第五十八話
「長かったな。船旅」
秀星はアメイジング・リアリゼーションから下船すると、そうつぶやいた。
実際問題、長い。
と言っても、船以外でいろいろとやることが多かったのも間違いではない。
急展開が多かったり、自分で仕掛けていたことが多かったので、ある意味自分が原因と言えば原因なのだが、長かったことは事実だ。
「それにしても、アトムが珍しく死んだように寝てたけど、何があったんだろうな」
来夏が呟く。
が、それを知るのは秀星と雫とドリーミィ・フロントのメンバーだけであり、それで十分なのだ。
話す時が来ることもない。
過去の改変と言うのはそれほど大きなことであり、パラドックスを引き起こさないための必要事項として説明することはあっても、基本的には告げないのが普通だからだ。
「はぁ……」
雫が珍しくげんなりしている。
答えはただ一つ。宿題がたまっているからだろう。
沖野宮高校の方は、創立百周年記念と言うことでイベントが多い。
それらを休んでもいいので、結果的に秀星たちは問題がなかった。
ほかのメンバーは別にそう言うわけではないが、いろいろとまあ理由を作って休んでいる。
結果。宿題がたまっているのである。学生である故のデメリットだ。
「雫は頭が悪いもんね」
「宿題。隣でやっていたですけど、すごかったです」
「ふにゃあ~」
優奈と美咲が容赦しない。
千春もうなずいた。
「すごかったわよ。水の電気分解でマイナスに発生した空気に、マッチを近づけるとどうなるかって言う問題だけど、分かる?」
「マイナスに出て来るのって水素だよね」
「そうだな。マッチ棒を近づけた場合、『ポンっと音を立てて燃える』というのが適切と言えば適切な表現だ」
「そうですね。私もそのようにならいました」
千春の問題提出に、風香、羽計、アレシアが頷く。
「その問題なんだけどね。雫は『爆発する』って書いたのよ」
「少なくとも学校の実験で取り扱う物質の現象ではないな……ていうか、水の電気分解って中学生の問題じゃないか?」
「フフフ……私には一夜漬けと言う最高にして至高の手段があるからね!ノープロブレムだよ!」
「プロブレムオンリーだと思うわよ?」
優奈の言う通りだ。
普段どうにかできないといろいろと面倒なこともある。
第一、大学に行けば、期末テストではなく、普段のテストやレポートで判断する授業だって確実にある。
それらをどうするというのだろうか。そもそも一夜漬けでどうにかなるレベルの量ではない。
「ハッハッハ!まあいいじゃねえか。あとのことは後で考えようぜ」
来夏は来夏でこの始末……。
楽観的なのだ。
マジで本当に。
「ん?」
下船している魔戦士が多いので、若干港は人が溢れている。
中には、本国で待っていた人達も多い。
素材を大量に手に入れてきたので、それらを交渉するという場合もあるだろう。
少なくとも、秀星たちに払った以上の金額を取り戻さないと意味が無いのだ。
そんな人ごみの中で、秀星たちの方にまっすぐ歩いて来る人がいるようだ。
その人は、中性的な顔をした秀星よりも少し小柄な男性だ。
服装も別に変った様子はない。
その最大の特徴は……赤ん坊を抱いていることだ。
「おっ。来たのか」
「今日、港に来るということだったから、連れてきたというわけだ」
来夏の知り合いだろうか。
「来夏、知り合いなのか?」
「オレの旦那だぜ!」
……。
時が止まったような気がした。
なんと、剣の精鋭だけではなく、別の場所で取引を行っている魔戦士や交渉人たちも気になったようだ。
来夏……結婚していたのか?
そして秀星が驚いているのは、アレシアまで驚いていることだ。
アレシアすらも知らなかったのだろうか。
「……来夏。結婚していたのか?」
なぜか、おそるおそる。と言った雰囲気で来夏に聞く羽計。
「言ってなかったか?」
「初耳だ」
「まあいいじゃねえか。別に悪いこともないだろ」
「それもそうだけど……」
「何か、不思議な感じです」
「ふにゃあ~」
それはそれなりに長い付き合いであるメンバーが驚愕している。
「ま、いいだろ。紹介するぜ。諸星和也。オレの旦那だ。よろしくしてやってくれ。で、こっちは諸星沙耶。オレたちの娘だ。かわいいだろ」
「とても」
勉強の話をしていてほとんど話に乗っていなかった雫が復活する。
ただ、いろいろな意味で、じっとしているな。
「諸星和也です。いつも妻がお世話になっています」
「あー。うん。そうだな」
秀星は何となくそう返さざるを得なかった。
来夏は和也から沙耶を受け取って抱きしめる。
「おー……一週間ぶりだな。元気だったか~」
「きゃっきゃ」
和也が抱いていた時は何も言わなかったのに、来夏が抱いた瞬間に喜びだす沙耶。
(まさか……お母さんっ子なのか?)
来夏の夫。というだけでも、いろいろな意味で相当苦労しそうだ。
だというのに、娘にすら無視されるのである。
それを、来夏以外の剣の精鋭のメンバーは理解した。
そうなると、全員の視線が、和也を慰めるものに変わる。
「苦労してるんだな」
「来夏のDNAなんですかね……少し目を放したら、もうどこにいるのかわからないんですよ。鍵もしっかり閉めてなかったら勝手に家を出るんですよ。そして、一度、本当にどこにいるのかわからなくなって、魔法を使って探したんですよね。そしたら、近くの市役所で保護されていました。勤務中のお姉ちゃんに囲まれて、お菓子をバカ食いしながら笑っていた時は、三割くらい本気でおいて帰ろうかと思ったくらいです」
暗い。そして重い。
和也が纏う雰囲気がどんどん黒くなっていく。
苦労していたんだろうな。
「……思ったんだけどさ。赤ん坊にしてはちょっと大きいよね」
「オレも生まれた時はそうだったらしいぜ」
「……」
再び沈黙する剣の精鋭たち。
どういえばいいのだろうか。
あえて表現するならば『和也の遺伝子が弱すぎる』ということになるのだろうか。
物心がつくころになると、それはそれでまたいろいろと問題を起こすのだろう。
来夏を家に二人抱えるようなものだ。
……はっきり言って寒気がする。
「結婚した経緯とか……結構気になるんだけど」
雫が来夏に聞いた。
「確か、あれは『サターナ』っていう喫茶店だったかな。面白いところに喫茶店があると思って入ってみたら、和也がいたんだ」
「ふむふむ」
「そして見た瞬間、オレは『こいつだ!』って思ったんだよ」
「……で?」
「自己紹介した後、『結婚を前提につきあってくれ』って言ったんだよ」
ツッコミどころが満載である。
その時の和也と、カウンターで何かを作ろうとしていたであろう道也の心境が知りたいが、知りたいと思うと同時に、その内容は容易に想像できるのだから不思議だ。
「最初は別に断るわけでもなく賛成するわけでもなくはぐらかされたんだけどな」
それが正常である。
「だが、何度も言っているうちに賛成してくれたぜ」
チラッと和也を見る。
疲れたような、諦めたような……よく言う『苦労人の表情』をしていた。
勇者である。
まぎれもない勇者である。
よくフィクションで、魔王を討伐して帰ってきて、精神的にもいろいろな意味で成長し、現代で無双するというパターンがあるだろう。
実際、彼らは異世界に勇者として呼ばれており、聖剣なり、強力なスキルを手にして魔王を倒したわけだ。
一つの物語を終わらせたその努力は認めよう。
勇者である。
中には、現代に戻ってきてクサいセリフを吐くような、そんな大物ぶった奴もいるだろう。
そして、そんな勇者に聞きたい。
『来夏を嫁にいりますか?』
と。
ちなみに秀星なら首を横に振る。
秀星は勇者ではなく漂流者なのだ。そんな義務はない。
「……勇者って言うのは、案外、日常の中にあふれているんだな……」
和也の表情を見て、そう締めくくる秀星。
来夏の腕の中にいる沙耶は満面の笑顔で、とても楽しそうだ。
胸に顔を埋めようとしていたり、色々触っていたりしている。
お母さんが好きなのだろう。
別にそれはいい。好きにすればいい。
ただ、もうちょっと和也のことも気にしてほしい。
……秀星は、切実にそう思った。