天使の憂鬱
天使。天の使い。天に仕える者。
多くの人が思いつく姿は頭の上に輪っかがあって、背中に羽がある。そんな姿だろう。
しかし、基本的に人の目の前には現れず、天国にいて力を持つ存在である。
たまにその影だけ見える時もあるだろうが、それは力がこの世に少しだけ漏れているもので、ただの現象でしかない。
では、天使と出会うには天国へ行くしかないのか。
必ずしもそうではない。天使のような、限りなく天使に近い人間がいる。
しかし、天使に近いからと言って、人の為だけに生きなければらないのか。
そんな天使のような人物について、今回は話をしよう。
・ ・ ・
12月24日 クリスマスイブ。
クリスマスと言えば、恋人達が愛を誓い合う日で、不貞なことも多いはずなのに事務所で祐は手持無沙汰であった。
年末年始は家族で過ごすことが多い為か、仕事の依頼も少なくなってくる。
クリスマスがダメとなると、次の依頼が増えるのはバレンタイン頃だろうか。
事務所には、幸と萌香がいる。幸はいつも通りの読書に勤しみ、萌香は受験勉強に打ち込んでいる。
萌香には基本、簡単な事件なときや、書類の整理のとき以外は自由にしていいと言った。
そうしたら事務所の掃除を始めたため、受験勉強をするように言い付けた。
親御さんのことも考えると勉強が第一だろう。
もちろん、萌香には怪異や霊的なものに対しての抵抗力やはね返す力を高めるように、簡単な修行は続けている。
一気にやるものではないので、時間を掛けて少しずつ強くなってもらうしかないのだ。
萌香の携帯が鳴った。少し間の空いた話し方で、うん、うん、と頷いている。
電話を切った後、萌香がこちらを見つめてきた。
「…もう上がっても…良いですか……?」
珍しく萌香から仕事を切り上げる話しをしてきた。
「うん。今日は仕事もなさそうだから、上がっていいよ。お疲れ様」
寂しいことだが仕事がないのは本当だから、止める理由もなかった。
「…下のプレシャス・タイムで…勉強をしようと。…あと、祐さんに…お礼を言いたいって……」
ここでは集中できないのか、とやや落ち込んだところ、どうやら人を呼んでいたようだ。
萌香について行く形で、事務所を出ていく。誰がいるのだろう。
「いらっしゃいませ。あ、萌香ちゃん…と、お前かいな」
プレシャス・タイムに入ると、三善から男女差の激しいお招きの言葉をいただいた。
三善に湿った視線を送っていると萌香が一直線に進んでいくので、その後を付いて行く。
テーブル席の方に向かっていく。萌香の行く先に見たことがある顔を見つけた。
その女性。というか女の子がこちらに気付き、席から立ち上がった。
「守屋 祐さんですか? 足立 加奈です。あの…その節はありがとうございました」
加奈は礼儀正しくお辞儀をした。あの時は顔が半分以上見えなかったから気付かなかった。
肩に掛からないぐらいの黒髪に少したれ目がちな目が、彼女の優しい心を感じさせた。
「足立 加奈ちゃん? 良かった、退院できたんだね。いやぁ、良かった」
できるだけ、怪異との思い出に触れないように返事をした。
「…加奈ちゃんとは…最近、一緒に…勉強してるんです……」
萌香から助け舟と思いたくなるような話をしてきた。
「ご注文はお決まりでしょうか?」
ウェイトレスの桔梗が聞きに来た。それぞれ注文をし、改めて自己紹介をした。
「まだ右足の方が完治していないんですけど、塾に行くために退院したんです」
右足…あれだけ思いっきり蹴ったら、骨もなかなか治らないだろう。こっちは骨どころではなかったが。
「でも、体自体は良くなったんでしょ?もう少しで受験だから、頑張らないとね」
なんとか無難な会話で済ませていると、注文した飲み物が届いた。
「守屋さん、本当にありがとうございました。あのときは、どうかして……」
やっぱりこの話になるのか。加奈はうつむくと最後は泣いてしまった。
「もう終わったことだから大丈夫。そもそも加奈ちゃんがすべて悪い訳じゃないんだし」
できるだけ加奈の感情を落ち着かせるよう、優しい言葉を選んだ。
「…加奈ちゃんが…悪い訳じゃない…。あの子達が…そもそも……」
萌香も憤りを覚えていたのだろう。表情こそ変わらなかったが、最後の声が少し強かった。
「萌香ちゃん…。でも……」
「もうこの話は止めよう、もう終わったことだし、本当に悪いことが重なったんだよ」
話しが堂々巡りになりそうなので、俺がここで話を遮ることにした。
これ以上嫌なことを思い出す必要はない。今、彼女に必要なのは楽しい環境だ。
「そう…ですね。でも、良かったです。助けてくださった方が優しい方で」
加奈の言葉が素直でおもはゆくなった。
「ありがとう、そんな風に言ってくれると嬉しいよ。あ、名前で呼んで良いから。なんか親近感湧くでしょ? 俺も名前で呼んで良いかな?」
加奈は快諾してくれた、断られなくて良かったと安堵した。
「萌香ちゃんから聞いていた通り、本当に優しい方なんですね。話しも楽しいですし」
ここまで褒められるとテンションが上がってしまう。しかし、萌香がそんな話をしたのか。
「私は名前で呼んで良いか聞かれませんでしたが?」
おかわりを勧めにきたウェイトレスの桔梗が怖い声で聴いてきた。
どういう顔をしているか容易に想像できる
顔全体は綺麗に整っている…が、目が…。芯が強いどころか、目力が強すぎる。
前髪もぱっつんなので綺麗な日本人形のように見えるが、怖い。可愛いが怖い……。
「いや、桔梗ちゃんはウェイトレスさんだし、三善もそう呼んでたから…俺もいいかなぁ…と思ってですね……」
どんどん声が萎んでいった。桔梗の俺を見下すような目を見ると余計に抵抗できない。
「おかわりはいかがですか?」
天使のような声に変わった桔梗の勧めに従って、全員分のおかわりを頼んだ。
受験や最近の話などをしていると、2人が外を見つめた。
その視線の先には萌香や加奈と同じ制服の女の子がいた。
こちらの視線に気づくと疾走してきた。
すごい勢いで扉が開けたため、来客を伝えるベルが大きく鳴った。
「い、いらっしゃいませ」
流石は三善、持ち直したなと思っていると、その女の子はまっすぐに近づいてきた。
「萌香ちゃん、加奈ちゃん、何してるの!? あ、ドリンク美味しそう!すいませ~ん」
怒涛の勢いで来たと思ったら、今度は電光石火の如く、挨拶から注文まで済ませた。
会話が早い。これが若さというものか。会話についていけない。
パッと見る感じでは、ロリ系というのか、幼い顔だちにツインテール。可愛い。
更に服の上からも分かる、なかなか良い発達具合だ。
いかんいかん、顔が緩む。会話に相槌ぐらい打たねば。
しかし、話を聞いてると、一方的に話しているのではなく、2人の話しをキチンと聞いて、思いやりを感じる言葉を返している。
だが、質問の時は先ほどのような勢いのある話し方である。
それにどんな話題にも、興味深々な聞き方をするのも気になった。
「…あ、前に…話したことある…祐さん……」
萌香が台風のような少女に祐を紹介した。
「え~!? この人が祐さんなんですか!? 私、亀寿島 天です。
萌香ちゃんから聞いてます。って祐さん、イケメンじゃないですか~!どうしよう~」
天がジタバタしている。いや、イケメンだと!?
俺の思考がまとまる前に、反応したのは三善だった。
「会話に割り込んで、ごめんな。ちなみに祐のどの辺がイケメンなん?」
三善は完全に俺をイジリに来たことだけは分かった。
「え~。手とか指とか爪とか、めちゃくちゃカッコいいですよ」
全部、顔と関係ない所じゃないですかぁ。思わず自分でツッコミ入れてしまった。
「いやいやいや、それ全部顔じゃなくて手がメインやから」
三善が笑いながら、ツッコミを入れていた。まぁ、そうだろう。俺でもそう思ったんだから……。
ひとしきり、俺のイケメン? 談義で盛り上がり、天は帰って行った。
萌香と加奈も塾があるからと帰って行った。
席をカウンターに移して、三善と話しをしようと思った。
ニヤニヤしながら、三善がこちらに近づいてきた。
「よかったなぁ、イ・ケ・メ・ン」
三善よ、まだいじるか。ただ、三善には気になったことを伝えようと思った。
「亀寿島 天ちゃんのことで気になったんだか。あの子…治癒の天使じゃないかな」
天使が力を血に与えた人…人と天使の混血。
この世に現れない天使の代わりに人間を善に導く存在。能力はそれぞれだが、基本的には人にとって有益なものだ。
天との会話を思い出すと萌香や加奈、そして俺の悩みを引き出し、もしくは察してか、心に優しく、相手を喜ばせるような言葉を掛けていた。
体ではなく心を治療する。そして幸福にする天使の力を持つ人間。
三善は半信半疑な感じだが、天使と悪魔は善と悪に引き込むために力の一部を人間に与えていることに関しては理解していた。
「それがあの子やぁ、ちゅうことかいな? 確かに天使のような子やけどなぁ」
三善はなんとも言えない顔で答えた。自分の思い過ごしなのだろうか。
いらぬ想像をして少し疲れた。気分を変えるために事務所に帰る。
プレシャス・タイムを出たところで、思わぬ人物が事務所の階段の前で立ち尽くしていた。
亀寿島 天であった。
「天ちゃん、どうしたの? こんな寒い中で、誰かと待ち合わせ?」
少し寂しげに見えた横顔の彼女に向けて、素直に思ったことを聞いてみる。
「あ、祐さん…。祐さんを待っていたんです」
先ほどプレシャス・タイムでの台風のような勢いがなく、同じ人物なのかと思うほど大人しい。
とりあえず、外は寒いし、プレシャス・タイムに戻るのもなんだから事務所に招きいれる。
「おかえりなさぁい。ありゃ? 今日は女性連れですかぁ? 意外にやりますねぇ」
「幸ちゃん、違うよ。萌香ちゃんの友達。俺に話があるんだって」
へぇ~、と興味なさそうに応えた幸を無視して、天を応接用のソファに座らせる。
「それで話って何かな? もしかして萌香ちゃんから聞いている話し絡みかな?」
軽い感じで聞いてみたが、天は先ほどよりも、いっそう大人しくなっている。
「萌香ちゃんから少し聞いてます……。あの、私の力を消してくれませんか?」
天の言葉に目を大きくするしかなかった。
・ ・ ・
すぐには答えることができず、次の言葉を探していると天が依頼に至る内容について独白しだした。
「私は小さい頃から、泣いている人や辛そうな人を見ると駆け出して話しをしていたそうです。
私と話すと皆が笑顔になって帰って行ったそうで、父から、お前は特別な力を与えられたのかもしれないね、と言われました」
遮る言葉もないので、黙って聞くことにした。
「それは幼稚園、小学校、中学校、高校でも変わらず、色々な人を慰めたり、励まして回りました。
皆の笑顔が見れれば幸せだと思ってました。でも、ふと思ったんです。自分の心はどうなんだろう、って。
話しを聞くと、私が笑顔にした人は幸せになったことは覚えていても、切っ掛けである私との話のことを忘れていました」
苦しそうな顔で天は語っている。力を使い、人を幸せにする。良い事ではあるが……。
「笑顔にしたかったのは、私の心を満たしたくて…それが幸せと思っていたから……。
なのに人の幸せな姿を見ても、切っ掛けとなった私のことを忘れられたら……。
その幸せの始まりの記憶に私がいないなら、私は死んでいるようなものなんです!
私はこの力を捨てたい。自分の幸せの為に生きて、一緒に幸せになった人の記憶の中に残りたい!」
彼女の強い思い、願いが伝わってきた。彼女の言葉から始まった幸せの物語に、彼女は登場しないのだ。
死んでいるようなもの……。彼女の力で幸せにした者の記憶にいなければ、そうも思いたくなるだろう。
「わがままかもしれません。人を幸せにする、笑顔にする力を捨てるなんて、神様がいたら間違いなく怒られますよね…。それでも……」
大粒の涙が膝の上に握りしめたこぶしの上に落ちていく。
記憶から消えていくのは自然なことでもあるが、天使の力の影響を残さないためだろう。
天国と地獄、お互いに人の世に対して不可侵条約を結んでいるのだ。
多少の裏ワザはお互いに目を瞑るが、その痕跡を残さないのが前提なのだろう。
天使の能力を消し去るか、奪い取るか。どちらにしろ、祝福の手でもどうしようもないし、百足で喰らう訳にもいかない。
「やっぱり難しいでしょうか?」
悩んでいるのを悟られたのか、天から質問されてしまった。
「正直に言おう…難しい。可能性の話だけど、天使から見放されるようなことを行えば、その力を剥奪されるかも知れない。
けど、それは君の人生にも関わることだ。真剣に考えた方がいい」
天は自分の力を呪いのように思ってしまっているのだろう。
俺もそうだ。天よりも、よっぽど酷い呪われた力だ。
「まぁ、悩んでいても仕方がないよ。天ちゃん、明日のご予定は?」
俺の言葉を聞いて、天は目を丸くした。
「えっと、塾に行くぐらいで、他には特にないですが」
よし、心を落ち着かせろ。できるだけスマートに言おう。
「じゃあ、天ちゃん。明日、俺とデートしないか?」
・ ・ ・
朝6時。いつもの起床時間より早めに起きて、デートの準備をする。
服を合わせてみるが、これ! と言った組み合わせができない。
待ち合わせの時間もあるので、とりあえず無難な格好で済ませる。
朝7時、亀寿島 天の家に近いコンビニで待ち合わせを予定していた。
時間前行動を厳守する自分は時間前に到着した。
コンビニの中を見ると、すでに天が飲み物を品定めしていた。
近づいて朝の挨拶をする。天は少し驚いたが、すぐに挨拶を返してきた。
天が気にしていた飲み物を取り、自分の分も取って会計を済ませる。
「すいません、私の分も買っていただいて……」
やはり大人しい天に対して、構わないよ、とだけ返した。
向かうのは、ネズミー・パーク。日本でも有数のテーマパークだ。
そんなテーマパークが天野原市からは以外に近いのだ。
高速に乗り、目的地へ向かう。
しかし、会話が弾まない。話し掛けても、気分が乗った返事はなかった。
目的地に着いて、駐車場に停める。
遠目から見て気付いてはいたが、凄い人間の列が見えていた。これには閉じていた口が開いてしまった。
「す、すごい行列だね。まだ開場まで1時間以上あるのに」
圧巻の光景に飲まれたまま、素直な感想を天に伝える。
「祐さん、来たことないんですか? クリスマスだから更に多いのかもしれませんが」
天は来たことあるのか、と思っていると、すぐにクリスマスの単語に反応してしまった。
「な、なるほど。クリスマスだもんねぇ。いやぁ、すごいねぇ、クリスマス」
クリスマスに女の子といることを意識させられてしまった。緊張してきた。
待ち時間がもどかしい、というか緊張でどうにかなりそうだ。
多分、他の人が俺の顔を見たら、体調を心配してきそうな顔だろう。
天は慣れているのか、変わらない表情をしている。俺のことを意識していないのか?
開場の時間となった。これだけの人だ。中に入るまでの時間も掛かる。
前売りチケットを買ってあるからスムーズに入れるが、この人間の数だ。とりあえず、列が進むのを待とう。
ふと横を見ると、天が軽く屈伸やアキレス腱を伸ばしている。
「ねぇ、天ちゃん。何してんの?」
その光景から、この質問しかできなかった。
「祐さん、前の方を良く見てください。入った人達が走ってますよね。
並ばずに乗ることができるチケットを取ることができるんです。それが、早ければ早いほど、早い時間に乗れるんです」
なるほど。お目当ての物に確実に乗れるのか。それは急いで取りに行かなければ。
遂に自分たちの出番だ。ゲートを潜ると、天が走り出したので、
急いで自分もついて行く。どうやら行きたかったのは、ラブリーなお城のようだ。
「やっぱり、だいぶ遅い時間にしか入れませんね。夕方になっちゃいますね」
肩で息をしている自分に対して、すでに息の整った天が話してきた。
「なるほど。じゃあ、他の所に行こう。どこに行こうか」
2人で相談しようと地図を取り出すと、天が手を引いて次の場所に移動し始めた。
この光景、逆じゃね? 女の子に引っ張られるがまま、アトラクションの前に並ぶ。
「ここもすごい行列だねぇ。だいぶ時間が掛かりそうだね」
あれだけの人間が入場待ちをしていたのだ、当然の話しを天にする。
「祐さん、分かってないですねぇ。ネズパは1日にして遊び尽くせず、そんな言葉があるぐらいですよ?
今日、1日で回れるアトラクションなんて3、4か所ぐらいですね」
え!? そうなの!? 地図のアトラクションの数を数えると20か所以上はある。
この中の4か所!? ホントに? 信じられない顔をしていると天が話しかけてきた。
「まぁ、人気がないアトラクションならもっと回れますが、楽しい方が良くないですか?」
全くもって、その通りだ。なら楽しもうと言って、列をじわじわと進んでいく。
待ち時間にもいろいろあるようで、社員の人が遠くで大道芸なようなことをしたり、道をロボットのような動きで歩いて行く人などがいた。
天が、あの人はね! と、色々と説明してくれた。頭にたいして入らなかったが、天の楽しそうな顔が見れて本当に良かったと思う。
アトラクションに振り回されて、ファンシーなレストランで食べるのを躊躇させるような可愛いランチを食べる。
そして、またアトラクションの待ち時間をテンションの上がった天のネズパ話を延々と聞き、またアトラクションに振り回される。
もう1回同じことを繰り返すと、さすがに俺の三半規管も悲鳴を上げる。
「祐さん、酔っちゃいました? 少し休みますか?」
天が気遣ってくれた。嬉しいが答える元気がない。
大丈夫なことを伝えるために、グッと親指を立てて見せた
「もう、そろそろ予約した時間ですね。キツイかもしれませんが、行きましょうか」
結局、手を引っ張られて、連れて行かれる。何度目だろう、この逆の光景は。
予約していたアトラクションについて、天が楽しそうに解説してくれる。
悲劇な人生を送っていた女性が、ある国のお姫さまで、他の国の王子様と優しき魔女の力で取り戻したお城を、魔女の力で綺麗に戻したお城を再現したものらしい。
お城の中を馬車の形を模したコースターで、それぞれの部屋を回っていく。
天が小さな声でここはあの部屋など、色々教えてくれた。半分も覚えてないが。
最後は一番上の部屋の窓際を通る。ネズパの全体が見えるようだ。
その時だけは、コースターがスピードを落としてくれた。
天の顔を見ると、目が潤んでいるように見えた。
・ ・ ・
お目当てのアトラクションを乗り終えて、園内の広場に行った。
「あ~あ、本当に楽しかったなぁ。何度来ても楽しいなぁ。」
満足した顔と声を出しながら、大きく手を上に上げて、背を伸ばしていた。
「それは良かった。俺も楽しかったよ。初めて行ったから、天ちゃんが居てくれて助かったよ」
思ったことをそのまま伝えた。疲れたが、それ以上に楽しかったのだ。
「すごい疲れた顔をしていましたが?」
意地悪な顔をして、天は思い出したくない事を聞いてきた。
「意地悪なことを言ってくれるなぁ…。さて、もう一つ行きたい場所があるんだ。行こうか」
天は、どこに? って聞きたそうな顔をしていたが、何も言わずに駐車場に向かった。
天野原市に帰る途中の海浜公園に車を停める。
「ちょっと歩くから、ちゃんと着込んどいてね」
天は、分かりました、と言い一緒に車から外に出て行った。
公園の脇にある散策用の道を歩いて行く。
木が生い茂る森を歩き、土と木で固められた階段を上っていく。
「どこにいくんですか? 祐さん、ヘロヘロになってたのに」
天はまだ元気そうな声で俺の言われたくないポイントを突いて来た。
「まあ、それはお楽しみ。ちょうど、良い時間だと思うけど」
狙っていた時間だし、たぶん大丈夫だろうと思った。
少し進むと森が開けた。そこはちょっとした高台になっており、海が一望できる場所に出た。
「どうだい? すごいだろ? 少し風はあるけど、綺麗な場所だろ」
夕日が海を照らして、空が赤く染まっている。
天が涙を流し始めた。何に対してだろう、聞くことではないと思い、海に顔を戻した。
夕日は好きだ。活力を与えてくれる朝日も好きだが、夕日は次に訪れる夜を迎えるように消え、次の日の輝ける朝日になるために力を溜めているようで……。
そうして、1日が始まり、終わる。そして、新しい1日が始まるのだ。
天が急に転落防止用の柵を越えた。
「天ちゃん、どうしたんだい? 危ない所に、わざわざ近づくもんじゃないよ」
なんとなく天がしたいことが分かった。分かったから、静止ではなく、戻したかった。
「祐さん…、今日は本当に楽しかったです。ありがとうございます。この事はきっと祐さんの中に残ってくれると信じてます。
私が本当に幸せだったから…祐さんが私とだけ楽しんでくれたから……」
天は涙交じりの声で思いを伝えてきた。言葉が正しいのかどうかは分からないが、言えることを言うしかない。
「そうだね。俺は君から幸せをもらったよ。
でも、君の力で俺を慰めてくれたのでもないし、苦しみを癒してくれた訳でもない。俺と君、2人で築いた幸せだ。
これは忘れられるものでもないし、忘れたくない思い出だよ」
天が涙をこぼし始めた。記憶から忘れられていく存在であったことを否定してからだと思う。
「ありがとうございます……。でも、この力は私には重すぎて、もう……。
この力から解放されたいんです…。それが死…でも……」
その結論に達するのは想像できていた。力を取り除くことが難しいと言った時から……。
自分の力で追い詰められていた天が、おそらくそう考えることもあるだろう、と思っていた。
でも、死んではダメだ。それは違う……。
「天ちゃん、それは違うよ。君が死んでしまえば、確かに記憶に残るかも知れない。ただ、それは悲しい記憶だよ。今、人に刻む記憶じゃないんだ。
言ったよね? 君が本当に楽しめば、誰かと楽しみあえばそれは記憶として残る。
誰かの悩みや苦しみを癒す力を使うのも大事だけど、君自身が楽しむこと、幸せを求めることが必要なんだ」
そう。力に縛られて、その力を使って人に奉仕する。その結果を幸せと考えるようになってしまった。その心が彼女を悩ませているのだ。
「誰かを癒すのは悪いことなんですか……? 誰かを幸せにすることが悪いことですか……?」
自分の考えを否定された。天にはそう聞こえたのだろうか。天は顔をうつむかせながら言った。
「悪いことじゃない。俺も人を幸せにしたいと思う。でも、自分が本当に幸せになることを優先して欲しいんだ。
誰かと遊んで、誰かと美味しいご飯を食べて、誰かと恋をして、誰かを愛して…。君が、君自身が中心となった幸せを築くんだ。
天ちゃん、君は天使じゃない。天使のような女の子だけど、天使じゃないんだ。
自分の力を誰かの為に優先して使わなくて良いんだよ……」
優しい言葉を選んだつもりはない。当たり前に人が求めることを彼女にはして欲しい。ただ、それだけのことを口にした。
分かってくれたのか、天が柵を跨いでこちらに近づいてきた。
そのまま近づいて来ると、俺の胸に頭を押し当てた。
「…抱きしめてもらっても…いいですか?」
胸が大きく高鳴ったが、両手で天を包みこむように抱きしめた。
しばらく、海風と木のざわめきだけが、この場所に流れていた。
「こういうことなんでしょうか? 自分のしたいこと、自分の幸せを求めることって?」
胸の中で天が言う。震えるようなものではなく、しっかりした声だ。
「そうだよ。君がしたいことをする。それは能力によって与えられた仮初めの幸せじゃない。
君が本当に求めたもの、わがままな思いから、幸せを求めた行動さ」
体に伝わる優しい温もりに向けて、言葉を掛けた。
日が暮れていき、海に太陽が溶けていく。次の日を迎えるための夜が始まる。
天が離れようと少し力を入れたので、包んだ腕を放した。
「この幸せは消えないんですね? 忘れないんですよね?」
可愛い笑顔を見せながら、天が尋ねてきた。
「うん。忘れないよ。可愛い女の子のわがままを忘れるもんか」
最後のクサいセリフを聞いて、天の顔が更に明るくなった。
車に戻り、天野原市に帰る。遅くなっては両親も心配するだろうと天に聞いた。
「今日は塾に行くと言ってますから、多少遅くても問題ないんですよ」
ちょっと悪いことをした顔で答えてきた。
「嘘ついたんだ。天使じゃないじゃん」
笑いながらおどけた口調で返すと、天も笑って返してきた。
本当の彼女が出せるようになったことが嬉しい。
台風ような怒涛な話し方の彼女ではなく、心地よい春の風の様な柔らかで弾むような話し方が本当の彼女なのだろう。
「今日のこと、本当に楽しかったです。ありがとうございました。祐さんはどうでした?」
改まって天はお礼をすると、こちらの感想を聞いてきた。
「楽しかったよ。アトラクションと待ち時間に振り回されたけど、天ちゃんが教えてくれたから、飽きることなく楽しめたよ。最後のお城の光景が一番良かったかな」
純粋な感想に天は安堵したようだが、すこし不安そうに聞いてきた。
「この思い出は…本当に忘れないんですよね? 祐さんだけの楽しい思い出にならないですよね?」
まだ、自分の力と、自分のわがままとの違いが分からないからこその質問か?
「忘れるわけないだろ。なんせ、初めてのデートだからね」
事実を告げたのだが、天が目を見開いている。
「祐さん…。本当にモテなかったんですね……」
憐れんだ声で事実を再確認させられたので、うっせぇ、と笑いながら返した。
待ち合わせに使ったコンビニに到着した。行きと違い、帰りは笑いに満ちていた。
その中でも、天が自分についての話を多くしたことが嬉しかった。
天は早々に車を出て、運転席まで小走りで来たので、窓を下げる。
「今日は本当にありがとうございました。…私の命と心を救ってくれて……」
目を閉じてカッコよく、気にする必要はないよ、と言おうと思った時、唇に柔らかい感触がした。
驚いて目を開けると、天の顔が離れていくのが見えた。
「たいしたものじゃないですが、精一杯のお礼です」
天は顔を赤らめて、恥ずかしそうに言った。多分、こっちの方が真っ赤だろうけど。
「あの、また遊びに行っても良いですか? プレシャス・タイムや…事務所とか」
その問いに即、いいよ、いつでも歓迎、と早口に言った。
まだ恥ずかしさというか、嬉しさというか分からないが、顔がどうしてもニヤけてしまう。
何を考えてもさっきの唇の感触を思い出す。
いや、あれは卑怯だろ。いや、タイミング良すぎだろ。俺の心を盗む気か?
運転に集中できないほど、頭の中が混乱している。
・ ・ ・
事務所の駐車場に車を停めて、ミラーを見る。
自分でもキモいにやけ顔が映る。深呼吸して真面目な顔をする。この顔を維持するんだ。
事務所で報告を聞いて、早々に帰る。よし、行くぞ! と気合を入れる。
事務所のドアを開けると、帰ってきた言葉を言う前に、破裂音がした。
呆気にとられていると、クラッカーを持った、幸と萌香がいた。
「おかえりでぇ~す。メリィ~クリスマァ~スでぇす」
「…メリー…クリスマス…」
幸は分かるけど、萌香がいることに驚いた。
「萌香ちゃん、もう夜遅くだよ?9時前だし…あ、いや嬉しいんだけどね、もちろん」
おそらく両親も心配してるだろう。その思いもあるが、嬉しい気持ちもある。
「萌香ちゃんがパーティーしよ~、っていってきたんですよぉ?
そんな優しい萌香ちゃんを帰すのって、ハードボイルド祐的にどうなんですかぁ?」
そうなのか? それであれば萌香の気持ちが本当に嬉しい。
あれほど辛い生活を送っていたのに、こういう気持ちになれるようになったなんて……。
ただ幸よ、本当に恥ずかしいことをさらっと言うのは止めて欲しい。
萌香が奥からケーキを取り出してきた。
流石に3人なのでカットケーキだったが、彼女が買って持ってきてくれたのが嬉しい。
「…祐さん…お好きなのを、どうぞ……」
萌香が進めてきたが、やはり女性に先に選んでもらうのが良いだろう。
「萌香ちゃん、先に選びなよ。次に幸ちゃんね。俺は基本甘いのなら何でもイケる口だから」
この提案を了承をしたのか、萌香がフルーツケーキを取り、幸はショートケーキ、俺は残ったチョコレートケーキを取った。
「じゃあ、皆で手を合わせて…。いただきます」
萌香は合わせてくれたが、無言だった。幸にいたっては、すでに食べ始めていた。
「美味しいね、萌香ちゃんありがとう。クリスマスがこんなに楽しかったのは初めてだよ」
お礼を言って思った。そういえば、夕飯を食べてなかった。ケーキが余計に美味しく感じる。
「…美味しくて…よかったです……。楽しかったのも…よかったです……」
萌香は言いながら、表情が少し柔らかくなった気がした。
今日は、色々あった。女の子のわがままも、思いやりも、どちらも嬉しかった。
天使は優しく、温かで、人に奉仕する存在と考えられている。
ただ、天使に近い人間にとっては、わがままがあっても良いだろう。その程度はお目こぼししてもらいたいと本当に思う。
「祐さん、顔がニヤけてますけど、何か良いことでもあったんですかぁ?」
幸が目ざとく、人の表情の変化を見つけて言ってきた。絶対に言うもんか、と心に鍵を掛けた。