石灰吟
※中文wiki読めば解る程度のフェイクが入ってしまった。
※ちょくちょく、于謙の詩の和訳らしきものが挿入されますが、はっきり言って私の文章に合わせた出鱈目です。信用しないように。
一四〇二年、南京。
父と兄は業火の向こうに消え失せ、母の形をした炭が発見された乳児は、
炭と灰と煙の中で火傷一つ追わずににこにこ笑っていた。
乳児の父を玉座から追った男は、その笑顔に驚愕し、刃をその頸に落とす事がどうしても出来なかった。
―――あるいは、母の元へ送ってやった方がまだ幸せだったのか。
***
それから数年の後。
銭塘に住まう于謙という名の童子は、高僧に頭を撫でられて、こう言われた。
《この子が何時か、国家の危急を救う日がやって来る》
其の言葉を信じた両親は―――そこそこの家ではあったが―――于謙に宰相となる為の教育を施すようになった。
四書五経をあっさり覚えた于謙は、特に科挙の科目の一つでしかない筈の詩作に夢中になった。
***
銭塘は嘗て天子がいた時代も有る水都であり、元代や現王朝・明の創始期には荒廃していたというのが明太祖・洪武帝の没年に産まれた于謙には信じられなかった。
いつものように与えられた課題を十二分に時間を残して終わらせた于謙は、窓の外の作業風景を眺めていた。
特産の石膏を焼成して、解熱薬とするのだが、其の石膏に少年は興味を持った。
『深山から裁断されて発掘され』
『鍋の中で業火に焼かれても黒く焦げて仕舞わず』
『挙句流砂状になるまで粉砕されても全く怯えるでも無い』
『人の世の中に散っても白いままで、有用なのである』
そんな意味の詩を課題と共に家庭教師に提出した所、『君は官吏になりたいのか詩人になりたいのか』と半ば呆れた様な顔をされた。
…えー、于謙はかなりエキセントリックな人になっちゃっています…
仮にも科挙受かっていて漢族英雄扱いされている人がこんな頭のネジが抜けてそうな人でいいのか。
(まあ、同時にネジが抜けていなければやらないような行動も取っていますけど)
『深山から~なのである』は于謙の詩の意訳です。石膏=中国語で石灰らしい。
『石灰吟』で検索すればまともな日本語訳が出て来ます。
何せ中国では小学生の教科書に載っているらしいものなぁ