僕等がいた場所
「おいっ京都からの救援はまだかっ?」
「救援の到着予定時刻まで残り五分です!」
「くそっ夷隊・興隊・拝師隊 通信途絶えました!」
「術士たちはなぜ誰もいないのだ!?」
西の大国ヴィッセンシャフト帝国がワノ国に奇襲を仕掛けてから1時間余り、化学兵器と装甲車を主体に攻め込む帝国の軍勢に市街地はたちどころに制圧され、ワノ国の防衛線は辛くも持ちこたえていたが、それでも烏ヶ岳《からすがたけ》の中腹まで防衛線の後退を余儀なくされた。
ワノ国の西の防衛の要であるここ伏峙山市は辺境の地ではあるが、首都・京都には後れを取りながらも独自の発展を遂げ、ワノ国の中でも上位の人口と資源に恵まれていた。幸い、外国からの攻撃を予期して市庁舎の地下に設けられた避難壕に避難できた民の安全は比較的確保されていたものの、あまりにも唐突な攻撃であったため、逃げ遅れた者などは帝国軍の非情な攻撃にさらされ、瞬く間に多くの命が無に帰していった。
帝国軍に捕虜をとる意思は無いようで、その攻撃の矛先はあらゆるものに向けられた。もちろん伏峙山の警備隊も帝国軍の奇襲に気付くやいなや、防衛本部と大きく二つの中隊――民の避難を優先させる隊、武器を取り盾となることで京都からの救援が到着するまでの時間稼ぎをする隊――に分かれ奮戦したが、如何せん普段は小隊ごとに街の警備をしているだけの者たちと戦争の準備を万全に攻め込んできた帝国軍との戦力差は火を見るよりも明らかであった。
防衛本部からの通信が警邏隊の通信機に響く。
『仲間の死を無駄にするな!何としてもあと五分、ここで食い止め……』
刹那、その声は途切れ、黄金色の光が防衛線が張られていた山岳地と麓の市街地を包み込んだ。
警備隊の隊員たちには何が起こったかを理解する間さえなかった。瞬間だった。
あたり一面を爆炎が包み込み爆風が広がる。その巨大な悪魔は伏峙山という地の上に広がるありとあらゆる命の営みを飲み込み跡形もなく消し去った。
むき出しになった避難壕の入り口に無機質な走行音を響かせながら帝国軍の装甲車が近づく。あの激しい爆炎の中、傷一つ付けずに最後の仕事を終えようと続々と市庁舎跡に冷たい殺戮兵器が集まってくる。その中の数輌の上部の乗り込み口であろう部分の扉が開き、白の軍服に身を包み、銃を腕に抱えた兵士が続々と出てきた。
一人の兵士の腕を上げる合図と同時に一輌の装甲車の上部に据え付けられた大型銃の銃口が避難壕の重い鉄の扉に向けられる。その腕が振り下ろされようとしたとき、兵士たちの耳に聞きなれない音が遠くから響いた。
ゴオオォォォー
今回の出撃には空中兵器は用意されていなかったため、そのどこからともなく聞こえるジェット機が発するような音に帝国軍の兵士たちは動揺を隠しきれないでいた。兵士たちの防具に内蔵された通信機から帝国本国にある指令室からの通信が入った。
『報告!ワノ国 首都 京都の方角より未確認の超高温物体が高速でこちらに向けて移動中! 距離300……200……100……来ます!』
『総員、備えよ!』
統率者であろう人物の声が装甲車に備え付けられたスピーカーを通してあたりに響く。ジェット音が次第に高音になり、心なしかあたりの空気が震え、大地が振動を始めた。
小さな太陽
帝国軍の兵士たちの目に映っていたものはまさしく空に浮かぶあの大きなエネルギーの塊そのものをギュッと凝縮したような、爆撃の後の殺風景な戦場にもかかわらず、どこかぬくもりを与えてくれるようなそんなものだった。その得体のしれない球体はよく目を凝らしてみるとマグマのように燃え滾る炎が渦を巻いているのだということが見てとれた。
帝国軍の兵士たちの銃を握る手が固くなりその物体が帯びる熱のせいであたりの気温が高くなったせいか汗がにじむ。
炎の塊がその姿を変え、みるみるうちに空想上の生物を形作る。
翼を大きく広げたその威風堂々たる様にその場にいる誰もが息をのんだ。
その大きな炎の生き物が突然、輝き始めたかと思うと避難壕の近くにいた装甲車と兵士たちに向かって飛行しそのすべてを包んだかと思うとそのまま空高く舞い上がり、雄大な空の彼方へと消えていった。そのあまりにも優雅で壮大な飛翔に帝国軍の兵士たちは目を奪われたが、ふと我に返り寸刻前の景色と今自分たちの目の前の景色が大きく変わっていることに気が付いた。
いない……。さっきまでそこにいたはずの装甲車や兵士たちがまるで最初からいなかったかのように目の前から消えていた。まさかさっきの炎の怪物にのまれたときにすべてがあの炎に燃やされその燃残りさえ残さずに消えたというのか……?ありえない。兵士たちはまだしも、あの爆撃の中でさえ傷がつかない帝国が誇る装甲車を、跡形もなく燃えつくすなど考えられなかった。誰もがそんな思いをそれぞれに抱きながら考えを巡らせていると、再び指令室からの通信が入った。
『撤退命令!今の攻撃はおそらく『陰陽寮』の者の攻撃だ。おそらく近くに奴らがいるのだろう。こちらのレーダーにはまだ反応はないが、間違っても交戦しようなどと思うな。すぐに国境を越え本国に帰還せよ!』
外に降りていた兵士たちは我先に装甲車へ乗り込もうと駆け出した。兵士たちが一挙に押し寄せ、俺が先だ、私が先だと小さないざこざがあちこちで起こっているところに一人の兵士の声が響いた。
「あそこにいるのは誰だ!?おい、あそこに誰かいるぞ!」
その兵士が指差す先を近くにいた兵士がさらにまたその周りの兵士が順に見つめては目を細めぼんやりと見える人影を視界にとらえる。
その人影がこちらに向かってゆっくりと歩きながら近づいてくる。その姿をはっきりと識別するのにそれほど時間は要さなかった。
歳は十代後半だろうか、おそらく男であろうその人物は思わず息をのむほどの美しい顔立ちに長い手足。外套を着ているせいかその服装は軍人なのか一般人なのか判別はできなかったが、その姿に兵士たちは男女を問わずみな釘付けになる。だが兵士たちの緊張は解けなかった。ここは戦場だ。ただの若者がこんなところをうろついているわけがない。
その人物が帝国軍の目と鼻の先まで来た。帝国軍を睨み付けながら見回したかと思うと、その人物は一番近くにいた兵士を見ると口を開いた。
「なぜここを襲った?」
声を聴く限り男なのだろう。青年は続けた。
「ワノ国とヴィッセンシャフト帝国は両国の元首による友好条約の締結で領土不可侵の関係にあったはずだ。なぜこんなことをする?」
その美しい顔からは想像し難い迫力のある声であった。兵士が答える。
「そっそんなの俺たちに聞くな!俺だって好きでこんなことしているわけじゃない。ワノ国と友好を結んでからというもの穏やかな日々が続いたかと思えば突然の徴兵、従わなければ帝国に仇なす非国民として俺だけじゃなく、家族まで危険にさらされる。こうするしかなかったんだ。ほかの奴らだってそうさ」
「そうか……通りで戦闘に慣れた様子がないわけだ。悪いが俺はお前たちの事情をきいて情けをかけようなんてことは思わない。俺の姿を見た瞬間に攻撃するべきだったな。同じ戦場に立つものとしてせめてもの餞別だ。痛みも感じないうちに葬ってやろう」
青年が外套を脱ぎ捨てその下から真紅の装いが現れる。と同時に、青年の背後に赤い紋章が浮かび上がり、その目が赤い光を帯びる。そこからはまさに地獄絵図のようであった。赤い閃光が兵士たちの間を走った次の瞬間、いたるところで火柱が上がり、業火がすべてを包み込んだ。
さきほど青年の問いかけに答えた兵士は、青年の紅の装いを見たときどこかでその姿を見たことがあるような既視感を感じていたが、燃え盛る炎に包まれながらようやくその既視感の正体を思い出した。あれはそう、この伏峙山殲滅作戦に送り込まれる前に実施された戦闘経験のない兵士に対する兵器や戦闘に関する講授の場のことであった。
「……以上のように、我が帝国軍は科学の力により様々な兵器の開発に成功し、来るワノ国領侵攻に向けての運用実験も重ねてきた。諸君らには新開発された超合金アーマーを装備した装甲車と殲滅用爆弾――通称・ウォルグ弾――の試験型運用実験も兼ねたワノ国の西、伏峙山での殲滅作戦に参加してもらうことになる。最後に、お前たちに一つ忠告をしておく。我が帝国軍でも手に余るほどの輩がワノ国にも存在する。その組織の名は『陰陽寮』。こやつらはこの世の理では解明できない不思議な力を扱う。科学を是とするわれわれ帝国とは相容れない存在である。諸君らも知ってのとおり先のワノ国と帝国との大戦は強大な軍事力・豊富な資源と豊かな土壌に恵まれたわれわれヴィッセンシャフト帝国とワノ国が友好関係を築くことで終結したとされるが、この背景にはワノ国が持つ『術』と呼ばれる技術を研究し、われわれの軍事兵器に生かすという裏の目的もあった。だが奴らは戦争が終わると同時に陰陽寮を解体し、地方の防衛と称して様々な都市に警備隊として兵を配置し、術の存在は最初からなかったもののように、ひた隠しにした。あれほど戦場で暴れておいてその存在を知らないものの方がおかしかろう。よいか、やつらの使う術については戦場での記録でしかわれわれは把握できていないが、非常に厄介なものであることに変わりはない。表向きは解体したといっても組織の核はまだ国の中枢に根付いておるのだろう。今回の作戦で奴らがまた動き出すやもしれん、その情報をまとめた資料を添付しておいた。各自、しっかりと頭に入れておくように」
そうだ。あの時目を通した資料に載っていた奴らの戦闘装束――それはいくつかのパターンがあり統一性があるわけでもなかったので、一通り目を通すだけにしておいた――の一つにあったものと酷似していた。燃え滾るような真紅の地に黄金の刺繍が入った出で立ち。その資料には「陰陽寮」についての記録も記載されていた。
―陰陽寮について―
陰陽寮とはワノ国独自の国防機関の名称で、それはワノ国元首・帝一族の直属機関である。その活動の記録は国民にも公にはされていないが、ワノ国の軍事行動においては必ずその姿を確認されており、国内の祭事においても非常に大きな力を持っているものと思われる。なお、陰陽寮は陰陽頭を統括とし、「朱雀」「玄武」「双龍」「白虎」の四軍とよばれる大隊と術の使用に特化した者で構成された複数の小隊で構成されており、中でも継承者と呼ばれる兵士はそれぞれがワノ国に伝わる守護神である四神―「鳳凰」「霊亀」「白帝」「青龍・黄龍」の名を冠しており、『術』の中でも特に会得が困難とされる『繋術』と呼ばれる特異な術によりその身に神の力を宿すことで、非常に強大な戦闘力を持つことができる。陰陽寮の各軍の指揮者、又は継承者は過去数百年にわたり繋術の素質に目覚めた者が代替わりで務めている。
意識は現在の状況に戻る。肌を焼かれる痛みはいつしか温かなぬくもりへと変わっていた。これが俺の終着点か。昔誰かが言っていた。人は死ぬと終わらない夢を見るのだと。心地よい安らぎの中で意識を手放す直前、青年の顔が目に入る。なぁ、どうしてお前は泣いているんだ?お前にはまだ未来があるじゃないか。俺が見たいものがあるとすれば、お前みたいなやつがこの世界をどう生きるのかが見てみたいな。
あぁ、なんだか、眠たくなってきた……
荒野と化した伏峙山の地に、一人の青年が佇む。そこに近づく複数の影。そのうちの一人、少し垂れた、吸い込まれるような大きな黒い瞳の少女が真っ先に青年に近づいてくる。青年はそれに気付くや、満面の笑みを浮かべ、両手を広げるが、少女は青年の胸に飛び込むわけでもなく、躊躇することなく青年の脇腹に拳を入れた。
「ちょっと朱!あんた何一人で片付けちゃってんのよ!」
「うっ…、ごめん黄花。でも全部片付けないとまた奴らすぐに仕掛けてくるかもしれないし……。それにっもし黄花が追い付いてきて一緒に戦うなんてことになったらって考えるともう俺、心配で……」
「馬鹿にしないでよ!あたしだってこんな時のために鍛錬はしてきたつもりよ!あんたみたいな貧弱野郎に心配されるほどヤワな女じゃないから!霞姉からも何か言ってやってよ。この顔だけクソ野郎に!」
黄花と呼ばれたその少女は、少女からの激しい罵倒に落ち込む様子を見せる青年を指さしながら近くの別の女性に声をかける。突然声をかけられた霞という女性――歳は二人よりも幾分か上に見えるが、それも彼女が纏うどこか儚げで妖艶な雰囲気のせいかしれない――は一瞬、困ったような素振りを見せたが、すぐに思い出したかのように
「そうだっそんなことよりも早く避難壕の中の人たちを京都に連れ帰らなくちゃ!二人もいつまでもイチャイチャしてないで、早く手伝いなさい」
と言って、すでに避難民の救出が始まっている避難壕のほうに向かって走って行った。
「もうっイチャイチャなんてしてないから!ほら朱もいくよ!」
ぶつぶつ文句を言いながら霞を追っていく黄花の後ろをどこか嬉しそうな様子で朱も駆けていく。
避難壕の前に朱たちが到着したころにはもうすでに大方の避難民たちが地下から解放されていたが、そのほとんどが街の悲惨な変わりように、ただ茫然としていた。彼らが平静を取り戻すまでしばらく待った後、順々に黄花たちが乗ってきた飛空艇に彼らを案内し、自分たちも乗り込んだ。京都までの帰路の途中、黄花が霞に話しかける。
「ねぇ、なんで誰も残らなかったの?朱からの話だと伏峙山に攻撃を仕掛けてきたのは、ろくな戦闘経験もない新兵ばっかりだったんでしょ。だったらまだ後続が仕掛けてくるかもしれないんだから、誰かが残って守りを固めたほうがいいんじゃない?」
「それもそうだけど、急な襲撃だったんだもの。あたしたちだって何もかも万全で準備ができているわけじゃないわ。ここは伏峙山の土地を捨ててでも京都に戻って体制を整えるべきよ。この人たちを助けられただけでも今回の救援の成果は上々よ。情報によればここに帝国軍の増援が近づいてる。今は帝国軍とぶつかるべきではないわ。そこについては晴明様も同じ考えよ。それに伏峙山はその地に眠る鉱山資源なんかを主軸に発展した面も大きいから、彼らにしてみても、あの土地を奪えさえすれば、わたしたちと下手に接触することは避けるはずよ」
「んー難しくてよくわかんないけど、そういうものなの?」
黄花は難しそうな顔をして首をかしげる。その様子を見て朱が口を開く
「黄花、今のすごくかわいい!これから本格的に戦争が始まれば、俺たちも忙しくなるだろうし、そうなる前にちゃんと俺たち付き合うってのはどうかな」
興奮気味に迫る朱を無視して黄花は外の景色に目を向けていた。
「あっ京都が見えてきた!離れるのも久々だったからなんだか懐かしく感じちゃうなー」
発着場に降り立ち飛空艇の外に出る朱たちを迎えたのは、朱よりも少し背が高く雪のように白い髪色で、いかにも人懐っこいような顔をした青年と、涼しげな目元にどこか物憂げな顔をした背の低い少年だった。青年が口を開く
「やっと帰ってきたな!お前たちが出払っている間、こっちはこっちで大変だったんだぞ。帝国から正式な声明が出されたらしい。帝国の侵攻は三日後、再開されるそうだ。まぁ詳しい話はあとで父さんたちからあるだろうからいいとして、明日開かれる御前会議に俺たち継承者も呼ばれているんだ。慣れない遠出にお前たちも疲れただろ?避難者たちのことはほかに任せて今日はゆっくり休んだほうがいい。まぁ俺たちも詳しくは聞いていないんだが、暫くは俺たちの出番もないらしい」
朱は停戦という言葉を聞いてひとまず胸を撫で下ろした。確かに、朱たちに身体的な疲労はそれほどなかったが、精神的な疲労は溜まっていた。朱にも戦闘の経験はないわけではなかったが、荒野と化した伏峙山やこれから大規模に広がっていくであろう戦争にそれぞれ想うところはあったようだ。大人しく今日のところは家に帰ろう、とほかのみんなに続き朱が歩き出そうとしたところで誰かに服の裾を引っ張られ、危うく転びそうになった。なんだ?と振り返ってみると、まだ十歳くらいに見える少女が目に涙を浮かべながら朱の顔を見上げていた。
「どうしたの?」
朱が優しく問いかける。が、少女は何も答えない。朱がその子の扱いに困っていると、先ほどの少年が近づいてきた。
「その子、興さんとこの娘さんだよ。伏峙山の警備隊の。僕、会ったことあるし。確か奥さんは早くに病気で亡くなってて、興さん一人で育ててたはずなんだけど…どうしたの?お父さんは一緒じゃないの?」
少女は首を横に振り、朱の服の裾をにぎる手の力を強める。
そうか……この子の父親はおそらくもうこの世にはいないのだろう。朱はしばらく何も言えなかった。
「どうする?一応伏峙山から避難してきた人たちには宿舎が充てられることになってるけど、誰かに頼んでこの子も連れてってもらおうか」
少年も少女の様子から何かを察したのだろう。少女に遠慮するように小さな声で朱に問いかける。
「いや、こんな小さな子が知らない土地に一人でいるのはかわいそうだし、うちでしばらく面倒見るよ」
「いいの?親を亡くした戦争孤児なんてこれから山ほど出るよ。そんな子たちみんな面倒見てたらキリがない。僕はやめておいたほうがいいと思うけど」
「清司郎、お前はまたそーやって……とにかく、俺が何とかするから」
清司郎と呼ばれた少年は見た目に反して、その実、朱と同じくらいの歳らしい。まだ何か言いたそうな顔をしていたが、はぁ、と小さくため息をついてから分かったよ、と小さくつぶやいた。
「今日はお兄ちゃんの家においで。大丈夫、悪いようにはしないから」
朱は精いっぱいの笑顔を作って少女に手を差し伸べた。すると少女はうん、と小さく頷き、朱の服の裾を握りしめていた手を朱の手に乗せる。
「よしっ、お前、名前はなんていうんだ?」
「千明、興千明。」
「そっか、千明か、いい名前だな。俺は皇朱。好きに呼んでくれていいからな」
いつの間にか周りには誰もいなくなっていた。ついさっきまでそこにいた清士郎の姿ももうなく、その場にいたのは朱と千明の二人だけだった。もう日も暮れ始めている。行こうか、と二人は手をつないだまま、朱の家へと向かった。
その道中でも千明はどこか落ち着かない様子で、きょろきょろと辺りを見回しては驚いたような顔をして、通行人とすれ違う時でさえ朱の後ろに隠れるほどであった。
京都と伏峙山は同じワノ国の都市ではあるが、その間を大さな山脈や河川によって隔てられているため、街並みなど、文化的なちがいも僅かながらあり、それに慣れていないのだろう。
鉱工業が発達していた伏峙山は、工場や労働者とその家族が住む住宅、鉄道が走る線路が特徴的な、いかにも工業都市といったような景色が全体に広がっているが、一方の京都は、中心地は古くからの街並みや自然を保持しながらも、その趣深い景観を邪魔しない程度に最新の科学技術の賜物である装置や機械がその随所に見え隠れしている。少し中心地から逸れれば、レンガやコンクリートで作られた建築物が目立つ地域なども見られる。まさに種々雑多といった感じだ。
そんな地理的な要因もまた千明が緊張から抜け出せない原因の一つなのだろう、と朱は思った。
朱自身は特に小さな子供の扱いに慣れているわけではなかったので、こういう場合にはどういう風に接するのが一番良いのだろうと思案しながらも何とか会話を途絶えさすまいと、千明と他愛もない会話をすることに努めた。
そうこうしているうちに、朱と千明は『皇』の表札が掲げられた大きな屋敷の前についた。そのころにはもう、朱の努力のおかげか千明は幾らか朱に心を開き始めていた。大きな門をくぐると、その中には広大な敷地が広がっており、建物もいくつか並んでいた。
「これ、全部朱のお家なの?」
「うん。びっくりした?うちはちょっと変わった家系だからなー。これくらい広くないといろいろと困ることもあるんだ。建物自体は“寝殿造り“って言って、この国のあるお偉いさんの家の作りがこうなんだけど、父さんがそれを気に入って真似したみたいなんだ。古いつくりだけど、まぁ空調とかはしっかりついてるから、快適に過ごせると思うよ」
「朱の他には誰がいるの?」
「それは、会ってからのお楽しみ!」
朱はどこか楽しげに返事をする。
「そうだ、まず紹介したい奴がいるからちょっとここで待っててくれるか?」
そういって朱は千明を置いて門を入ってすぐのところにある建物の中に入っていった。
皇邸の中は広大な敷地に趣向を凝らした庭や池があり、まさに和を感じさせるものであった。千明がそんな皇邸の中に広がるどこか凛とした雰囲気に気を取られ、あたりを眺めていると、
「ワンッワン!」
と何か白くて大きな毛だらけの生物がどこからか飛び出してきて、急に千明に飛びついた。
突然の出来事に千明は身を強張らせ、そのまま後ろに倒れこんだ。なおもその白い生物は、千明の上に乗っかかったままその尾をしきりに左右に振って、舌を出して千明の顔や首元をなめまわしてくる。
千明は最初はこそばゆく下を向けないでいたが、それにも次第に慣れてきて、自分の上に乗る生物をよく見ようと目を向けると、それはクリッとした瞳の愛らしい生物であることが分かった。その生物は一向に千明の上から移動する気配を見せないので、どうしようかと千明が困っていると、
「おーい乱歩ー!どこにいったのー?」
と朱の声とは違った男の声がこちらに近づいてきた。しばらくそのままでいると、黒の燕尾服に身を包んだ若い男がその姿を見せた。
「あっ乱歩!こんなところに……ってえぇ!?どうしたのその女の子!」
と言ってあわてて千明のもとへ駆け寄ってきた。乱歩と呼ばれたその生物は千明からその男へと関心を移したようで今は男の足元をぐるぐると走り回っている。
「ごめんね、大丈夫だった?怪我とかはない?ああ、服が汚れてる!洗濯したほうがいいかな?」
と男は必要以上に慌てながら、千明を助け起こして千明の服についた汚れを手で払っていると、
「おかしいなー、どこ行ったんだ?」
と言いながら朱が近づいてきた。朱は千明たちを見て
「おっ乱歩、お前ここにいたのか。なんだ、玖波と一緒だったのか。千明、さっそく仲良くなれてよかったな!」
とうれしそうに笑っている。
「ちょっとあっくん、帰ってるなら言ってよ。僕も旦那様も奥様も心配してたんだからね。僕があっくんの代わりに乱歩の散歩に行こうとしたら、急に乱歩が走りだして敷地の中とか探すの大変だったんだから。ところでこちらのお嬢さんはあっくんのお客さん?」
「ああ、千明っていうんだけど、とりあえずしばらくここに置くことになったから、部屋を用意しといてくれるか?事情はあとでみんなにもまとめて話すから」
「うん、わかったよ。僕はこの家の使用人の玖波っていうんだ。よろしくね」
玖波は屈託のない笑みを千明に向けた後、軽い口調の割には丁寧な仕草で朱に一礼をしてから朱が出てきた建物とは別の、奥にある大きな建物のほうに消えていった。
「朱、この白い生き物は何?」
と千明はずっと気になっていた疑問を朱に投げかけた。
「白い生き物って……千明、お前犬を見たことがないのか?」
「犬?犬ってあのモモタロウに出てくる犬?すごいっ私、犬って見るの初めて!」
「そっか、かわいいだろこいつ。乱歩って言うんだ。さっきの玖波もこいつも俺の家族みたいなもんだから仲良くしてやってくれよ」
「うん!」
「よしっ、お前も疲れてるだろうから夕食まで部屋で休んでていいぞ。父さんと母さんはその時に紹介するから」
朱と千明が玖波が消えていった建物に入ると、すぐに玖波がやってきて千明は朱と別れ、広い部屋に案内された。千明が案内された部屋は外装とは異なり、洋風の部屋だった。
「ここが千明ちゃんの部屋だから、好きに使っていいからね。あと何か困ったことがあればすぐに言ってね」
「うん」
もじもじと何か言いたそうにする千明をみて玖波が優しく問いかける。
「どうしたの?」
「あのっその、……ありがとぅ…」
千明は消え入りそうな声で精いっぱいの感謝を示した。そんな千明を見て玖波は照れ臭そうに
「いいよそんな!千明ちゃんをここに連れてきてくれたのはあっくんでしょ?お礼を言うならあっくんに言ってあげて」
と答えた。そんな玖波の優しい人柄に、千明はすぐに心を開けそうな気がした。
それから千明は夕食までの時間を、玖波にいろいろな話を聞いて過ごした。玖波は朱が幼少の頃よりこの家に仕えていること。朱が怒るので敬語は使わないようにしてること。最後に玖波はこれはあっくんには秘密だよ、と言って、朱が実は家では玖波がいないと何もできないような、どこか抜けた性格であることも教えてくれた。千明は端正な見た目からは想像のつかない朱の意外な素顔を見れた気がした。
その後の玖波に連れられて向かった夕食の席には朱と朱の両親の姿があり、事前に朱から事情を聞いているのだろう、千明には何も聞かず、とても優しく接してくれた。さすがは朱の両親なだけあって二人も相当端正な顔立ちをしていた。
夕食の後、すっかり皇の家の人間と打ち解けた様子の千明は娘ができたようでうれしい、と騒ぐ朱音の母―結紀に浴場へと連れられて行った。
その場に残った朱と朱の父―燐は、先ほどとは打って変わって、神妙な面持ちで話し始める。
「朱、初めて実戦に出た気分はどうだった?」
「そりゃ、いいものじゃないよ。この手で人を殺したんだ。今まで俺の力は人を守るための力なんだって思ってきたけど、実際、戦場に立って感じるのは人を殺すことへの罪悪感だけだった。俺がみんなを守りたいって思うのと同じくらい相手にも守りたいものがあるんだろうし、何が正しくて、何が間違っているのかもう俺にはよくわからない。戦場に立つ理由を見失いそうになるんだ。父さんはどうだったの、戦争に参加するとき悩んだりしなかった?何のために自分は戦うんだろうとか…」
「ん?そりゃ俺だって最初は、悩むこともあったさ。でもな、親父…、お前のじいちゃんから言われたんだ。『くだらないことでくよくよ悩んでいる暇があったら戦え、一人でも多く相手を殺せ。戦う理由はいつか見えてくるもんだ』ってな。それからはもう自分の守りたいもののために戦うだけだったからな。そのおかげで結紀とも出会えたし、お前も生まれた。戦場に立ってよかったって思えたよ」
「なんだよそれ、父さん俺には何にもいってくれなかったじゃんか」
「うるせぇ、俺はなんでも子供の自主性に任せる主義の男なんだよ。それにお前は俺より戦いに向いてるよ」
「どの辺が?まだ繋術の扱い方も父さんには及ばないし……」
「お前、術を使ったとき、自分が人を殺してるって感じたんだろ?俺が初めて戦場で術を使って戦ったとき、そうは感じなかった。いや、感じないようにしてたのかもしれない。こいつらを殺しているのは俺じゃなくてこの炎なんだってな。つまるところ、俺は戦場に身を置きながら、その実、正々堂々とそいつに向き合ってなかったんだよ。いいか、お前が初めて戦場に立った時のその気持ちを忘れるな。お前がその気持ちを忘れたとき、自分の命も、大事な人たちの命も一緒に失うことになる。たとえ自分が燃え尽きて灰になったとしても戦え。それがお前の使命だ」
「なんだ、父さんもたまにはかっこいいこと言うんだ」
「まぁお前が早く黄花ちゃんと結ばれて、孫の顔でも見せてくれたら俺はもっとうれしいんだけどな」
「それはまぁ、時間の問題だよ」
「本当か?まぁ気長に待ってるよ。それよりお前も聞いているだろうが、明日の御前会議、お前たちも呼ばれているからな。寝坊するなよ」
燐は朱の肩をポンッとたたくと、部屋を出て行った。
千明のことは母さんに任せて自分も、と朱は燐に続いて部屋を出た。
朱がシャワーを終え、自室に戻り蒲団に身を投げると、その日はいつもに比べて早く眠りにつくことができた。
暖かい朝の日差しの中、皇邸に玖波の声が響く。
「あっくん、あっくん起きて!朝だよ。もう旦那様出ちゃったよ。今日は遅れちゃまずいんでしょ」
玖波は朱の体を揺するが、朱は一向に起き上る気配を見せない。しばらく声をかけながら揺すっていると、朱が蒲団の中から顔だけを出した。
「あっくん、もう起きないと間に合わないよ」
「やだ、まだ寝てたい」
「またそんなこと言って。わがまま言って後で困るのは、あっくんだよ」
「いいよじゃあ、俺が怒られるから。もう俺のことはほっといて」
「ふーんほんとにいいんだ?じゃあ、あっくんのこと迎えに来てくれた黄花ちゃんにも先に行ってって伝えとくね」
「すぐ準備するから服用意して」
「はいはい。そうだ、千明ちゃんすっかり乱歩と仲良くなっちゃって、今日もこのあと乱歩の散歩ついでにこの辺案内してくるね」
「うんありがとう。でも玖波に任せるのも不安だな……」
「失礼な、僕だってちょっとだけ失敗することはあってもそれくらいのことなら一人でもできます!」
玖波はえっへん、と胸を張った。
「ちょっとなあ。まぁ、頼んだよ」
朱は大急ぎで支度を済ませるとすぐに門へと向かった。
門は大きく開いており、その脇に朱がこの世で最も愛おしく想う存在がいた。近づいてみると遠くからは見えなかったが、その隣にはいつにも増して気だるげな清士郎の姿もあった。
「なんだ、清士郎もいたのか」
「そりゃ僕たち双子なんだし、しょうがないだろ。親にもなるべくこういう時は一緒に行動しろって言われるんだよ」
「黄花といつも一緒!?羨ましい……」
「ちょっと、何二人で話してんのよ!それより朱、あんたねぇ、十六にもなって玖波ちゃんに起こしてもらわないと起きられないわけ?言っとくけど、あたしがここに寄ったのだって玖波ちゃんにあんたが起きられないと困るからって頼まれて来たんだからね。あんたのためじゃなくて玖波ちゃんのためよ」
「でも黄花、今日いつもより長めに身だしなみ整えるのに時間かけてたよね」
「ちょっと清士郎、何言ってんのよ!別にいつもと同じだから!」
頬を紅潮させながら黄花はそれを否定する。
「ヤバい……、俺生まれてきてよかった」
「もういくよ…ただでさえ朱が遅かったせいで僕ら遅れちゃいそうなんだから」
騒ぐ二人を余所に清士郎はスタスタと歩いていく。
「あっちょっと待ってよー」
その後ろを黄花、朱が追いかけていく。
京都市庁舎に向けて歩いている途中、清司郎はずっと気になっていたことを朱に聞いた。
「そういえば……、昨日のあの子どうなったの?」
「なによ、昨日の子って」
「おい清司郎、誤解を招くような言い方するな、俺が浮気してるんじゃないかって黄花が勘違いするだろ。」
「付き合ってるみたいな言い方しないでくれる?あたし、あんたがどこの誰と付き合おうと、どうでもいいから」
「怒るなって、昨日のあれで警備隊のお父さんを亡くしちゃった女の子を家で引き取ったんだよ。興千明ちゃんっていうんだけど」
「千明ちゃんならあたし知ってるわよ。ちょっと遊んであげたこともあるし。あたしのこと覚えてくれてるかな?朱の家にいるなら今度、遊びに行ってもいい?そういう事情ならあたしも協力したいし」
「本当に!?聞いたか清司郎、黄花がうちに来たいって」
「あんたに会いに行くわけじゃないから」
「着いたよ、二人とも」
すっかり冷めた様子で清司郎は呟いた。
「それよりやっぱり清司郎もなんだかんだ気になってたんだな、興味ない感じだったのに。お前ら姉弟そろって素直じゃないんだから」
市庁舎の入り口を通りながら朱が清司郎の顔を覗き込む。
「別に、ちょっと気になっただけだから聞いただけだし」
と清司郎は不愛想に言いながらも、その顔は黄花が照れている時のように頬が赤く染まっていた。やっぱり姉弟なんだな、と朱は改めて思ったが今度は口に出さず、胸の中にしまっておいた。
市庁舎の中は様々な人でごった返していた。戦争が始まることを聞きつけた市民たちがことの詳細を聞きに押し寄せているのだろう、受付の前では中の職員に向かって怒鳴りつけているような者もいた。そんな喧騒を横目に朱たちは市庁舎の奥に向かう。
朱達が一番奥の部屋の前に着くと、そこには重厚な扉があり、その表面には繊細な彫刻が施されている。左右には衛兵が立っており、朱たちは軽く彼らに会釈をして、その奥に広がる部屋へと足を進める。
そこには外の世界とは隔絶されたような、不思議な空気が漂った空間が広がっていた。
「いつきても、ここの空気には慣れないわね。さっ、さっさと飛ばしてもらいましょ」
三人は部屋の中央で妖しい光を放つ魔法陣の中に入る。すると魔法陣は急にその輝きを増し、光が三人を包み込む。その輝きが落ち着き、元の明るさが部屋に戻ったころ、その場には魔法陣だけが残り、三人の姿はなくなっていた。
『御前会議』
ワノ国の政策、軍事行動について帝の意思の下にその方針を固める国の最高意思決定機関であり、その構成員には陰陽頭・安倍晴明を筆頭に朱雀、玄武、白虎、双龍の各軍の軍長が名を連ねており、稀にそれ以外の者が会議に呼ばれることもあるが基本はその五名によって会議は進行される。御前会議が開かれる場所は御所と呼ばれる帝が住まう土地の城の中であり、それがこの会議が御前会議と呼ばれる所以にもなっている。なお、御所の正確な場所は秘匿中の秘匿であり、それを知るのは現在、安倍晴明のみである。
朱たちが目を開くと、目の前には大きな橋が架けられており、その先には周りを堀に囲まれた、大きな天守閣を持つ壮大な城が鎮座していた。橋を渡りながら三人は会話を続ける。
「本当、すごいわよね。晴明様の術って。飛空艇なんかで戦場まで行くのが馬鹿らしくなっちゃう。昨日もちゃちゃっと飛ばしてくれたらどっかの馬鹿に先を越されることもなかったのに」
「黄花、まだそのこと根に持ってたのかよ。もう許してくれてもいいだろ」
「しつこい性格の女は嫌われちゃうよ」
「いや、黄花は俺が嫁にもらってやるから大丈夫だ、安心しろ。いや、でも黄花に変な男が寄ってこないようにするためにはむしろ今の性格のままの方が…」
ぶつぶつと独り言をいう朱を余所に、黄花はもう反論するのも面倒くさいようで黙ったままで城を目指す。
三人が城門前に着くと大きな城門がひとりでに開いていく。三人は慣れた様子で城に入り、ある部屋の前にたどり着いた。朱が口を開く
「皇朱、竜ヶ峰清司郎、黄花、ただいま到着しました」
襖が左右に開かれた。そこには円卓が置かれておりその周りに置かれた十の席のうち既に六席が埋まっていた。皆、朱たちにとってはみなれた顔である。
「おうお前たち、やっと来たか。黄花ちゃん、清司郎、朝からうちの息子が迷惑かけて悪いな」
よく言うよ、自分は俺を放って先に出たくせに、と朱は燐に文句を垂れそうになったがやめておいた。
「あら、いいじゃない。朱君にはうちの黄花がいつもお世話になってるんだし、お互い様よ。それに私は、はやく朱君に黄花のこともらっていって欲しいなって思ってるんだから」
「ちょっとママ、何勝手なこと言ってんのよ」
「あら、私は照れ屋さんな黄花の代わりに言ってあげてるのよ。それに黄花もそうやっていつまでもツンツンしてたら、そのうち朱君も愛想尽かして、ほかの女の子のところに行っちゃうわよ。朱君こーんなにハンサムなんだから」
黄花と清司郎の母―静華は、ねぇ霞ちゃん、と自分の向かいの席に座る霞に同調を求める。
「えっまぁそう…ですね。大貴はどう思う?」
返事に困った霞は自分の奥に座っている、昨日飛空艇発着場で朱たちを迎えた白髪の青年に話を振る。
「えっ、俺に聞くなよ…。まぁいいんじゃないか今のままで。それより、晴明様はどうせ遅れてくるだろうから先に、今の状況について聞いときたいんだけど」
「そうだな、時間は無駄にしないほうがいい。それについては僕のほうから説明させてもらうよ」
霞の父―正宗はそう言うと立ち上がって説明を始めた。
「まず昨日のことだが、皆も知ってのとおり、伏峙山は帝国軍、とはいっても急場で集められた新兵ばかりだったそうだが、奴らの急な襲撃によって甚大な被害を受け、我々は帝国軍の先兵の撃退に成功するものの、今はこちらの体制を整えるべきとの晴明様の判断から帝国軍との衝突を避けるため、生き残った伏峙山市民を救出後、霞たちには京都へ帰還してもらった。その後すぐ帝国軍の第二陣が伏峙山に到着。奴らはそこに陣営を張って現在もそこに留まっている。奴らの狙いは恐らく、帝国の近年稀にみるほどの国民増加に伴う資源不足を解消するための急を要する領土拡大だろう。だから資源が豊富なワノ国がまず狙われた。ここからは昨日、帝国が正式に発表した声明の話だが、簡単に要約すると『我々は正式にワノ国との友好条約を破棄し、伏峙山のみならず、ワノ国の他の領土にも侵攻するつもりだ』って感じだね。そして帝国がこちら側に要求してきたものは、ワノ国側の全面降伏。武力行使までの猶予は三日だそうだ。そこで、ぼくたちワノ国を守護する陰陽寮としてのやるべきことは二つに絞られるわけだ。一つは、『奪われた伏峙山の奪還』そしてもう一つが『帝国軍の侵攻からのワノ国の防衛』の二つなわけなんだが、問題は帝国軍が次にどこを狙ってくるかってことなんだけど…」
「はいはーい、詳しい状況説明ありがとう、正宗ちゃん。ほな、こっからはボクのほうからいろいろと言わせてもらおかな」
突然、円卓の中央に束帯を身にまとった、若く切れ長の目をした男が現れる。突然の出来事に朱は腰を抜かして椅子から滑り落ちてしまった。
「いったー、びっくりするじゃないですか晴明様。もっと普通に登場してください!」
朱は涙目のまま晴明に抗議する。
「ほんと情けない。こんな男、願い下げだわ」
朱は黄花の冷めた視線を感じ、慌てて立ち上がり、何事もなかったかのように改めて椅子に深く腰掛ける。
「晴明様、続きを」
朱はなおも平静を装う。
「いやー朱ちゃんごめんごめん。ほら、せっかくやから派手に登場したほうが盛り上がるかなーと思って」
「ったく、今はふざけている場合じゃないんですよ。ところで、次の帝国の侵攻予定地は分かったんですか?」
一人ではしゃぐ声明を正宗が窘め、話を促す。
「そのことなんやけど、ボクお手製の式神飛ばして、いろいろ探らせよーと思ってんけど、あかんわ。連絡も途絶えて帰ってもこーへん。こりゃ向こうにも相当な手練れがおるな。ボクらがいるのわかってて戦仕掛けてきたんも納得やわ。てなわけで帝国軍の次の侵攻予定地の特定は失敗。そこで代わりにと言っちゃなんやけど、ボクに考えがあります!」
その場にいた全員の目が晴明を見つめる。
「君らには、帝国への回答を迫られている三日後までに前回の戦争時と同じくらいの陰陽寮の組織体系を取り戻してもらいまーす!いうなればワノ国が誇る最強の自衛軍、陰陽寮の完全復活ってゆーわけやな!」
晴明は身振り手振りを加えながら、どこか楽しげな様子で今後の展望を示した。それを各々が真剣な面持ちで聞き、考え込む様子を見せる。まず口を開いたのは霞だった
「少しよろしいでしょうか、晴明様。前の大戦に陰陽寮の兵として参加した人たちは、警備隊としてワノ国全土に散らばった者もいれば、民間人に戻って今は平穏な暮らしを送っている者もいます。晴明様のおっしゃることは、そのような者たちも改めて戦線に加え直すということですよね。私としては、現警備隊のものたちは良しとして、民間人まで戦争に巻き込むのには気が引けます」
霞が強く芯の通った口調で晴明に異を唱えた。その意見には朱たち若い世代は皆が同調するような素振りを見せた。ふぅ、と大きく息を吐いてから晴明は先ほどまでの飄々とした態度を一変させ、重々しい雰囲気を纏い、霞に向けて――朱達に向けて――諭した。
「霞ちゃん。言っとくけど、そりゃボクかてほんまは血を見るんも血を流すんもきらいや。せやけどこれは遊びやない。やらな、やられる。それが戦争ゆーもんや。使えるもんは使って、被害や犠牲は最小限にとどめなあかん。ボクらは自分の命欲しさに逃げるような弱さは持ち合わせてへん。あるんは自分の命を危険にさらしてでも守るべきものを守る強さだけや。一度でも、陰陽寮の兵として戦地に立った者にはそれがわかるはずや」
霞達にはそれ以上言い返す言葉が見つからない。
「まー、そーはゆーても僕も鬼やあらへん。もちろん拒否する選択肢もあげるつもりやで」
と晴明は再びさっきまでの調子を取り戻して続けた。
霞は分かりました、と一言だけ返した。
「若い子らは納得してくれたみたいやけど、そちらさん方はどーお?」
晴明は大人たちのほうに体を向け、意見を求める。
「こーゆーときは君に聞いたほうがいいと思うねんけど、恭ちゃん、何か言いたいことは?」
それまでずっと何も言葉を発さずに涼しい顔で座っていた大貴の父―恭哉に晴明は話を振る。恭哉は大貴と同じ、見惚れるほど白い髪をもち、大貴に似たスッと通った鼻筋に全てを見通したような鋭い目をしている。そんな恭哉が重い口を開き言い切った。
「我々はワノ国の元首である帝様の鉾となり盾となる陰陽寮。その統括であるあなたが所望するのなら我々はその通りにあるべきなのでしょう」
そんな父の凛々しい姿に大貴は羨望の眼差しを向ける。朱もそんな恭哉の姿を見て、自分の父も、とその方を見たが、当の燐は目を閉じて熟考するふりをして完全に眠っていた。朱は幻滅しそうになったが、緊張感のある場でも動じず、自分を貫く燐の振る舞いをかっこいいと以前、黄花が言っていたのを思い出して、その姿にこういう大人もありだな、と自分の中で半ば無理やりに納得させた。
朱が燐を真似して自分も目を閉じていると、
「ちょっと、なにあんたこんな大事な話してんのに寝てんのよ!」
バシッと思い切り黄花が朱の背中をたたく。
「いたっ、寝てないよ!ちょっと考え事してただけで……」
「絶対寝てたでしょ、ちょっとは燐さん見習いなさいよ。考え事っていうのはああいう風なことを言うのよ」
と言って黄花は燐の方を指さす。当の燐はいま目が覚めたようで頭をかきながら会議がどうなったのかを隣の静華に教えてもらっている。つくづく不公平な世の中だなと朱は思った。
「ほんなら、今日の御前会議はこれにて終了ってことで。引き続きダメ元でも僕の方で情報収集は続けてみるから、三日後の朝、最終的な作戦会議を戻ってきてくれた人も含めてもう一度開こうと思うから、その時までにいろいろと準備はよろしゅう頼むわ。あっ若い五人はちょっと頼みたいことあるからここに残ってな。ほなおじさんたちは帰った帰った」
と燐をはじめとした大人たちは皆、晴明に部屋から出された。
燐たちはしょうがなく城から出て、橋を渡っていた。
まず燐が口を開く。
「なあ、あいつらだけ残して晴明サンはなに企んでんだ?」
「そりゃ、これから始まる戦争に向けての意思確認?みたいなものでしょ。ほら、私たちだって前回の帝国との戦争のときにしたじゃない」
「いや、僕はきっと帝様のことだと思うけどな。ほら、今回の戦争には反対されているみたいだし。晴明様も手を焼いているのだろう。かといって、帝様のお気持ちを無碍にするわけにもいかないし、僕たちよりも霞たちに任せるのが適任だと判断なされてのことだろう。あの子たちは仲がいいから。それより見たか?さっきの堂々とした霞の姿。あんなに綺麗に育ってくれた上に、他人にまで気を配る思いやりの深さ!きっとお母さんに似て素敵な女性になるんだろうな……」
うんうん、と感慨深げに頷く正宗の頭を燐がなに一人で言ってんだ、と一発頭をはたいてから話を恭哉に振る。
「恭哉はどう思うよ?」
「……大方、晴明様の行動については正宗の言うとおりだろうが、俺にも一つ気になることがある」
「帝国の妙に強気な態度ね?」
「ああ、確かに帝国軍の兵器を駆使した戦法には先の戦でも手を焼いた。だが、終局が近づくにつれ総合的な戦力で我らのほうが明らかに上回っていたはずだ。それでもなお、我らに再びその切っ先を向ける意図が読めん」
「それについては俺も同意見だなー。前帝の急死で予期せぬ代替わりはあったとはいえ、それだけで向こうが戦争を仕掛ける動機になるとは思えねぇ。晴明サンお得意の密偵式神があっさりやられたのも気になる。こりゃ、俺らも本腰入れねえとやばいかもな」
「とはいえ、今はもうあの子たちの時代よ。私たちはそれぞれの軍の指揮に徹して、あの子たちの、この国の行く末を見届けるべきだわ」
「かーっ。やっぱ『双竜の巫女』は、言うことが違うな。なんだかんだ俺たちの代で、一番強かったのは静華だったしな」
「やめてよ、その呼び方。それに戦場ではいつも雑兵は私と正宗に押し付けて、燐と恭哉は二人して敵の指揮官のところへ飛び出していって。晴明様にも褒められてたのは、いつも二人ばっかり。あたしももっと強い人たちと戦ってみたかったのに」
「懐かしいなーその話。僕は二人がすぐ敵の大将の首とって、こっちには静華さんがいてくれたし、心強いことこの上なかったけどなー」
「あーあ、こんな話してるから、また戦場に立ってみたいって思っちゃったじゃない」
「俺たちが息子たちと戦場に立つこともそう遠くない未来にあるかもしれないぞ」
「おっ恭哉が冗談言うなんて珍しいな。こりゃ、帝国のミサイル弾でも落ちてくるんじゃないか?」
「不吉なことを言うな。それに、私は冗談を言った覚えはない」
若いころの戦いに明け暮れた高揚感を思い出しながら咲く昔話に、燐たちの笑い声は橋の下の水面に溶け込んでいった。
時は少し遡り、場所は御前会議が開かれた部屋に戻る。
「晴明様、俺たちに頼みたいことって?」
大貴が晴明に尋ねる。
「そりゃもちろん、戦争は嫌やって愚図ってる帝ちゃんの説得なんやけど、その前に、君らにボクからプレゼントがあるねん。ほら、継承式の時にはなんもあげれへんかったやろ?やから遅なったけどこれあげよと思って」
そういって晴明が袖口に手を入れ、取り出したのは五つのペンダントだった。それぞれのペンダントの鎖の先で赤、黄、青、黒、白の宝石が輝いている。それを晴明は一人ずつに配った。
「戦場に出るときには、これを肌身離さず身に着けておくようにな。今年は君らの親がもらった耳飾り(ピアス)と違ってどこに着けるかは君ら次第やから、センスが問われんでー。あっちなみに分かってると思うけど、自分のと誰かの交換したりせーへんようにしてや。なっ朱ちゃん」
まさに今、黄花と自分のものを交換すれば、恋人のような気分を味わえるのではないかと考えていた朱は、晴明にその心を見透かされたようで驚き、はひっ?と素っ頓狂な声を上げてしまった。隣から軽蔑の視線を感じるが、堪えて返事をする。
「そっそんなこと考えてませんよ。当たり前じゃないですか」
「そーお?なんや朱ちゃんニヤニヤしてたから、てっきりボク、朱ちゃんが黄花ちゃんと交換しようとか思ってるんちゃうかなーとか勘繰ってしもたやんか」
「ははは、やだなー晴明様」
朱は頭をかきながら、言い当てられた気恥ずかしさを誤魔化した。
「そんなことより早く帝様のところに行った方がいいと思うんですけど…」
一刻も早く帝の説得を終わらせて家に帰りたいのだろう。清司郎がボソッと呟く。
「そやな清ちゃんの言う通りや。ほないこか」
晴明を含む六人は部屋を出て城の上階を目指す。
朱達が一際豪華な内装が施された階に着くと、そこには様々な子供の遊び道具が散らばっており、秩序のない空間が広がっていた。
「あれ、おかしいな。ここにおる思てんけど」
晴明が部屋の真ん中に進んでいく。
すると突然、部屋の隅から小さな影が飛び出しそのまま晴明に向かって後ろから突撃した。
それは見事に晴明の背中に直撃し晴明は前のめりに倒れこんだ。
「やったぞ!ついに小うるさいキツネジジイを余が倒したぞ!」
小さな影は倒れこむ晴明の横で小躍りしている。
「こらっ、元晴。だめだろそんなことしちゃ」
朱が小さな少年を抱え上げる。
「むっ?朱か!おおっ、お前たちも来てくれたのか!余はうれしいぞ。さて、何をして遊ぶ?今日はお前たちが決めてよいぞ」
元晴は毬をどこからか持ち出してきて、朱達の前で目を輝かせながら騒いでいる。倒れていた晴明が腰をさすりながら起き上る。
「イタタタター、もお、ひどいなあ急にどついてくるやなんて。それよりなんやジジイってぼくかてまだお肌はピッチピチやねんで」
「うるさいっ目細ジジイ。またお前は戦の話をしに来たのだろう。余は認めんぞ。人の命を奪い合うだけの戦など、あってはならん!おまえたち、余と城下に遊びに行こうぞ」
と朱たちの手を引いて外に連れ出そうとする。だが、予想とは違い、動かない朱たちに元晴は訝しげな目を向ける。
「どうした?お前たち」
朱は真剣な眼差しで元晴を見つめる。
「元晴。今日俺たちがここに来たのはお前と遊ぶためじゃない。お前を説得しに来たんだ」
元晴は下を向き黙り込む。朱は続けた。
「元晴。確かにお前が戦争に反対する気持ちもわかる。でも、この国を守るためには俺たちが戦うのが一番なんだ。大丈夫。俺たちがこの国に手は出させない。だからお前も…」
「うるさい!お前たちまでそんなことを言うとは思うてなかった。朱、余は失望したぞ。国を守る?国とはなんだ、この土地のことか?違うであろう。ワノ国を作るのは国民であり、ヒトの力だ!ならばこんな土地なぞ帝国の奴らにいくらでもくれてやる。余はこの国の民とともにどこか別の、他国との面倒な争いにも巻き込まれない土地へと移る。異論は認めん!」
朱達は何も言い返すことができなかった。
「出て行け、お前たちなどもう顔も見とうない!」
元晴はその辺にある玩具などを手当たり次第に掴んでは朱達の方へ投げつけ、半ば無理やり朱達を下の階へと追いやった。
「いやー、朱ちゃん達でも無理となると、こりゃ厳しいかもしれんなー。君ら今日は帰っていいわ。でも、必ず三日後までに帝ちゃんを説得すること。頼むで、ほな今日は皆帰って良し!」
朱達は城を出て、橋の上を歩いていた。中腹まで行ったところで大貴がまず口を開く
「でもよー、帝様の言うことも一理あるよな。確かに戦いを避ける道も俺たちにはあるのかもしれないぞ」
「そうだけど……。今、実質この国の実権を握っているのは晴明様だし。私たちは、その命令に従うだけ。私たちは深くは考えない方がいいんじゃない?。時間もないんだし、どうすれば帝様が納得してもらえるのかを考えましょ」
「てゆーか何よあの態度、まだこーんな小っさい子どものくせして。親が亡くなってめそめそしているかとも思えば、融通の利かない大人みたいなこと言っちゃって」
「黄花、そんな言い方はよくないよ。元晴だって――」
「うるっさい、朱の言いたいことはわかってる。ただ…戦うことでしか活路を見いだせない自分にちょっとむかついただけよ」
「黄花……」
「あんな小さな体なのに帝様が背負ってるものはこの国の全部なんだよ?あたしだったらどうにもできなくてパンクしちゃいそう」
黄花の目の周りは泣き晴らした後のように少し赤みがかっていた。
「それと朱、ずっと言おうと思ってたんだけど、もうあの子は帝様なのよ。名前で呼ぶのやめなさいよ」
「それは仕方ないだろ、もう慣れちゃってるんだし。それにあいつ苗字も帝なんだからどっちで呼んでも変わらないよ」
「そういう問題じゃないの!もういい、それより本当になにかうまく説得できる方法ないのかな…」
「もう帝様のこと無視しちゃえばいいんじゃない?あの様子じゃしばらくは言うこと聞かなそうだし……」
「ダメよ、清司郎。晴明様は私たちに必ず説得するようにって言っておられたでしょう。明日もう一度みんなで来ましょう。私たちが誠意を見せればきっと帝様もわかってくださるわ」
「そうだな、まだ三日ある。それよりお前たち、しっかり準備しとけよ。直に戦争が始まる」
「ああ、とゆーわけで黄花!今日うちに泊まりに来ないか?黄花がいつ来てもいいようにこの前、玖波に黄花専用の部屋を作らせたんだ」
「あんたよくこの流れでそんな話できるわね!馬鹿じゃないの、行くわけないでしょ」
そういう黄花の頬は紅潮している。
五人は来た時のように魔法陣によって市庁舎に戻り、明日またここに集まる約束をして別れた。
朱は市庁舎で霞、大貴と別れた後、途中まで黄花、清司郎と共に帰り、その二人とも別れた後、一人で家までの道を歩いていた。先ほど晴明からもらったペンダントを見て朱は継承式の日を思い出していた。
その日の朝も朱は玖波に起こされたが、いつものように二度寝をしようと蒲団にくるまっていると、燐に叩き起こされて渋々顔を洗っていた。鏡に映る自分の姿を見つめる。
生まれてすぐ継承者としての素質を見出された朱は、一人っ子ということもあり、それからは皇家の次期当主として大切に育てられた。一般教養に戦闘訓練、そして継承者として最も必要とされる繋術の訓練。そんなことが繰り返されるだけの乾いた日々に潤いを与えてくれたのは、ともに四家の次期当主として訓練を受ける黄花たち四人であった。
その中でも黄花の存在は朱にとって殊更、重要なものであった。朱と黄花と清司郎は歳が同じで、行動を共にする機会が五人の中でも特に多かった。そんな巡り合わせもあり、朱が黄花に思いを寄せるのはごく自然なことでもあった。
朱は毎日のように黄花に交際を申し込んでいたが、黄花はいつもそれを拒絶し、朱の恋が実ることはなかった。そんな中黄花にこっぴどく振られて落ち込む朱に清司郎が一度だけ、なぜ黄花がいつも朱のことを拒むのかを教えてくれたことがあった。
黄花と清司郎は竜ヶ峰の家に双子として生を受け、二人が同時に継承者としての素質を示したことから二人ともが竜ヶ峰の次期当主として育てられた。竜ヶ峰の家は代々双子が生まれ、その二人共が当主となるのは伝統であったのだが、静華の代にその伝統は途絶えてしまい、黄花と清司郎の代では二人が家を継ぐのか、それともそのどちらか一方のみが継ぐのか、周囲も困惑していた。そんな中、二人のどちらかを竜ヶ峰の当主にのし上げようと近づく者たちもおり、一時は人間不信になりかけたこともあったが、二人に相手を蹴落としてでも自分が当主になろうという気持ちは一切なく、あるのは周りに頼ることなく二人の力で助け合って生きていこうという気持ちだけであった。
そんな中出会ったのが朱達、同じ継承者候補だった。二人にとって朱達は家族同然の存在となり、決して失い難いものとなる。だが彼らはみな軍人となることを約束された人間であったので、いつ次の戦争がはじまり戦場に送り込まれるかはわからない。へたに今以上の関係を求めてしまえば後に残るものは後悔だけだ。だから黄花は朱の想いに応えようとはしないのではないのか。まあ、あくまで僕の予想だけどね。と最後に清司郎は付け加えた。
清司郎は予想だといったが、もし本当に黄花がそのような思いでいるのならば、自分は人一倍強くなることで黄花を守れるような強い男になろうと朱が決意できるきっかけとなった。
そして迎えた継承式の日である。朱はとうの昔に神獣との契約を済ませ、いつか継承者となることは以前から決まっていたことなのでこれといって緊張することもなかったが、結紀や玖波が妙に張り切っていたのが、朱には少し気恥ずかしかった。
朱と燐が御所に到着するとそこにはすでに他の家の当主とその子供たちが正装を纏って待機していた。
「遅いじゃないか、燐。僕たちの準備はもう終わっているから、ほら早く朱君の身だしなみを整えてあげて」
「相変わらず世話焼きな男だな、正宗。このまんまでいいよ、うちの息子は俺に似て見た目だけはいいからな」
そういって燐は朱を、先に座っていた黄花の横に促すと、朱はそこに座って、式が始まるのを静かに待った。そこに晴明がいつもより少し派手な格好をして現れる。
「みんなそろってるみたいやね。ほんならさっそく継承式の方はじめよか。じゃあ帝ちゃん、よろしく」
御簾にさえぎられてその姿は見えなかったが奥に帝がいるのだろう、かろうじてその声だけは聞き取ることができた。
「うむ。朱雀を統べる皇、玄武を統べる亀道、白虎を統べる寅宮、双龍を統べる竜ヶ峰。お前たちはそれぞれの家より選ばれし者としてこの場にいるわけだが、先の大戦以降、戦が起こりそうな気配もないからのう、まあそれほど気を張ることもあるまい。では、この場を持って前継承者はその任を終え、次の世代へとその任を引き継ぐものとする。引き続き前継承者には四家の当主として有事の際には軍を率いてもらうことになるが、みな全てはワノ国の為に、頼んだぞ」
「「はいっ」」
朱達の声が重なる。
「では、余はこれで」
帝が部屋から退出する。それを見送ったのち、晴明が皆に声をかける。
「いやー何回やっても継承式は緊張するなー。帝ちゃんも言ってたけどしばらく戦争は起こらへんやろうし、それほど気負うこともないで。ほなボクもこれで、バイバーイ」
意外とあっさりと終わったせいか、継承式が終わってからも朱にはこれといった実感は湧かず、こんなことで浮足立っていても仕方がないと改めて気を引き締めなおして自身の鍛錬に努めた。
そして今、朱はいよいよ戦争が始まるという局面に立っている。しかもその直前に元晴の言葉によって表には出さないものの、戦場に立つ理由さえもその根底から崩されそうになっていた。
「だめだなぁ、俺は。霞姉たちみたいにもっとしっかりしないと……」
ペンダントをギュッと握りしめ、沈みゆく夕日の中、朱は家路を急いだ。
次の日の朝、朱は珍しく早朝に目が覚めてしまい、いつものように二度寝をする気にもなれなかったので手持無沙汰に庭を散歩していると、千明と乱歩が遊んでいるのが目に入った。
「おはよう千明。こんな早くから乱歩と遊んでやっているのか?」
「朱、おはよう。うん。なんかあまり眠れなくて、気付いたら外に出てて、よく覚えてないんだけど私、何か考え事でもしてたのかな?そこに乱歩が駆け寄ってきたから」
「ははっ、すっかりこいつお前の匂いを覚えやがったんだな」
「匂い?私そんな変な匂いしてる?」
「いや、そういうことじゃなくて。犬は人間の何万倍も鼻がいいらしいからな。お前の匂いが風で運ばれて庭にいるのが分かったんだろ。まあ、こいつは玖波に似ておっちょこちょいだから、その嗅覚が役に立つことはあんまりないけどな」
「へー、すごいんだね乱歩は。それより朱はどうしたの?玖波さんが、自分が起こさないと朱は起きないって言ってたのに」
「玖波の奴、そんなことまで教えなくていいのに…。まあ、俺も千明と同じで考え事かな。実は知り合いにお前と同じくらいの歳の子がいて、その子が帝国との戦争に反対しているんだよ。お前ももう知ってると思うけど、俺も父さんも軍人なんだよ。この国を守りたいし、誰も傷つけたくない。けどそのために戦うことが全てじゃないんじゃないかってその子に言われてな。俺の中でも踏ん切りがつかなくなっているんだ。今日もその子に会いに行くことになってるんだけど、俺は帝国と戦うべきだって自信を持ってその子に言えないかもしれない」
「うーん難しい話だね。私は朱の優しさも燐さんの優しさも知っているから、朱達がすることはきっと良いことなんだって思うけど…」
千明が少し言い淀む。そのとき、そうだ、と朱の中に一つの考えが浮かんだ。
「千明、お前も今日その子のところについてきてくれないか?」
「えっ私が?別にいいけど…どうして私なの?」
「いや、ちょっと昔を思い出してな。やっぱり子供の話を聞くのは子供が一番だしな!」
「朱の言ってることはよく分かんないけど、朱の役に立てるなら私は行くよ」
朱は自分が幼いころ、自分のことを理解してくれていた黄花達のことを思い出していた。
元晴は父親を失ったばかりで、それは千明も同じだ。千明を利用するような気もして、あまり気が進まなかった部分もあったが、これが今できる最善の方法かもしれないと朱は思ったので、朝ご飯を千明と食べた後、一緒に市庁舎まで向かった。
朱達が市庁舎に着くとそこにはすでに大貴と霞の姿があった。
「あら、珍しいわね朱がこんなに早く来るなんて」
「黄花と清司郎は一緒じゃないのか?」
「うん。今日は早くに目が覚めちゃって。え、黄花達俺を迎えに行くって言ってたの?」
そこに、黄花と清司郎も朱達に少し遅れて姿を見せた。
「ちょっと朱、あんたねぇ、せっかくこのあたしが家まで迎えに行ってあげたのに先に出てるとはどういう了見よ」
「ほんとだよ、迎えに行って損した」
「悪い、黄花、清司郎。それよりほら、今日はこいつも一緒なんだ」
朱が千明を皆に紹介する。黄花はすでに事情を霞や大貴にも話していたようで二人は何も言わず、よろしくと自分たちの自己紹介もした。
「千明ちゃん、あたしのこと覚えてる?ほら、一緒に遊んだことあるんだけど…」
「うん、黄花お姉ちゃんでしょ。覚えてるよ。すごくかわいくて私の憧れの人なんだから」
「これが憧れって、君、ろくな大人にならないよ」
「ちょっと、黙りなさいよ清司郎。そこは弟なんだから僕もあこがれてますとか言いなさいよ」
「そうだぞ、清司郎。ただでさえ黄花と一緒に住んでるってだけで俺はお前がうらやましいんだから」
「あんたは何の話をしてんのよ!」
朱を思い切り蹴り上げる黄花を見て、千明は楽しそうに笑っている。
「それで?ここに千明ちゃんを連れてきた訳を聞かせてもらえる?」
霞が朱に問いかける。
「いや、昨日の様子だと元晴の奴、俺らの顔見るだけで追い返しかねないから、ここは、とりあえず千明にあいつの話を聞いてもらって、どこか妥協点が見つからないか探ってみようと思って」
「ほー朱にしてみては、いい案じゃねーか。よし、それでいってみるか!」
大貴の声を合図に千明を含めた六人は奥の部屋へと向かう。
奥の部屋に入ると、千明は見たこともない魔法陣に興味津々な様子をしている。
「朱、この光っているの何?」
「ああ、これはな転送魔法陣って言ってな、晴明様って凄い人の術の一つなんだけど、まあ、俺も細かいことはわかんないんだけど、とにかくこの中に入ったら別の場所にあるもう一つの魔法陣まで一瞬で移動できるんだ。すごいだろ」
「何自分のおかげみたいに言ってんのよ。こんな馬鹿ほっといてさっさといこ千明ちゃん。怖かったらあたしの手握ってていいからね」
「うん。そうする」
黄花の手をギュっと握って千明は一歩を踏み出す。
「あっ黄花!できれば反対側の手は俺が…」
朱が言い終わるのを待たずに二人は魔法陣の輝きに包まれた。
千明が目を開くとそこはもう御所だった。長い橋の先に大きな城が見える。そのすぐ後、朱達もやってきた。六人は橋を渡り、城に入る。元晴の部屋があるひとつ下の階で一度立ち止まった。
「よしじゃあ、もう一度作戦を決めるぞ。まず城に入ったら帝様の部屋まで千明ちゃんを連れて行く。そっからは千明ちゃんが帝様と楽しくお喋りしてもらって、どうすれば帝様が戦争に納得してもらえるかを探る。これでいいな?」
「ちょっと待って!帝様って…、こんなに大きなお城にいる人だからもしかしてって思ってたけど、まさか朱の知り合いってあの帝様!?」
「なんだ朱、お前そんなことも言わないで千明ちゃん連れてきたのかよ」
「ごめん大貴兄、千明心配しなくても相手はお前と同じ子供だ。近所の友達だと思って接してくれたらいいよ。まあ、多少生意気なところはあるけどな」
「でっでも、私急に自信なくなってきた…」
急にソワソワしだした千明に声をかけたのは、意外にも清司郎だった。
「大丈夫だよ、見た目は君とそんなに変わらないただの子供だから。朱が仲良いくらいだから中身も子供だし」
「おい清司郎、一言余計だぞ。まあでもこいつの言うとおりだ。そんなに無理しなくていいからな」
「うん。清司郎君もありがとう。とりあえず一回行ってみるよ」
千明は上階へと続く階段を上がっていった。それを見送ってから朱が口を開く。
「いやー、まさか清司郎が千明を励ますとはな。中身のでかい男になってくれて幼馴染の同級生としてうれしいよ俺は。まあ、見た目はまだまだかわいい僕ちゃんだけどな」
「うるさい馬鹿。僕だって発着場で冷たい態度とっちゃったこと少しは後悔してたんだよ。それにこんなことにまで無神経な朱が巻き込んじゃうし」
「あの子を巻き込んだことは確かによくないことだったかもしれないけど、私はいい方に転ぶと思うわよ。それに朱、中身の話をするなら随分前から清司郎はあなたより大人だったわよ?」
「ハハッ、そりゃ、確かにそうだな。清司郎も二十歳になるころには、きっと朱よりいい男になってるだろうよ」
「知ってる。おれはまだ成長期が来てないだけだから。こんな外見だけの馬鹿、すぐに追い抜くし」
「なっ、どうしてみんな清司郎の肩を持つんだよ。黄花っ、お前は俺と清司郎、大人になったらどっちがいい男になると思う?」
「もちろん、清司郎に決まってるじゃない」
「なんでこんなとこで急に姉弟愛が芽生えるんだよ!頼むから俺って言ってくれよー!」
「だって清司郎とあたし双子だし?こんなにかわいい私の双子なんだから清司郎もかっこよくなるに決まってるでしょ?あたしは霞姉みたいに綺麗なお姉さんになるの決定だし」
「うっ否定できない……」
「こらっ二人とも、千明ちゃんが頑張ってるのに私たちが遊んでちゃダメでしょ」
「ほら、朱のせいで霞姉に怒られたじゃん。ちょっとでもあたしにかっこいいって思われたいなら、もっとシャキッとしてよね」
「わかった。俺、頑張るから見てろよ」
一方、元晴の部屋へと続く階段を上る千明は上から聞こえる謎の声に少しびくびくしていた。近づくと、その声が男の子の声だと気づく。
「なんじゃなんじゃ、あいつら皆して謝りにも来んのか。もう余は許さんぞ。あのキツネジジイも姿を見せんし……」
その男の子はずっとブツブツと独り言を言っている。千明にはその口調からきっとこの子が帝様なのだろうと察しがついた。少し前、前の帝様が亡くなられてまだ幼い息子が次の帝様に即位されたことが千明の周りでも話題になっていた。
「ほんとに私と同じくらいの子だったんだ…」
「誰じゃっそこにおるのは!まさか朱たちか!?」
しまった、無意識に声に出してしまっていた、と千明は後悔したが、もう遅かった。少年が近づいてくる。
「なんじゃお前たち、はやく姿をみせんか。言わなくてもわかっておるぞ、余に謝りに来たのだろう。よいよい、話だけは聞いてやらんこともないぞ。ただし、余と遊んでからの話だ、が…な……って誰じゃっお主は!?」
少年は階段に立ちすくむ千明の姿を見て、よほど驚いたのか、柱の隅に隠れた。千明は階段を上りきり、少年が隠れる柱に近づく。
「あの、驚かせてしまってごめんなさい。あなたが帝様?」
「いかにも。なんじゃお主はどうやってここに来た?」
「あなたの知り合いの朱に私、今すごくお世話になってるんだけど、あなたたちが喧嘩したって聞いて…。あなたは何がそんなに気に入らないの?私は朱達を信頼しているから、この国の人も土地もどちらも守れるなら朱達に任せてもいいと思うんだけど」
「むっまるで余が朱達を信頼していないような物言いだな」
「違うの?」
「そんなわけがなかろう。確かにあの場ではそう言ったが、あれは、余が父上亡き後、帝に即位してからずっと、余所余所しい態度をとる奴らに腹が立ったのじゃ。だからわざとあいつらの考えとは違うことを言った。あいつらに任せたら安心だということもわかっておる。でも、許せんのじゃ、朱は変わらず余に接してくれるが、他の者は違う。余はここを出たことがないから外の世界を知らんのじゃ。たまに遊びに来てくれる朱達が余にとってはとても大事な存在だった。そのような者たちに急に態度を変えられるのは気に食わん!よって余は何も認めん」
「長々と何か言ってたけど、要はあなた拗ねてるだけってことでしょう?なんだ、何かもっと重たい話なのかと思ってた」
「何だとはなんじゃ!余は真剣に話しておるのじゃぞ」
「帝様だとか言うからもっと器のでかい人かと思ってたけど案外普通なんだね。かまって欲しいなら素直に朱達に頼めばいいじゃない」
「そっそんな恥ずかしい真似、余ができるわけがないじゃろう。子供じゃあるまいし…」
「子供だよ、あたしもあなたも。それに、大事な人にかまって欲しい気持ちなんて誰でも持ってるし、それを伝えることも恥ずかしいことなんかじゃない!私もついこの前、お父さんを戦争で亡くした。お父さんは街を守ることでいっぱいいっぱいであまり私にはかまってくれなかったけど、時間を見つけては私にかまって来たり、私はお父さんからたくさんの愛情をもらったって自信持って言える!でも、お父さんからもらった、たくさんのものは何一つ返せなかった。あなたも大事な人を亡くしたことがあるならその気持ちがわかるはずでしょ?朱達も下に来てる。意地張ってないで、ちゃんとあなたが思ってること伝えよう?」
「朱達も来ているのか?…………分かった。お前の言うとおりにしよう。下にいるのなら、余もお前と一緒に降りよう」
「一人で行きなさいよ、意気地なし」
「むっ意気地なしだと!?よい、余一人で行ってくる。お主はここで待っておれ!」
少年は意気揚々と階下へ降りて行った。
階段を下りてくる足音がして朱達は千明が戻ってきたのだろうとその登場を待った。だが、そこに現れたのは、千明ではなく元晴だった。
「元晴…?どうしたんだ」
「…………」
「黙ってないで、早く言いなさいよ」
元晴の後ろから千明の姿が現れた。
「なっお主、上で待っておれと言ったであろう!」
「あなたが一人だと素直になれないだろうと思ってついてきてあげたのよ。皆、この子、みんなに伝えたいことがあるみたいだから、聞いてあげてくれる?」
「ああ、もちろん。俺たちはお前の家族みたいなもんだからな、なんでも聞いてやるぞ」
「朱…、よっ余は寂しかったのじゃ。帝になってからというもの、お前たちはまるで余と過ごしてくれた時間を初めからなかったかもののように素知らぬ顔をして、余に接してくる。それが嫌だったのじゃ。だから、この前はお前たちに冷たく当たってしまった。どうか余のことを帝としてではなく、一人の友として見てはくれないだろうか?」
今にも泣きだしそうな声で、元晴は朱達に向かって訴えかけた。霞が口を開く。
「なんだ、やっぱり元晴君もまだまだ子供だったんじゃない」
「ほんとよ、あたしたち信頼されてないんじゃないかって心配して、損しちゃった」
「いや、でも俺たちも急に帝様なんて余所余所しく呼んでたのも悪かった。俺たちも前みたいに元晴と遊びたいしな」
「遊びたくはないけど…、まあたまには子供の相手をするのも悪くはないかな」
「お前たち……」
朱が元晴の頭を撫で、笑顔を向ける。
「元晴、よく自分の思ってること俺たちに話してくれたな。安心しろ、俺たちはこれからもお前の一番の味方だからな」
「うっう…うわぁぁーーん」
元晴はついに泣き出し、その後五分間は泣きやむことはなかった。
元晴が落ち着いたところで霞が尋ねる。
「それで元晴君、またすぐにこんな話をするのもあれだけど、昨日のことについて、ワノ国は全面的に帝国と衝突するってことでいいのかしら?」
「ああ、だが、余がこの国の民を第一に考えていることに嘘偽りはない。お前たちなら全て守ってくれると信じているが、もし万が一、民に危険が及ぶようなことになれば、すぐ、余は降伏し、この地を去る選択をするぞ」
「ええ、それなら問題はないわ。作戦決行にはワノ国がガラ空きにならないよう兵が配置されるはずですから」
「うむ、くれぐれも民の安全確保は頼んだぞ」
「はい。じゃあ、元晴君、私たちまだまだやることがたくさんあるから、今日はもう行かなくちゃ」
「有事じゃ、それも仕方あるまい。それと…おい、お主!」
元晴は千明を呼び止める。
「えっ私?あっ、さっきまでの無礼な発言のことですよね。本当に申し訳あり…」
「そんなことはもうよい、お主、名はなんというのじゃ?」
「千明ですけど…」
「そうか、千明か。喜べ、お主も余の友の一人として認めてやるぞ。苦しゅうない、これからはいつここに来てもいいぞ」
そういう元晴の頬はわずかに紅潮している。
「えっ、あ、はい。ありがとうございます」
「うむ。よし、お前たち忙しいのだろう。もう行ってよいぞ。しつこいようで悪いが、ワノ国のことくれぐれも頼む」
「「ああ」」「「ええ」」
皆が一斉に返事をして、階段を下りていく。朱が一人その場に残っていた。
「む、どうした朱?何か言い忘れたことでもあるのか?」
「いや?ちょっと確かめたいことがあってな。元晴、お前千明に惚れたろ?」
「なっなにを言う?そんなわけがなかろう」
「ふーん、あっそ。まあ今日のところはそういうことにしておいてやるよ。俺もしばらくここには来れなくなるかもしれないからな。いい子にしてるんだぞ元晴」
「朱!…無事に帰ってくるのじゃぞ」
「ああ、任せとけ。全部まとめて俺が守ってやるから」
朱は太陽のような笑顔を残して帰って行った。
市庁舎に戻った朱達は少し歓談していた。
「いやー、しっかし千明ちゃんに任せて正解だったな。まさかこんな早く片付くとは思ってなかったよ。元晴の本心も聞けたし」
「あーあ、あたしなんか前日までかかると思ってたから、なんも予定ないわよ。帰って寝ようかな」
「ダメよ黄花。体動かしておかないと体が鈍っちゃうから。幸い、他のことはお父さんたちがやってくれてるみたいなんだから、私たちはいつでも戦える準備をしておかないと」
「むーー、清司郎!あんた今日何か予定あるの?」
「ないけど、黄花に付き合うのはめんどくさいからやだ」
「霞姉は?」
「あたしはお父さんたちの手伝いをしようと思ってるから、ごめんね」
「大貴兄!」
「俺も霞と同じで父さんの手伝いにいくから。悪いな」
「もー、皆付き合い悪いなー。いい、今日は一人で鍛錬でもしとく」
「待って黄花。おれまだ聞かれてないけど?」
「あんたは千明ちゃんのこと家まで送り届けなきゃダメでしょ」
「そうだけど…、じゃあその後は?黄花の家まで迎えに行くから!」
「あっじゃあ、千明ちゃんあたしの家に来てもらっていい?急にこっちに来たのなら、洋服とかまだ用意できてないんでしょ。あたしが使ってたのまだあると思うからあげるわよ」
「えっいいけど…、俺も行っていい?」
「うるさいからダメ。千明ちゃん、この馬鹿は放っといて行こ」
「うん」
「千明ちゃんまたね」「またな!」
「バイバイ」
千明は黄花の手を取って朱を置いてスタスタと歩いて行った。
「清司郎、お前今日はこのまま家帰るのか」
朱は落ち込んだ状態で清司郎に尋ねる。
「帰るけど…、なんで」
「いや、たまには清司郎と鍛錬するのも悪くないかなと思ってな。よし、今日はお前ん家の修練場でやろう」
「分かったよ。断ってもどーせくるんでしょ」
「よしっじゃあ黄花たちを追いかけるぞっ。霞姉、大貴兄、またな!」
「結局それが目的じゃんか…、待ってよ朱!霞姉、大貴、ばいばい」
「怪我しないようにね!」
「無理するなよー」
結局その後、朱と清司郎は黄花達に追い付き、散々に罵られながら竜ヶ峰邸まで連れ立って行った。
竜ヶ峰邸を初めて訪れた千明にとって、そこは今まで訪れたことがない異世界のようであった。レンガ作りの大きな建物に緑の芝と色とりどりの花畑が見事なコントラストを成して広がっている。千明はこんな景色を外国の風景を取り上げた雑誌で見たことがあった。まさかそれと同じような景観がワノ国でも見られるとは思わなかったため、少し戸惑いつつ黄花に導かれるまま、建物の中へと入っていった。
黄花は部屋までついて来ようとする朱を清司郎に無理やり家の地下に設けられている修練場へと連れて行かせ、自分の部屋へと千明を案内した。
あれもこれもとベッドの上にどんどんと洋服を重ねていく黄花に若干尻込みしながら、千明はずっと気になっていた疑問を黄花にぶつける。
「ねえ、千明ちゃん一つきいてもいい?」
「ん?いいよ」
クローゼットの中を物色しながら黄花は返事をする。
「どうして黄花ちゃんは朱のこと蔑にするの?」
「んー、難しい質問だなぁ」
「朱のことは嫌い?」
「そういう訳じゃないけど…」
「じゃあなんで?」
「教えてあげてもいいんだけど、もうちょっと千明ちゃんが大きくなってからね」
「えーどうして、今聞きたい!」
「多分、まだ私の中でもはっきりしていないんだと思う。だから今は誰にも言えないの。ごめんね?」
「んー、じゃあ私が今の黄花ちゃんぐらいになったら教えてくれる?」
「うん。いいよ」
「でも、そのころ、私、どうなってるのかな…」
「ん?千明ちゃんが大きくなったらきっと今よりもっと綺麗で、かわいくなってるよ」
「ありがとう。でもそういうことじゃなくて…。ほら、私、今は朱の優しさに甘えちゃって家においてもらってるけど、いつまでもそこに居座るわけにはいかないし、でも私はまだ子供だからお金もそんなに稼げないし、いっそ私もお父さんと一緒に死んだほうがよかったのかなって…。そんな考えよくないって、頭では分かってるはずなのに、どうしてかな…。さっきも私は帝様に偉そうなこと言っちゃったけど、私は私が今どうしたいのか、これからどうすればいいのかわからない。わからないよ…黄花ちゃん」
気づけば千明の目には涙が溢れていた。そんな千明を黄花がそっと優しく抱き寄せる。千明の目にも涙が見える。
「千明ちゃん、あたしの話も聞いてくれる?あたしはね、昔は今よりもっと偏屈で頑固な人間でね、ちょっとダメになりそうになった時もあったんだ。でもね、そんな時、暗い闇の底から私のこと引っ張り出してくれたのが朱達だったんだ。特に朱はほら、いっつも馬鹿みたいに周りに元気ふりまいてるでしょ?あの時はほんとにあの笑顔に助けられたんだ。皆と過ごしているうちに、ああ、この人たちなら私のこと受け止めてくれるかもしれない、受け入れてくれるかもしれないって。まあ、ずっと清司郎はいたんだけど、清司郎はなんだかんだ私と考えが似ていたから、理解者って言うよりは、あの時は自分の一心同体みたいな感じだったんだ。今はちょっと性格も変わってきたけどね。ごめんね、長くなっちゃって。それでみんなと心を通わせてから、私も自分の運命というか、立場みたいなものを受け止められるようになったんだ。千明ちゃん、焦らなくていいんだよ。きっとこれから先、いつか千明ちゃんの光になってくれる人達が千明ちゃんの人生に現れる。それが私たちだったら嬉しいんだけどね。朱もそれを願っているはずだから、甘えちゃえばいいんだよ。これからしたいことなんて考えてもすぐ見つかることじゃないんだよ。あたしからしたら、千明ちゃんなんてこれからどんな道にも進んでいけるんだから、羨ましいよ。あたしはね、千明ちゃんみたいな子達を守りたいの。だって、あたしが未来を守ってるんだって思うとかっこいいでしょ? 千明ちゃん、これだけは約束して。自分に嘘をつかない生き方をするって」
「うん。分かった、約束する。私、くよくよなんてしてられないね。もっと、どしっと構えなくちゃ」
「そっ女の子は強く生きなくちゃね。じゃあ、千明ちゃん、まだまだあるから好きなの選んで行ってね」
と笑顔を咲かせると、黄花は再びクローゼットの物色を始めた。その時、床下から、鈍い音が響いてくる。その音はしばらく続くと、やがてぴたりと鳴りやんだ。
「黄花ちゃん!いまの音、聞こえてた!?」
「ああ、気にしなくていいよ。どうせ朱と清司郎が暴れてる音だから。あの二人、一対一で勝負し始めたらいつまでたっても終わんないの。見に行ってみる?」
「うん。見たい!」
放り出された服をそのままにして二人は地下の修練場へと向かう。
無機質な階段を下りていくと、ひらけた部屋に出た。そこには天井からいくつかのモニターがぶら下がっており、そこに朱と清司郎が映されていた。二人の背後にそれぞれ赤と青の紋章浮かび上がっている。もっとよく見ようと、全面が透明になっている部屋の片側の壁に、千明は駆け寄り、その向こうの空間に目をやった。どうやら、千明が今いる部屋は修練場と呼ばれる場所のまだ上部にあるらしい。その部屋からは修練場が上から見渡せるようなつくりにできていた。かなり広いその空間に朱と清司郎の姿があった。心なしか朱はいつもとは纏っている雰囲気が違っていた。
「睨み合ってるわね。千明ちゃんちょっと揺れがひどくなるかもしれないから、しっかりどこかに掴まっててね」
千明は壁についている手すりに手をやった。
「黄花ちゃん、二人の背中のあれは何?」
「ああ、あれはね、私たち継承者が繋術を使う時に、勝手に出ちゃうものなの」
「継承者と繋術って何?」
「んー、まず継承者っていうのは、あたしと清司郎と朱と霞姉と大貴のことなんだけど、私たちはね、それぞれが自分だけのすごい力を持っていて…って、やっぱり見てもらうのが早いかな。千明ちゃん下を見てて」
修練場の中の空気は張り詰めていた。
少し距離を取って、朱が腕を前に出す。炎の弾丸が打ち出され清司郎を襲う。清司郎に当たる寸前、清司郎の足元からせり上がった水の壁がそれを阻む。と同時に清司郎の左右から炎の矢が迫ってきた。清司郎は間に合わないと思ったのか後ろに大きく跳躍した。上がっていた水の壁が形を崩し、視界が広がる。だがそこに朱の姿はない。しまった、清司郎は体をひねって後ろへの警戒を強める。だがもう遅かった。初撃のあとすぐに移動を始めていた朱はすぐに炎の壁で清司郎の逃げ場をなくしその出口へと回り込んで、手で銃の形を作り、その指先を清司郎に向けていた。勝負あったかのように思われた。だが、清司郎の目が青い光を帯び始め、背後の紋章が大きくなる。
「おいっ繋術の解放は第一段階までのはずだろ。ここでそれはまずいって、お前家つぶす気か?」
「そんな約束してないし。降参したほうが負けなんでしょ。あと気づいてるかどうか知らないけど、モニタールームに二人が来てる。このまま僕が開放しちゃったら、黄花は大丈夫でも千明ちゃんは、ただじゃ済まないかもね」
「なっおい、清司郎!わっ分かったから!俺の負けだ、俺の負け!」
朱が大声でそう叫ぶと、清司郎の目の青い輝きは失われ、背後の紋章も消えた。
「じゃあ、朱が負けたから、約束通り戦争が一息ついたら、開店してすぐ売り切れちゃう甘味堂の先着十名のスペシャルパフェ、朱が開店前から並んで僕におごってよね」
「お前、よくあんなせこい手使っといて、そんな要求できるよな」
「あんなの冗談に決まってるじゃん。真に受けた朱が悪いんだよ」
「いやっ、お前目が青くなってたからな!」
「元から青いんだし、そっちが見間違えたんじゃない。それに朱が正々堂々と前から来ればいいのに、あんなせこい戦い方する朱が悪い」
「頭使ったって言えよ。しょうがないだろ、俺の鳳凰の力はお前の青龍の力と相性が悪いんだから」
「じゃあ、どっちみち僕が勝ってたってことでいいじゃん」
「もう分かったよ並べばいいんだろ。それより早く上がろうぜ。黄花達も待ってるし」
その少し前、モニタールームでは、千明が下で起こっている激しい攻防に呼吸をするのも忘れて見入っていた。勝負が終わった後、千明は黄花に尋ねた。
「黄花ちゃん、あの朱の手から火が出たり、清司郎君の足元から水が出てきたのがさっき言ってた繋術ってやつ?」
「そうよ。まあ、あれは神獣の能力を少しだけ解放した状態だから、第二段階まで解放したら、今のとは比べ物にならないくらいもっとすごいんだけどね、」
「じゃあ、黄花ちゃんもあんな風に何か出せたりするの?」
「当り前よ!それに私の黄龍の能力はね、あんな朱や清司郎のみたいにみみっちいものじゃなくてもっとこう、スケールのでかいものなんだから」
「えー見てみたいな」
「また機会があればね。繋術使うのって結構体力使っちゃうのよ。あっそうだ術の代わりに、千明ちゃんに繋術についてもうちょっと詳しく教えてあげようか?千明ちゃん、四神については知ってる?」
「あたしそれ、ちょっと知ってる。ワノ国を守ってるっていう四体の神様のことだよね?」
「そう。私たち継承者はその神様たちの名前をそれぞれ受け継ぐことになってるの」
「でも千明ちゃん達五人だよね、四じゃ一つ足りないよ?」
「あーそれはね、四神のうちの一体が双龍って言ってね、黄龍と青龍って言う二対の龍のことをまとめて言ってるの。だから、あたしが黄龍で清司郎が青龍。それで朱が鳳凰、霞姉が霊亀、大貴が白帝で、五人の継承者ってこと」
「あーそっか。じゃあもしかして繋術ってその神様たちの力を借りれるってこと?」
「察しがいいわね。さっき朱達の背中に紋章が出ていたのが見えたでしょ?あれを介して神界の神獣たちから、それぞれ力を分けてもらってるってわけ」
「ふーん。じゃあ黄花ちゃんや霞ちゃんはどんなのを出せたりするの?」
「やっぱり知りたい?それはねー…」
ガチャ――と朱達がモニタールームのドアを開けた音に黄花の話はさえぎられた。
「どうだった、黄花。今日の俺」
朱が犬のように黄花に走り寄り尋ねる。
「どうだったって、朱、清司郎に負けてたじゃない」
「いやあれは、こいつがちょっと小細工を…」
「戦場でそんな言い訳、通じないと思うけど?」
「うっ、霞姉みたいなこと言うなよ。」
「残念。あそこで清司郎に勝ってたら、デートくらいしてあげようと思ってたのに」
「なっ、そういうことは始まる前に言っといてくれよ」
「まあ、デートはまた今度持ち越しね」
「そんなぁ、千明、お前は見ててどう思った?」
「朱もかっこよかったけど、清司郎君の方が余裕がある感じがしてよかった」
「む…、君やっぱり見る目あるね」
「まっまあ、戦闘の素人から見ればそうなるんだろうな」
朱は若干泣き出しそうな顔をしながら黄花の方を見た。
「何よ。それなりに戦闘の経験がある私も千明ちゃんと同意見だけど?まあ、普段のことを考えれば、あんたも多少はかっこよかったんじゃない?」
「っ、ずるいよそれは……」
その後もしばらく朱と黄花の二人の騒々しい会話はしばらく続いた。
「千明ちゃん、また来てね!」
竜ヶ峰邸を後にした朱と千明は、そのまま家路についた。屋敷に入るとちょうど夕飯に呼ばれ、二人は先に待っていた結紀と食事の席に着いた。燐の姿が見当たらなかったので、朱が結紀に尋ねる。
「母さん、父さんはまだ帰ってきてないの?」
はあー、とため息を漏らしてから、結紀が答える。
「それがね、お父さん今日は帰ってこれないって。私も、詳しくは聞いてないんだけど…」
きっと国中からの兵の招集に燐も駆り出されているのだろう、と朱にはおおかた察しがついた。
朱は夕食を済ませて風呂に入り、喉を潤おそうと台所に寄ったところで、ちょうど帰ってきたばかりの燐に遭遇した。
「父さん、お帰り。どう?皆集まりそうなの?」
「まあ、なんとかなりそうな感じだな。お前たちも帝様の説得に成功したんだって?
「それは、千明を褒めてあげてよ。ほとんどあいつのおかげだし」
「そうか、明日また言っとくよ。それよりお前、今日清司郎と戦ったんだって?どうだった?」
「どうだったもなにも、俺の炎と清司郎の水じゃ相性悪いし…」
「おっ、一丁前に言い訳するようになったかお前も」
「別に、言い訳じゃないよ。それに繋術も第一段階までの解放だったし」
「俺は別に言い訳したっていいと思うぞ?俺も静華には一度も勝ったことないしな」
「そうなの!?父さんが勝てないって静華さん、どれだけ強かったんだよ」
「まあ、その話は置いといてだな。お前、明日は暇なんだろ、ちょっと付き合え」
「やだよ。明日は戦争に備えて体を休めようと思ってるんだから」
「おいおい、そんなジジ臭いこと言うなよ。黄花ちゃんもくるって言ってたぞ」
「行く。何時に起きればいい?」
「ったく、げんきんな奴だな。どうせ自分じゃ起きないだろうから、時間は玖波に伝えとくよ。言っとくけど、あんまり楽しい場所じゃないからな。期待はするなよ」
んじゃお前はもう寝ろ、とだけ言って燐は台所を出て行った。
朱は燐の言いつけを守ったわけではないが、その夜はすぐ蒲団に入り、漆黒の中へ身を投じた。
「ふぁーあ」
「あんたね、やめてよ朝からそんな大きな欠伸するの。あたしたちまで気が抜けちゃうでしょ」
早朝、玖波に起こされ、燐と共に家を出た朱は、まだ眠たい目をこすりながら晴明の家を訪ねていた。朱と燐が部屋に通されると、そこには黄花をはじめ、継承者と四家の当主たち、皆がそろっていた。話が違うと朱は横目で燐を見たが、当の本人はまったく気にした様子はなく、元気にあいさつをしている。今更文句を言ってもどうにもならないことは分かっていたので、朱は黄花の横に座ったのだった。
「黄花はなんで今日集まってるか、聞いてるの?」
「逆になんであんた何も知らないのよ」
「いや、父さんの思い付きで連れてこられたのかと思ってたから」
「あたしも詳しくは聞いてないけど…。何でも、ちょっとまずいことになったらしいわよ」
そうか、と一言だけ朱は呟いてからいつものように晴明が登場してくるのを待った。だが、一向に晴明が登場する気配はない。空気が重くなっていくのをその場の誰もが感じていた。そろそろ誰かが口を開くかと思われたその時、いつもの束帯姿とはちがい、ラフな和装に眼鏡をかけた晴明が疲れた様子で現れた。晴明がそんなに消耗した姿を見たことがなかった朱達は、ただ事ではないのだろうと一層、背筋が伸びた。
「いやーごめんな皆、急に集まってもろて。昨日、正宗ちゃんからちょっと興味深い報告があってやな、ちょっとボクの家で急遽、簡易版御前会議を開くことだけ昨日の夜連絡させてもろてんけど、ボクの方でも調べてみたら伏峙山にいたはずの陰陽寮の元・術士たちが帝国の襲撃からちょうど五年前に揃って行方を晦ましてたらしい。伏峙山にいた術士たちはみんな一般人として暮らしてたみたいやから警備隊もそんなに気にしてなかったみたいやけど、陰陽寮に残ってたそいつらの資料を基に気を辿ってみたら、どうもワノ国を出てたみたいやねん。さすがにワノ国を出た後の足取りは掴めへんかってんけど、伏峙山の方から国を出たってことを考えたら、どうも帝国に向かったとしか考えられへんのや。これが何を意味するかは分かるな?」
朱の脳裏に或るひとつの懸念がよぎった。帝国とワノ国が国交を結んでからというもの、それこそモノの出入りは極端に増えたが、人の出入りはごく限られた人間以外、一切禁じられていた。ましてやワノ国最高機密である術の会得者はその身分を世間で明かすことは厳しく禁じられていた。その国内で存在を抑圧された術士たちが、相次いで帝国に亡命したと考えると、得体のしれないない絶望感に襲われた。晴明が続ける。
「術の体系が漏れたとみて間違いない。最悪の場合、繋術が向こうの手に渡った可能性もある」
そこに黄花が口をはさむ。
「ちょっと待ってください晴明様。繋術は大丈夫ですよね。だって神獣の力を引き出せるのはここにいる私たち継承者になった人だけでしょう?確かにいくつか厄介な術はあるけど、それでもそんなに深刻に考えることでもないような……」
「ちゃうねん、黄花ちゃん。それは四神に限った話や」
「?」
「わからへんか、ボクが言いたいんは神獣は四神だけやないってゆーことや。もともと山ほどおる神獣の中からワノ国の守護神に四神が選ばれてたってだけのことで、君らやなくても素質と契約の術式があれば何らかの神獣と共鳴してその力を使役する可能性は大いにあるんや。まあ適合者もそうそう見つからへんし、扱いも難しいからワノ国でも君らだけに制限されてるわけやけど」
「嘘でしょ…じゃあ帝国は」
「そや。一人か二人かその数は分からん。でも今回の急な帝国の強引さは恐らく、神獣の共鳴者を育成したものによるもんやとボクは思ってる」
「でも、たった五年でしょ?ならもし本当にそうだとしても、まだ力の扱いには慣れていないはずじゃ…」
「そうや、そこもボクは引っかかってた。それをさっきまで考えてたんやけど、帝国固有の科学力がそれを可能にしたと考えるのが一番手っ取り早いやろな」
各々が今の話の流れから考え得るあらゆる可能性を頭にめぐらせているとき、燐が声を上げた。
「あのー、ちょっとみなさんいろいろ考えてるとこ悪いんだけどちょっといいか?もし今の晴明サンの話が全部正しかったとしよう。だとしてもだ、俺たちは帝国と戦うってことで腹をくくったはずだろ?なら、俺たちのやるべきことははじめと何も変わらない。そうだろ?朱」
急に話を振られた朱だったが、今度は臆することなく、力強く返事を返すことができた。
「ああ、どんな奴が相手でも、必ず僕が仕留める」
いつになく強気な朱に他の継承者たちの士気も上がる。
「年下の男に言わせといて、俺は無理だ、はさすがに情けなさすぎるだろ。俺もやるぞ」
「そうね。何も私たちが退く理由にはならないわ」
「僕は正直、気が引けるところもあるけど…みんなと一緒なら怖くないよ」
「あたしだって、もちろんやるわよ。そのためにこれまで頑張ってきたんだもの」
継承者たちがそれぞれに決意を固める。
「よしっお前らよく言った。ってことで晴明サン、ちょっと作戦は変わるかも知んねえけど、明日、予定通り陰陽寮全軍の決起集会ってことでいいよな」
「いいよなって勝手に進めてるけど、別にボクは皆に諦めてもらおうと思って呼んだわけやないんやから。まあ、上手いこと継承者たちの士気も上がったみたいやし、結果オーライやね」
大人たちの顔にも安堵と期待の笑みが浮かんでいた。
「それじゃ、僕たちは集まってきている兵たちを振り分けたりしなくちゃいけないから、そろそろ行こうか。晴明様、先に失礼します」
正宗に続き静華、恭哉が席を立つ。燐が最後に出ようとしたとき何かを思い出したかのように朱達に向かって
「そうだ、お前たち、せっかく晴明サン家に来たんだから、祠に参拝しとけよ」
とだけ残して部屋を出て行った。
燐の言う祠とは、晴明の住居の裏手にある大きな山のふもとに開いた洞穴の奥にある四神を祭った場所のことで、朱をはじめとした継承者たちは、物心ついて間もないころ、この祠の祠の前で契約の儀式を交わすことで、繋術の使役者となった。
それ以来、朱はことあるごとににこの場所を訪れ、自分自身を見失わないよう、自分を見つめなおす場として利用していたが、十五を過ぎたあたりから、ここを訪れる頻度も低くなり、朱にとっては久々の訪問となった。
「いつ来ても陰湿ね、ここって」
「あら、私は好きよ。なんだか落ち着けるし」
「いや、確か俺の記憶じゃ、霞も小さいころは怖いって言って正宗さんに泣きついてたぞ」
「いつの話よ、それ」
「えーなにそれ、あたし霞姉のそんな姿全然覚えてないや」
「そりゃ、お前と朱はいっつも泣いてばっかだったからな。清司郎はいつでもケロッとしてたけどな」
「そーいや俺も清司郎が小さいころ俺に勝負で負けて泣いた以外で、こいつが泣いてるのは見たことがないな」
「人を感情がないみたいに言わないでよ。それに僕、これまでの人生で朱に負けたことなんて一度もないし」
「なっ、お前そんなこと言うなら俺も、禁断の一言を言っちゃうからな…」
「やめなさい、朱」「やめとけ、朱」
朱は霞と大貴に同時に制止され、清司郎が放つ殺気に気付き、それ以上言うのをやめた。
薄暗い洞穴を進むと少し開けた空間に出た。中央に大きな祭壇があり、四方にそれとは別に赤、白、黒、黄と青を基調した祭壇が設置されている。
朱達は慣れた所作で中央の祭壇を参拝してから、それぞれの祭壇へ向かった。
朱は赤い祭壇の前に立った。不思議とここに立つと何かを考える気になるというよりかは、無に近い存在になれる気がする。
朱達は繋術によって神界に住まうという神獣の力を使うが、実際に神獣に会ったり、気持ちを通わせた、などという経験もない。よって朱はこの祠の前で一方的にではあるが神獣に話しかけることで、そのつながりを強めたような気になっていた。神獣が自分の思いを聞いているかどうかは分からないので、自己満足と言われればそうなのかもしれないが、朱にとってはここでのその一連の流れは身に沁み着いたものなので、今更細かいことを気にする気にもならなかった。
祠の参拝を終えて、洞穴をでた朱達はもう一度晴明に会っていた。
「どう?改めてなんか得られるもんはあった?」
継承者たちは頷きはしないが、それでも曇りのない目を声明に向ける。
「まあ、良しとしよか。あ、それと陰陽寮の本部の方ももう作ってあるから、まだ行ってない人は今日中に行っといてな」
「えっ陰陽寮の本部って市庁舎の中にあるんじゃないんですか?」
朱は思った疑問をそのまま口にした。
「んー惜しいけど違うねん。いつもの御所に行くときの魔法陣がある部屋あるやろ?あそこに新しくボクが魔法陣書いといたから、それ使って陰陽寮本部までひとっ飛びや。あっ先に行っとくけどそんな便利な術使えるなら戦場まで自分ら送れよとか言わんといてな。これはボクだけの術やから詳しくは企業秘密やけど、位置定位やら方位定位やら空間の歪み出さへんようにしたり、いろいろ大変なんやから」
黄花は一瞬、ギクッとしたが、すぐに、ですよね。と相槌を打っていた。
「それに朱ちゃんなんかは独自の移動技術も持ってるみたいやし。いやーほんまに今回の戦は君らが鍵や。気引き締めて頑張ってや」
朱たちは晴明に挨拶をし、その場を後にした。
晴明の家を出た後、結局みんなで陰陽寮の本部に行こうという話になり、五人はそろって市庁舎に向かった。
「霞姉と大貴はもう行ってるんだよね。どんな感じだった?」
「楽しみはとっておいた方がいいでしょ。見てからのお楽しみよ」
「えー、どんなのだろう。うちはママの趣味であんな感じだけど、私はどっちかというともっと和な感じの建物が好きだからなー」
期待に胸を膨らませながら市庁舎の門をくぐり、奥の部屋を目指す。
「わっほんとだ。一つ増えてる」
部屋の魔法陣が二つになったおかげか、いつもより心なし部屋が明るいような気がした。。
「なんか、緊張するな」
朱達は高鳴る鼓動を感じながら魔法陣の中へ足を踏み入れた。
「せーの、で目開けようね!朱も清司郎もまだ開いちゃだめだよ」
「おう!」
「僕もう開いちゃってるんだけど…」
「もう、じゃあ清司郎はいいから。朱、いくよ、せーのっ」
二人は同時に目を開いた。と同時に少し残念な気持ちになった。そこに広がっていたのは、御所と同じ風景、大きな川に長い橋。大きな円筒状の建物が建っているだけだったからである。
「あれっ、ここって御所と同じ場所…だよな?」
朱は周囲を見渡して城らしき建物が見えないかを探している。
「なーんだ、霞姉が見てからのお楽しみだなんて言うから期待して損しちゃった。」
「いやでも、城らしきものは見当たらないから、結構離れてるのかな?」
「何一人でぶつぶつ言ってんのよ。きっとここが御所よりもっと上流にあるか下流にあるかの違いなのよ」
「珍しくまともなこと言うね黄花」
「あんたほんと私のことたまに馬鹿にしてるでしょ」
「おいっ、先行ってるぞ」
「あっ待ってよ」「今行くから」
五人は橋を渡り、建物を目指した。
建物の中に入ると、そこでは多くの人があちこちを行ったり来たりしていた。見たところ、明日に迫った帝国への回答を前に、戦の支度を整えるのに、皆入り乱れて、準備に追われているらしい。朱達は、霞の案内に従って、指令室に入っていった。
指令室は部屋の外の騒がしさに比べて落ち着いており、そこに四家の当主たちがそろっていた。ちらほら武官や文官らしき者の姿もある
「お父さん、どう、明日には間に合いそう?」
「うん、霞たちも昨日手伝ってくれたおかげで何とか間に合いそうだよ」
「そう、よかった」
「みんないるならちょうどいいな。今から明日の作戦について先に皆に知っておいてもらおうと思うんだけど、集まってくれるか?」
部屋にいた全員が部屋の中央に置かれた長方形の机の周りに集まる。
正宗が机の側面に付いたスイッチを入れると、机の上部から立体的な帝国とワノ国を含む大陸の地図が表示された。朱はその技術に驚いたが、これも帝国から輸入されたものかと思うとすこし複雑な気持ちになった。
「まず今のこちら側の戦力を確認しておこうか。僕たち陰陽寮は四軍にそれぞれ八千の兵と術士十名で構成された小隊が40。次に伏峙山奪取に向かうのは、玄武と双龍に頼もうと思う。そして朱雀と白虎は僕たちが抵抗の意思を見せた後、帝国が進軍してくるであろう場所に先回りして待機しておいてもらう。悪いが場所についてはまだ決めかねているから、明日の全体説明まで待ってもらうとして、その二手に分かれた軍にそれぞれ十五ずつ術士隊をつける。残りの十は京都に残って伝令術の術式を組んで陰陽寮全軍の連絡手段になってもらうのと念のため、ここと御所につながる魔法陣がある市庁舎を警備してもらう。何か意見はあるか?」
張り詰めた空気に少し体が強張りながら、朱が遠慮がちに手を上げる。京都の守りの薄さが少し気になったのだ。しかし、それと同時に霞も手を挙げたので、朱は先を譲った。
「ありがとう朱、お父さん、こんな言い方したら失礼かもしれないけど、その魔道士隊っていうのは、それほど頼りになるものなの?少し京都の守りが薄すぎると思うんだけど」
「そこは問題ないよ。帝様を狙われたらおしまいなのに、僕たちが手を抜くわけがないだろう?今回は、晴明様も京都の守護に出られる。これほど心強いことはないよ」
正宗の言葉に場が少しざわつく。晴明と言えば先の大戦においても自ら戦場に赴くことはもちろん、自分は作戦を立てるだけで決して表舞台には姿を現さなかった。そんな晴明が重い腰を上げ、守備ではあるが作戦に参加するというのは、陰陽寮の長い歴史の中でも数回あるかないかの稀有な事例であった。
「それに、何かあったら僕たちも出られるようにしておくしね」
「なら安心だわ」
「うん。朱くんの方は何かな?」
「あっいや、僕も同じことだったので、大丈夫です」
「よし、それじゃあ皆、明日の朝、決起集会を開いた後、帝国に正式な回答をして、作戦の実行に移る。こっちは今持てる陰陽寮全戦力で臨むんだ、失敗はないよ」
全員の熱のこもった返事が重なる。
同時刻、御所の城の中には帝と千明の姿があった。
「ねえ、帝様」
「む、その呼び方はやめろと言っているだろう。元晴と呼べ」
「あ、ごめんなさい。元晴って生まれてからずっとここにいるの?」
「うむ、そうじゃな」
「寂しくなったりしない?」
「朱達がよく遊びに来てくれていたからな、寂しいと思ったことは一度もない。母上と父上が亡くなられたときには少しふさぎ込んでしまったが。まあ、寂しいとは思わんが、退屈だと思うことはよくあるぞ」
「そうだよね、あたしだったらここにずっといろって言われたら、ちょっと反抗しちゃうかも。外に出てみたいとは思ったことないの?」
「外か…。余が五歳のころ、父上に内緒で朱達が外に連れ出そうとしてくれたことがあってな、城の前に大きな橋があるだろう?あそこを渡って何か光る円の前まで行ったのじゃ、いざその円に足を踏み入れようという時にだな、晴明の邪魔が入ったのじゃ。今思い出しても腹立たしい」
「晴明って?」
「む、お主ワノ国の者であるのに知らんのか。陰陽寮という組織のことは知っておろう?」
「うん。朱達がいるところだよね」
「そうじゃ。そこの統括をしている男でな、なんでも、余の何代も前の帝の頃からこの国で、術の開発や研究をしておったらしい。ワノ国に伝わる術の体系はほぼ全て奴が作ったものとも言われておるくらいであるからな。余も少し簡素な術を教えてもらったことがある」
「えっじゃあ、その人ってすごいおじいさんなの?」
「いや?見た目は朱たちの親と変わらないくらいじゃな。言っておくが、本人に会ってもそのことには触れてはならんぞ。帝の子である余でさえ、そのことを聞いたときには、思い出すだけでも悍ましいことを…」
「いいよ、言わなくても。でも、そんなにすごい人も元晴のこと守ってくれてるなら、安心だね」
「奴は余の行動を制限して、余が怒っているのを見て楽しんでおるだけじゃ。一度でいいからあの狐に一泡吹かせてやりたいのじゃが」
「じゃあ、こんなのはどう?戦争が本格的に始まったらきっとその人も忙しくなって元晴にかまってられなくなっちゃうでしょ?その不意を衝いてここから抜け出すの。それでしばらく私と一緒に外で過ごして、その人が元晴がいなくなってることに気付いてあたふたしているところで、一緒にここに戻ってくるっていうのは」
「むっ、それはいい案かもしれんな。じゃが、朱達が戦争に行っている間に、帝である余がそのようなことをするのは少し気が引けるな……」
「でも、こんな機会もなかなかないよ。これを逃したら、もう二度と、元晴も外に出られないかもしれない。ちょっと散歩して帰ってくるだけだよ」
「しかし……、いや、それもそうじゃな。別に京都を出るわけでもないのなら少しくらい余がここを外しても問題はないじゃろう。よし、千明、お主に任せるぞ!」
「任せといてよ!」
二人が御所の外に出てからの計画を練っているところに、陽気な男の声が響く。
「帝ちゃーん、ボクが遊びに来てあげたでー!って、ん?なんや先客がおるんかいな」
「む、出たな狐。そうじゃ、友が来ておるのじゃ、お主に用はない。帰れ」
「ひどいなー、ボクかて帝ちゃんの友達やのに。友達やと思ってたんはボクだけやったんか。悲しいわー」
シクシク、と袖で乾いた目元を抑え、泣いているような仕種をする晴明に元晴は、さらに苛立ちを覚える。
「元晴、この人が晴明さん?」
「そうじゃ、お主も狐ジジイと呼んでやるがよい」
「それは、呼ばないけど…」
「なんや、ボクこんなかわいらしい御嬢さんにも知られるほど、有名になったんかいな。御嬢さん、お名前は?」
「私、興千明」
「ああ、君が燐ちゃんとこに置いてもらってるってゆう子か。帝ちゃんとも仲良くしてくれてありがとうな」
晴明は屈んで千明の目をまっすぐ見つめる。
「いえ、そんな…」
「なぜ、お主が礼を言う。もういいじゃろう、今日は千明が来ておるのじゃ、お主はもう帰れ」
「だーめ、なんや楽しそうに話してたやんか、ボクも気になるからまぜてーや」
「うるさい、お前には関係のない話じゃ、今日のところは本当にもう出て行け」
元晴は晴明を押して部屋から出そうとする。
「もう、せっかく戦争が始まる前に来といてあげよと思ったのに、ボクしばらく来れへんから、後で泣いても知らんで、あっ千明ちゃんもまたねー」
そういって晴明は元晴に部屋から押し出され帰って行った。
「なんだか、思ってたよりその…楽しい人だね」
「どこがじゃ、ただうるさいだけの世話焼き狐じゃろう」
「でも、好きなんでしょ。晴明さんが来たとき、元晴、すごい嬉しそうだったよ」
「嬉しいわけあるか、千明の思い違えじゃ」
「ふーん、まあいいけど」
「なんじゃニヤニヤしおって、それよりさっきの話の続きじゃ」
また楽しそうな話し声が聞こえる部屋の外で晴明は一人、考えに耽っていた。
「ふむ、まさかとは思うけどあの子…」
そう一言つぶやいてから晴明は姿を消した。
朱が家に帰るとちょうど外から帰ってきたらしい千明と玄関で会った。
「どこか行ってたのか?」
「うん、元晴のところ」
「すっかり、仲良しだな」
「うん。まだ帝様と話してるって思うと信じられないけどね。朱は戦争の準備?」
「ああ、いよいよ明日から始まるからな」
「そっか、今日も燐さん遅いの?」
「うん、あの人あれでも、朱雀の軍団長だからな。いろいろやることがあるんだってさ」
そこに玖波がやってくる。
「夕食の用意、できてるよ」
「うん、今行くよ」
朱と千明はそのまま夕食の席についた。
「もう、なんで最後の日もお父さん、はやく帰ってこれないのかしらね」
「母さん、最後の日って嫌な言い方しないでよ」
「だって、明日からお父さんも朱も帰ってこれなくなっちゃうなんて、お母さん、寂しくって…。それに、こんなこと言いたくないけど、もしかしたら家族がそろうこともなくなるかもしれないのに」
「母さん、それは言わない約束でしょ。ったく、俺も父さんも簡単にやられないよ。わかってるでしょ?」
「それでも心配するのが妻であって親なの。これだから、男の人って嫌なのよ、女心ってものが全然わかってないんだから。ねえ、千明ちゃん」
「えっ、私はよく分からないけど、うん。でもやっぱり朱達と会えなくなるのは寂しいかな」「ほら、みなさい。いいわよ、女は家で黙って男の帰りを待ってるから」
これ以上言い返しても面倒なことになるだけだな、と朱は思い、黙って結紀の小言を聞いた。
食事の後、結紀は千明を連れて入浴に行き、朱は自室でくつろいでいた。しばらくすると、部屋の戸を叩く音が聞こえ、朱は身を起こす。
「入っていい?朱」
「千明か、いいよ」
千明が朱の部屋に入る。
「母さんうるさくなかった?」
「大丈夫だよ、あれも全部、朱達を心配してのことなんだから。私もお父さんが朱達と同じ立場の人だったから、結紀さんの気持ちわかるし」
「俺も母さんの気持ちがわからない訳じゃないけど、なんて言ったらいいのかな。こればっかりは仕方ないんだ。母さんが父さんと出会ったのは大戦が終わった後だから、こういう血生臭いことに慣れてないし…」
「朱、私が言うのもなんだけど、こんなことに慣れてる方がおかしいんだよ。朱達にとってはこれが当たり前の世界かもしれない。でも、結紀さんみたいに、頭ではわかってても、心がそれに追い付かない人もいるの。家族を思う気持ちっていうのは簡単に誤魔化せるものじゃないんだよ、きっと」
「わかってるよ」
「ううん、分かってないよ。っていうより、朱が完全にそういう人たちの気持ちを理解できることなんてきっと一生ないよ。でもそれでいいんだと思う。他人の気持ちなんて寄り添うのが限界なんだよ。分かろうと思ったって分かるようになるもんじゃないんだから」
「なんかあれだな、女は男より精神年齢が高いっていうけど、それを今実感した気がする」
「朱が子供すぎるんだよ」
「お前までそんなこと言うなよ。おれも大人の余裕ってやつがほしいよ」
「でも、黄花ちゃんの家で朱と清司郎君が戦ってるの見たとき、朱、普段とは違う感じでかっこよかったよ」
「それ、黄花も言ってたか?」
「うーん、よく覚えてないけど、たぶん言ってたんじゃないかな」
「それを聞いて、俺は明日頑張れる活力をもらえたよ、ありがとう」
「それはよかったけど、朱は明日どこに行くの」
「うーん、それがまだ決まってないいんだ。俺がどこで待ち伏せするかは、ギリギリになるらしい」
「待ち伏せ?伏峙山を取り返しに行くだけじゃないの?」
「いや、そっちには霞姉と黄花と清司郎が向かうことになってるんだ。俺と大貴兄は次に帝国が攻めてくる場所に待機して迎撃するってわけ、って子供にこんなこと言っても難しいか?」
「ううん、面白いよ。燐さんたちはどうするの?」
「父さんたちは、陰陽寮の本部で待機だな。父さんたちは各軍の軍団長って立場だから、俺達も本部からの父さんたちの指示を受けて動くってわけ。父さんたちも戦場に出てくれれば、凄い心強いんだけどな」
「ふーん、そうなんだ。ところで、今日魔法陣が二つになってたけど、あれってもしかして、その陰陽寮の本部につながってるの?」
「ああ、そうだよ」
「そっか、いろいろ教えてくれてありがとう。私もう今日は寝るね」
「うん、おやすみ」
「おやすみ」
朱は千明が部屋から出た後、浴場へと向かった。浴場の扉を開けると、そこに燐の姿があった。
「なんだ、父さん帰ってたんだ。母さんにはもう会った?すごい怒ってたよ」
「わかってるよ。子供はそんなこと気にしなくていいんだよ」
「気にしてなくても、母さんが言ってくるんだから仕方ないじゃん。明日の出発までには何とかしといてよ」
「はいはい、お前はつくづく結紀に似たな」
「どういう意味で?」
「言わねえ、それよりお前、思ったより緊張してないんだな。ヘタレのお前のことだから、泣きながら蒲団にくるまれてるのかと思ってたよ」
「泣かないよ」
「お前、黄花ちゃんと一緒じゃなくて良かったのか?あの時手を挙げたのそのことだったんだろ?」
「違うよ、本当に霞姉と一緒だったんだって。父さんたちの心配はしてないけど、元晴は違うだろ。それに黄花の方には清司郎も霞姉もいるし、きっと危険な目には合わないだろうから。俺のわがまま言ったってしょうがないよ」
「はあ、分かってないな、お前は本当に。俺が言ってんのは戦場で戦っている姿しか取り柄がないお前が、その姿を黄花ちゃんに見せなくて良かったのかって言ってんだよ」
「それしか取り柄がないって……」
「そうだろ?いい機会逃しちゃったな、お前」
「父さん、戦場をなんだと思ってるんだよ。それに前にも言った通り、黄花のことは時間の問題なんだよ」
「またそれか。お前、そんなだから好きな女の一人もモノにできないんだよ。いいか、お前は黄花ちゃんに言い寄ってるだけで、核は突けてないんだよ。まあ、これが最後の機会じゃないだろうからな。お前が男になれるのを楽しみにしてるぞ」
朱はその後、自室に戻り、作戦の確認をした後、蒲団に入り目を閉じた。
その少し前、帝国の中心にそびえ立つ城の一室で二人の男が会話を交わしていた。
「陛下、明日ワノ国との全面的な戦争が始まるでしょう。他国には今回に限っては手を出さないよう裏で手をまわしておきました」
「うむ、やはりそうなるか。奴らの制御はうまくいっているのか?」
「ええ、手筈通り、すでに奴らの手でワノ国内部に一匹、鼠を忍び込ませることに成功しています。先ほど連絡があり、ワノ国の作戦情報を大方把握することができました」
「そうか、それは上々だ」
「こちらの作戦については私の判断で決めさせていただいてもよろしいですね」
「ふん、今更、軍部に口を出そうとも思わん。好きにするがよい」
「御意。それでは失礼します」
ヴィッセンシャフト帝国・皇帝ヨハン・ベックマンは部屋から一望できる帝国の街並みを眺める。もう日が沈んでしばらく経つ。
「さて、この国が歩むは殷富の道か、それとも……」
ヨハンの目には一瞬、街の灯りが消えたように見えたが、依然として眼下に広がる街は輝きを放っていた。
先刻、ヨハンと話していた男―ヒューズ・ウォルシュは独り、城の中の暗い廊下を歩いていた。ヒューズはある一室の前で立ち止まり、その重い扉を開ける。
そこには三人の男と一人の女の姿があった。ヒューズは女に声をかける。
「ソフィ、情報の引き出しご苦労だった。陛下も喜んでおられた」
「いえ、お力になれたのであれば幸いですわ」
「お前の明日の動きは分かっているな?」
「はい、必ず私の手で帝国を勝利へと導いて見せますわ」
ヒューズは今度は男たちに向かって言う。
「明日、ワノ国の回答が帝国に届いたと同時に我々は攻撃を始める。お前たちはしばらく前線には出ず、戦場付近で待機しておいてもらう。お前たちをいつ投入するかの指示は私が直接行う。わかったな」
一人の男がヒューズの言葉に了解の意を示すこともせず、静かに部屋を出て行こうとする。
「待て、グレイ。あまり反抗的な態度をとるな」
グレイと呼ばれた青年は立ち止まり
「我々は、戦場に出て、ワノ国の兵士を殺せるだけ殺す。それを理解していれば問題はないのでしょう?」
グレイは虚ろな目をしていた。
「ふん、相変わらず不気味な奴だ。それをわかっているのなら何も言うまい。だが、忘れるな、お前たちの願いが叶うかどうかは、お前たちの行動次第だということをな」
グレイの足音が遠ざかっていく。その後ヒューズも続いて部屋を出て行った。
「馬鹿ね、あの子。私たちが帝国に逆らってもいいことなんかないのに」
「僕はヒューズに媚び売って、気に入られようとするおばさんの方が気に入らないけどね」
背の低い少年が無邪気に女に笑いかける。
「あら、エリック。今のってもしかして私のことを言っているの?もしそうならあなた……ころすぞ?」
「うわー、こわーいクラウドさん、助けてよ!」
エリックはわざと戯けたふりをして、若い青年に泣きつこうとするが、青年はそれをまったく意に介さないようで、何事もなかったかのように部屋を出て行った。
「ちぇっ、相変わらずみんなクールだなー」
「あらいいじゃない、これくらい淡白な関係の方が、誰かが死んでも立ち止まらなくて済むわ」
「誰もおばさんの意見なんて聞いてないんですけど?」
「あなた、やっぱり一度私が躾けてあげないとダメみたいね」
「いいの?大事な戦争の前日に僕たちが許可もなく戦ったら、おばさん懲罰じゃ済まされないよ」
「あなたみたいな五月蠅いガキ一人がいなくなったところで、帝国には何の不利益もないわ」
「それを決めるのはおばさんじゃないと思うけど?」
「ふん、気に食わないガキ。いいわ、せいぜい流れ弾にでも当たって死なないように気を付けてね?」
そういってソフィは部屋を後にしていった。
「流れ弾ねぇ。あーあ、早く殺り合いたいなぁ」
ヒューズは部屋を出た後、指令室へと向かった。
「ヒューズ中将、先ほどいただいたワノ国の作戦情報から、最善と思われるこちらの軍の編成が終わっています。確認を」
「ああ、ご苦労。やはり継承者を抑え込めるのは奴らしかいないか。兵器の方はどうだ?」
「前回の戦闘のデータを元に改良を加えたウォルグ弾の整備が完了しています。それと、開発が進んでいた二足歩行型の戦場への投入も可能です。アーマーの耐火性にはまだ不安が残りますが、一般兵には十分脅威になる性能です。ウォルグ弾については開戦後、すぐに投下するのが賢明でしょう」
「ああ、こちらの兵が巻き込まれては意味がないからな。明日の早朝までに兵を装甲車に乗せて、作戦地付近まで運んでおくように。ワノ国の回答が帝国に届き次第、軍用ヘリから例の場所へウォルグ弾を投下、その後すぐに侵攻を開始する」
「わかりました。それと、ソフィ・ピアースの極秘任務の件ですが……」
「それについては、私が全権限を持っている。口出しは無用だ」
「わかりました。成功を祈っています」
「ああ、ありがとう」
ヒューズは目を閉じて、軍服に着いたいくつもの勲章の重みを感じる。ここで負けるわけにはいかない。決意を新たにヒューズは檄を飛ばす。
「この戦を落とすわけにはいかない。帝国の存亡にかかわる戦だ。皆、もう一度気を引き締めるように!」
「「はっ」」
そして迎えた朝。
朱は戦闘装束を身にまとい、出立の準備を整えていた。朝早くから陰陽寮の決起集会に参加し、そのまま戦場に向かうことになっていたので、暫くはこの家にも帰ってこれないことを覚悟しながら、家の者や乱歩にしばしの別れの挨拶を済ませた。