真夜中の二重奏
登場人物、だいたい賢いです。
「それで、俺はまんまとお前の手の平の上で転がされていたと言うことで間違いないのか?」
「ふーん、どうしてそう思ったの?」
月明かりが差し込む教室で、嬉しそうに微笑む凰花。
今日の記憶を、鮮明に呼び起こす。答え合わせと行こうか。
「まず、始まりはお前と木地の公園での会話からだ。お前と俺は家が近い。だから、必然的に通学路が被る。お前は俺があの公園を通ることを事前に把握していたはずだ。そこで一つ不可解な点が生まれる」
「それは?」
「それは木地が、あの公園にいたということだ。木地の家は俺らとは真反対の位置にある。それでも、あいつがお前と話すために、あえて遠回りをして下校していた可能性もある。だが、不可解な点はそれだけじゃない」
凰花が目を爛々とさせ、どんどんと前のめりになっている。
深夜とはいえ、まだまだ教室は暑い。俺はパーカーの胸元を握り、パタパタと体に風を送る。少しだけ涼めたところで、言葉を続ける。
「……凰花、お前があの公園を選んだということ。事前に俺があそこを通ると知っているにも関わらず、だ。つまり、それは——」
流れる雲が月に被る。教室を照らす月明かりの光量が減った。
「——俺に聞かせたい事実があったと言うことだ」
凰花は俺の目をじっと見つめる。その目は、先ほどまでの主将を見ていた狩猟者の目ではなかった。大きい黒目に俺は思考の大半を見透かされるような、そんな感覚にさえ陥った。
「流石は鶫くん、聡いね。ここまでは100点。ぐうの音も出ない満点回答をありがとう。そう、あの時、私は君に伝えたいことがあった」
「23時に学校に来てほしいと言うこと」
「正解だよ。どうして、事前に伝えたかったのかも……って、それも概ね分かってるっぽいね」
凰花は全てを語らなかった。
今、この深夜の静寂に包まれた教室で、俺と彼女の2人だけの世界が広がっている。
昼間の喧騒とはかけ離れた、この静寂が互いに心地良い。俺と彼女はきっと、この夜に深く繋がり合える。決して、体や気持ちといったことだけではない。
お互いの距離は、1メートルに満たない。それでも、脳の深いところでは、互いを鷲掴みにして離さない。この夜の空気が、そう感じさせる。
「……俺に聞きたかったんだよな」
「……そう、他の誰でもない、鶫くんに聞きたかった……」
もう一度、学校に着いてからの凰花と木地の会話を振り返る。凰花は、木地にいくつもの質問をした。そのとき、違和感を感じる箇所が一つあった。
「どうして鶫くんは、私が君に聞きたいことがあると分かったの?」
笑わせないで欲しい。なぜ、俺が分からないと思ったのか、詳しく聞きたいと言う欲に駆られる。止めておこう。それは無粋だし、そんなところも、きっと彼女の可愛いところだ。
「——凰花、お前は一度たりとも、会話の中で、木地の名前を呼ばなかった。質問をする際に、必ず二人称に“君”と使っていた。その“君”が誰を指すのかなんて、明瞭に分かることだろ?」
「……君は……良い。想像以上だ。期待通りだし、なんて言えばいいかな、とにかく凄く良い……」
目の前の少女が、組んでいた脚を崩し、俺の全身を見る。心なしか、頬のあたりが、赤らんでいるように見える。普段の学校生活からは、なかなか見ることができない、そんな彼女の一面に、俺の心臓は大きく数回、脈を打つ。
「答えるよ……もちろん、俺の考えになるし、答えられる範囲でだけど」
今はどうして凰花が話し合いの場を、この深夜の教室にしたのかが、何となく分かる気がした。本来なら、ベッドに入って明日に備える時間であることは、間違いないが、不思議と睡魔は襲ってこない。
「それじゃもう一度、鶫くんに聞いていくね?」
髪を耳にかけて、少し不安そうに、俺から視線を外す。それでも俺は、向かい合うと決めた。俺は彼女から目を背けない。
それを肯定と捉えた凰花は、言葉を続ける。
「……人に関わらず、生命は平等?」
「平等なわけがない。そんなのは幻想だし、未来永劫、達成できるわけがない。一部の常識を謳っている者たちの、まやかしに過ぎない」
「……この世界は公平?」
「人は生まれながらにして、置かれた環境と遺伝によって、あらかたの容姿、学力、運動能力をはじめとしたステータス、能力値が定まっている。そんなものは小学生でも理解してる。まるで公平じゃない」
「……今のままで、人という種は永久に存続できる?」
今までのように即答できない。
顎に手を添え、考える。はっきりと、断言できることがある。
それは、今までの約15年間の人生経験から導き出せる代物ではない、と言うこと。
仕方なく、水平思考に頭を切り替える。
それでも、未来のことはきっとラプラスの悪魔にしか、分かり得ない。
凰花を落胆させたくない。 彼女の悲しむ顔を見たくない。
俺は今、自分が持ち得る最適解を告げるために、口を開く。
「……できる可能性は相当に低いとは思う。少なくとも今後、全人類が人間らしい生活を送るには、世界全体でリソースを削り過ぎている……」
彼女の表情は変わりない。どうやら失策は免れたみたいだ。
「……最後に、この日本という国は綺麗?」
消え入りそうな、そんな儚い声で尋ねてくる。
俺は最近の生活を頭の中で思い起こす。
昼間の授業中、隣で凰花がこちらを見て微笑む。
後半アディショナルタイムに俺からのループパスを華麗にダイレクトで決めるエース、それを拍手で称えるチームメイトと少し浮かない表情の俺。
スタンガンで木地を気絶させ、暗い表情を見せた凰花。
そして、先日の中総体で相手に完封され、跪く俺とそれを見下ろす世代別代表の出口。
黒に近い藍色に染まる霧が俺の脳内を埋め尽くすのを感じた。
「……この国は間違ってる。表面だけを綺麗に取り繕ったって、しょうがない。もっと根本から、イチから……いや、ゼロからやり直す必要がある。それだけ汚れているし、もう限界に近い……と思う」
途中からは立って、腕を振りながら、熱弁してしまった。
しまった。熱くなりすぎたか。バツが悪い俺は、教室全面に掲示されている学校目標に目をやる。
凰花から目を切った直後、前から衝撃を受けて体が少し後退する。
「え?」
思わず、声が出た。
一瞬、頭が追いつかなかったが、鼻腔をくすぐるような睡蓮の香りで、状況を理解する。
「やっぱり、鶫くんだ」
彼女、凰花が俺の腰に手を回して耳元で囁く。
努めて冷静に振る舞うように心掛けるが、心拍だけは、理性と裏腹に加速していく。
年齢=彼女いない歴の俺にこの状況はまずい。
優しく肩に手を置き、距離を取ろうとするが、なかなかどうして離れない。
「……この時を待ってた。鶫くんと一つになれるこの時を……」
この状況は相当にまずい。
女子特有の甘い香りで脳だけじゃなく、脊髄すら泥酔するような、そんな感覚に陥る。
ただ、霞む思考の中で引っかかる言葉がある。
一つになる……?
男子中学生的に捉えれば、間違いなく、性的なものとして脳内検索エンジンがヒットする。
だが、ここに来てそれはない。
「凰花、説明してくれ……この状況は? そして、一つになるってどういうことだ?」
体から心地良い質量が消えた。吐息がかかるような、至近距離で凰花が微笑む。
「そうだね、まだまだ話すことがいっぱいあるの。付いてきて? これからの話をしよ?」
俺の左手を握り、教室を出ようとする。
四歩ほど歩いた後に、俺は優しく、彼女の手を離した。
不思議そうに見つめてくるが、視線を月に向ける。
「……大丈夫。決めたから、今日は凰花に付いて行くって」
月明かりに照らされたワンピースのスパンコールが煌めく。
口角を上げて、慈しむように笑いかけてくれる。
今夜はもう、これ以上は何も要らない。
やっちまいましたね。