世界の真実
夜の学校って何か良いですよね。
「世界の真実?」
「そう、虚構に溢れた君たちが見えているものとは違う真実の姿」
俺はいつも間にか、淡々と言葉を並べる彼女から目が離せなくなっていた。
「今、俺たちがいる世界が違うとでも?」
「ええ、その通り」
木地が頬杖をつき始めた。
無理もない。言っていることが意味不明だ。
彼は足首を組み、夜の教室から見える景色に目を移す。
「この世界が虚構に溢れていることくらい、15年も生きていれば、嫌でも気づくことでしょ?」
凰花も凰花で、視線を壁の掲示物に移す。
お互いの視線は、まるで交錯しない。
「君は現代日本が、明らかな格差社会となっているということを言いたいのかい?」
確かにそれはある意味で的を射ている。富める者はさらに富み、貧しい者はさらに貧しくなっている。所得格差の広がりに、歯止めが効かなくなっているのが、昨今の社会情勢であることに間違いはない。
だが、きっと凰花がこの場で伝えたいのはそういった薄く、浅い、言わば昼の情報番組で流れているような事実ではないのだろう。
俺の読みは見事に当たり、彼女は主将を一瞥した後に、視線と肩を落とし、露骨に落胆して見せた。
「はぁ……質問を変える。人に関わらず、生命は平等?」
「そうだね、生きとし生ける者は全て平等だ」
「この世界は公平?」
「世界は様々なルールと努力の如何で、公平であろうとしてる」
「今のままで、人という種は永久に存続できる?」
「何を言っているんだ? 俺たちは中学生だぞ、そんな大それたこと分かるわけないだろ」
木地の発言の一つ一つが、俺にはどこか引っかかる。
人としての当たり前の発言のはずなのだが、どうにも俺の中で腑に落ちない。
心臓がトクン、と小さく鼓動する。
その感じ方は、決しておかしくないというように。
凰花が言葉を続ける。
「この日本という国は綺麗?」
「随分と壮大な話になってきたな。鶫の話はいいのか?」
口角を上げて、木地に向き直る凰花。
相手にしているのは同い年のクラスメイトだが、まるで幼い子どもの相手でもしているような顔だ。
「分かった。答えるよ……日本は綺麗だ。それも相当に。実際に他の国をいくつも渡ってきた外国人も口々に言うだろ。それに俺らのALTの先生だって、よく授業中言っているよ」
凰花が早足で主将の席に迫る。ヒールを履いているとは思えない速度で、コツコツと乱暴に音を立てながら。
夜の静寂にヒールの足音はよく響く。
勢いよく席に向かってくる凰花に木地は思わず、脚を椅子の下にしまい、頬杖を止める。
小窓から覗く俺も思わず、凰花の圧を感じて、体勢を崩しそうになったが、何とか黒板の上の縁を掴むことで間一髪、バランスを保つことに成功した。
危ない……本当に詰むところだった。
ここで見つかることは後々の俺の学校生活の上で愚策。
改めて背中に嫌な汗が吹き出した。
「ねぇ、私が言っているのはそんな上っ面のことじゃない。ちゃんと考えて、そして答えて。今の日本は本当に綺麗?」
机の角に両手を置き、大きく前傾姿勢を取る凰花。
それに対して、急に近づいてきて思わず顔を背ける木地。
恥ずかしさもあるのだろう。再度、外の景色に目を移し、答える。
「綺麗……だと思う……」
おい、その綺麗は日本がじゃなくて、凰花の顔がだろ……。
照れて頬をかく木地。反面、凰花の表情が、さらに暗くなる。
「……そう、もう満足したよ」
「え?」
バチィン!と言う音から数瞬遅れて、木地が椅子から崩れ落ちた。
理解が追いつかない。
今、俺の視界は正常か?
脈が速くなる。ジリジリと体温が上がるのが分かる。
体の血管が集まっている箇所が熱を帯びる。僅かだが、性器にも血が集まる。
俺は今、高揚しているのか? 目の前の現実に?
凰花の手からスタンガンが溢れ落ちた。
「怖いよ……私」
そう呟き、すぐにそのスタンガンを拾い、先ほどとは打って変わった、ゆったりとした足取りで教室の出入り口へと向かう。
まずい。
教室の配置上、必ず彼女は階下に向かう際に、俺のいる4組の前を通る。
小窓から覗いている場合ではない。
俺は物音を立てないように、十分に留意しながら、素早く教卓から降りる。
降りようとした——。
「君はどう考えた?」
「……俺に何を求めるんだ。もう、お前の中で確かな答えがあるんだろ? なぁ、凰花……」
振り返れない。
真後ろには、スタンガンを持っている凰花がいる。
不用意に刺激してはいけないと本能が告げる。
「回れ右していいよ。君に危害を加えるつもりはないから。約束する。顔を見せて?」
素直に応じて、体を回し、凰花と相対する。
「まさか、美少女にそう言われて、向かない男はいないだろ」
「ありがとう。そういう君もずっと良い男だよ」
考えろ。どうしたら、この場を打開できる。
何を話し、どう動けば、ここを切り抜けられる?
視線を動かし、教室から何か打開のための鍵を探す。
手の届く範囲。すぐ左横に担任の数学教師が使う板書用の大きなコンパスを見つける。
いけるか? 本当にコレでいけるのか?
「無理でしょ、こっちはコレだよ? 流石に勝ち目ないよ」
言い放ち、器用にスタンガンを手の上で回してみせる。
それも途中で止め、スタンガンの脇にあるスイッチを切った。
「コレ持ってたら、流石にまともな話し合いできないよね?」
凰花は、スタンガンを下手投げで俺に放る。
月明かりに照らされたそれは、放物線を描いて、俺の手に収まる。
彼女が先ほど、やった行いは決して軽いものではない。
だが、その事実をかき消すくらいには、それは俺の手にひどく軽く感じられた。
「どういうつもりだ?」
「どういうつもりも何も、私はただ対等に君と今日、話がしたかったの」
彼女の言動は、俺の考えられる範疇を大きく逸脱していた。
もう疲れた。目の前の現実をただ真摯に受け止め、思考を停止させることに決めた。
「俺と対等に? そんなこと昼の教室でいくらだってできるだろ?」
「君と2人で話がしたいんだよ。それともまだ何か隠し持ってるか不安? 君が望むなら、服を脱いでもいいよ?」
男としての本能をくすぐる、その甘美な響きについ流されそうになる。
「凰花が脱いだとして、それで本当に俺と対等に話せるのか?」
「あー確かに、それもそうか。恥ずかしいし、脱ぐのはまだ早いかな」
顔を赤らめ、体を捩らせて、露骨に恥ずかしがる。
恥ずかしいなら最初から言うなと思う。第一、凰花はそんなこと言うキャラじゃないし。
腰に手を当てて、小さくため息をつく。
「それで俺と何を話したいんだ? 手短かにしてくれると助かる。生憎、良い子はもう寝る時間だからさ」
「良い子はこんな真夜中に学校に来ないよ?」
腕を後ろに組み、無邪気に笑う凰花。
月明かりと非常灯がなければ、ワンピースや髪が闇と同化して、見失ってしまいそうだ。
教室中央後方を指差し、笑顔をこちらに向ける。
「座ろ?」
俺は無言でコクリと頷き、自分の席に向かう。手に持ったスタンガンは、右のポケットに無造作にしまった。
昼間の教室と同じ風景。横並びの席で右に凰花が座り、その左には俺が座る。
日中に見れば、お互いに体を向けて、談笑している仲の良いクラスメイトだ。
俺が閉じていた口を開ける。
「……話そうか、夜が明けるまで付き合うよ」
素敵な女の子と夜に語り合うのロマンチックじゃないですか?