十三年前の事件
十三年前、その事件は起きた。
当時八歳だったリゼットが見知らぬ男に魔力を奪われたのだ。
領主の娘として、自領の孤児院へ定期的な手伝いに行った時にリゼットは襲われた。
他にも数名、微量ながらも魔力のある子どもは皆知らぬ間に近づかれ、知らぬ間に魔力を抜き取られていた。
元々魔力量の少ない子どもは魔力を奪われる事により急性魔力欠乏症となる。
同じ魔力属性の家族を持つ子どもであれば運良く助かる。
しかし親族のいない孤児の子は、輸力適合者が見つからないまま命を落とした。
リゼットは幼い頃から先祖還りと言われるほどの高魔力保有者であったが為に幸いにも命の危機に晒される事は免れたが、襲われた前後の記憶を失っていた。
医療魔術師の見立てによるとその瞬間に味わった恐怖が強く、精神の自衛の為に無意識にその時の記憶を手放したのではないかとの事であった。
だが襲われた瞬間の記憶は消し去れても、味わった恐怖までは消し去れない。
リゼットはその日を境に一種の対人恐怖症に陥ってしまった。
当時まだ存命であった母親と父親、それと叔父夫婦と従兄弟のレイナルドとその弟しか接する事が出来なくなってしまったのだ。
多少なりとも面識がある者ならまだよい。
しかし全く知らない相手となると恐怖心が蘇り、パニックになってしまうのだった。
だけど家族や親戚や周囲の人々、とくに一番仲が良かったレイナルドの献身的なケアにより、リゼットの心は少しずつ落ち着きを取り戻していった。
そして初対面の人間を前にしても無感情になる事でなんとか冷静に接する事ができるようになったのだ。
どんな人物とも対応出来るよう、リゼットはある一定のテンションで接するという方法を見出した。
それゆえの塩加減なのである。
近頃は父親にもその塩さで対応し、頼りない父親が少しだけ気を引き締めて様々な事に当たってくれるようになったのは僥倖であった。
やはり塩締めは料理以外にも適しているようだ。
それに至るまでじつに十年の歳月を要したが、リゼットはそうやって恐怖心をコントロール出来るようになったのだった。
だけど事件当時の記憶はやはり戻らないままだ。
何者かに襲われ、魔力を奪われた事は理解しているのだが、どうしても失くした記憶の核心に触れようとすると頭痛がしたり吐き気がしたりと身体が拒絶反応を示す。
本当は無理にでも記憶を蘇らせて未だ捕まっていない犯人逮捕に協力したいのだが、どうしてもそれが出来なかった。
レイナルドの強い反対があったのもある。
「リゼが無理しなくても、俺が必ず犯人に罪を償わせる方法を見つけ出してみせるから。だからリゼ、リゼは心穏やかに過ごしてほしい」
とレイナルドがそう言ってくれた事をリゼットは今でも覚えている。
リゼットを守り支えてゆくのだと、リゼットと結婚して入婿となる事をレイナルドが決めたのもこの頃だ。
そして元々勤勉だった彼が更にがむしゃらに学び出し、魔術学園在学中に様々な資格を取得して鳴り物入りで魔法省魔法科捜研へと入省を果たした。
リゼットから魔力を奪った犯人を捕まえるために魔法省に入省したのは言われなくても分かっていた。
魔法事件は魔法省の管轄だから。
必要によっては騎士団や王宮魔術師団に応援要請をかける事もあるそうだが基本、魔法省の捜査一課と特務課で魔法事件を処理している。
結婚して僅か一年で本省に呼ばれるとは思わなかったけど、それはレイナルドが優秀である証であると思っていた。
だから彼の約束された出世の邪魔をするつもりはなく、その為に単身赴任を快く送り出したのだ。
レイナルドにはやり甲斐のある仕事をして貰いたくて。
だけどレイナルドが本省行きを決めたのも、面倒くさい職場環境に耐えていたのも全て自分の為だったとリゼットは知った。
成りすましバイトで本省へ行って初めてそれを目の当たりにして、リゼットは改めてレイナルドの深い愛情を知ったのだ。
十三年前の事件にケリをつけるために。
犯人が捕まらない限り、リゼットが心から安心して眠れる夜が来ないとレイナルドは知っていたから。
だから犯人を絶対に逃がさない立証に、必死になっているのだ。
事件発生から時が経ち過ぎているため、よしんば犯人を捕える事が出来たとしても証拠不十分では検挙にまで至れない可能性があるから。
レイナルドは、犯人の体内からリゼットの魔力を検出しようとしている。
犯人がどれほどシラを切ろうとも、自白魔術が失敗したとしても、リゼットの魔力残滓さえ検出できれば動かぬ証拠となるから。
だからレイナルドは過去に遡っての特定に拘っている訳なのだ。
それを知り、リゼットは陰ながらレイナルドの力になりたいと様々な技法を調べ始めていた。
経験不足は否めないが、上級魔術師資格を持つリゼットの知識と豊富な魔力量ならなんらかの役に立てると思ったのだ。
そうすればレイナルドの役に立てるだろう。
それに………
「ねぇレイナルド。今晩食事でも一緒にどう?」
レイナルドの悩みの種であるあのウザイオンナに開発協力を仰がなくて済むようになるから。
レイナルドのバディであるジョルジュエッタ=ナンオイザウが鼻にかかる声で彼を食事に誘っている。
対するレイナルドは書類から顔を上げる事もなく答えた。
「キミと?何故?」
「何故って……私たちの仲じゃない」
「キミとは仕事仲間だと認識してるけど。だからわざわざ外で食事する必要はないんじゃないかな」
「……私たち、そろそろもっと関係を進めてもいいと思うのよ」
「仕事の?」
「プライベートでの」
「理解出来ない」
「もう、どうしてよ!食事くらい付き合ってくれてもいいでしょうっ?」
ジョルジュエッタが少し声を荒げた。
するとたちまち……
「なんだなんだ?また夫婦喧嘩か?」
と、面白半分に首を突っ込んで来る者がいる。
ジョルジュエッタは外野からの援護射撃を期待してわざと周りに聞こえるように言ったようだ。
「ねぇ聞いてよ、レイナルドったら食事にも付き合ってくれないのよ」
「え~、いいじゃないですか食事くらい」
「ねぇ?」
「たまには“奥さん”孝行しなきゃ!」
ジョルジュエッタを擁護する周りの声に、レイナルドは無視を決め込んだようだ。
相手にせず、書類仕事に没頭している。
多勢に無勢の不利さを、この二年で散々学んだらしい。
「ちょっとレイナルドぉ~なんとか言いなさいよぉ」
ジョルジュエッタはレイナルドが持っていたペンを取りあげた。
それでようやく顔を上げたレイナルドにしたり顔を向けている。
「食事に付き合ってくれるなら返してあげる。あ、もちろんレイの奢りでね♡」
「……その呼び方をするな」
「え?」
「ファーストネーム呼びですら本当は許した覚えはないんだ、それなのに……。その愛称を使う事は絶対に許さない。レイという呼び方は、妻にだけしか許していない」
ーーあ、不味いかも。
離れて様子を見ていたフィリミナがレイナルドの氷点を察知した。
沸点ではない、レイナルドの場合は氷点だ。
フィリミナは遠隔で魔力を飛ばし、レイナルドたちの直ぐ側の窓を開けた。
室内に強い風が吹き込むために普段は閉め切りにしている窓だ。
「きゃあっ!?」
「わぁぁっ!!」
開けた途端に当然の如く風が入り込み、各々のデスクにあった書類を吹き飛ばしてゆく。
「わぁぁ!?重要な書類がぁぁ!!」
ただ単に巻き込まれただけの気の毒な職員もいるが、
怒ったレイナルドに辺りを氷づけにされるよりかはマシだろう。
レイナルドは普段温厚だが怒らせたら面倒なのだ。
魔力で冷気を発し、物を壊してしまう。
そうなってもまぁ別に構わないとも思うが、レイナルドが始末書を書かされる羽目になるのは忍びない。
暴風騒ぎで、何とか事態は収まった。(?)
ジョルジュエッタは風によりヘアスタイルが乱れたといってレストルームへと駆け込み、残されたレイナルドは釈然としないまま書類を拾い集めていた。
リゼットはフィリミナとして、レイナルドの書類などを一緒に拾う。
「はいどうぞ」
フィリミナが拾った数枚の書類を渡すとレイナルドは受け取りながら、
「……ありがとう」と言った。
フィリミナは内心「ドンマイ」と思いながら「どういたしまして」とだけ告げ、他の者の書類を拾い集めるのを手伝いに向かった。
思えばこれがレイナルドとフィリミナとの初の接触だ。
自身の変身魔法に絶対の自信を誇るリゼットは、
まぁ大丈夫だろうと思っていた。
その姿をレイナルドがじっと見つめていた事を、
フィリミナは気づかない。