読んでもらえるかは、やっぱりタイトル次第? っていうタイトル
自分の投稿した文章が、あまりにもアクセス数が少なくてどうしたものかと思って、ランキングに入ってる、アクセス数を稼ぐ方法みたいなエッセイを読んでみたんですよ。
そうしたら、タイトルやあらすじに気を使うこととか、投稿時間を考えて投稿した方がいいとか書いてあったんですね。
とりあえず読んでもらうためには、色々気を使わないといけないみたいです。
そういえば、昔テレビで見たんですけど、ある本屋さんが『なぜか売れない。名作文学』みたいなタイトルでフェアを実施して、名作文学作品を店頭に置いたところ、フェアは大当たりして今まで棚で埃をかぶっていた名作文学作品が売れたというエピソードが放映されてました。
やっぱり名作といわれるくらいですから、手にとって読んでもらえれば、その良さが伝わるのでしょう。
それにしても、とりあえず読んでもらうためには作品のタイトルが大切みたいですね。
アメリカの20世紀、初頭から中期にかけて活躍した編集者ハルデマンは自分のネーミングセンスに自信を持っていて、自らを「本の医者」と称していたらしいです。
ハルデマンは古典文学作品を安く提供する文庫シリーズを創設しました。
古典文学作品は版権が安いし、著作権が切れている場合もあるので上手くいけば、おいしい仕事なのかもしれませんね。
そこで、ハルデマンは古典文学作品を売り出すために、作品のタイトルを変えて売ることにしました。
それまでゴーティエの『金色の髪』はアメリカ全土で年間600部の売り上げしかなかったのに、ハルデマンがタイトルを『金髪の愛人を求めて』に変更したら5万部に売り上げが伸びました。
『レ・ミゼラブル』や『ノートル=ダム・ド・パリ』などで知られる文豪ユゴーの作品『楽しむ王』も『好色王様のお楽しみ』とタイトルを変えられた途端に売り上げが伸びたそうです。
クィンシーの『会話について』という本は『会話上達法』とタイトルを変えられると、上手く会話をするためのハウトゥー本と勘違いされてベストセラーになったそうです。
当然、これらのハルデマンの手法に反発して苦言を呈する文芸評論家もいたらしいのですが、ハルデマンは「自分は古典文学作品を読むきっかけを人々に与えてるにすぎない」みたいなことを言って意にも介さなかったらしいです。
それはともかく、自分が今まで書いてきた文章のタイトルを見直してみると、そのセンスのなさにはビックリします。