第五十四話
「ふむ、なるほど。そういう事情があるわけか」
秀星のどうしたものかと思った時の相談先。
その多くはセフィアに聞いておけば何も問題はない。
セフィアは本当にいろいろと知っているので、秀星の目的に沿ったものを選んでくれる。
だが、そういう気分ではない時もある。
そんな時はアトムだ。
「普通に考えれば、十年間もの間とらわれていた人間は、少なくとも正常にはならない。必ず、精神に何かの影響があるだろう」
「だよな」
「だが……私からすれば、君もあまり変わらないよ」
「そうか?」
秀星と雫。
似たような部分があるのかどうかはよくわからないが、アトムが言うのならそうなのだろうか。
「どちらも、周りの意見に流されるということに変わりはない。ただ、あえて具体的に表現するならば、その過程が違う。君の場合、周りに流されたほうがいいという判断は『経験』に基づくものだが、彼女の場合は、『諦めたフリをして助けを待つ』という前提ゆえだ」
異世界で様々なことを経験した秀星。
地球ではできる限り流れに乗って生活するようにしている。
だからこそ、評議会に入るときも、無理に断ろうとは最終的に思わなかった。
さらに言えば、秀星は一度、異世界を壊しているのだ。
具体的にいうと、秀星以外の生物が完全に絶滅したほどである。
時空魔法を最大出力かつ、本気でやって一時的に戻すことでそれを抑えたが、あの時は、まず恐怖したものだ。
「私の予想でしかないが、君も彼女も、根本にあるのは不安だろう。今回、彼らを殺そうとした彼女を君は止めたわけだが、本来ならとめることなどできるはずもない。自分の十年を奪った存在を、人間が許すことはないからね」
「だな。俺も、一回くらいガチでバトルすると思ってた」
「彼女がそれをしなかったのは、周りの意見を聞かずにはいられず、無視できないからだろう。ただし、活発な性格を演じているときは、彼女本人の願望である『周りに流されない自分』が反映されているゆえに自由というだけだ。少なくとも私はそう思う」
十年というのは長い。
過ぎてみればあっという間だが、流れているときは本当に長いのだ。
その十年を奪った人間を、いくら自分よりも断然強い秀星が止めたからと言って簡単に止まることは、本来ならあり得ない。
第一、彼女の願望である周りに流されない自分を演じているときであるならば、秀星が止めたとしても無駄だろう。
あそこまで性格が二分するのもどうなのかと思うが、そうでなければ耐えられないのだ。
いや、耐えようとして、もう壊れたのだろう。
あってすぐの人間に対してここまで分析できるアトムも人外だが。
「結局、どうするべきなのかって話なんだよな……」
秀星はそのあたりの話をしに来たはずなのだが、少しそれた。
すると、アトムは思い出すように話し出す。
「実をいうと……刹那も似たようなものだった」
「ん?」
「初めて会ったとき、彼女は裏カジノの景品だったからね」
「……そうか」
「あのルックスとスタイルだ。まあ、下半身に脳みそがある人間ならまずほしがるだろう。当然、刹那は自らの過去を知る人間たちを恐れた。様々なうわさが飛び交う可能性はいつでもあるからね」
「アトムはどうしたんだ?」
「つぶしたよ」
「え?」
一瞬、アトムが言ったことが理解できなかった。
「刹那を手に入れようと動いていた連中を、全てつぶしたよ。奪い、脅迫し、多くを刻み付けた。ただし、生かしておいた。金も権利も、全て奪ったうえで、殺すことはしなかった。もちろん、私がやったという証拠は残さずにね」
「容赦がないな」
「容赦がないのではない。まだ、容赦という言葉が出てくるレベルではない」
何でもない事のようにアトムは言う。
「力あるものが、可能性を考慮せずに動くと、必ず悲劇が起こる。とはいえ、誰かの幸福は誰かの不幸だ。とてつもなく広いゼロサムゲームだからね」
秀星は、それを異世界ではわかっていなかった。
「だから、力あるものが動きすぎると、そのほかで発生するマイナスが大きすぎる。世界が耐え切れないっていうのは、主にそうやって起こるものだ」
だから、あの世界は、一度壊れた。
「君は一度、そうして何か大きなものを壊してしまったのだろう。だから、自分が抑えて、自分が受けるプラスを極力減らし、世界に発生するマイナスを0に近づけようとしている。よほど大きな失敗だったはずだ」
世界の崩壊だ。これ以上の失敗などない。
「だけど。思いっきりやってもいいんじゃないかな。確かに世界は、君の全力に耐えられるほど強くはない。ただ、君の実力なら、『やり直せる』んだろう」
「やり直す……か」
「何かあった時にはまた頼るといい。私も、自分以上の実力を持っているものに会うのは初めてだ。君とはいい話ができそうだからね」
アトムはそういうと、席を立った。
「なんでアトムは、そこまでわかるんだ?」
「ふむ……まああえて言えば、私は天才だからだ」
「便利だよな……」
「そんじょそこらの話をしているわけではないよ。私は、天才というものも私なりに定義した上でこの言葉を使っている」
「天才の定義?」
「簡単に言えば『成功できる』という才能そのものだ」
よくわからない。
「簡単に言えば、不正解にとらわれる前に正解を認識することだ。それができれば、自らが持つ常識通りに動いて失敗することはない」
人は常識にとらわれるものだ。
天才であってもそれは変わらない。
だが、成功するということは、言いかえるなら間違えなかったということでもある。
自分が見て、聞いて、感じたこと。
それらが、人より多くの理解と、誤解のない解釈をすれば、少なくとも間違うことはない。
「……アトムは、生まれた時からそうだったのか?」
「そうだね。私は生まれた時からそうだった」
「羨ましいもんだな」
「そうでもない。君のような人がいないと、人生が面白くないからね。それでは、私は失礼しよう。最後に……君は、篭の外にいることを自覚するべきだね」
アトムは部屋を出ていった。
その姿を見た後、秀星も自分の客室に戻る。
そして、ベッドに倒れこんだ。
「アトムみたいな奴が地球にいたなんてな……セフィア」
「はい」
ベッドのそばには、すでにセフィアが立っていた。
「どうするべきなんだ?と聞かない方がいいか」
「そうですね。今は、秀星様が何をするべきなのかを決めるべきです」
「……俺、どこかで変わっていたのか?異世界では、こんなことはなかった」
「この地球に秀星様が帰ってきて数日後、八代風香の呪いを解除した時。この時までは、何をするのかを秀星様は自分で考えていました。ですが、そこから先の秀星様は、弱かったですよ」
何を相手にしても勝てる。
秀星は、今はそんな感じだ。
無理なことが無く、無茶ができるし、余裕がある。
なのに、秀星は弱かった。
「何があったんだろうな。あの時の俺」
「異世界グリモアほど、この地球が強くないことを感じ取ったのでしょう。そして過ごすうちに、過小評価しすぎていました」
過小評価。
異世界では、自らを制限しながらも自由に動いていた。
それは、秀星は異世界を過小評価しなかったからだ。
一度壊した故に、その経験を使って、二度目は失敗しなかった。
「篭の外にいる自覚……か。翼があって、餌を食べて、空もあるのに、飛ばない鳥。なるほど、言い得て妙だな」
「そうですね。私も思わず笑いそうになりました」
「傷つくねぇ……まあいいや。ま、とりあえず雫の言い分を聞こうか。彼女の問題を解決するための話だからね」
秀星は立ち上がる。
(まあ……時間旅行程度なら、考えておくか)
また戻ってしまうかもしれない。
喝を入れる人間をそばに置きたいと思うのが秀星だ。
だが、少なくとも今は、そうでない自分でいたい。