烏たちの根城
凰花ちゃんって何者?
前言撤回だ。
「……凰花さん、ここは?」
「ん? ホテルだよ?」
「見れば分かるけど……マジ?」
「うん。マジ」
連れて来られたのは、30階以上は優にある高級ホテルの前。
玄関の前に並び立ち、お互いに顔を見つめ合う中学生男女2人。
どう考えても補導案件だ。
「早く、中で話そ?」
「待て。早まるな、凰花。俺たちはまだ15歳だ。今は行くべきじゃない、と俺は思う!」
厳密にはまだ14歳なのだが、それならもっと早い。
「ん? 秘密のお話したいから、行くよ?」
強引に腕を引っ張られて、中にどんどんと連れていかれる。この華奢な体のどこにそんな力があるんだ。とはいえ、俺もどちらかと言ったら華奢な部類に含まれるのだが。頭の中で今日の財布の中身を計算する。この高そうなホテルに俺の手持ちは間に合うのだろうか。
「ようこそ、お越しいただきました」
整髪料でテカテカと光る七三分けの従業員が深く頭を下げる。俺は対応に困り、会釈するが、凰花は俺を掴んでいないもう片方の腕で手を振る。先ほどの従業員も、凰花にフレンドリーに手を振り返す。
凰花はそのまま近くのエレベーターのボタンを押す。
彼とはどのような関係なんだろう。
「なぁ、今のって……」
「やっと、来たね」
心地良い鐘の音で、エレベーターが1階に来たことを知らせ、鳥籠を彷彿とさせるようなドアが迎え入れるように、静かに開いた。
突然、凰花に腕ではなく手を握られ、顔が少し熱くなるが心を整える。
凰花は高速で30,29,28……と順番にボタンを押していき、13まで押した後に再度14を押す。するとエレベーター内で何か仕掛けが働いたのか、垂直方向に一気に加速した。
「……もう、何から聞けばいいんだよ……」
「大丈夫。鶫くんは私の隣で、堂々と胸張っててくれればそれでいいよ」
ろくにチェックインのやり取りもせず、エレベーターに乗り込み、挙げ句の果てに謎のボタン連打。意味不明過ぎて、頭がくらくらしてきた。
途中、上がるエレベーターから外が見えた。視界がどんどんと高くなり、街が一望できた。外の景色に目を向けていると まるでよそ見しないで、と言わんばかりに手を強く握られる。
視線を正面に移し、深呼吸する。改めて、俺はどこに連れて行かれるのだろう……。
1階で聞いた心地良い鐘の音で、鳥籠のようなエレベーターのドアが開く。
眼前に広がる景色は普通のホテルの景色。臙脂色に染められた絨毯に波を打った装飾が施された壁面。流石は高級ホテルと言った感じだ。
エレベーターを降りて、右に曲がった所で、一つの特徴的な彫刻を見つけた。
烏だ。烏が何かの肉塊の上に降り立ち、上を見上げている。力強い意志の宿った両の眼に、気高く広げた羽根は、一つ一つが精彩に作られ、今にも飛び立ちそうだ。
俺は凰花の手を離し、その彫刻に見入った。人によってはきっと、さぞ醜悪に感じるだろう。それでも、俺にはそれが何か、酷く魅力的に思えてしまって仕方ない。
思わず、手を伸ばす。
「それはダメ。付いてきて」
凰花に再度、手を引かれ、その場を離れる前に、最後に横目に見た。
その彫刻の烏と目が合った、と感じたのは気のせいだろう。
何の変哲のない客室の前に、足を止める。
「準備はいい?」
「……何のだよ……」
凰花が俺の耳に手を当てる。
「君の世界がひっくり返る、その心の準備」
目を見開き、隣の凰花を見るが相変わらず挑戦的な目で見返してくる。
扉を開き、中に入った。
「やぁ、よく来たね」
「江永さん、連れてきたよ」
「へぇ、彼が……」
数メートル先に机を挟んで、深く椅子に腰掛ける男が俺をまじまじと見てくる。
男の後ろには先ほど、鳥籠のような形をしたエレベーターから眺めた、街を一望する景色が広がっていた。肘を付き、前に手を組むその江永という男からは、まるでこの街の支配者のような風格すら感じられる。
「わざわざ来てもらって、ありがとう。まずは腰掛けてくれ」
江永は優雅な手振りで俺らを二人がけの横長のソファーに誘導する。
彼自身もゆったりとした足取りで、向かいのソファに腰掛ける。
特徴的な頭の後ろに束ねた艶のある一本の毛束を、背もたれに流す。
「凰花、君はどこまで彼に話したの?」
「全然?」
目を手の平で隠し、天井を見上げるその男の姿に俺は少し憐れみを感じた。
この人もきっと、俺の知らない所で振り回されているんだろうな。
「江永さんから言って?」
「……分かった。君という人は……」
満足そうに笑う凰花に、困り顔の江永。この少ないやり取りを見ただけでも二人がすごく良好な関係のように感じる。
だが、この男は警戒だ……。
スーツの下の長身痩躯の体は、服の上からでも相当に仕上がっていることが伺える。顔つきは穏やかだが、決して油断していいものじゃない。何か特殊な環境、場を、幾度となく潜り抜けてきた猛者のそれだ。頭の中で一番近い人物を探す。俺の知り得る中では、先日完封された相手ディフェンダーの出口が一番近い。彼らは俺の拙い語彙では言うならば……。
——あっち側の人間。
「……これはまた随分と、怖がられたモンだな」
江永は背もたれに寄り掛かり、長い手足をそれぞれ組む。
警戒されている? 俺が?
心理的に腕を組む人は防衛本能が働いている。もしくは自己を大きく見せたい。同様に、足を組む仕草も自分という人間を大きく見せたい現れだ。
一歩踏み込む。
「江永さんとおっしゃいましたね。すいません、僕にはここがどこか、さっぱりわからなくて、よろしければ教えていただけますか?」
「君も凰花にいい様にされた口なんだろ? 堅苦しいのはなしだ。楽に俺に話させてくれないか?」
口角を上げ、無理やりにでも笑顔を作る。不自然になっていないか、歪になっていないか、ニヒルな笑みになっていないかだけが心配だ。
俺の表情を肯定と捉えた江永は、前のめりになり口を開いた。
「君は昨夜、凰花にこう聞かれただろ?」
俺の笑顔に同調して、江永も同じように不敵に笑う。
「——この日本は綺麗かって」
「……はい。聞かれました」
「そして答えた。少なくとも許容できる範囲を超えている、と」
どうやら彼には俺の思想の大部分が、凰花を通じて、伝わっているらしい。面倒な隠し事は通用しないことを悟る。
「はい、その通りです。世間の大人たちには申し訳ないのですが、俺はそう考えています」
きっぱりと告げる。周りには凰花しか味方がいない。正面に座るこの男の逆鱗に触れてしまえば、俺はただでは済まないだろう。それでも、この男の目には不思議と思考の前に、言葉を口に出させる力がある。
「ふっ、結構だ。君はそれでいい」
「お怒りですか?」
「いや、微塵も怒ってないよ。怒れるものか、むしろ凰花の話通りの期待の人物で歓喜に打ちひしがれてさえいるよ」
江永は、さっきよりももっと純粋な笑顔で俺の手を握ってくる。ゴツゴツとして、冷たい。だけど、凰花に握られるときとは、また違う。そんな心地良さを感じる。
「もう言いたくてたまらない。まだ全然、話という話ができてないんだけど、単刀直入に言うね?」
「はい」
「君には、私たちの組織に一員になって欲しい」
「……すいません。まだ状況が上手く飲み込めていなくて……」
言葉の通りだ。頭の中には無数に疑問符が浮かんでいた。どうしてあの言葉の返答が、組織に入って欲しいなのだ? 組織……その言葉がどうも引っかかる。
「江永さん、俺からも質問いいですか?」
「いいよ。何でも聞きたまえ」
「組織って……何をする組織ですか?」
「何ってそりゃ……」
江永は俺の目のさらに奥の奥を見据え、告げた。
彼の黒目の黒さは、俺の見てきた数多の人の目の中でも、群を抜いていた。
「——国家転覆だよ」
俺の世界が今、ここでひっくり返った。
この男、やべぇのかもしれない。