2.脳筋、眼鏡、王太子の当てずっぽう
「私達、商会長の屋敷を改装したアパルトマンに住んでるんだけれど、空いていた隣の部屋に、半月くらい前に新しい人が越してきたの。
で、その部屋に、毎日乳母車が出入りしているのに、赤ちゃんの泣き声が一度も聞こえなくて。
そんな安普請じゃないけど、お隣なのにちっとも聞こえないっておかしくない?」
「はい??」
ノアルスイユは面くらい、ジュスティーヌが「もう少し詳しく話してくれるかしら?」と促した。
「えっとですね……
主人夫婦は契約に来た時だったのかな?一度見かけただけなんですけど、毎朝、9時すぎにおっきな乳母車を押したナニーと従僕が出ていくんです。
で、夕方、日が落ちるかどうかって時に帰ってくる感じで。
だから、夜は赤ちゃんがいるはずでしょう?
でも、泣き声を聞いたことがなくって……
引っ越してきた時、ご挨拶もなかったから、どういう人なんだろうって思って、大家さんに聞いたんですけど、周旋所から紹介された人で、大家さんもよく知らないんですって」
乳母車はこんぐらいあるやつ、とジュリエットは両手を大きく広げてみせた。
1m以上あるようだ。
貴族や富裕な平民が使う乳母車は、腰の高さほどのベビーベットに車輪をつけ、幌と取っ手をつけたようなもの。
謎の入居者もそういう大型の乳母車を使っているようだ。
きらんとサン・フォンが目を輝かせた。
「お! そういう話は子供の頃に、冒険小説で読んだぞ!
部屋から銀行の金庫に通じるトンネルを掘って、掘った土を乳母車に入れて、どこかに捨てているヤツじゃないか?
もちろん、乳母車のクッションなんかは抜いてたくさん土が入るようにして」
「それが、部屋は2階なんですよ。
魔導エレベーターはあるんで、おっきな乳母車でも平気なんですけど」
申し訳無さそうに言うジュリエットに、サン・フォンはかくりとうなだれた。
「それに、大きいと言っても所詮乳母車。
トンネルを掘るのなら、一日一回じゃ処理が間に合わないだろう」
サン・フォンと同じ作品を思い出していたノアルスイユは後出しで言うと、眼鏡をキランと光らせた。
「部屋が二階なら、部屋に隠してあった隠し財産を少しずつ持ち出しているというのはどうだろう。
古い屋敷なら、タイルが貴重な美術品ということもありえる」
「あー……それがそんな古い館とかじゃないんですよ。
まだ築40年くらいじゃないのかな……
大家さんのお父さんが建てた家なので」
微妙な空気が漂った。
大家の父親の隠し財産というのもありえなくはないが、築200年、300年を超える屋敷もそれなりにあったりするこの国で、たったの築40年ではお宝ありそう感が薄い。
「お宝持ち出しなら、さっさと済ませたいだろう。
午前と午後で、一日2往復くらいはしてもよさそうだが」
サン・フォンに突っ込まれ、うぐぐとノアルスイユは詰まった。
「朝に出て夕方帰ってくるということは、他家に行っているのかしら?
ずっと散歩しているはずはないものね」
ジュスティーヌがおっとりと首を傾げた。
「ってことなんですかね??」
「でも他家を訪問するなら、母親が連れていくものでは?
祖父母や親戚の家に行くにしても、ナニーと従僕だけということは考えられませんわ」
レティシアがありえないと手を横に振る。
「だったら、公園にでもずっといるのかしら?
それもおかしいわね。
お乳をあげたり、おむつを替えたりは人前を避けるでしょうし」
母親であるジュスティーヌが考え込む。
貴族の子女は、屋敷の奥深くで育てられるのが通例だったが、近年、赤ん坊のうちから多様な世界に触れさせた方が脳の発達によろしいという説が一般的になり、積極的に連れ出す家が多い。
といっても、赤ん坊や幼児を連れていける場所は限られているから、公園が人気なのだ。
「うち、イルリー公園の近くなんですけど、噴水広場みたいなところに、よく周りのお屋敷のナニーが赤ちゃんやちっちゃい子を連れて集まってるんですよ。
2、3歳の子なら半日くらい遊び回るかもですが、まだ歩けない乳児だと乳母車に乗せて公園に行って、抱っこしてお花でも少し見せて、帰ってくるくらいの軽いお出かけになるんじゃないですかね」
イルリー公園というのは、貴族の屋敷が多いエリアにある大きな公園で、紳士淑女の憩いの場としてよく使われている。
ジュリエットは散歩の折り、そういう風景を見かけたのだろう。
アルフォンスがピコーンとなにか思いついた顔になった。
「じゃあ、そのナニーと従僕は実はスパイの連絡役で、監視対象の情報をナニーに化けたスパイ達にもらい、報酬や次の指示を渡している、というのはどうだ?」
「いやいやいやいや、そんなにたくさんナニーに化けたスパイがあのへんの家にたくさん入り込んでいたら、国がヤバいじゃないですか!
困りますよ殿下。殿下のお立場でスパイがどうこう言い出すと、洒落にならないんですから」
ノアルスイユが突っ込み、騎士団の憲兵隊に所属しているサン・フォンは、さすがにそれはないかなと首を傾げている。
アルフォンスはてへっと笑って誤魔化した。