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くねくね

 近年ネットで見た、もしくは過去に遭ったと言われる怪異と思われるもの、くねくね。

 白い色をした何かがくねくねと動いており、その姿を見た者は精神錯乱、廃人、幼児退行など様々な症状を引き起こす。


 しかし、それらの症状はくねくねの正体を知ったものに発症するものであり、遠くからくねくねを見る分には大きな影響はないと言われている。


 地元の老人や壮年の者たちは、だいたい何が起こったのか分かっていることが多いそうだ。

 何が起こったのかは分かるが、くねくねが何かは知らない。正体を見ることができないから……。


 よく見受けられる場所は田畑や水辺が多いと言われている。

 田畑の中にいると、案山子のように見えなくもない。


 案山子は古来、田畑を守る神が宿る憑代としても使われていた。

 効果の程は定かではないが、害鳥が何食わぬ態度で収穫前の実をを食べているので期待は薄いかもしれない。


 くねくねは夏に見かけることが多いと言われている。

 そのことから、くねくねの正体は案山子が陽炎によって揺らめいているのではとの声も多い。


 怪異は過去からいるもの、現代に新たに現れるもの、と人々の恐怖や不安に呼応するように変異していく。

 現代に現れた怪異、くねくね。それが何なのか、何故見た人の心を壊すのか、見てはいけない怪異。今回はそんな話をしよう。


    ・   ・   ・


8月上旬

 プレシャス・タイムにて、祐は優雅にコーヒーの香りを楽しんでいた。仕事がないのだ。


 夏は皆開放的になる。それならば書き入れ時と思ったが、夏は切っ掛けであり、そこから発展したものが仕事になる。

 そう思うことにして、ゆっくりしていた。やつが来るまでは……。


 店のドアが開くとゆっくりと入ってきたのは、山崎 拓海だった。今日、会う約束はしていなかったが?


 「守屋氏~、ちょっと聞いてもらえる?」

 いつものオタクトークにフルスロットルで話しかけてくる時とは違う山崎に少し驚いた。


 「ああ、話は聞くよ。それよりも元気がないぞ? とりあえず何か甘い物を飲め」

 山崎を少しでも元気づける為にそう言い、三善に注文をした。


 出された飲み物を一息に飲みこんだ山崎を見て、これは元気なんじゃないかと思ってしまった。

 しかし、顔色は決して良いものではない。何にせよ、話を聞いてみようと思った。


 「守屋氏、あのね…くねくねって知ってる?」

 くねくね? 新しいお菓子か何かか? ああ、あれはねるやつだ。じゃあ、心当たりがない。

 山崎に対して、首を横に振る。


 「守屋氏が知らないか~、参ったなぁ……」

 テンションが高い時の謎のござる調でないことが、すごく気になってしまう。本当に困っているのだろう。


 「山崎、元気を出せ…ってのも、無理そうだな。力になれそうなものなら聞くから、言ってみろ」

 これはこれで気持ち悪い山崎の為に言葉を掛けた。それでもやはり元気がない。


  「僕の友達がねぇ…くねくねを見て倒れちゃったみたいなんだ……。

 くねくねはお化けみたいなものらしいんだけど……。

 オカルトに詳しい守屋氏が知らないとなると……」

 くねくねというものをお化けと言った。ここは専門家の意見を聞くか。

 山崎に事務所で話そう、と言った。


 事務所に入ると、幸と萌香が定位置にいる光景が見えた。


 「お帰りなさ~い。あれ、依頼人ですかぁ」

 「…お帰りなさい。いらっしゃいませ……」

 寝転がったままの幸とは対照的に、萌香は席を立ってから人を迎える言葉を口にした。


 「ただいま。こいつは、依頼人というか友達。ただ、オカルト関連で何かあったみたい。幸ちゃん、くねくねって知ってる?」

 幸ならオカルト関連に詳しいだろうと思って聞いてみた。突っ立ているのもなんだから、山崎を応接用のソファに座らせる。


 「ああ、聞いたことはありますね。お化けのような話もありますが、都市伝説みたいなもんです。

 急に目撃証言が増えたから、そっちの線が強いと思いますが?」

 急にか……。幸の言ったことに間違いはないだろう。

 都市伝説であれば問題はないが、急に目撃証言が増えたのを考えると、人の不安や恐怖、好奇心を刺激したためか?


 「それが都市伝説じゃなく、実際に起こったんだ…です」

 「何があったか簡単に聞かせてくれないか? そこから何か分かるかもしれない」

 山崎は俺の問いかけに頷くと、話を始めた。


 「僕の仲の良い友達がねぇ、実家に帰ったときにくねくねに遭ったんだって。それで一緒にいた弟さんと気になって近づいてみたらしいんだ……。

 そしたら、弟さんが急に発狂して、くねくねと踊り出したんだ。そして糸が切れた操り人形みたいに崩れ落ちて、そのまま廃人みたいになったんだって……」

 本当であれば大問題だ。見ただけで相手を廃人にする。おそらくは吸魂か、もしくは相当な恐怖を送り込めるようなやつなのだろう。


 「祐さん、ネットに書かれていた内容と一致しますねぇ。弟さんはおそらく目が良かったのか、くねくねの正体が分かったんでしょう。

 くねくねの正体が分かった者だけが、そのような症状になるそうです」

 ネットでの話と幸は言った。だからと言って偽物とも言えない。

 怪異はその時のニーズに合わせるやつもいる。しかし、強すぎやしないか?


 「山崎、正直に言うと、分からない。ネットだけの情報だと片寄りがあるだろうし、手掛かりが薄い。廃人になった友達の弟さんも見てみないと何とも……」

 怪異と戦うことは、そう難しくはない。

 しかし、相手の懐に飛び込むのは別だ。完全に相手に有利な状況だからだ。

 しかも、見ただけで発狂するようなものと、どう戦うのか……。


 「ありがとう、守屋氏。話を聞いてくれて。こればっかりは、ネットでも解決方法がないからさぁ」

 気落ちした山崎は頭を下げて出て行こうとした。

 とりあえず、近くに寄ることがあれば弟さんを見てみると言い、住所を教えてもらった。


    ・   ・   ・


翌日

 事務所を2日間休業とした。前から決めていたことである。

 この夏の所為で休業が多い事務所と思われるかもしれない。


 ただ、今日は大切な日だった。…天と付き合って3ヶ月目を迎えたのだ! 俺もこの歳だ、色々と経験すべきことはある。

 決して三善に色々と吹き込まれた訳ではない……。多分……。

 何にせよ、今日はお泊りなのだ。心に余裕を持たねば、と自分に言い聞かせる。


 「祐さん、今日行く所、知る人ぞ知る旅館らしいじゃないですか? 良く知ってましたね」

 天の声で目が覚めたような気がした。危うく、鬼気迫るようなオーラを出してしまうところだった。自慢するように鼻で笑った。


 「大人の力を舐めてもらっちゃあ、困るね。意外にそんな所を知ってたりするんだよ。ドライブにも最適だし」

 嘘である。浮気調査の際に行った場所だ。あまりにも良い場所だったので、そこを覚えていた。

 しかし、そんなことは言える訳がない。


 横に小さな清流が流れ、清流が岩に当たり、高い所から低い所に落ち、優しく流れていく音、正しくせせらぎが周りの森の中に響く。

 そんな場所に目的地の旅館があった。窓口と露天風呂に行く建物があり、泊まる場所はそれぞれ離れのようになっており、完全にプライベートな空間になる。


 天は秘境にある建物1つ1つに驚いていた。自分も覗いたときはそう思った。


 こんな所に昔ながらの情緒を感じさせる作りなのに、高級感がにじみ出ている旅館だ。

 人気が出ない訳がない。知る人はこの自然と一体になったような場所の虜になって何度も来る。

 事前の予約はそれなりに前から必要なのだ。


 仲居さんに泊まる建物まで案内してもらう。

 これまた雰囲気がとても良い……。圧迫感もなく、柔らかく感じる。そのせいか建物に吸い寄せられるように入った。


 「うわ~…これって、よく分かんないですけど、すごいですねぇ。すごく落ち着く感じがします」

 天の言葉に同調しようと思ったが、実際に自分もそう思っていて言葉が出なかった。

 決して広い訳ではないが、木造が随所にあるせいか、この空間がとても温かく感じた。


 天は建物の中を散策しているようだ。と言っても、1つの寝室ともう1つ内風呂があるだけだ…内風呂。

 「お~! 祐さん、内風呂がありますよ! しかも外が見えるお風呂だから、夜なら星も見たい放題ですね」


 驚嘆するかのような天の声に導かれて、内風呂へと続く部屋を通る。

 ここは床が桧となっており脱衣所として使うのだろう。そこから天が内風呂を楽しそうに見ている。


 「さて、祐さんはどうするんですかぁ? 川沿いに露天風呂もありますし、ここにも素敵な内風呂がありますよぉ」

 相変わらず意地悪く楽しそうに笑って天が聞いてきた。悔しいが、なんと返せば良いか分からない。

 目を閉じ、思いきって言う。


 「先ずは! ……露天風呂から入ろっか?」

 我ながらヘタレ全開である。こればっかりは仕方がない。先ずは落ち着くんだ、慌てるような時間じゃない……。


 天が腹を抱えて笑っているけど、自分が天の立場だったらどうなのだろうか。

 まあ、大小は問わず笑うだろう。そう思うと、自分も笑ってしまった。


    ・   ・   ・


 夜の露天風呂も良いが、夕暮れ時の露天風呂も良い。

 森が微かに斜陽に照らされて、少しだけ森が紅葉したかのように見える。


 夜になれば空を見上げたら星が見えるだろう。

 しかし、今は次の日の為に沈む夕日に照らされた森を楽しむ。耳に聞こえる清流の音をBGMにして。


 温まった体を覚ますように、風呂から上がり、足だけ温泉に浸かる。

 体から少し湯気が上っている。それ以上に頭からは湯気が出そうだ。


 さて、どうしたものかと、温泉に入りなおす。これで自分の何が変わるわけでもない。確実に変わったのは夕陽の角度だけだった。

 考えても仕方がない。出たとこ勝負なのだろう。あとは自分の心に任せる…頑張れ、俺。頑張れるよな……?


 夕食は山の幸と渓流の魚をふんだんに使ったものであった。

 見かけでは味も薄いかと思ったが素材の味なのか、天と顔を見合わせて驚いた。

 夕食も済み、食器を仲居さんが下げたあと、布団を用意してもらった。やはり2つの布団は密着している。


 こんなことでドギマギするような俺ではない! と心で言いつつ、横目で何度も見てしまう。

 ここは先手を取る。あちらのペースに惑わされるな。天に先に言おう。


 「さぁ、祐さん、お風呂に入りましょうか? もう日も暮れて空も真っ暗ですよ。星が見えると良いですねぇ」

 「うん……そだねぇ」

 完全に先手を打たれた。なぜ、こうも後手後手に回るのか。

 いや、後の先という言葉があるように先に動かれても、こちらの理想とする形に持ち込む!


 「あ、さすがにもう背中合わせとか言いませんよねぇ?」

 完全に倒された。もはや退路は断たれたのだ。


 意を決して服を脱ぐ、もちろん背中を向けてだ。

 天も服を脱ぐのだろうか、静かだ。いや、俺が喋らないだけか……。


 「祐さ~ん、きっと緊張するでしょうから、先にお風呂に入りますねぇ」

 天の気遣いに感謝した。さすがに直視はできないが、風呂の中なら水の揺らめきで目へのダメージも最小限に抑えることができる。


 内湯に近づくと、天が肩まで温泉に浸かっているのが見えた。

 彼女の背中と上る湯気、その先に夜の中にいくつかの星が瞬いていた。 


 「ごめん、天ちゃん。お待たせ。露天風呂も最高だったけど、内風呂も綺麗だね」

 なんとか頑張ってこのセリフか。情けない。もうちょっと良い言葉は出ないものか……。お風呂に入りながらそんな事を考えていた。


 「顔が怖いことになってますよ? そりゃあ、私だって怖い、恥ずかしい気持ちもありますが、年上としてその顔はどうなんでしょうか?」

 天が腕を組んでお説教をするように言った。もっともだと思った。でも、そう言ってくれたことが何か嬉しくて笑ってしまった。


 「そうだよね。せっかく2人で来たのに、考え過ぎても仕方がないよね……。天ちゃん、横に行って良い?」

 少し呆気に取られた顔をした天だったが、すぐに横を開けてくれた。

 天の横に座って、顔を見る。湯船の下に置いていた天の手に、自分の手を重ねる。


 「前にベッドで一緒に寝た時に比べれば、どうってことないや。あの時は人生の中でも5大ピンチに入るね、間違いなく」

 「ピンチって、自分で自分を追い詰めてただけじゃないですか。私は何もしてませんよぉ? それはもう静かに寝ましたよ」

 笑ながら天は言ったが、それは分からない。天も起きていたのかもしれないし、寝ていたのかもしれない。

 自分だけがどうこうという事ではなかったと思った。


 お風呂も上がり、全力で浴衣に着替える。畳の上に正座して集中する…大人の余裕ってやつを見せてやろうじゃないの!

 と思ったら、部屋に入って来た天を見て、決意が脆くも崩れ去った。


 毎度思うが、湯上りの女性はどうしてこう、柔らかいというか、艶めかしいというか……惹きつけられるものがあるのだろう。


 天が悪い満面の笑顔をした。何か俺で楽しむ気なのか? 部屋の中を歩いていくと、部屋の灯りのスイッチを押した。

 訪れたのは、静寂と暗闇。いや、少しだけ外から入り込む光があるせいか、ぼんやりは見える。


 横から浴衣の擦れる音が聞こえた後、畳に座った音がした。

 天が横に来た。少しの光からそれも分かる。暗闇に慣れたせいか、だいぶ見えるようになった。


 天の顔が見たくなって、横に移動した。ゆっくり、ぶつからないように、体が触れ合うように……。

 体が触れたので、少しだけ強く密着した。それを受けて天が笑った。


 「ホント、祐さんはなんだかんだ言って、触れるの好きですよね。ヘタレなのに、そこら辺は積極的ですね。でも好きですよ、この触れる感じ……」

 「言ったじゃん、俺は寂しがり屋だってさ。天ちゃんに触れていたいんだよ。ヘタレかもしれないけど、この温もりは手放したくないから…だから」

 そう言って、彼女の唇を暗闇で探すため肩を抱きしめ、自分に寄せて唇を合わせた。ここから少しでも思いが届くようにと願って。


 一緒の布団に寝て、抱きしめてお互いの鼓動を感じる。

 2人とも不安で、2人とも怖い。でも2人とも好きだから、こうしていると何故か落ち着いてきた。


 この時間の先のことを考える……。お互いが思いあっている。

 そう思って、俺はここに来た。より深く天と繋がりたくて…それを確かなものにしたかった。

 抱きしめた体を離して、天の顔を見て心を決めた。


 「天ちゃん…俺は…君ともっといたい…だから…俺のことを受け止めて欲しい!

 そりゃ、ヘタレでこんなんだけど、君への思いはこんなに弱いものじゃないから!」

 震える口から言えることは言ったと思う。いや、まだまだ言いたい。

 でも、言いたいことをまとめられない。彼女に深く伝わるような言葉が見つからない。


 「分かってますよ…それぐらい。震えていることも知ってます。

 それでも勇気を出して向き合ってくれてるじゃないですか。そんなあなたのことを、受け止めない訳ないですよ……」

 そう言ってくれた天の顔は微笑んでいるようだった。

 俺の事を受け入れてくれる彼女に、俺の気持ちが少しでも届けばと思い、お互いがお互いを求めあった。


    ・   ・   ・


 朝の日差しが差し込んで来た。夏だから朝日も昇るのが早い。

 天の温もりが横にある。名残り惜しいけど、朝風呂を浴びてスッキリしたかった。


 お風呂に入り、温泉で顔を洗ってみた。夢ではないことは確かだ。

 しかし、いまいち現実味がない。ただ、彼女の名前を呼び続けた、それは覚えている。恥ずかしくなってきた……。


 「祐さん~、朝早くないですかぁ。でも、朝の温泉も気持ちよさそう」

 思わぬ天の登場に振り返ってしまった。そして、勢いよく元の位置に体を戻した。


 「気持ちいいよぉ。朝の涼しい空気と温泉の温かさが最高だよ。これは露天風呂にも入りに行きたくなるね」

 「そうですね。朝ごはんを食べたら、ちょっと入りに行きたいですね」

 そう言いながら、天は内風呂に近づいてきた。まだ直視ができない恥ずかしさがある。どうしたら良いのか……。


 そんなことを考えると、天が内風呂に入り、俺の隣に座った。

 何気なく天の横に行こうとゆっくり動くと、お互いの体がぶつかった。


 「天ちゃん、ごめん。痛くなかった? つい横に来たから傍に行きたくなっちゃって」

 「う~ん、祐さんより早く動いたつもりだったんですけどねぇ。同じことを考えられていたとは」

 少し悔しそうな顔をした天を見て、笑い声を上げてしまった。つられたのか、天も笑い始めた。

 なんとなく気持ちが通った気がして嬉しかった。


 たった一晩と言え、2人にとっては一晩では作り切れないような思い出を作ったような気がする。

 天も終始、楽しそうだったので間違いではないのだろう。ただ、これで終わりではない。

 これからも、もっとお互いの気持ちが分かるようなことを探していこう。そう決意した。


 帰りの車の中でも、終始ご機嫌ムードというか、自分も楽しかったのか、延々と笑いながら運転をしていた。

 昼食用に探しておいた、ロッジ風なレストランに向かう。そこは小さな村の近くにあり、ピザとパスタが絶品とのことだ。


 相も変わらず、美味しい物が並ぶと2人で目を輝かせ、食べて美味しければ、どこが美味しいとかそんな話をいつものように繰り返した。

 ただ、今日の天は少し違った気がした。俺も違った。よくお互いが目を合わせる回数が増えた。嬉しいことが、また増えてしまった。


 食事を終えて、デザートを食べている時にふと思い出した。

 ここの近くの村は、山崎の友達の実家がある村ではないか。


 山崎の憔悴っぷりから、おそらく大事な友人が弟の事で悩んでいることを知ってのことだ。

 山崎は人の気持ちに立てることができるやつだ。

 そう考えると、友達の弟に少しでも何かできないか確認しに行った方が良いのか悩む。いや、行くべきだろう。


 「天ちゃん、ごめん。ここでしばらくの間、お茶をしててもらっていい? 必ず迎えに来るから? お願い……」

 唐突の話に天は面を食らった顔をしていたが、すぐにいつもの少し笑った顔に戻った。


 「祐さん、お仕事ですね。やらなくちゃいけないときのキリッとした顔をしてます。

 ……その顔、好きですよ。レディをあまり待たせないようにしてくださいね?」

 笑顔で送り出してくれた天に手を振る。

 車に乗るまでに山崎に連絡し、友達の実家に行けるよう連絡をしておいてくれ、と伝えた。


    ・   ・   ・


 時間にして、10分ほどで山崎の友人の実家に着いた。

 車を家の前に停めると、奥から母親らしき人物が出てきた。


 「あの、息子から電話がありました。守屋さんでしょうか?」

 そう言われて答えると、車を家の敷地内に案内された。


 「すいません。わざわざ息子のことで来ていただいて…霊能力者さん、なんでしょうか? 息子がそう言ってたもので」

 家に案内される間に母親から質問された。


 「まあ、そんなところです。ただ、案件に向き不向きがありますから見てみないことには……」

 その答えに、少し気落ちした顔を母親は見せた。少なからず希望を持っていたのだろう。


 家に案内されると、父親だろうかやや敵意の目をしている人が出迎えてくれた。

 「息子のことを見に来てくれたそうだけど、本当に大丈夫なんでしょうね?」

 いかにも田舎の父親的な感じ。威圧するような声から分かる。こう言われるのは慣れている。返す言葉も一緒だ。


 「何もできなければ、何もいただきません。お金よりも、私は友人の気持ちを救いたくてここに来たんですから」

 俺の言葉に、父親は何も返しては来なかった。ただ頷くだけだった。

 通された部屋には布団の上でうな垂れている青年の姿があった。


 青年に近づき手を当ててみる。…感じ取れるものは……。

 怪異の力は感じない、憑りついてはいないということは……。


 鞄から退魔用ではないが、霊薬を取り出す。人が死んだ場所などに植えて育てた花の蜜をもとに生成された物で、暗示薬ではなく、催眠薬に近い。

 催眠は医師と患者の両方の信頼関係が必要になるが、これならそれなりの催眠効果はある。ただし強制的に何かをさせるような力もない。



 催眠薬を弟の鼻の前で開ける。廃人だった目が、少しだけ焦点があったようになった。

 「君は今、夢を見ている。ある夏の日、君はお兄さんと一緒に外を散歩していたんだね?」

 この問いに、弟が体を前後に揺らした。とりあえず、効いていることは分かった。


 「そこでお兄さんと君は田んぼに白いものが動いているのを見たんだよね?」

 この問いにも、先と同じように弟が体を前後に揺らした。


 「何度も言うけど、これは夢なんだ。怖くても夢。君は悪いものを見ただけなんだ。だから、君の見たものを教えてくれないかな?」

 この言葉を聞いてか、弟の様子がおかしくなった。小刻みに震えるような感じから、その様子が寒い山に薄着で放りだされたかのような大きな震えになって行った。

 父親と母親が何か言おうとしたが、手を突き出して制した。


 「大丈夫。落ち着いて。これは夢なんだ。どんなに怖くても夢なんだから、追い返せるよ。ほら、追い返してごらん」

 そう言うと、先ほどの震えが落ち着いた。あとは何を見たか思い出させる。


 「ほら、夢だったから追い返せただろう? なんなら、君は魔法だって使って倒すこともできるんだ。

 ただ、相手がどんな姿なのか分からないと倒せないかも。教えてくれないかな?」

 今度の問いかけには先ほどの震えはなかった。言葉が出るのを待つ……。


 「白くて…くねくねした…目が…見えた……こっちを見て…ああああああぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ」

 「大丈夫だよ落ち着いて、疲れたね。夢も疲れるんだ。大丈夫、君はゆっくり寝ているんだ。

 目が覚めたら、ちょっと怖い夢を見ただけだから。ゆっくりお休み」

 そう言い聞かせると弟は静かになり、目を閉じた。うな垂れた姿勢は悪いだろうと、布団に寝かせた。


 「おい、あんた何したんだ!? 息子が苦しんでたじゃないか! あの変な薬は麻薬かなんかじゃないのか!?」

 まあ、そう言いたくなる気もする。ただ、父親は大きな変化を見落としている。


 「確かに非合法の物と言っても過言ではありません。ですが、法に引っかからない物です。麻薬の様に人格や精神を崩壊させるような物でもありません。

 一旦、催眠状態に入ってもらい、過去の光景を見てもらいました。これから察するに、近くで何かを見たのが原因と分かりました。しかも、目が合ったと。

 彼はその何かと目が合って、おそらく強烈なイメージか何かを送り込まれたと思います。それは彼が話してくれたことから分かります」

 最後の言葉で気付いたのだろう。廃人状態であった息子が喋った。

 しかも、人に分かる言葉で。母親も分かって、驚いているようだった。


 「彼の中には、その怖いものからの強烈なイメージを受けて、心を守る為に閉じこもってしまった。これが妥当な線でしょうね……。治療法ですが、」

 「おい! 何をしておる!? そいつは誰だ! うちの孫に何をしているんだ!」


    ・   ・   ・


 急に話に入ってきたのは、どうやら彼の祖父らしい。


 農作業で鍛えているのか、元気いっぱいに怒鳴ってくれた。

 父親と母親が色々と言って抑えてはいるが、突破されるのも時間の問題かもしれない。


 「うちの孫に変なことをしおって! このまま休ませるしかない! さっさと出て行け!」

 意外に早く突破されたな、と思った。また同じ説明をするのも面倒なので、少しきつめに言う。


 「分かりました。出て行きましょう。あなたがお孫さんをそのままにして死ぬのを待つ。

 それも良いでしょうね。病院にも入院していないんだ、このまま死なせたいとしか思えません。

 まあ、何らかの隠したいことがあるのかもしれませんがね。ま、別にいいでしょう……。私には関係のないことです。それでは失礼します」

 そう言って放って荷物をまとめて出て行こうとすると、母親がしがみついて来た。


 「あの、義父さんが申し訳ありません。でも、あの子の治療法あるんですよね? それを教えてください……。お願いします……」

 母親の苦痛が良く分かる。息子がああなれば、藁にもすがる思いにもなるだろう。その時、祖父の大きな声が聞こえた。

 「かけるーー! そっちに行くなーーー!! 近づいちゃいかーん!!」

 

 何事かと思い、祖父が声を荒げている窓から外を見る。

 少年が道路にいる。その視線の先には、白い物体がうねうねしている。

 それに惹かれていくように、翔と呼ばれた少年が歩いていく。それだけじゃない…白いやつが少しずつ動いている!


 「くそっ! 群青百足!」

 窓から飛び降り、百足を地面に突き立て子供に近づくため跳躍する。

 それを何度か繰り返し子供の前に降り立った。


 すぐに動かないように抱きしめる。しかし、何かに惹かれるように顔を体の隙間から覗かせていた。

 何度も防ごうとするが、その度に隙間から覗く。


 子供にすることではないが、顔を左手で掴み目を隠すようにする。

 それでも暴れて、腕を掻き毟られる。何かに魅せられているのか?


 背後から強烈な視線を感じる……。恐怖…恨み…呪い…負の感情がすべて詰まっているような視線。

 寒気が止まらない。こんな視線をまともに見てしまえば、トラウマどころでは済まない……。


 百足を体の周りに配置する。顔の前にも配置し、直接目を合わせないように……。

 後ろに目をやると、白いやつが体をくねらせて、百足の隙間から覗きこもうとしていた。


 目が離せない…やつが俺に顔を見せてきているのに…瞬きすらもできない…怖い…怖い…怖い…怖い……。

 ふと、体が温かくなった気がした……。これは? 一瞬やつと目が合った……。だが、この温もりが体を凍りつかせていたものを溶かしてくれた。


 「群青百足、やつをブッ飛ばして喰らえ!」

 直接見てはいけない。ならば、百足に指示を出しやつを処分するだけだ!

 俺の声に呼応するように百足は防御を解き、白いやつを弾き飛ばし、喰らった。


 翔が暴れるのを止めたので、手を放した。

 翔に呼びかけながらこちらに近づいてくる3人の姿が見えた。


 百足も喰い終えたので体に戻した。翔を抱きしめている、祖父の姿に先ほどの突き放すような感じはない。

 気になることがあったので、幸に電話を掛けた、俺の見たイメージを伝えれば何か分かるかもしれない……。


    ・   ・   ・


 翔を助けた為か、祖父は今までと全く違う対応をした。

 何度も頭を下げてきた。こちらとしても悪いことではないので、軽く答える。


 ここからは聞かなければならないことがあるからだ。

 しかし、夏の日に靴下だけで歩くのは辛かったので、つま先立ちで足早に家へと向かった。


 家に着くと、仏間兼応接間に通された。また皆が頭を下げてくる。

 どうやら、翔という子供は祖父の孫の1人らしい。


 「あの、すいません。話しの途中だったのですが、息子の治療法は……?」

 母親が申し訳なさそうに質問してきた。結局、伝えきれてなかったことを思い出した。


 「方法は、さっきと同じですよ。深層心理に閉じこもってしまった原因を取り除く。

 弟さんにさっき話しかけたように、あれは夢とか言って少しずつ固まった心が柔らかくなるように問いかけます。

 私の知り合いにそちらに強い方がいるので、話を通して可能そうであれば、またご連絡します。何分、私の得意分野ではないので」

 治す方法を伝えると、少し胸をなで下ろしたような顔をした。いつまでも沈痛な面持ちは見たくない。特に母親なら……。


 「申し訳ありませんが、私はおじい様とお話ししたいことがあるので、皆さんご退席願えますか?」

 そう言うと、父親と母親は気になる顔をしたが、部屋から出て行った。


 「さて、私は人にベラベラ話す人間ではないことを先にお伝えします。その上で質問させていただきたいのですが、よろしいでしょうか?」

 相手に口外しない事を伝えた上で確認したいことがあった。治療にもつながる内容でもある。観念したような顔で祖父は頷いた。


 「では、あなたはあれが何なのか、もしくは危険なものであることを知っていましたね。その上でお孫さんを廃人のままにするしかないと思った。

 おそらくですが…過去にあったことを恥じての行動と思ってもよろしいでしょうか?」

 そう。自分が見た…少しだけ見えたイメージはおそらく、それだ。


 祖父が口を開くのを待つ。

 しかし、なかなか開かない。いや、開くことに恐怖しているのか……。


 「どうやらお話しするのが難しいみたいですね。では、話しやすいように昔話から始めましょう。

 昔の村はそれぞれ村役人と言われる方々がいて何か問題があれば、その役人が罪人の処分を決めていました。

 しかし、あくまでも役人です。ちょっとした賄賂で、その処分を変えることもできます。そう、その処分が不当に重いものでも……。

 罪人が何をしたかはそれぞれでしょうが、かなり酷いものもあったようです。人の感情による私刑……。

 それは今では許されるものではない。しかし、昔の閉鎖的環境ではよくあったそうです。

 リンチにしたり、木につるしたり、簀巻きにして川に沈めたり…手足を切断して十字架に縛り付けたり」

 少しだけ体が反応した祖父を無視して、話を続ける。


 「村人で行う私刑は…まあ、感情が乗ってますからね。酷いものが多かったみたいです。半分は見せしめとしてのものかもしれませんがね。

 ただ、された罪人にも問題はありますから、少なからずは自分が悪いことを知っているので、死んでも化けて出てくる可能性は低いです。

 しかし、悪いことをしていないのに罪人にされたら話は別です。こうなってしまえば、恨み骨髄と言ったところでしょうか……。死んでも許しません。

 その恨みの念を抱き続けて死んだものは悪霊と呼ばれるようになり、人の前に現れます。場合によってはさらに酷くなります。今回のように…ね」

 少し反応を待つ。顔をやや下に向けているし、体も小刻みだが震えている。これでもまだ言わないか……。


 「今回、弟さんと翔くんを襲ったやつの正体は悪霊に人々の恐怖の念が入り込み、あそこまでの力を発揮したと思われます。

 私は少しだけですが、見えました。彼の目で見たことを……」

 あの恐怖の視線を少し見ただけで伝わってきたものがあったのだ。


 「彼は自分が無実だと訴えるように首を振っていました。しかし、容赦なく斧が振り下ろされていきます。

 激痛による気絶、更に激痛による覚醒……絶望を感じたでしょう。手と足がなくなった彼への私刑はこんなところでは済まなかった。

 死なないように最低限の治療をして、十字架に縛り付けて田んぼに突き立てた……。

 照りつける日差しに喉は乾き、じわじわと自分の何かが死んでいくのを感じたでしょう。

 死肉と思ってかカラスなどがついばんできます。追い払おうと全身を揺らして追い返そうとしました。

 そして、彼の体には大量のうじ虫がわき、彼の体を覆った。

 今回、現れた白いやつの動きはカラスなどに自分が食べられる痛み、追い払う為に体をくねらせたもの。

 白くなったのは全身にうじが湧いても彼をつるし続けたことでしょうか。彼は、それでも生きていたみたいでしたよ。彼の目を通して見たイメージですが……」

 一瞬でこれ程の強烈な記憶を送り込まれた。こんなものをまともに見てしまえば……。


 ここまでで自分の知った全てを話した。

 幸からは私刑によって生まれた怪異などの情報を聞いた。その中に張り付けにされたことにより生まれた怪異がいると言った。

 怪異『四肢離れ(ししばなれ)』。基本的には動くことなく、現れた所に呪いを撒き散らすものらしい。


 だが、今回のは違う。死んだと思って十字架から解き放たれたことによって、彼は動けるようになった。

 怪異となって、痛みに悶え苦しみ、うじ虫がわく体のままで現れた。


 気になったのは、この怪異がこの血縁の者をターゲットにしたように感じたからだ。

 誰彼かまわずなら、他の人間でも良いだろう。しかし、ピンポイント過ぎると思った。


 こちらの話を聞いても、祖父の顔は変わっていない。

 ここまで頑なになられると、やる気もなくなっていく。そう思って帰ろうかと思った。


 「あなたの言う通りです。私の祖父が原因を作りました」

 やっと話してくれた。下手に返すようなことはせず、黙って耳を傾ける。


 「そもそもは戦時中の話です。この村で複数の女性を襲い、金品も奪った者がいるという話が広がりました。

 戦時中であるため、守ってくれる夫が戦地に行っている者もいましたから……。

 そんな中、村の中でもそこそこの地位にいた祖父はある計画を立てました。それはある男を私刑にし、その妻を自分のものにするというものでした。

 その男には祖父に借金があったそうです。その借金もどこで作らせたものかも分かりませんが……。それを利用し、その男を犯人に仕立て上げました」

 聞くだけで胸くそが悪くなるが、黙って聞き続ける。


 「その男はずっと自分は無実だと叫び、妻の名前を叫び続けたそうです。そして、おそらく私の家に連れて行かれる自分の妻を見たのでしょう……。

 その光景はどれだけ辛いものだったか、私にも分かります。その男は何度も何度も、うちの男児を必ず殺すと言い続けました……。

 …あとはあなたの仰る通りです。彼は死ぬ寸前まで我々を呪い、十字架から解き放たれて声にもならぬ声を出して絶命したそうです」

 祖父は言い終えると、目を閉じた。これ以上、言うことはないのだろう。


 「それならせめて、彼のお墓…あるかどうかは分かりませんが、花を手向けてください。そして、先祖の仕打ちを謝罪してください」

 そう言って部屋を後にし、外に出る。青々とした山々に、田んぼの緑が眩しい。だが、それが彼の無念を癒すものではない。

 愛する人が去っていく。痛みよりもよほど心に傷を負ったことだろう……。自分にも待っている人がいる、早く帰ろう。


    ・   ・   ・


 さすがに2時間近く待たせてしまっていたため、天のご機嫌はななめであった。


 「ごめん! 本当にごめん! こんなに長くなるとは思ってなくてさぁ……。天ちゃん、勘弁してください!」

 ひたすら謝る。謝って、謝り通す。ご機嫌が取れるかどうかは分からないが謝る。


 「祐さん…待ったことに怒っている訳ではないです。無事に帰って来てくれてホッとしました。ただ、せめて帰ってきたなら一言欲しいです」

 確かに……。その一言を聞くと俺も安心する。無事だった証でもあるのだから。


 「ただいま、天ちゃん」

 「お帰りなさい、祐さん」

 この何気ない一言が幸せだと改めて感じた。

 家でも事務所でも光本家でも…そして天からも幸せを貰っていた。


 その幸せを噛みしめて、帰ろうか、と言うと伝票を渡された。

 待っている間に色々食べたようだ。それはもちろん俺持ちだな、と思った。


 ただ、あの時に感じた温もりは天から貰ったものだろう。

 それに助けられたのだ。そう思うと財布のひもも緩くなる。


 天を送り、事務所に戻ってきた。

 今日は臨時休業にしている為、客は来てないとは思うが。


 「おりゃ? 祐さん、お帰りなさ~い。どうでしたかぁ? 変なことに巻き込まれたみたいですがぁ?」

 「そうだね。とても楽しかったよ。色々なことを知ったし、知らされた。本当に色々な事があったよ」

 少しだけしんみりとした感じで言った。幸の興味はそこまでだったのか、本に目を戻した。


 自分の椅子に腰かけ、目を閉じる。

 くねくね……。ネットではそう呼ばれて、怖い話になっている。

 しかし、その実態は今回のように悲しい過去を持ったものなのかもしれない。

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