乙女な魔王と貢物の王子
夜間にあげたので、もしかすると後で誤字脱字訂正がはいるかもしれません。
「魔王様、貢物にございます」
骸骨騎士が得意気に一人の少年を差し出すと、赤い髪の少年は立つことも出来ずバタリと倒れ込んだ。骸骨騎士が「無礼な」と一喝し蹴飛ばしたが、起き上がる事は誰の目から見ても不可能だろう。縄で束縛された手足の爪は剥がれ、足があらぬ方向に曲がっていたのだから。
「これが貢物だと?」
少年を見た魔王が眉を寄せ骸骨騎士を睨む。天窓から青い月光が玉座にあたるせいか美麗な顔は青白く、血の気などは全く感じない。赤く光る瞳ですら血を求める獣のように酷薄だ。その姿に骸骨騎士は震えあがると、慌ててひれ伏した。
「魔王様、このような汚物を御前にさらしたことをお許しください。人間どもが停戦の条件として王子を差し出したのでございます」
「まだ小僧ではないか」
「そうです。こんな物で我々が停戦を承諾すると思っているとは……」
ギヒヒと骸骨騎士が不気味な骨音を立てて笑うと、周囲もつられるように笑いだした。骸骨騎士を含め、玉座にいる騎士達は停戦を受け入れる気などさらさらない。ただただ王子をいかに惨く突き返すか、そのことで頭がいっぱいなのだ。それが楽しくて仕方がないらしい。
「耳障りな笑いを止めよ」
魔王の威圧に周囲が凍り付いた。この城では誰も魔王に逆らえない。残虐と歌われた初代魔王と生き写しの容姿に加え、魔力も歴代の中でも抜きんでているからだ。
「骸骨騎士、アースガルドよ、この王子についてだが」
魔王は玉座から立ち上がると、目の前で転がる王子を見下ろした。王子は拷問のせいですでに虫の息だ。誰がみても哀れな姿であったが、魔王に慈悲などあるはずがない。そう確信したアースガルドはこの王子の行く末など、簡単に予測出来た。
惨殺一択に違いないと。
「言わずともわかっております、魔王様。首を刎ね人間の王につき返しましょうぞ」
「ええっ、だめだよ」
ワクワクとした声で魔王を見上げたアースガルドが固まる。
「だめ、だよ?」
アースガルドは普段の魔王らしからぬ弱弱しい声に驚いた。しかも首を刎ねる事が駄目という幻聴まで聞こえたのだから。
「うぉっほん。よ、よいか、アースガルドよ。ここで首を刎ね突き返してみろ、戦争が長引くではないか。それは余の望むところではない」
「はぁ……ですが、わが軍は圧倒的強さでして停戦する意味はないかと」
「意味はある。せっかく人間が停戦する気になったのだ、この機を利用しない手はない。人間は我らと違い色々と器用だ。少ない魔力で膨大な力を操る術まで研究をしている。骨の姿となってもなお、我らに歯向かう人間までおったときには肝が冷えたぞ。今が有利だからと油断はならん。停戦と称してその技術を盗むのだ。滅ぼすなら利を得てからでも遅くはない」
おお、さすが魔王様と感嘆の声が上がる。周囲の反応に魔王はホッと胸をなでおろした。
(アースちゃんてばぁ、首を刎ねるなんて怖すぎでしょ~!! 人間も何考えてんの? まだ十四、五の子供を差し出すなんて。うちの配下が容赦ないって知ってるでしょうに。私が魔王じゃなかったら死んじゃってたよ)
実はこの魔王、見た目こそ冷酷無慈悲な顔なのだが、夢は引きこもってロマンス小説を読みふける事! というオタ……【乙女】なのである。よって人間が作るロマンス小説を読みたいが為に、戦争を最小限に食い止めているのだが──そんな事を配下に言えるはずもなく……。玉座は実力で奪い合うのが魔族の決まり。弱い心の内を知られたら最後、この椅子を狙う輩が勇んで寝首をかきに来るだろう。
「では手始めに、その技術とやらを王子に吐かせますか? わたくしであれば死なない程度に拷問をかけることができますぞ? 是非ご観覧を!」
「ま、まてアースガルドっ」
焦る魔王にアースガルドが、どうしたのだろうと首を傾げる。
(どうしよう。国に帰してあげてなんて言った日には、乱心か! と騒がれても面倒だし。かといって拷問なんて見たくもないし。上手く国に帰せないかなぁ)
「魔王様?」
アースガルドがカタカタを顎を震わせ魔王の言葉を待つ。魔王軍随一の拷問士である彼は、さっさとこの少年を拷問にかけたいらしい。
「拷問はならぬ。この者は余の……ぺ、ペットにする」
「ペット!?」
アースガルドはよほど衝撃だったのであろう。拷問騎士と恐れられた彼とは思えぬ裏返った声を上げた。それは周囲も同様だったようだ。硬い鱗で覆われた竜騎士は巨大な斧をゴーンと床に落とし、浮遊していたインキュバスまでもが落下した。
「そうだ。余の部屋で飼うゆえ、その者を清潔にしておけ。折れた骨も抜いた爪もすべて元の状態に戻しておくのだぞ」
「それは構いませぬが……魔王様、まさか人間ごときに情を」
(やっぱ、そう思われちゃうかぁ。面倒くさいなぁ)
「くくく、情などあるものか。アースガルドよ、お前は勘違いをしているぞ?」
「勘違いとは?」
「王族とは人の中でもプライドの高い種族だ。拷問程度で吐くとは思えぬ。それが犬のように扱われたらどうなるか。考えただけでも笑いが止まらぬ。くはははは」
魔王の冷酷な笑みに周囲が恐怖で固まった──が、別の意味でも、固まらせた事に魔王は気が付いていない。
「そ、そういうご趣味もおありでしたか。では早速ご命令通りに」
「うむ。いいか、余が自ら手を下すまで、それを壊すな。丁寧に扱え」
「ははー」
魔王はこれで拷問なんて見ずにすむ、と安堵の息を漏らした。アースガルドは人間に対して非情な男だが魔王には絶対の忠誠を誓う男だ。さすがに無下に扱うことはないだろう。
キリリとした表情を維持したまま魔王はその後、書斎で書類仕事をこなした。はたから見れば、無駄な動きなど一点もないが、頭の中はほぼロマンス小説の妄想しかしていない。運よく魔王は政務処理においては天才であった為、支障は全くなかった。
(ふぅ、やっと仕事が終わったわ。これで我が愛書『ロマンスの魔法』が読める。人間の本の入手は大変だけど、乙女のときめきタイムには代えられないわ。だって主人公のナタリーが誰と結ばれるのか気になるんだもの。異国の王子? それとも俺様婚約者かしら? ひたむきにお仕えする執事も捨てがたいわね。いいなぁ、私もナタリーみたいになりたい。王子様から愛してるって言われてみたい。魔王には夢のまた夢だけど。せめて共感者ぐらい欲しいわ。魔族は誰も読まないもの。おかげでお返事なんて貰えるわけないのに、禁術でファンレターを百通ぐらい送っちゃったし。作者がドン引きしてないといいけど……ってしてるよね。あ~もう! 早く部屋に戻って本の世界に行きたい。現実逃避した~い)
魔王は心の中で絶叫しつつも、キリっとした顔を維持しつつ自室へと向かう。背後にアースガルドがいなかったらダッシュで部屋に行ってしまいたいところだ。だがそんな事はできるはずもなく、魔王はヒートアップしそうなテンションを、自室の前まで賢者の精神で抑え続けた。
「アースガルドよ、本日はご苦労であった。部屋で休むゆえ、さがるがよい」
「あのぉ、魔王様、本日はお部屋に例のペットが」
(あ、わすれてた)
「そ、そうか。仕事が早いな、アースガルド。もうさがってよいぞ」
(ゆっくり仕事していいのに)
「いえ、その前に御要望どおりのペットか確認したいのですが……。もちろん壊したりなどせず傷もすべて完治しております。ただ、犬は魔界にいる生き物ではないため資料が乏しく。人間の説明どおりにしたものの不安でして」
「……」
(なにそれ、私も不安なんだけど)
「あの……犬というご命令ではなかったので?」
「そ、そうだ。犬だったな」
「一応、暴れたり魔力を使えぬよう封呪の枷でつないではいますが、せめてこのわたくしめに護衛をさせていただけませんか?」
(えー! アースちゃんがいるとゆっくり『ロマンスの魔法』が読めないじゃない!)
「いらぬ。まさか余が人間にやられるとでも?」
「いえっ、も、申し訳ございません」
魔王の眼光にアースガルドは慌ててその場を去る。魔王は心の中で、何度もアースガルドに謝った。
すべては『ロマンスの魔法』の為だ。
「さてと、まずは人間を逃がしてあげないとね」
魔王は勢いよく自室の扉をあけ、数秒固まった後、入室もせずそのまま扉を閉めた。
(いけないわ。ちょっと疲れたみたい。今日の書類は停戦関係もあっていつもの倍はあったし)
魔王は現実を見なかった事にしたかった。だからもう一度、ちょびっとだけ扉をあけ隙間から覗いてみたのだが……現実はかわらなかった。
中の様子はこうだ。
部屋を開けたら犬耳のヘアバンドをつけた王子がベッドにいた。見間違いだと思いたかったが、鎖のついた首輪とふわふわのしっぽまでついていれば、犬を模した格好である事は否定できない。おまけに両手足に封呪の枷がついているため、背徳感でいっぱいだ。これでは王子にいけない遊びを、魔王が強要したと言われても否定できない。
(なんでこんなことに。犬のように扱うってちょっと誇張して言ったけど、私は清潔な服を与えて、怪我を治せって言っただけよね? アースちゃんってば、めっちゃ勘違いしてる。あ、でもちょっと可愛いかも───ってぇぇ、違う違う。私にそっちの趣味はないんだからっ)
あわあわとしていたら、なかの犬ならぬ王子と目が合った。王子は魔王をみてギョッとした顔をしたが、
「ヤァ、マッテたよ」
と、思いのほか軽い挨拶をしてきた。口調こそぎこちなかったが、魔族でもこんな挨拶をしてくる者はおらず、魔王は思わず口をあんぐりと開けてしまった。
「な、なんだ! その挨拶は。寛大な余でなければ今頃、真っ二つにしているところだぞ」
魔王の言葉に王子はキョトンと目を見開くと、両手で口元を抑えクスクスと笑い出した。笑われる理由がわからず、魔王はさらに困惑する。
「ごめんね、おねえさん。それより俺と遊ぶんじゃないの?」
「おねえさん……遊ぶ?」
(そっか! 私が魔王って知らないんだわ。気絶してたし。だから横柄な態度なのね)
「人間よ、余はおねえさんではない、魔王だ」
「知ってるよ。で、俺はおねえさんの犬でしょ。そんな事より早くこっちに来て」
「……いや、だから」
(どうしよう。きっと恐怖でおかしくなっちゃたんだわ。まずは色々な誤解をとかないと──)
魔王は言われたとおり自室に入ると、王子の傍まで行こうとして──やめた。人間と普通に話せるとは思えなかったからだ。皆、魔王とは一定の距離を置きたがる。真横で話しかけただけで、アースガルドに全力で逃げられたトラウマを魔王は忘れていなかった。
「人間よ、無理して犬になる必要はない。お前は無事に帰してやるゆえ──
「え~なに? そんな離れた所からじゃ聞こえないよ。あと俺は人間って名前じゃない。あ、犬プレイ中だから? じゃ人間じゃなくてポチにしてよ」
「ポチ……」
(どうしよう。完全に犬として頑張っちゃってる)
魔王はこのまま歩を進めるべきか迷った。近づいてショック死された事は一度や二度ではないからだ。(その後、魔王が蘇生魔法をかけたのだが)だからと大声を出せば委縮させてしまう可能性もある。
(うう、このままだと本を読む時間がなくなっちゃう。仕方ないわ、王子が怖がらない程度まで……)
と、魔王は気持ちを切り替え接近したのだが……。
どうやらこの王子、そうとう耳が悪いらしい。話かけても、目の前に来るまで返事すら返してくれなかった。だが幸いな事に、王子はにこっとした顔のままだ。肝が据わっているか、恐怖で気が触れたか。いずれにせよ今のところショック死はしないようなので、魔王は気にしないことにした。
「ところで人間よ」
「ポチだって」
「くっ……ポチよ、お前は無事に国へ─
「ぷっ。はははっ、緊張しすぎ。さ、まずは俺の横に座って」
魔王のベッドを、さも自分の物かのように王子が座れと促してくる。
「いや横って。余はお前の敵なわけで」
「違うよ。俺は犬、そしておねえさんは俺の主人でしょ?」
「誰が主人だっ!」
「え~? 自分がペットにするって言ったくせに」
「そうだが……って違っ!!」
魔王は王子に妙な恐怖を感じた。王子は手足に枷が付いていて魔法も封印されている。たとえ手足が自由で魔力が使えたとしても、人間など敵ではない。なのにどういうわけか心に余裕が保てないのだ。
(いけない、このままでは魔王としての威厳がっ)
「小僧、いささか馴れ馴れしいぞ。余が帰れと言ってるうちにおとなしく国へと帰るがよい──それとも今すぐ死にたいか?」
魔王は最大限の威圧で睨むと、さすがの王子も恐怖したらしい。大きな青い瞳から涙がこぼれ、シュンとしてしまった。
「な……ななななにも泣かずとも。死ねとかは冗談で──
「おねえさんは酷いなぁ。痛い思いまでしてここに来たのに。ちょっとは同情してよ」
「す、すまぬ。拷問に関しては、余の配下が酷い事をした。帰りは余が護衛し、安全も保障する」
「帰る? 俺はおねえさんの犬でしょ?」
「だから犬はもうよいと」
「嫌だね。絶対に帰らないよ」
王子がだだっ子のように口を尖らせる。
「なっ──」
(落ち着いて私……王子が帰りたくない理由を考えるのよ)
魔王は必死に自分に言い聞かす。人間の言に振り回されるなど魔王としてあってはならない。
「まさか貢物として国に送り出された責任を感じているのか? 貢物などなくとも停戦はちゃんとする」
「俺がそんなの気にすると思う?」
王子がプイと顔を背けて拗ねる。
(くっ──。てっ、ダメダメ振り回されちゃ。冷静に冷静に。アイアムマオウ、アイアムマオウ……)
魔王はスーパーポーカーフェイススキルを発動した。いつもロマンス小説の妄想をしながら発動するスキルだ。魔王秘密の得意技その1である。
「まさか貢物にした王家に怒っているのか? だが王とはいえ、親だ。子供を魔族に送るなど苦渋の決断だっただろう」
「別に怒ってないよ。あと俺は精神的には大人だから。お望みなら、それ相応の遊びだっていたしますよ?」
「なっ」
少年とは思えない艶めかしい顔で言われ、魔王は返す言葉を失う。
「はははっ冗談。耳まで赤いけど本気にした?」
プーと王子が噴き出した。どうやら笑うのを我慢していたようだ。
「だ、黙れ!」
(なんなの? この破廉恥なお子様はっ。私は『ロマンスの魔法』が読みたいの。お子様の相手などする暇はないのよ!)
「小僧、いいかげんにしろ。余は帰れといっている」
「や~だねっと」
ベッドからピョンっと王子が飛び降りる。その姿に魔王は目を見開いた。王子に付けられた枷がなかったからだ。
「どうして?」
「あ、驚いた?」
と王子は言うと、枷をぽいと放り投げた。
「えええっ! 嘘っ!! 人間が解呪できるなんてっ、そんな」
「あれ? おねえさんって、そっちが素?」
「ち、違っ。お前が変な遊びをするから、うつったではないかっ」
「はははっ、ノリノリだね。さすが俺のご主人様♡」
「──くぅ!」
「あとさ、枷って二百年前の代物だよね? 駄目だよ、長寿種だからって武具強化は、秒単位で競う意識を持たなきゃ。油断は大敵」
二コリと王子が黒く微笑む。どうやらこの王子、ただの子供ではないらしい。
「そのようだな」
対する魔王も冷たく微笑み返す──が、心の中は戸惑いでいっぱいだ。
(この子の目的はなに? あの魔術具は人間専用のもの。魔族並みの魔力がなければ、たとえ術式を知っていても解呪は不可能なはず……。仮によ? この子が凄い魔力を持っていたとして何故、配下におとなしく拷問されてたわけ? 何か裏があるの?)
「わからぬ」
「何が?」
「お前の目的だ」
「ふふん、なんだと思う?」
王子が無邪気に微笑む。まるで謎かけ遊びを楽しむ子供のようだ。
(わからないから聞いてるのにっ!)
魔王は焦り始めた。いつもなら冷徹な視線を向ければ、相手が勝手に暴露した。だが、この王子には通じない。むしろ喜びそうでちょっと怖い。
(ひるんじゃだめっ。私は魔王よ)
「聞いているのは余だ」
「えー? 俺だって色々聞きたいのに」
「五月蠅い! 魔族にとってお前は敵か? それだけでも答えろ」
「難しい質問だな。あ、でもアースガルドは俺の敵だ」
「そうか……」
魔王は大きく息を吐くと、全魔力を開放した。アースガルドが敵とみなす相手──それだけで十分な答えだ。それにあの枷を簡単に解いたのだ。魔族の王である以上、不可解な脅威は早急に潰す必要がある。
(可哀そうだけど仕方がないわ。たとえ冷酷と言われようと、それが魔王なのだから)
「わわっ、おねえさん? その過激な魔力はなに?」
「悪いが停戦はなしだ。なるべく苦しまぬよう──
「まって、その前に
「黙れ! 命乞いなど聞かぬ」
魔王は魔剣を出現させると、容赦なく王子の首元へと刃を向ける。
「これを見て!」
「──っ! @dぁmをがlsmわ」
王子が見せた長方形の物体に魔王はおかしな叫び声をあげた。
(あれは『ロマンスの魔法』続き! まさかもう新刊が? 人間界の書籍情報は完璧だと思っていたのに(注:魔王調べ) この私が愛書の発売日を見落とすなんて、なんたる不覚───はっ! これも王子の作戦? 最重要機密事項である私の愛書を知ってるなんておかしいもの。だけど私は魔王よ。この程度で攻撃をやめると思ったら、大間違いなんだからっ)
「愚か者め。そのような物で、余が翻弄するとでも思ったか!」
魔王は再びスーパーポーカーフェイススキルを発動した──が、魔王の手からは剣が消え、かわりに寄越せとばかりに本へと手が伸びている。
「おねえさんってば、欲望に忠実だね」
王子は素早く本をガードすると、魔王の手は空をきる。
「ち、違う! そんな本に興味などっ」
魔王が頬を赤めて怒鳴り返すが説得力は皆無だ。今も隙あらば本を奪おうと目が爛々としている。
「あのさ、俺はおねえさんの敵にはならないよ。一応、停戦しに来たわけだし」
「ならばなぜアースガルドの敵などと」
「だってあいつは……。それよりも、これ欲しくないの?」
王子がわざとらしく話を切り替え、チラチラと本を見せつける。
「ちっ、小賢しい奴め。要求はなんだ?」
「さっすがおねえさん、話が早くて助かるよ。人生を賭けた真面目なお願いなんだけど」
王子の漂う空気が一変し魔王は身構える。先ほどまで飄々としていた王子が突然、真顔になったからだ。
(何を要求する気? 人生を賭けるなんてただ事じゃないわ。魔界にある希少な魔石かしら? まさか歴代魔王が記した禁書だったらどうしよう。どれも簡単にOKとは言えないわ。でも目の前に新刊がっ。後で買いに行くにもアースちゃんに隠れては至難の業だし。くぅぅぅぅぅ)
「俺の願いは一つ」
「───っ!」
魔王が唾をゴクリと飲み込む。
(禁書か魔石か禁書か魔石か禁書か魔──)
「愛してる。だから俺を愛して欲しい」
「……は?」
「すぐにとは言わないし、強制もしない。ただ、意識はして欲しいなぁと」
あらゆる要求を模索していた魔王の脳が真っ白になる。よりによって人間が魔王に愛を求めるとは。
「はっ! わかったぞ。婚姻し、停戦をより強固にしたいのだなっ!?」
「そういう堅苦しい理由じゃないんだけど。そりゃあ将来的には結婚もしたいし、子供もいっぱい欲しいけれど。まずはちゃんと俺と向き合って、俺が欲しいって思って欲しいな」
王子の顔は真剣だ。嘘を言っているようには思えない。
(ど、どうしようっ。初めて告白されちゃった……て、おかしくない?)
よく考えてみたら王子が魔王を好きになる理由がない。拷問され犬の辱めを受けて始まる愛などあるのだろうか。あったらあったで王子の性癖が色々と心配だが。
冷静になった魔王の心が深く沈む。そもそも人間が魔王に愛を捧げるなど、あるはずがない。
(となると……)
沈んだ魔王の心がさらに闇へと落ちていく。
「余を籠絡させ、利用する気だな?」
冷たい声で魔王は王子に近づくと、その首に爪を立てた。乙女の心をもて遊ぶ輩に情けをかける必要などない。たとえ本を手にできなくても……いや最初からこの少年をぶった切って本を奪えばよかったのだ。そうふっきれた魔王の爪が容赦なく王子の首へと突き刺さっていく。だらだらと首から血が流れ、王子は息をのんだ。が、どういうわけか王子は魔王から逃げる様子はない。
「籠絡かぁ。一回でいいからさせてみたいなぁ。いつだって俺が追っかける側だし」
王子はそう言い、愛し気に魔王の手に自身の手を添える。首元の凶器には気にも留めず、魔王を見る青い瞳に恐怖はない。むしろ飢えた獣のような、渇望の眼差しで見られ、魔王はぶるりと鳥肌がだった。
「さ、触るなっ」
魔王は慌ててその手を振りほどいた。嫌な汗が背を伝う。今すぐ王子の首を刎ねろと魔王たる自分が叫んだ。けれども体が反応しない。
「くそうっ、お前を見るとイライラするっ」
魔王は当たり気味に王子に何かを投げつけた。王子は驚いた顔をしたが、足元のハンカチを見て苦笑する。これで止血しろと魔王は言いたのだ。王子はハンカチを拾うと首元に当て、息を大きく吐いた。
「おねえさんってば言葉は厳しいくせに優しいなぁ。そこが好きなんだけど」
「黙れ。息をするように口説きおって」
「あ~やっぱ必死なのがばれた? 俺ってまだ15のひよっ子だし、おねえさんは魔王だ。さすがに今回はハードルが高いって、焦っちゃって」
「今回は?」
(まるで初めてではないような)
「あ~おねえさんは妻の生まれ変わりなんだよ」
「……脳を医者に診てもらえ」
どうやら王子は虚言癖があるらしい。もしや問題児なので貢がれたのではと魔王は思い始めた。
「いやいやいや、本当だから」
「よかろう、余、自らその脳を勝ち割ってやる」
魔王は真顔のまま魔剣を出現させる。
「わわわ~!! まってまって、これを見てこれ!」
ごうっと燃えるような音がすると、王子の掌から炎を纏った一匹の鳥が羽を広げた。その美しさに、魔王は目を奪われる。
「フェニクス!!」
(まさか神獣が人に憑くなんて。なるほど、枷はこの鳥の魔力で解いたのね)
「そ、俺は15の時にフェニクスに憑かれた。こいつの加護は知ってるだろう? 『魂を見る眼』と──
「『死しても蘇る力』……だったか?」
「正解。俺は死んでも記憶を保持したまま15歳の姿で蘇るんだ。おかげで大切な人が先に逝く『負のループ』からは抜け出せない。これでも何度か孤独を埋めようと努力はしたんだ。でも結局は同じ孤独に陥る。だから人との深くかかわるのをやめたんだ。それはそれで結構きつくてさ。何度もこの鳥を殺そう思った──けれど出来なかった」
「だろうな。フェニクスは神獣だ。殺せば人に災いが起きよう。王子という立場であればなおさらしてはならぬ」
魔王の言に王子は、おねえさんは厳しいなぁと言い、苦笑する。
「あと、フェニクスを人前にさらすと、3日は嫌味を言われる。これが一番辛い。すぐ人の事をヘタレとか言いやがって!」
文句を言われたからか、フェニクスはぷいっとそっぽをむくと、王子の手のひらに潜り込み姿を消してしまった。おそらく普段は王子の体の中にいるのだろう。もしかしたら今頃嫌味を言ってるかもしれない。
「とまぁ、こいつと付き合うのは大変なんだ」
王子は笑いながら言うが、どこか寂し気だ。それは15の少年がする顔ではない。王子の言う事が本当ならば、今まで孤独と喪失の中を生きて来たのだろう。それは長寿種である魔王でさえ、想像を絶する生だ。
「だからと前世の妻だと妄言し、口説くのはどうかと思うが……」
「妄言じゃないって。フェニクスのもう一つの力『魂を見る眼』を忘れてない? 俺はその力で妻を見つけ、愛してきた。それが生きがいだったこともあったけど、結局は孤独に陥るからやめてたんだ──なのにまた君が現れた」
(そう言われても……)
魔王は困った。王子の妄言が正しければ、魔王は王子の妻の生まれ変わりらしい。だからと愛に答えるつもりなどない。
(だって私は魔王だもの──ううん、違う)
一番の理由は、王子の告白は、魔王にとっては空気のように『重み』を感じないのだ。
たとえ愛の言葉に嘘がなかったとしても。
「悪いがお前の気持ちに答えられん。お前が愛しているのは元妻であって、余ではない」
魔王の言葉に王子は酷く傷ついた顔をした。可哀そうだがこれでいい。この王子は妻の存在に囚われている。他の人間と新しい恋を見つけた方が幸せだろう。
魔王は己の考えに間違いはないと思ったが、なぜか心が深く沈んだ。
「おねえさんは本当に酷いなぁ」
「いや、余に妻の幻影を重ねるお前のほうが酷かろう?」
魔王の言葉に王子は俯いた。やはりなとチクリと魔王の心が痛む。
「重ねてなんかいない……いや、そうだったとしても俺は忘れるつもりだった。なのにどうしてこんな手紙を送ってきたんだ」
王子が本を魔王に突き付ける。先ほど魔王が喉から手が出る程欲しかった『ロマンスの魔法』の新刊だ。
「これが手紙だと? 本ではなかったのか?」
意味が分からず魔王は本を受け取ると、手にした本は封書へと変化し、バサバサと下に落ちた。
(本に魔法がかけたれていたなんて。あれ? この封書、どこかで───ってあああああああああ)
見覚えのある封書の山に魔王の背筋が凍り付く。慌てて拾おうとしたら王子に一通奪われてしまった。
それはピンクの花が描かれた可愛らしい封書だ。そして魔王は、いやでも心当たりがあった。なぜなら封書の柄を描いたのは魔王自身だからだ。
「なぜあなたがが持ってるの?」
だらだらと魔王から冷や汗がこぼれる。魔王の反応に、王子はニヤリと意地悪な笑みをこぼした。
「だって、これを貰ったのは俺だから。『親愛なるフェリクス様、男性である貴方が女性の繊細な気持ちを理解し書かれる作品に、私は深く感銘いたしました。フェリクス様の描かれる世界なら、私は恋する乙女になれ──
「わーーーやめて!! やめてぇぇぇ」
魔王は慌てて手紙を取り上げたが、王子は暗記をしているのか、その後も全部口頭で言われ、魔王は恥ずかしさのあまり蹲ってしまった。
「うう、穴があったら入りたい」
「ごめん……反応があまりにも可愛くてつい。初めて手紙を送ってこられたときには驚いたよ。受取人以外は見る事ができぬよう、禁術まで施してあったし、差出人も不明だ。罠かと思ったけど、その割には丁寧な封書だったからさ、一回は読んでやるかと開いたら、ファンレターだったという。おまけに本の感想に加えて必ず、恋が許されない、自分を見せてはいけない、他人に心を許さず孤独に生きねばならないと書かれてある。そんなのが123通も来たら気になるだろう?」
王子は蹲る魔王の前に座り込むと、愛し気に魔王を見つめる。視線に気が付いた魔王は慌てて王子から目を逸らした。
「で、差出人を調べる為、黒魔術師の親友に手紙の禁術を調べてもらったんだ。そいつが言うには魔紋──いうならば指紋みたいなもんかな。魔法にもあるらしくてさ。まぁ有名人でないと特定はできないんだけど。おねえさんは魔王だから簡単にわかった」
(魔王は有名どころか、人間にとって研究対象ですものね……うかつだった)
「わかった時、俺がどう思ったと思う?」
「ふん、どうせ笑ったんだろう? 魔王がファンレターなど書くなんてって」
「うん爆笑した。魔王は冷徹だが、配下の信望が厚いという噂だったからね。孤独とは無縁だと思ってたし、その上、乙女小説にはまってるなんて思わないよ」
スパっといわれ、魔王はガクッときた。だが言い返す言葉が魔王にはない。
「でもそのギャップに萌えた。可愛いなって。この子となら孤独を分かち得ると思ったんだ。だから会いたいと思った」
「お、お前は変人か? 会ったこともない上、魔王だぞ?」
魔王は戸惑う。
「それが変人だと言うなら否定しない。だって俺にとっては外見、年齢、性別、種族なんて重要じゃないからね。大切なのは『心の充足』なんだよ。それに魔族ってよくないか? 長生きだから俺が看取られる方が多いし」
魔王の戸惑いなど、意にも返さず王子は笑う。
「だから王を裏で動かし貢物になってまで来たんだ。そこで骨のおっさんに、魔王に交際を申し込みたいと言ったら、ボコボコにされた。やり返すわけにはいかないし、我慢するのが大変だったよ。で、意識も絶え絶えに、王の間にひっぱりだされたら……」
そこまで言って王子が、口元を抑えクスクスと笑いだす。元妻だとわかり嬉しかったとでも言いたのか? と魔王は冷めた目で王子を見た。
「手紙と口調が違い過ぎて爆笑しそうになった。しかも俺を必死に助けようとするし。くくくっ今思い出しても、「ええ! だめだよ」は可愛い声だった」
「……死にそうな時に余裕だな」
「まぁ、俺は死に慣れてるからね──そんなわけで、おねえさんが欲しいって思ったんだ」
「おまけに前世の妻だしな」
魔王はイライラした。それなら部屋から放り出しアースガルドに始末してもらえばいい……そうわかっていてできない自分に、さらにイラついた。
「もしかして拗ねてる?」
王子は瞳を大きく見開き、魔王をみる。魔王の反応が王子には意外だったらしい。
「違う……私はただ」
戸惑いながら顔を赤くする魔王に、王子は目を細めて微笑む。
「あのね、気になったのも、好きだと思ったのもおねえさんが妻だとわかる前だよ。気を失いかけてたからね、おねえさんを実際目にしたのは、犬になってからだし」
「五月蠅い! 私は別に気にしてなんかっ」
「ええー! 俺は凄く気にしたよ。会った時はギョッとしたし、また囚われるのかと怖くなった。でも話してたら、そうじゃないってわかった。おねえさんはおねえさんなんだよ。魂が同じでもやっぱり違う」
「でも私は魔王だ。恋なんて許されない」
「俺にとっておねえさんは魔王じゃない。一人の女性だよ。だからもっと自分に素直に生きた方がいい。その方が楽だし、もっと素敵だと思う」
王子がそう言い、愛し気に魔王の髪を指に絡ませる。すると魔王の全身に電撃のような衝撃が走った。けれども突き返す事ができず、ただただ、王子の指を呆然と見るしかできない。
「おねえさん、もう一度告白をしていいかな?」
「だ、ダメだっ。私とお前はまだ出会ったばかりではないか! こういうのは順序が大切だろう?」
もじもじと魔王が指を絡ませつつ、王子の視線から逃げる。
「じゃあ、友達から始める?」
王子の提案に魔王は首を振った。
「いや……お前は私の犬として来たのだから、犬からだ!」
「へ?」
「当然だろう? 余は魔王なのだ。いきなり友達などアースガルドが驚くだろう? それに変な目で見られたら恥ずかしいではないか」
「いや、視線重視なら、犬こそやめた方が……」
王子は意見したが、硬く決意した魔王の耳に届く事はなかった。
★★★★
「魔王様おはようございます」
骸骨騎士が深々と頭を下げる。
「あぁ、アースガルドか。今朝も早いな」
「当然でございます。魔王様を王の間までお連れする、それこそ護衛騎士、兼、宰相である、わたくしの責務です。が……これも連れていくのですか? しかも魔王様の御手を握るとは、恐れ多い」
ちらりと魔王の横にいる赤髪の男を、アースガルドは睨みつけた。といっても眼球はないため、虚空の瞳でだが。
「ははっ、怒るなアースガルド。こやつは犬だからな。知らぬのか? 犬は主人にお手をするのだぞ。だから私が握ってやるのだ」
「そういうものなのですか?」
「そういうものだ」
自信満々に答える魔王に、納得がいかないといった声をアースガルドが上げる。その様を赤髪の王子が面白そうに見るものだから、口喧嘩が始まってしまった。魔王がそのたびに仲裁にはいるものの、二人が仲良くなることはなさそうだ。
(まったく困ったものね。王子はともかく、普段は冷静なアースガルドまで、どうしてこうつっかかるのかしら)
神獣を使う王子と700年剣を鍛えてつづけたアースガルドの強さはほぼ互角だ。一度本気でやり合ってしまい、城が破壊されたため、魔王は大いに怒り二人に拳骨を食らわせた。以後、肉弾戦まではしないものの、いつ火花が散るか魔王は気が気でならない。
(まぁいいわ。今日は朝議が終わった後、みんなでロマンス小説お披露目会をするんだし)
思い出し笑いを隠すことなく、魔王は軽い足取りで王子の手を引く。
魔王は犬を飼いだしてから少しずつ変わっていった。自分を知ってほしいと、突然、趣味は乙女小説を読むことだと皆に暴露し、小説仲間を増やし始めたのだ。だからと強さに隙を見せることなく、魔王は日々の鍛錬も怠る事はなかった。そのためか彼女の御世は、赤い髪をした我が子に次代を譲る日まで長く続いた。
それから千年の月日が流れ、彼女は神獣の魔王と呼ばれるようになる。
それは彼女の命の灯が消えたとき、赤い火の鳥が後を追うように空へと帰ったからだと言われている。
FIN
〇〇おまけ〇〇
王子「ところでおねえさんの名前ってなんていうの?」
魔王「……魔王でいいじゃない」
王子「いや二人でいる時ぐらい名前で呼んでもいいだろう?」
魔王「…………」
王子「今度書く新作に、名前入りサイン色紙をつける」
魔王「……メロディ(ボソ)」
王子「え?」
魔王「メロディ! もういいでしょ! どうせ似合ってないんだから」
王子「似合ってるし、可愛い。じゃあ今夜からはメロディって呼ぶね(大声)」
魔王「ちょ、大きな声でいわないで! 恥ずかしいでしょ!」
王子「ちょっと背後にこっそりいる、骨に言いたくなってね」
魔王「??」
おしまい。
ここまでお読みいただきありがとうございました。
次はアースガルドさんのお話がかけるといいなぁ。
登場人物紹介
王子:赤い髪碧眼の王子。15の時に神獣フェニクスに憑かれる。以後年老い死んでも15歳で蘇るという不死の体質であるため、名誉王子という称号が与えられ、王族ではあるが継承権は放棄している。(ただし一度だけ王を経験している)王家の子供は皆、彼の子孫である。何度か生死を繰り返すうち、人間関係に疲れ王家を離れ小説家として活動していた。ロマンスの魔法は彼と妻との恋物語を元ネタにかかれたものである。親友に黒魔導士であるアーネストがいる。
魔王:見た目は18歳だがかなり長く生きている。アースガルドよりは年上。乙女小説をこよなく愛するが、魔力が高く非常に強い。政務にも優れており妄想しながらでも可能。可愛いものが大好き。王子にロマンス小説の続きを書いてもらっては大喜びをしている。
アースガルド:700歳の死霊。骨の姿でいることが多いが、その気になれば生前の人型もとれる。
人間だったころの記憶はないが、裏切られ死んだ後、死霊としてよみがえった。そのため人の姿はこよなく美しいが滅多に人の姿をとる事はない。魔王様に片思い中。