オシドリ夫婦ですか
「フィリミナ、職場には慣れそうか?」
借金の返済の代わりと報酬という人参をリゼットの鼻先にちらつかせる張本人、レザム=ハリスがそう言った。
「ええお父様、恙無く……」
「それは重畳。我が娘よ、励みなさい」
「はいお父様」
彼の娘、只今絶賛性病治療中のフィリミナ=ハリスに変身して彼女の代わりに働き出したリゼット=クロウはそう答え、レザムと別れた。
そのまま魔法省の研究機関である魔法科捜研の建物内を闊歩する。
今の彼女は本来の亜麻色のミディアムボブではなく、ショコラブラウンのゆるくウェーブのかかった、フィリミナのヘアスタイルだ。
変身魔法を用いても瞳の色は変えられないのだが、これは奇しくもリゼットとフィリミナの瞳の色は同じアンバーであった。
まぁアデリオール国民は大半がアンバーか青い瞳の持ち主が多いので適合する確率は割と高いのだが。
ーー瞳の色が違った場合はきっと、他の術者をお金で雇っていたのでしょうね。
あの狡猾なレザムなら当然そうするのだろう。
悪人ではないが善人でもない。
利用できるものはなんでも利用する、それがリゼットのレザム=ハリスに対する評価であった。
魔法省には当然の事ながら高位魔術師がわんさかいる。
その彼らに変身魔法を見破られる事なく成りすまし続けられる術者など早々見つからないだろうけど。
ーーこんな形で自分の能力を活かす日がくるとはね。
もしリゼットがクロウ子爵家唯一の後継でなければ彼女は魔術師として働いていただろう。
結婚前に腕試しで受けた上級魔術師試験に上位合格者としてリゼットの名が発表された時は、驚き過ぎた父親のカツラが林檎一個分は飛んでいた。
そんなリゼットの変身魔法を見破れる者は魔法省広しといえどそうはいないはず。
一級魔術師資格を持つ夫レイナルドにも見破る事は難しいだろう。
まったく、レザム=ハリスはどこでリゼットの能力が他者より秀でている事を知ったのか。
ここ十年ほどは交流がなかったと父のフレディは言っていたというのに。
「ハァ……」
リゼットは面倒くさくてたまらない気持ちをため息に込めて吐き出した。
しかしボヤいてばかりいても仕方がない。
引き受けたからにはそれなりに、そしてほどほどに励まねばならない。
それにしても……。
魔法科捜研に勤めて、夫レイナルドが同僚の女性職員とオシドリ夫婦と言われているのには結構驚いた。
そんな事、レイナルドからの手紙にはひと言も書かれていなかったから。
ーー“職場でキミ以外の女性とオシドリ夫婦と呼ばれてるんだ”
なんて書く婿殿はいないだろうけど。
フィリミナはレイナルドやそのオシドリ夫婦の相方と呼ばれる女性職員と同じ立証魔術開発室勤務なのでその状況はなんとなく理解した。
レイナルドはこの本省の立証魔術開発室に配属されて直ぐに同期のジョルジュエッタ=ナンオイザウ(23)とバディを組むよう辞令が下りたそうだ。
魔法省では基本、事務職員や特務課などの特殊任務に当たる課でもない限りツーマンセルのバディを組むと定められている。
(特務課は任務内容によってバディが代わる)
捜査などでの単独行動によるリスクの軽減とバディ同士で二重確認をする事によりミスや不正などを防ぐ為だ。
それは研究職員も例外ではなく、バディで一つの研究や証拠の立証に携わる術式や魔道具や魔法薬の開発に取り組むのだそうだ。
夫レイナルドはとある魔法事件の犯人の特定に繋がる術式の構築を任されているらしい。
レイナルドもバディのジョルジュエッタ=ナンオイザウも術式師の有資格者である事から二人はバディとして拝命されたという。
とにかく二人は優秀で、メインで担当している立証術式の構築以外にも数々の新術を生み出して功績を挙げている。
そして阿吽の呼吸で淡々と仕事を熟す様からいつしか名バディを揶揄してオシドリ夫婦と呼ばれるようになったそうなのだ。
そうしてほら、今もフィリミナに扮するリゼットの目の前で……
「おーいオシドリ夫婦の妻の方~、外注していた検査の結果が届いてるぞ」
などと声高らかに言われていた。
そしてそう言われたジョルジュエッタは何食わぬ顔でシレっと返して、
「アラありがとう。夫に渡しておくわね、ふふ」
と若干ドヤってる感が漂ってくる。
夫って。
とか思わなくもないがまぁ気にしても仕方ないのでリゼットはスルーしていた。
フィリミナは新人なのでこれといった仕事はまだ振り分けられていない。
今は他の職員にお茶を出したり書類の作成や整理、会議の準備などその他雑用がメインだ。
今フィリミナは立証魔術開発室に届いた郵便物を各職員の机に配っている。
そして夫レイナルドのデスクに彼宛の郵便物を置いた。
ーーレイ……この写真はやめて欲しい。
フィリミナは彼のデスクの上にあるフォトフレームを見てそう思った。
デスクの上にはフォトフレームが三つ。
いずれも妻のリゼットの魔力念写が飾られていた。
……どれもリゼットにしてみればイケてない残念な顔の魔力念写だ。
それを見ているフィリミナにレイナルドとはデスクが右隣合わせの中年の女性職員が言った。
左隣には当然バディであるジョルジュエッタのデスクがある。
「フォトフレームを見ているの?その写真の女性こそがクロウ氏の本当の奥さんらしいわよ」
「本当の奥さん……」
「やっぱりあなたも勘違いしてた?バディのジョルジュエッタ=ナンオイザウが妻面してるけど、クロウ氏には地方に本当の妻がいるのよ。私たち既婚女性職員にしてみれば、彼の奥さんが気の毒で仕方ないわ。夫が職場で他の女性と夫婦のように扱われるなんて、腹立たしい事この上ないもの」
「はぁ」
「あなたのような若くて未婚の女性にはピンと来ないかしらね」
「うーんどうでしょう……じゃあ当のクロウ氏はそれに対しどう反応してるんですか?」
「彼はずっと否定してるわよ?“僕には本当の妻がいるんです”とね。でもみんなそんな事実はどうでもいいのよ。面白おかしく揶揄いたいだけなんだから」
「揶揄う」
「でもこの頃はホントにジョルジュエッタ=ナンオイザウと夫婦だと勘違いしてる職員も増えてきて。それで彼も苦肉の策として奥さんのフォトフレームを飾り出したのよね。初めは一つだったのに、段々増えてるわね、ふふ」
「へぇ」
レイナルドが置いたフォトフレームを見つめるフィリミナと同じく、女性職員もフォトフレームの中の本妻を見た。
「可愛らしい奥さんよね。ジョルジュエッタ=ナンオイザウよりずっと好感が持てるわ」
「……でもこの写真はいただけない」
「え?」
「いえ、なんでも」
そう言ってぺこりと会釈をし、フィリミナはその場を離れた。
ーー今度さりげに手紙の中に私の写真を入れておこう。
それと差し替えてくれればいいのだけれど。
そんな事を考えながら、フィリミナは仕事へと戻って行った。