3.話はすべて聞いたわ!
「いや昔、雇い人としてターゲットの家に潜り込んだスパイの小説を読んだのでつい。
ジュリエット、そもそも赤ん坊は男なのか? 女なのか?」
「乳母車にいつも幌がかけられているので、赤ちゃん、見たことないんです」
「ん? じゃあそもそも本当に赤ん坊がいるのかどうか、わからないということか!?」
「そうなりますか、ね……」
ジュリエットは、あれこれ記憶を思い返しながら頷いた。
のん気なジュリエットは毎日乳母車を見ていたから、赤ん坊がいるものだと思いこんで、なぜ泣かないのだろうと不思議がっていたのだが、よく考えたら一度も赤ん坊を見ていない、ということらしい。
いやちょっとそれ意味わかんないし怖いわ、と一同震えた。
「どういうことなのかしら。
赤ちゃんは近くのお屋敷にいて、散歩専門のナニーが毎朝出勤して、赤ちゃんの相手をして帰ってくる、ということ?
ああでも、乳母車をいちいち持ち帰るのはおかしいわね。
乳母車は赤ちゃんの親のものでしょうし」
ジュスティーヌが眉を寄せて言う。
「そうですね。主人夫婦がいるのに、他家に仕えるのも妙な話ですし。
ジュリエット、ナニーと従僕に、なにか変わったところはないのかしら?」
レティシアはジュリエットに訊ねた。
「んんん、二人共、ぱっと見てナニー、従僕って感じなんですよね。
ナニーの右頬に大きなほくろがあるけど、ほかは普通?
ナニーはボンネットをいっつも深くかぶってて、髪の色もわからないくらいだけど、なんとなく年は自分たちと同じくらいかなって思います。
従僕はもうちょっと年下かも……騎士っぽい姿勢のよい人?てかんじで。
主人夫婦は一度見かけただけなんですが、やっぱり若い感じでした。
特徴っていっても、ご主人がめっちゃお髭もじゃもじゃだったくらい?」
不意に真後ろで、パシッと誰かが扇を鳴らし、ノアルスイユは小さく飛び上がった。
「話はすべて聞かせてもらったわ!
この件、裏に悪質な犯罪が潜んでいるかもよ!」
割って入ってきたのは、サン・ラザール公爵令嬢カタリナ。
2年前、自分の家で開いた大舞踏会のさなか、親の決めた婚約者のクズっぷりを告発して、堂々と婚約破棄をつきつけた上、「自分は好きな時に好きな相手と結婚する」と宣言した令嬢だ。
濃いめの金髪を今日も巻きに巻き、淡いブルーのサテンに緻密なビーズ刺繍を施した、豪奢なデイドレスをまとっている。
このカタリナ、誰もが二度見するくらいの華やかな美人で、名家の出だから一時は王太子妃候補と見られていたのだが、なにしろ強烈な人柄。
ド派手なファッションだけでなく、傲岸不遜な振る舞いでたびたび新聞の社交欄を賑わせ、「破天荒令嬢」と言われていたりする。
本人に面と向かって言う勇気がある者は、この国にはいないが。
「え、犯罪!?」
ジュリエットがびっくりする。
「やっぱり銀行にトンネルか!?」
「お宝持ち出しだろうそこは!」
「いやいや、スパイだスパイ!」
「……あなたたち、寝言はよしなさい」
色めき立つ男性三人を、カタリナは露骨に馬鹿にした目で見下ろした。
一応、王太子も混ざっているのだがおかまいなしだ。
「ジュリエット、その乳母車には家紋はついているの?」
「あー、ついてましたね。なにか。
どこの家のものかはわからないですけど」
ジュリエットは視線を泳がせながらもごもご言い、カタリナは「いい加減、この国の貴族の家紋くらい覚えなさいよ」と舌打ちした。
「ま、そろそろこの会も終わりでしょう?
散歩がてら、ちょっとイルリー公園に行ってみない?」
カタリナはにんまりと笑って、皆を誘った。




