これからの身の振り方
江永さん再登場。
ポケットに手を入れ、ホテルの方角へ体を向けた。生暖かい夜風が髪を揺らす。
「江永に協力を仰ぐ。具体的には、ムクをあのホテルに隠し、組織に加える。お前の口添えもあってか、どうやらあいつは俺のことを必要以上に過大評価してくれているらしい。そこで、俺の組織加入の条件としてムクを入れる」
「ふーん、悪くない考えなんじゃない? それで、私は南くんがいかに有能であるかを、江永さんの前で話せば良いってこと?」
「それも確かに、悪手じゃない。だけど、ムクじゃない……今回は俺の価値を高める発言に気を遣って欲しいんだ」
いつの間にかお互いに立ち止まり、柵越しに湖畔を眺めていた。揺れる水面に夜景が映っては、乱れ、不鮮明になっていく。まるでこの夜景がひと時の夢で、シャボン玉のように儚く、触れればすぐに消えてしまうかのように。
「これから色々と動くにあたって、江永にとっての俺の価値を高めておくに越したことはない。それが今回はムクのためにもなる」
「分かったよ。鶫くんの言う通りに動いてみる」
少し、強引な理由付けだったか?
それでも、凰花は何も言わずに従ってくれる。やりやすい。
無言で頷き、歩き出そうとしたところで一度スマホを確認してみる。
時刻は22時を過ぎていた。一応、ひたきに一本連絡を入れたが、すぐに返信は来なかった。ポケットにしまい、再度歩き出し、あのホテルに向かった。
エントランスに入ると昼に見た受付の人が、また同じように手を振ってくれた。
鳥籠のようなエレベーターを今度は俺が昼間の凰花のように連打し、目的のフロアに向かう。凰花は目を丸くして見ていたが、ただボタンの所定の位置を任意回数押すだけだ。何の造作もない。
江永の部屋に向かう道中の烏の彫刻を横目に過ぎる。
心なしか、昼に見た時と比べて、彫刻の中の烏からは獰猛さが抜け、少し柔和な印象さえ感じられた。
江永の部屋に辿り着き、ドアを3回叩く。
「どうぞ」
勢い良くドアを開け、導かれるまでもなく俺はソファに腰掛けた。
「昼の件だ。話がある」
「ほぅ……」
肘を突き、細い目で俺を見つめる江永に俺も足を組み、視線を送る。
あえて、隣に座らせずに真後ろに立たせた凰花は今、どんな表情をしているのだろう。
俺の指示通りに動いてくれるだろうか。彼女が下手を踏んだときの尻拭いは厳しい状況だ。俺は余計なことを挟まずに、単刀直入に伝える。
「南椋哉を消す。一つだけ、条件を付けさせて欲しい」
「無論、全てには応えられない」
「それでも、この条件はきっと飲める」
今の俺は虚勢を張るしかない。
「南椋哉をこのホテルで匿って欲しい」
驚いた顔を見せる江永。凰花の方を見つめ、口も少し開いているようだ。
一切の援助はしない、という当初の条件には背く形にはなるが、ムクは間違いなく有能だ。ここから先は俺と凰花の口添えで、いかに南椋哉という男が、組織の一員として重宝することになり、役に立つかということを根拠づけないといけない。
いけるか?
頭の中で南椋哉という男の優秀さを形容する言葉を。思い浮かべては消していく。
「…………合格だ」
「……はぁ?」
「合格だと言ったんだ」
つい反射で間抜けな声を出してしまった。江永の言う、“合格”の真意が分からない。
俺はすぐさま振り向き、凰花を見上げた。
「……ぷっ、ふふっ…………」
両手で口元を押さえて、顔を背けて笑っていた。
「凰花?」
「ぷっ、ふふ、ごめんなさい」
軽快な拍手が部屋に鳴り響く。江永が両手を何度も打ち鳴らし、俺に音の衝撃波を送る。
何とも不快な音だ。
「……何のつもりだ?」
「いやぁ、こうも我々の思い描いた人物で、計算高く動いてくれたことに敬意を表したくてね。やはり、最高だよ、鶫くん。君って男は!」
俺は再度凰花に振り向き、半目で見つめた。
「おーうーかー?」
「いやいや、全部が全部、計画通りだったってことじゃないよ? 途中、ヒヤッとした場面なんて、一度や二度じゃなかったんだから!」
パタパタと手を何度も振り、否定してくるが、ついさっきまで、こいつの手のひらの上で、間抜けに踊っていたと思うと改めて腹立たしい。いつか絶対に痛い目見せてやる。
「はぁ……もういいよ。全部話してくれ」
これ以上の発言は自分の首を絞めるだけだ。ここはもう諦めて流されよう。
俺は背もたれに深く腰掛けて、降参のポーズを取ってみせる。
「我々は元々、南椋哉くんも君と同様に組織の一員として加える予定だった。いや、この際だからはっきり言おう。当初は南椋哉くんだけを組織に迎え入れるつもりでいた」
ムクだけを? どうして?
「今すぐにでも、疑問をぶつけたいと言う顔をしているね? 安心したまえ。待ってくれればすぐに答えを話そう。南椋哉くんを組織に入れたかった理由はいくつかある。もちろん、全ての能力値が並の中学生のそれと一線を画しているし、顔が利く。だが、それだけじゃない。君が一番に理解しているんじゃないか?」
「……精神的に未熟で、付け入る隙があると踏んだから?」
「正解だ。彼は、世の中の一般常識に照らし合わせた純粋な善ではない。それが決め手だった。そして、ついに彼を獲得しようと動こうとした矢先だった」
「君が……鶫くんがいたんだよ」
いつの間にか俺の隣に腰掛けていた凰花が口を開く。
「つまり、俺はムクの副産物的な存在だったということ……」
「まぁ、そんなところだ。あまりにも大き過ぎる収穫で、我々としては僥倖だった」
「そうか……」
俺はムクのおまけ玩具にしか過ぎないということ。色々と考えさせられるが、凰花が必要としてくれているならば、それでいい。特段、大きなショックはない。これから先も俺自身が俺という存在で在り続けるために、成すべきことを成すだけだ。
例えそれが江永を含む、大勢の人たちを不幸にしても……。
「結局、この場で俺が聞きたいことはただ一つ。俺とムクの処遇だ」
「これ以上、引っ張るのも無粋だ。結論を出して次に進もう」
江永が立ち上がる。それに呼応して、凰花も音を立てずに、立ち上がり、後ろに下がった。彼の鋭い目が俺を捉える。眼光からの確かなメッセージを受け取った俺はソファから立ち上がり、江永がいるテーブルの脇に行く。
こうして並び立つと、江永の長身痩躯な体型がより精彩に見て取れた。
一つ一つの所作が洗練され、無駄を感じさせない。
細く、だが確かに鍛えられている右手を前に差し出される。
「改めて……宮崎鶫くん、南椋哉くん。君たち両名を、皇室直属特別公安組織『八咫烏』の一員として、正式にここに迎え入れる」
この手を握れば、きっと俺はもう元の生活には戻れない。それでも、組織に入る価値は十分にある。
新しい国家の行末、江永の目的、凰花の目的、世界の行末、そして、俺という存在が新しくなった世界でどう在るべきか。
それら全ての答えの鍵を、この組織が握っているという確信があった。
根拠はない。それでも、江永という男は、そう感じさせるだけの人間だ。
俺はわざと左手を出して、ニヒルな笑いを浮かべてみせた。
江永は一瞬、虚をつかれたような顔をしたが、すぐに左手を出した。
固く握られた左手を見つめる。
今はこれしかできない、俺なりの抵抗。そう遠くない未来で、こいつを喰ってやる。
今日俺は、自分自身と、そしてもう一人の生き方を決めた。
みんなひどいよ〜。




