両袖清風
――――どうやら、于謙の悪い予感は当たってしまったようであった。
幼帝の『先生』である宦官・王振は、宣徳帝時代の功臣たちが宮中を去るにつれて、その発言権を増していったのである。
彼らに重用されていた于謙についても『宣徳帝の遺物』と認識しているらしく、事あるごとに辛く当たった。
王振は、金品を好み、自らの権勢を誇示する事にのみ興味を示し、天下の大局や民衆の願いには興味を示す様子がなかった。
同僚たちは、こぞって彼に輝く諸々を捧げたが、于謙にはそもそも捧げる様な物がなかった。
于謙は任地から北京に帰る際には、現地の民からは一切の礼品を受け取らない主義だったからである。
同僚たちの忠告は、確かに有難かった。
『お前の主義信条的に、あいつが喜びそうな物は調達不可能なのは解る』
『だがな、せめて任地の特産品…茸とか、絹織物とか、お香とかぐらいなら何とかならないか?』
『偶には下々からの気持ちも受け取らないと、いざと言う時に困るぞ』
いやいや、そうやって我々が特産品を持って行くから、民は苦しんでいるのだ。
だから、一人ぐらい何も持たずに北京に帰る官人がいてもいいではないか。
それに、自分の腕以外は何も入っていない両の袖に清らかな風が通るのは心地良い事だ。
無論、呆れられた。
于謙は、自分がどうしようもない頑固者なのを大昔から知っていた。
それが敵を増やしているだけとしても、不惑を越えてしまったらもう治しようがない。
――――だから、とうとう王振も腹に据えかね、讒言を讒言と知った上で自分を獄に放り込んだ訳だ。
『私の身体的欠陥を侮辱したのなら、お前には四肢を失ってもらうわよ』とばかりに息巻くあの者は、于謙にとってはそれでも滑稽であった。
――――『救国』の予言が果たされぬ限り、自分は死なぬと確信していたからである。
三ヶ月程後に、嘆願が集まり、獄から出られるとの情報が入った。
こんな自分にも、冤罪を覆せる程度の味方はいたって事だ。
「ほら、受け取らなくてもいざと言う時に困らなかったじゃないか」
そんな事を同僚に話したら、またしても呆れられた。
王振にとって、于謙も三楊と同じく『宣宗時代の感覚を引きずる邪魔者』だったんじゃないかと。
賄賂に一切縁が無いというのは中国の官僚にとっては稀有な事だと思われますが、
果たしてそれは完全に良い事と言い切れるんでしょうかね。
四肢切断は、王振が本当に他の人に対してやってます…