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夢の対価

 この世の中には等価交換というものがある。

 需要と供給が一致した物を交換するというものである。


 何かを得る為には、何かを犠牲にしなければいけないというものだ。

 今で言えば貨幣を用いて買いたい物を買う。これも一種の交換と言ってもいいだろう。


 あくまでも貨幣には国が貨幣価値がある物としている為、この交換が成り立つ。

 それでは貨幣価値が成り立たない物や時代の場合は、どのように交換していたのか。


 その場合は物々交換という方法が取られる。

 需要と供給について大きな差があるとしても、お互いの利害が一致していれば成り立つものである。


 では、その需要の対価が……供給する側の求めるものが通常の物でなければ……。

 その場合に人はどのように対応するのか。別の物で対応するのか、求められるまま差し出すのか……。


 誰しもが思い求めるであろう、輝かしい夢。その夢を叶える為に、人は多くの犠牲を払う。

 それこそ相当な差が生じる供給を満たすことが必要になる。そんな夢を叶える為に人はどのような対価を支払うのか。今回はそんな話をしよう。


    ・   ・   ・


8月下旬

 祐は夜の闇が覆うはずの街が、昼間と変わらない程の光を放つ街の中を歩いていた。


 目的の場所はネオンが輝くメインストリートから中へ一本入った場所にある。

 一本入るだけで先ほどの昼間のような眩い空間から、夜の闇へと切り替わる。


 赤ちょうちんが照らす、1つの居酒屋の暖簾を潜り、目的の相手がいる席を探す。

 すでに集まっているようだ。むしろ、集まる寸前に呼ばれたので集まっているのは当然か。


 「守屋さ~ん、こっちですよ。こっちぃ」

 刑事の立花が大げさに手を振っている。そこまでして呼ばれるものではないのだが……。


 「守屋さん、無理に呼んでしまい申し訳ありません。立花が一緒に飲むということでしたので」

 「神尾さん、構いませんよ。と言っても、お酒は弱いですし、車で来ているので飲めませんが」

 相変わらずの真面目な対応をする刑事の神尾が気にしないような言葉を口にした。


 「いや~、滅多にないですからねぇ。神尾さんも普段はあまり乗ってくれなくて。守屋さんが来たらOKすると思ったですよ」

 相変わらずの軽い口調で、立花は詫びる感じが全くしない言葉を口にした。


 「立花、お前……。守屋さんからのお誘いじゃなかったのか? そんなことまでするなんて……。守屋さん、」

 「良いですよ。たまには事件以外でも、お話ししてみるのも良いじゃないですか。私も楽しみしていましたから」

 事実を言ったまでだ。普段の神尾をあまり知らない。立花は見たままだろうから気にはしていない。


 「さっすが、守屋さん。話しが分かりますねぇ。神尾さんはそこら辺が厳しくってぇ」

 「お前が緩すぎるんだ。警察官としてもう少し人の規範となるように行動をしろ」

 「まあまあ、神尾さんの実直さも分かりますが、普段の姿をあまり知らないから立花くんも気になったんでしょう」

 立花も俺も気になっているところがあるから、こんな話になっているのだろう。話してくれるかどうかは分からないが……。


 「んで、神尾さんって彼女とかいるんですか? いるような、いないような……そういうとこ見せてくれないじゃないですか?」

 少し酒が回ってきたであろう立花がぶっこんだ質問をしたため、鼻からウーロン茶を噴出しそうになった。

 動揺を隠すように咳払いをして居住まいを正す。聞きたい質問だったが、これだけストレートに神尾に聞ける人間はすごい。いや、立花だからこそか?


 「立花……。お前に言う必要もないし、例えいたとしても業務に支障はきたしていないだろう?」

 「確かにそうですけどぉ……。守屋さんからも聞いてくださいよぉ。気になっているんでしょう?」

 こちらの動向を事前に察知していたかのように立花が言ってきた。気にはなるが、そこまでストレートに聞くと流石に答え辛いのではないか?


 「まぁ、気にはなりますが……。聞くのであれば、過去の話も良いのではないのでしょうか? 普段はそんな話もしないでしょうし」

 少しだけ神尾に逃げ道を作るように言った。現に、事件の時以外ではほとんど喋っていないからだ。

 ため息を大きく吐いてから神尾は俺を少し見た後に、立花に目を移した。


 「せっかく守屋さんがいらっしゃる場ですから、初めての出会いについて話しても良いでしょうか?」

 「ええ? そんな話ですかぁ? いやいや、興味がない訳では……。続けてください」

 どうやら立花は俺に対して興味がないことが分かった。しかし、神尾側からの視点で話を聞くのも良いかもしれない。

 この謹厳実直を絵に書いたような神尾との出会い……。悪い出会いではないと、今でも思っている。


    ・   ・   ・


2年前

 神尾は気が乗らない仕事に就いていた。

 よく分からないがアイドルと言われる人物が、天野原市中央署の1日署長に就任した為、その警護を任されたのである。


 自分は片付けなければいけない案件が残っているのに、こんなことに借り出されるほど暇ではない。

 何やら防犯活動のPRを行っているようだが効果があるのか、はなはだ疑問に思っていた。


 正直に言えば、このようなお祭り騒ぎをするより、余程捜査を優先すべきだと思った。

 しかし、このような行事も必要だと警部から言われれば返しようもなかった。


 「神尾くん神尾くん。顔が硬いよ? もうちょっとスマイルスマイル」

 「自分にとって、これが限界のスマイルですよ。金山警部補?」

 やや後退した髪に人懐っこい笑顔の金山の問いに自分なりの返答をした。

 金山は普段からノリが良い人ではあるが、仕事では真面目な刑事であり尊敬すべき人だ。


 「神尾くん、限界早過ぎじゃない? まあ、どこでカメラに映るか分からないからさ。その辺は考えてね?」

 「はい、できるだけ職務を全うします」

 「う~ん、そこが硬いんだけどねぇ……。まあ、良いや。がんばろっか」

 乗り気なのか金山は少し楽しそうだ。子供の影響もあるのかもしれない。尚更、自分には興味が持てなかった。


 多目的体育館の前の開けた場所で記者会見、というより笑顔を振りまいているアイドルの姿を見ても何とも思わない。

 しかし、現にアイドルを狙った犯罪は後を絶たない。このアイドルもそうなのだろうか?


 髪は肩まで掛かるような長さで、軽くパーマが掛かっている。顔は……良く分からない。犯罪者の顔は覚えるが特に興味がないためであろう。

 その時、取材カメラを縫うように近づく影を見つけ駆け出していた。


 職務を全うすると言ったからには、気が乗らなくても動くのが警察官だ。一般人だろうが芸能人だろうが手出しはさせない。

 規制線を越えようとした所で近づいた男の前に立った。


 「これ以上は近づかないようにお願いします」

 「良いじゃないか? ユマタンを生で見させてよぉ。こんなに近くで、」

 「お下がりください」

 オタク? と思しき男は大人しく引き下がってくれた。暴力沙汰になれば、それこそ警察の沽券に関わる。


 ステージでの笑顔を振りまき終わったのかユマタンと言われたアイドルがステージ裏へ戻ってきた。

 アイドルは自分の方に向かって来たので道を開ける。


 「え? あ、いや、通りたいとかじゃなくて、お礼を言いに来たんです。ありがとうございました」

 ああ、そういうことか。言われる程のものでもないがないが、素直に受け取る。


 「職務を全うしただけです。1日署長なので、あなたの身を最優先で守るだけです」

 「へぇ~……。よくイケメンって言われませんか?」

 「さあ、そのような事には疎いものでして。そう思われたのなら、そうだと思います」

 どうでもいい話を振ってきたので、自分は適当にあしらう様に返答した。


 「それでは1日署長として私のボディーガードになってください。さっきのような人も多いので」

 アイドルの言葉に絶句した。テレビに顔が映るかもしれないような事をするのか……。理解に苦しんだ。


    ・   ・   ・


 マネージャーと署長が交渉したのだろうか、上からの指示でできるだけ近くで警護するよう言われた。


 「神尾くん、やったじゃない。アイドルと接近できるなんてさぁ。サインとか貰えるかもね」

 「金山警部補……。それならサインをいただくことばあれば、差し上げますよ?」


 「ん~。やっぱり硬いよねぇ。刑事としてはすごく大事なことなんだけどね。あまり興味ないの、女の子に?」

 また、そういった話か。何故こうも皆はそういう話が好きなのだろうか。返事をしないのも悪いと考え、それなりの回答をする。


 「ない訳ではないですよ。ただ、どういう人と自分が合うのかが分かりません。それだけの話です」

 金山は不思議そうに自分を見ていたが、何故か納得したように去って行った。


 アイドル、もとい上坂こうさか 由真ゆまはパトカーでの移動の最中も笑顔で手を振っているようだ。

 何か起きるとなれば窓を開けている側。上坂がいる左後部座席が一番危険だ。

 何が起きても良いように、少しだけ上坂に寄って周囲を警戒する。何かあれば自分の体を盾にするだけだ。


 撮影をする区間を通り抜け、撮影する者が少なくなった時に気付いたことがあった。

 喪服のように黒いスーツを着た男がいることに……。先ほどの会場付近でも遠目で見ていた。

 何か関係があるのか分からないが、その存在にできるだけ気を付けようと思った。


 上坂はやや疲れた顔をしていた。それもそうだろうと思う。

 何せ、1日中愛想を振りまき続けるのだ。自分では耐えられない。


 「ありがとうございますぅ。神尾さんが引き受けてくれたお陰で、問題なく済みそうです」

 「署長から直々の命令でしたので。さすがに警察が守っている中、無茶をする輩も少ないでしょう」

 在り来たりな返事をする。問題がないに超したことはない。


 「あ、こっちを曲がると美味しいイタリアンのお店があるんですよぉ」

 「そうなんですか。お詳しいんですね」

 「はい。仕事で何度か天野原に来たことがあるので」

 天野原にこれと言って見るものはないと思うのだが……。食事のレポーターか?


 そこかしこで声を掛けられ手を振られ、それに対応する上坂はある意味プロフェッショナルなのだろうと思った。

 仕事にはプライドと覚悟を持って挑むべきと考えている。それならば彼女もそのように考えているのかもしれない。


 「少しお疲れでしたら、喫茶店などで休憩を取られてはいかがでしょうか? 一息つくぐらいの時間はあると思いますが?」

 「良いんですかぁ? すごく嬉しいです。じゃあ、オススメの場所とかありますか?」

 この質問には参った。基本的にファミレスなどで簡単に済ませる自分にとっては難題であった。


 変に同情してしまった事が仇になってしまった。とりあえず、車窓から探してみるが、それらしきものが見当たらない。

 「あんまりお詳しくないんですねぇ。私が好きな場所が近くにあるから、そこにしましょう」

 笑いながら上坂は言ってきた。返す言葉もなく、小さく頷くことしかできなかった。


 上坂が案内してくれた喫茶店はそこまで大きくなく、こじんまりとしていた。木を基調とした落ち着ける空間であった。

 店員に席を案内されようとしたが、窓から一番見えない席に座るように誘導した。

 できるだけ上坂が見えない位置と、何かがあれば動けるような位置を確保した。


 「面と向かってお茶をするわけじゃないんですねぇ。少し楽しみだったんだけどなぁ」

 「私はあなたを警護する役割を与えられてます。何かあれば、すぐに動ける位置にいるべきですから」

 上坂の問いには答えず、自分の役割だけを説明した。何かがあってからでは遅いのだ。


 一杯ずつ丁寧にコーヒーが入れられているのか、良い匂いがこの空間に広がってきた。

 そんな柔らかな時間を切り裂くように、うるさい音を立てながら喫茶店に人が流れ込んできた。


    ・   ・   ・


 「ユマタンがいたぁ!僕の言った通りだっただろぉ」

 「ユマタン、握手して。握手」

 「写真、写真は? 一緒に撮っても良いよね?」

 5人か。面倒な輩が来たものだ。せっかく一息つけると思ったのに……。

 上坂を見ると明らかに困った顔をしている。ここは身を張って止めるべきだろう。


 上坂に接近しようとするオタク達に対して、これ以上進めないように壁になる。

 先ずは無言の圧力を掛ける。


 「な、なんだよぉ。これぐらい良いじゃないか。ファンだったら、それぐらいの権利はあるだろう」

 1人のオタクが言うと、それに同調するように不満や権利を主張してきた。


 「いい加減にしろ! 彼女は仕事で疲れて、ここに来たんだぞ? ファンなら気遣いの1つもするべきじゃないのか?」

 この言葉にたじろいだのか、オタク達が少しだけ下がったのを見て、喫茶店から追い出すように押し出した。


 「ありがとうございますぅ。助かりました。アイドルってプライベートも仕事のようなもので……」

 せっかく一息つけるはずだったのに、上坂は余計に疲れてしまったように見えた。


 「警察官も同じですよ。休みでも休まらない……。ただ、誇りを持って仕事ができます。私の仕事が人を守ることに繋がっていると。

 上坂さんのアイドルという仕事もそうではないのですか? 人に夢を与えることに誇りを持っている仕事だと、私は思います」

 自分の言葉が何か面白かったのだろうか? 口に軽く手を当てながら、上坂は楽しそうに笑っている。


 「いえ、仕事の話以外のことを喋られたので、つい。そうですよね……。誇りかぁ…、あんまり意識したことはないですね。でも、夢を与えたいって気持ちはあります」

 さっきまでの媚びた話し方から、真面目な口調になっていることに少し驚いた。これが彼女の素なのだろう。

 何てことはない、ただの女性なのだ。しかし、それに耐えなければいけない過酷な環境でもあるのも、また事実なのだろう。


 「さて、そろそろ時間ですね。また仕事に戻りましょう。1日署長のお仕事を最後までやり遂げてください」

 「はい。がんばります。と言っても、また手を振って防犯活動のPRなんですけどね」

 自分の言葉に上坂は少し寂しげな笑顔をした。好きで入った世界が全て楽しい訳ではない。苦しいこともあるだろう。


 それを知っても尚、彼女は頑張っているのだ。それを理解しているなら、自分から言うべきことはない。

 パトカーに乗り、先程と変わらない笑顔と手を振ってファン、もしくは知っている人に夢を与えようとしているように思えた。


 1日署長の最後の挨拶と防犯活動のPRを行っている上坂を見て思う。楽しい仕事ではないだろうに……と。

 だから、どうと言うことはない。それも彼女の仕事なのだ。自分が全うしている仕事となんら変わりない。

 上坂の挨拶も終わり、壇上から裏手のスタッフエリアに戻ってきた。


 「お疲れ様でした。1日中、手を振ってお疲れでしょう。早めに帰られるのがよろしいかと」

 「そうですね。そうさせて貰おうかな。やっぱり疲れました。先輩達のようにはいきませんね。頑張らなきゃ……」

 「それもありかと思います。ただ、がむしゃらに追い続けることが良いとも思えません。自分の長所を伸ばしていけば、先輩達とは違った良い面が出てくるでしょう」

 そう。無理にできない事をしてできたと思っても、置いて行かれる。ならば、自分にしかない武器を磨けば良いと思う。

 自分の言葉に上坂は目を丸くし、すぐに優しい笑顔になった。媚びた笑顔ではない感じがした。


 「神尾さんって、もっと怖い人だと思ってました。良い人なんですね。ちょっとビックリかも」

 「心外ですが、怖い人と言われる事はよくあります。あながち間違いじゃないかもしれませんよ?」

 そう言うと、上坂は口に手を当てて小さな笑いをした。


    ・   ・   ・


 何故かアドレスの交換までさせられてしまった。困った時に相談したいと言われると無下に断れなかった。


 しかし、アイドルとしてはどうなのだろうか? ファンがいるのに、その思いはどうなるのか?

 ファンではないから分からないが、寂しいことであろう。自分の好きなアイドルが、別の男と連絡を取るなど……。


 そんな考えをしていると、また黒いスーツの男が上坂の車を見張るように見ている。

 声を掛けて静止すべきと動いたものの、まかれたのか見失ってしまった。


 何かある訳ではないかもしれないが、何かあるような気がする。顔だけは覚えた。

 釣り目で端正とまではいかないが覚えやすい顔をしていた。


 今日で3度目ともなれば、気にしない訳にはいかない。

 次に見かけたら、職務質問を掛ける必要があることだけは記憶に留めておく。


 「神尾くん、神尾くん。どうだった? 生ユマちゃんは?」

 金山が興味津々とは正にこの事を言うのだろうという感じで話しかけてきた


 「普通の女性でしたよ? 特にそれ以上でも、それ以下でもありませんでした」

 「神尾くん……。もうちょっと何か楽しい話をしてよ」

 金山が残念そうに席に戻って行った。

 その席には連続失踪事件のファイルが置かれていた。

 

 「やはり、その件はまだ片がつきそうにありませんか? 家出などのケースもありますから、おおぴっらな捜査もできませんよね」

 「だよねぇ。なんて言うか…若い子に集中していることが気になるよね。他に共通点はないし……。じゃあ、なんで若い子なのか?」

 「よくあるのは麻薬漬けにして、そこから離れられないようにする。しかし、今回のケースは真面目な子も多いんですよね?」

 頭の中を整理しているのか金山は首を傾げている。犯罪に巻き込まれそうにない子までいなくなっている……。


 「早めに公開捜査に切り替えるのが良いかもしれませんね。市民からの情報提供が重要になってくるでしょうし」

 「上にはそう打診しているんだけどね……。他の事件、ああ、連続して見つかったミイラ化した遺体の件に人員が割かれているからね」

 失踪した事件より既に亡くなった人に人員を割く……。どちらも大事だが、どちらも見過ごせない。警察にはこのジレンマが付きまとう。


    ・   ・   ・


数日後

 夜食を食べていると携帯のバイブが音を立てているのに気づきディスプレイを見ると、上坂の名前が表示されていた。


 「はい、神尾です。何かありまし、」

 「神尾さん、助けてください。変なのに襲われて、でも先輩がその建物の中に、」

 「上坂さん、その場所を教えてください。すぐに向かいます」

 上坂の口調から、ただ事ではないことだけは理解できた。もしかしたら不貞な輩に捕まったのかもしれない。


 「えっと……この前に行った喫茶店の通りから中に入っいやぁぁぁぁぁぁ」

 「上坂さん! 上坂さん!?」

 電話からは何も聞こえない。何が起きたのかは分からない。ただ、場所だけは分かった。

 パトカーを借り、すぐさま喫茶店へと向かった。


 喫茶店から一本入ると再開発地区になっているためか、空きビルや空き家が目立つ。

 昼でさえ閑散としている場所が、夜になると不気味なほどに静かで闇が覆ってくる。


 しかし、このままではいけない。車を降りて上坂を探さなければ。まだ携帯は通話中だ。

 上坂に呼び掛ける、呼びかけ続ける。本人に届かないにしても、携帯の近くにいる可能性がある。


 どこからか自分の呼びかける声が電話越しに聞こえてきた……。

 1つのビルの前に男が立っていることに気付いた。あいつは……。


 黒いスーツの男であろうやつに思い切り掴みかかり、背負投げを決め、アスファルトに叩きつけた。

 すぐさま腕の関節を決めようとした。が、反動をつけて顔面蹴ってきたので腕を放さざるをえなかった。


 「いつつつ……」

 痛みを訴えるように黒いスーツの男は言うが、あまり痛そうではない。アスファルトの上に叩きつけて、この様子。只者ではない……。


 じわじわと距離を詰めていると、黒いスーツの男は後ろに飛び退いてビルの階段を明け渡した。

 ホルスターから拳銃を抜き、スーツの男に向ける。


 「お前は何者だ? ここで何をしている?上坂はどこだ!?」

 「あまり質問ばかりされても答えようが……。でも、上坂さんは上にいるでしょう。なので、どうぞ行ってください。他の方を呼んでも構いません」

 何を言っているのだ、この男は。自分に行けと? 他の者も呼べと? 理解ができない、だが上にいるのなら向かうしかない。

 携帯から金山に電話をし、住所を伝えて至急応援の要請を行い、スーツの男を横目にビルへ入った。


 1階、1階、慎重に昇って行く。月明かりも届かない暗いビルの中では手さぐりで探すしかない。

 4階に昇って壁に触れながら歩いていると、背筋にものすごい寒気を感じた。振り向くのが怖いぐらいに……。


 勇気を振り絞って後ろに無理矢理振り返ると、複数の目が輝いている何かが天井の隅にいるのが分かった。

 すぐさま銃を撃つと、その何かが天井を猛スピードで動き回り、狙いが定まらない。


 多少暗闇に慣れたからと言っても、このスピードでは狙えない。そう思っていると手に違和感を覚えた。

 手が何かで固められている。銃の引き金すら引けない、この状況……。

 何もできない無力感に苛まれた時、強烈な光が闇に包まれたビルの中を照らした。


 その光から隠れるように、光が当たらない場所に逃げていく何かを見ると、正しく蜘蛛そのものだった。

 「あれ、逃げてしまいましたか。刑事さん、大丈夫ですか? そこの部屋、見えるでしょうか? 繭にくるまれたようなもの……。あの中に被害者がいます」

 どういうことかさっぱり分からない。この男は何者で、何をしにここまで来たのか?

 しかし、分かったことがあった。上坂が繭にくるまれずに頭から蜘蛛の糸のようなものが引っ付いていることに……。


 「あの蜘蛛は人の夢を叶える為に、その対価として人の命を要求したようですね。まあ、夢が小さければ命までは取らないですが余程の願いなんでしょう。ここま、」

 「上坂さん! まさか君が今回の事件の犯人だと言うのか? あんな化け物を使ってまで、君は夢を簡単に手に入れようとしたのか!?」

 彼女は頑張ると言った。その結果がこれなのか……。自分にはそんなことを信じられない。あの笑顔が偽物だったなんて。


 「ああっと、刑事さん。勘違いされているようですが、彼女は被害者ですよ? 本当の犯人はあの繭の中にいます。と、その前に、群青百足あいつを喰らってこい」

 首筋から大きな百足のようなものが飛び出したと思うと、暗闇の中に飛び込むような勢いでこの階の奥に消えた。数秒後、気持ち悪い音がした。


 「さて、繭の先から1本だけ伸びている糸が、1つの繭に直結してますよね? あれが今回の犯人ですね。群青百足、軽く破ってしまえ」

 百足のようなものが、1つの繭をかじるように裂いていった。その繭から出てきた顔を見て驚いたのは上坂だけであった。


 「先輩……? なんで、先輩が……?」

 「何故でしょうね? それは先輩に聞いてみなければ分かりませんが、とりあえず私の仕事はここまでです。あとは警察が来るからお任せしますよ」

 そう言うとスーツの男が立ち去ろうとしたので、呼び止めなければと思った。


 「お前は……いえ、あなたはどういった方なのでしょうか。これは一体……?」

 自分の質問に、スーツの男は笑みを浮かべて名刺を差し出された。


 「ああ、今の手のままじゃ持てないですね。よっ、と。これで自由になりましたね」

 男が右手を上に上げた時には両手が自由になっていた。また不可思議な現象だ……。


 「守屋 祐と申します。何かあれば…いえ、あなただけでなく他の被害者の方に何かあればご連絡ください。それでは」

 赤色灯の光とサイレンの音を聞いたためか、男は足早に去って行った。


 先輩の顔を見てへたりこんでいる上坂に、何と声を掛ければ良いのだろうか。

 自分は彼女を犯人だと言ってしまった。信じることができなかったのだ。だから、何も言うことができない。

 金山達が駆け上がってきた。被害者があの中に、としか言えずその場に立ち尽くしていた。


 上坂が一番に保護され、パトカーへと誘導されて行った。

 結局、彼女を見送ることしかできなかった。あとは上坂の先輩をどうするか……。あのようなことを報告すべきなのだろうか。


 いや、報告すべきなのだろう。せめて、その位はしなければ上坂に向ける顔がない。

 自分を信じてくれた人に何もできなかった。

 その程度で罪滅ぼしにはならないだろうが、彼女に起こったことは残したい。例え、頭がおかしいと言われても……。


    ・   ・   ・


現在

 「神尾さん、由真ちゃんと知り合いだったんですか!? 一言も聞いてなかったですよぉ」

 「お前が聞いて来なかっただけだろう。まあ、言わなかっただろうがな」

 神尾の視点からの話で聞くのは初めてだ。裏ではそんなことがあったのか。


 「守屋さん、酷いと思いませんか? あ、でも守屋さんも、もしかして由真ちゃんと知り合いだったんですか?」

 「知らないよ。俺が依頼を受けたのは、犯人のマネージャーから。

 最近になって急に妖艶な感じになって、何故か天野原市に行くことが増えたんで調査の依頼が来たのさ。

 そしたら、後輩のアイドルまで来ちゃったからそっちも追う羽目になったんだ」

 近くの人間からしたら、その変貌は大きなものだったのだろう。

 だから気付いた、その変貌の裏側に何かあると。まあ、怪異と関わっていたとは思わなかっただろうが……。


 「でも、それがあったからですかね? 由真ちゃん、その時期ぐらいにアイドルグループから脱退して活動してないですよね?」

 「俺は知らないなぁ。そう言うのに疎くて。ただ、犯人の気持ちは分かる。大きな対価を支払ってでも芸能界にいたかった……。しがみ付きたかったんじゃないかな」

 そう立花に言って思った。熾烈な争いの中で何とか生き残る為に、そんな心に怪異から持ち掛けられた話に乗ってしまったのだ。


 「対価ですか……むしろ、大過。大きな過ちですね。夢の為に誰かを犠牲にする……。それは対価とは言えませんよ」

 「そうですね。そんなことをしないと生きていけないなら、諦めることも大事なんでしょうね」

 立花はいまいち理解できていない顔をしていたが、神尾と俺は分かった。

 夢を叶えるには誰かに叶えてもらうのではなく、自分の努力が一番必要なのだと。


 居酒屋で立花が話を振ってくるのを適当にあしらっていると、夜もいい時間になっていた。

 立花が食い下がるが、神尾と俺が問答無用で帰ろうとしたので諦めて帰ることになった。


 「守屋さ~ん、もう1件ぐらい行きましょうよぉ。神尾さんは付き合ってくれないし、良いでしょお?」

 「立花くんは、どうせ如何わしい店に行くんだろ? 俺はそういうのが苦手なの。ほら、帰るぞ」

 渋る立花の奥で神尾が誰かと電話をしている。その顔は普段の引き締まったものではなく、柔らかい笑顔を見せていた。

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