。この好機を逃す手はない。ヨミは地上に下りてきた怪鳥ルフとの距離を一気に詰めると、腰に携えた刀を引き抜いて鋭い斬撃を怪鳥ルフに与えた。
「エルシャさん、とどめの一発をお願いします!」
「はい!」
エルシャは返事をするのと同時に黒炎球を作り出す。怪鳥ルフはヨミが与えた斬撃のお陰で動きが止まっているが、それも程なくして回復してしまうだろう。だからこの一瞬が最初にして最後のチャンス。
「やあああーーっ!」
狙いを定め、肥大化させた黒炎球を怪鳥ルフ目掛けて発射。それは力強い一直線の軌道を描くと、ほとんど逸れることなく怪鳥ルフへ着弾した。轟音が鳴り響く。視界を覆うような黒煙が上がった。程なくして、着弾地点から少し離れた場所に怪鳥ルフの亡骸が落下してくる。その巨体はピクリとも動かず、完全に息絶えているように見えた。
「やった……のか……?」
恐る恐る近寄るベルトラン。一歩、また一歩と近づいても怪鳥ルフは動く気配を見せない。どうやら完全に仕留めたようだ。
「「「おおおーーー!!」」」
戦いの幕が下り、私兵達は歓喜する。
「いやぁ、前哨戦にしては結構ハードでしたね」
「ええ、本当ですよ……」
ヨミの何気ない呟きに、エルシャは同意せざるを得ない。しかも気づけば日も落ち始めている。一行は休めそうな大木の下へと移動し、キャンプを張ることにした。