魔が走る
「きゃ、きゃああああああああ!」
「ほ、ほうちょう! 包丁男!」
「包丁だ! 包丁男がいるぞ!」
とある午後の電車、その車内。飛び交う悲鳴に押し合いへし合い、逃げ惑う人々。
しかし、電車は走行中である。どこへ逃げようというのか。それでもそうする他ないのだから仕方がない。
と、その中、流れとは逆方向へ。つまり騒ぎの中心、包丁を持った男の前に出る者がいた。
それも四人。いずれも男。小太り、レゲエ風、スーツを着た男が二人、うち片方は眼鏡。彼らのその行動を英雄願望などと揶揄するべきではない。そしてそう、たとえどうなろうとも己の身を顧みず、他者のために危険に立ち向かうその姿は英雄に違いないのだ。
いずれの男も鞄を前に。その判断は正しい。これで包丁を防ぎ、取り押さえる。
目くばせする男たち。自然と笑みがこぼれる。この一体感が、どこか心地良い。
と、今ふと頭に浮かんだ映像は未来なのか。場所は居酒屋。あの時はびびったよなぁ、と笑い合う自分たち。これをきっかけに友人に。不思議なことではない。危険を共にした言わば戦友。これもまた縁。と、これが妄想でも構わない。走馬灯でないのなら歓迎。
さあ、一歩。また一歩と一同、包丁男へにじり寄る……が、その時であった。
――ドサドサドサッ
小太りの男のリュックサック。口の部分を下に向け、しかもファスナーが開いていたため中身が出てしまったのだ。
おいおいドジだな。しかし、今が契機では。あの包丁男も気を取られ……と思ったのも束の間。全員の視線は落としたその物に釘付けとなった。
そして、スーツの男が口を開いた。
「え、雑誌に写真、それって……児童ポルノ?」
「え、いや、あの、その、これふひ、ふふふ、ちが、ちがくて、あの、別に違法とかじゃあぁ! まあ、あのその、そんな感じで」
「うわ、引くわー」
「同じ男として引きますねこれは」
「ひくワー」
リュックを下に向けた小太りの男は落とした物を拾ったほうがいいものか、いいや包丁男を前にそれは、と足を前後に不格好なステップを踏み、顔は真っ赤。しどろもどろ。目をキョロキョロさせ、全員の冷ややかな目に口をパクパク。背筋が凍る思いに、今度はカッとなり、大声をあげた。
「な、何だよ! 人の鞄の中身にごちゃごちゃ言うなよ!」
「お前が見せてきたんだろうが」と、レゲエ風の男が笑い混じりに吐き捨てるように言った。
「そ、そういう自分たちはどうなんだ! 見せろ見せろ見せろぉ!」
「あ、おい、てめぇ! 触んな! やめろ、あ――」
と、小太りの男に掴まれた、レゲエ風の男の鞄から落ちたそれは
「……これ、乾燥大麻?」とスーツの男が拾い上げた。レゲエ風の男もまたしどろもどろ。
「あっと、その、趣味というか、個人のあれで、そのぉ……」
「うわうわうっわ! 引くわぁー!」
「個人の趣味って、うわ、そのセカンドバッグの中、ギッシリじゃないですか。引きますよその量」
「ひくワー」
「はっはぁ! 悪人が正義の味方ぶって、しゃしゃり出てきてんじゃないっすよぉ!」
「おめえが言うなよ! あと、別にそれはいいだろうが! ……おい、次はお前の番だぞ」
「え、はい? 私ですか?」と、眼鏡をかけている方のスーツを着た男が目を丸くする。
「当然だろうが、人のバッグの中を覗き見しやがってよぉ。おめえはどうなんだよ、おい! 全部出せや!」
「やめろ! はなせ! あ――」
と、眼鏡の男のブリーフケースの中から落ちたのは
「これ……カメラじゃないですか?」
「おい、ここに穴開いてるじゃねえかよ。てめえ、さては盗撮野郎だな! 引くわー!」
「とんだ変態野郎がいたもんすねぇ! 引くわー!」
「ひくワー」
「な、な、な、く、クソォ! ああああああぁぁぁぁ!」
「こういうまともそうな見た目のやつがキレるの見ると本当に引くよな」
「うるさいうるさいうるさぁい! ……つぎぃ、あなたの番ですよぉ」
「え、自分、ですか……?」と、睨まれ、スーツの男が思わず一歩引く。
「ま、そうなるわな」
「爽やかな見た目ですけどふふふ、その奥にどんな変態性を秘めているのか。ま、お手並み拝見すねぇ」
「見せたほうがイイヨ」
「ほら、ボーっとしてないで出すんですよぉ!」
「あっ」
と、眼鏡の男に無理やり開けられ、スーツの男のボディーバックから出た物は……
「……別に普通だな」
「すっね。飲み物、ハンドクリーム、ウェットテッシュに折り畳み傘、いや、逆に引くわー!」
「つまらない男ですね。引きます」
「ひくワー」
「いや、別にいいでしょ……。それに今は……」
「ン? ああ、わたシ? わたシはバッグないヨ。これだケ。ビニールブクロとタオル。わたシ、リョウリニンみならいネ。
でもオミセ、ヘイテン。ホウチョウだけもらってきたノ。これでクニかえってヒトハタあげルゥ!」
「いや、お前、それで穴が開いてってわけか」
「人騒がせな……そもそも、包丁をビニールとタオルでって、引くわー」
「まったく、やれやれですね、ん? なんですそれ、え」
「警察手帳ですよ。ええそう、私服警官です。と、駅に着きましたね。全員ドアが開いたら大人しく――」
「退くわ!」
「退くわー!」
「退きますね!」
「ヒクー!」