第104話 世界一安全な村の真相
「覚えててくれるとは嬉しいねー。相変わらず変な覚え方ではあるけどさ」
猟犬の触手を切り落とした青年の正体は確かにヒューゴだった。彼と会うのはコンフィルの町を旅立とうとした時以来か。
「なぜあなたがここにいるんですか?」
「悪いが事情を説明してやれる余裕まではない。気を抜くな、奴はまだ生きてやがるぞ」
ヒューゴは改めて剣を構える。彼の言う通り、切り落としたはずの触手はすでに生え代わっており、何事もなかったかのように四本の足で立ち上がっていた。
「私達も手を貸すわ!」
「えっ!?」
意気揚々と前に出るマリーベルと、ギョッとして思わず後ずさるエルシャ。言葉も行動も真逆な反応だが、今の状況において正しい行動を選択したのはエルシャの方だった。
「いや、キミ達は村長さん達を連れて避難してくれ。それまでの時間稼ぎは俺がする」
戦闘面に関しては衛兵であるヒューゴに一日の長がある。一度は前に出たマリーベルも彼の言葉に従い、村長親子の救出に向かった。
「おっと」
「グシュぅぅぅーーッ!」
猟犬もエルシャ達の行動を見逃すはずがない。すぐさま触手を伸ばして攻撃しようとしたが、ヒューゴのひと振りで瞬く間に触手を切断されてしまう。
あまりに早い判断と、あまりに速い剣捌き。
時間にしてみれば一瞬の出来事ではあったが、エルシャの目にその一部始終は収められていた。
勘違いではない自信はないものの、ヒューゴの動きには少しおかしなところがあった。
(なんというか……まるで相手の動きが分かっていたかのような……)
反応速度が速いという次元ではない。先ほどのヒューゴは、触手が伸びる前段階からすでに動き出していた。もちろん一連の動作はあまりに速く、見間違いという可能性も拭えないわけだが。とにかくおかしいと思ったのは事実である。
『なんだ、いまのうごきは。まるでみらいがみえていたかのようだ』
猟犬はまたも青黒い煙を吐き出しつつ、唸り声のような何かによって空気を振動させる。
「お前の動きを読んだだけだ。未来なんて視えるわけないだろ」
一方、ヒューゴは俯いてぽつりと独り言をつぶやく。
双方の姿が消えたのは、その直後のことだった。
正確には常人には目で追えないほどのスピードで戦闘を繰り広げ始めた、といった方が正しいか。
目で追えなくなる以前に、両者の動きに対して音が後から付いてくるレベルの速度だ。双方の激突の余波で周囲の空間が振動し、それに伴う衝撃波が壁や天井、そしてエルシャ達をも襲う。
爆発のような轟音が響き、空気が震える。
もはや戦闘の成り行きを見守ることすら出来ない。
ヒューゴと猟犬の戦いは、文字通り次元が違っていた。
そして時が経つこと数秒。
両者の戦いにようやく決着がつく。
音が鳴りやむと同時に顕わとなったのは、猟犬の首に剣を突き立てるヒューゴの姿だった。
『やはりきさま、みらいがみえてるな。おそらくきさまには未来視の魔眼が――』
――ザシュッ。
ヒューゴは剣を払い、猟犬の首を跳ね飛ばした。
斬り離された胴体と共に、猟犬は溶けるようにして息絶えた。
「今、何か言ってなかった?」
マリーベルが近づいて確認を取る。
「化け物が人間の言葉を喋るわけないだろ。もし何か聞こえたとしても、それはただの雑音だ。意味なんてものはない」
「そ、そう……?」
ヒューゴが妙にきっぱり答えるものだから、問いかけたマリーベルも淡白な反応を返すしかない。やはり勘違いだったのだろうか。確かめようにも猟犬はすでに消滅しているし、そもそも確かめたところでどうにかなるわけでもない。
「や、やったのか? あの化け物は死んだのか!?」
「ああ、手ごたえはあった」
「本当だな? 本当になんだな!?」
ヒューゴの背後からハルピンが恐る恐る顔をのぞかせる。彼自身の目でも猟犬が消滅したことを確認すると、十年ぶりの休暇を得たかのような特大のため息を漏らして安堵した。
「はぁぁぁ~~っ。ひ、久々に死ぬ気がしたよ。生を得るっていうのはこういうことを差すんだろうね」
「生き返ってるところ悪いけど、あんたを王都まで連行させてもらう。あんたには色々と話を聞く必要がありそうなんでね」
「……まあ、そうなるだろうね。怪物騒ぎを起こしといてタダで済むとは思えないしさ」
「おいおいそれだけじゃないだろ?」
「えっ? それだけじゃない、とは?」
「とぼけたって無駄だ。あんたの正体は分かっているからな」
「しょ、正体……」
「まず、ハルピンという名前は偽名だ。本当の名はハリル。タイムトラベラーのハリルって言えばさすがに分かるか」
「……! あなたも随分と良い性格をしていらっしゃる。最初からすべてお見通しだったというわけですか」
ハルピンは観念し、がくりと首を垂らす。
タイムトラベラー。時間遡行者。過去と現在を行き来する時の旅人。
それが、ハルピンもといハリルの正体だ。
「しかし、なぜワシの正体があなたには分かったのですかな?」
「俺もあんたと同じ眼を持っている。いわゆる魔眼ってやつだ」
「なるほど。さしづめあなたの能力は未来視といったところですかな」
「……ま、そんなところだな」
ヒューゴが暴いた通り、ハリルには魔眼がある。“時間遡行の魔眼”だ。能力はその名が示す通り、過去の時間軸へ移り渡ることが出来るというもの。
遡ることが出来るのは現時点から24時間以内という、ごく短い範囲に限られてはいるが、ハリルはこの能力を駆使して賭場を荒らしに荒らしまわっていた。
賭け事の結果だけを見てベット前の時間に戻るのであれば、24時間という時間すら必要ない。たったの数分だけで十分なのだ。
地下格闘技においてどちらが勝つのかも、馬術レースにて何番の誰それが一着となるのかも、すべて答えを知った上でハリルは賭けに臨んでいた。
そんな彼が如何にして負けることなどあり得ようか。
あまりの勝ちっぷりにイカサマや八百長を疑われた回数は数えることすら億劫なほどだが、時間遡行を行ったと分かるのは本人以外には存在し得ない。
賭け事というにはあまりに退屈な作業と化してはいたが、人生を何度もやり直せるだけの大金がハリルの元にはあった。
刺激の足りなさを除けばすべてが順風満帆といってもいい彼の人生ではあったが、ある日を境にすべてが崩れ落ちる。
それは、村長である父が急逝したことにより、緊急でハリルがとある村の村長代行を務めることになった日のことだ。
その村は人里離れた山間にあり、交通の便や娯楽には乏しかったが、その分魔物の襲撃なども少なかった。村人の安全面の保障だけが取り柄の、どこにでもあるような普通の村だが、生命活動を営むにおいて平和であることは住居選定における最優先条件と言うに等しい。
と、村の紹介はここまでにするとして。異変が起きたのは就任早々、初日の夜。村民との顔合わせや今後の打ち合わせを済ませ、眠りの床に着こうとしたその瞬間であった。
視界の隅に映り込む不自然な青黒い煙と、鼻の奥に突き刺さる不快な刺激臭。どうやらそれは、部屋の端の角から立ち込めているようだった。
そして一か所に固まった煙は、犬のような姿の化け物となって顕現する。
不浄なる時の狭間の猟犬。
時間遡行を繰り返しているうちに、ハリルは偶然にも不浄なる時の狭間と呼ばれる空間に触れてしまい、猟犬に匂いを知覚されてしまった。
猟犬は時の流れを捻じ曲げる不正者を絶対に許さない。
一度覚えた匂いを辿って、時間や時空をも超えて追い続ける執念深さを持っている。
時間遡行を繰り返して金を稼いでいたハリルがこうなるのは、ある意味必然、もしくは時間の問題と言えた。
しかし、現在時点でハリルは生きている。名を変え顔を変え、元村長として妻子までもうけて生きているのは、猟犬のとある習性を発見したからに他ならない。
それは、猟犬は120度よりも鋭い角度から出現するという特殊な習性だ。
ボディーガードとして雇っていた三人の日雇い冒険者の犠牲によって発見することが出来た。もしものためを想定しての雇用だったが、まさか初日にもしもの場面に遭遇するとは思いもしなかった。
それからのハリルは、即座に屋敷中の“角度”をなくすために奔走した。一度は冒険者の手によって撃退出来たとはいえ、時間が経てばまた襲ってくるに違いない。机や椅子、本棚の角を削り、部屋の隅は石膏で塗り固めた。一見せずとも奇妙としか思えない奇行だが、命の安全のためであるなら仕方がない。
……そうだ。客人が来ても不自然だと思わせないために、これは“安全のため”の処置であるという設定にしよう。“安全な村”というこの村唯一の取り柄を拡大解釈し、村人達にも“安全”を徹底させよう。
ハリルの改革は即日決行された。固形物の摂取は禁止。高いところに昇るのも禁止。広場の遊具も怪我の危険性があるため撤去させた。そして村の外周を壁で囲い、出入りを一か所だけの門に限定させた。門番も常に配置させ、武器などの危険物を持ち込ませないようにした。危険物の持ち込みを防ぐためと言うのはもちろん表向きの理由で、真意は屋敷内に角度のあるものを持ち込ませないためだ。剣や槍は当然のこと、しまいには尖がった形状の柔らかい帽子さえ没収させた。
あまりにも徹底した安全対策は、当然村民からの反発に見舞われた。村から出ていく村民も一世帯や二世帯に留まらなかった。
しかし、残った村民も多からずとはいえ存在した。
その村民同士で結婚させ、子供を作らせ、生まれてきた子供には“情操教育”を施す。
幼少期に植え付けられた常識は、大人になってもそのままというパターンが非常に多い。
特に、この村のように外との関わりが薄いコミュニティならば尚更。
ハリルの娘であるロングは、この情操教育の第一世代とも言うべき親株だ。
この親株が子株を作り、その子株が親株となってまた別の子株を作る。
こういった生命のサイクルによって、新たな常識が生まれていく。
ここが“世界一安全な村”と自称するようになったのも、生命のサイクルによって自然発生した事象と言えよう。
この村におけるすべての怪異性は、ハリルの命とメンツを守り保つための因果であった。
それが、それこそが、世界一安全な村の真相だ。
「じゃあ、王都まで付いてきてくれるな?」
「ははっ、話したところで信じてくれますかね」
「おそらく信じてはくれないだろう。魔眼は未だに謎が多いし、存在自体を疑う人間も多い。だが、アンタにとっては信じてくれない方が都合がいいんじゃないか?」
「……確かにそうですな」
ハリルはヒューゴに連れられ、屋敷を後にする。年月にしてみれば実に40年ぶりの外出だった。不気味なほどに黒い夜空ではあったが、ハリルの目は星の瞬きを反射して輝いていた。こうしてすべての事件の幕は、夜の帳と共に閉じられた。