心の隙間
人の誰しもが持つ心。多くの感情を抱え、多くの思いを持つ、目には見えないもの。
心の中には、その人それぞれの世界が広がっている。
そんな心の中にある世界は何かしらの思いで満たされている。
良い思いも悪い思いも含めて、心の中は満たされているのだ。
しかし、そんな心の中にも隙間が生じる。
心が折れた時だ。その隙間を埋めるのは良い事かもしれないし、悪い事かもしれない。
だが、隙間を埋めるのは自分自身の思いでない場合もある。
心が折れた隙間を狙って近づく者がいる。甘い言葉や心に寄り添うような言葉を弄して…。
悪意を持って人の心の隙間に自分を入れるのだ。我が物にする為に……。
心の隙間を狙うものは何も人だけではない。隙間ができるのを待ち構えているもの。今回はそんな話をしよう。
・ ・ ・
探偵が本業か、処分屋が本業か、自分でも分からなくなる。
しかしながら、人が持つことができない力を持っているのは確かだ。
『禍ツ喰らい』、自分の血が持つ呪いのような力。怪異と戦う為の力。
『不死の体』、サタンから押し付けられた力。死なない体だが、歳はとる。
『祝福の手』、天から与えられた力。人に活力を与え、不浄なもの等を浄化し、空中、もしくは天国に帰す力。
『不死の体』はサタンが『禍ツ喰らい』の血を手にするために、死なない体という人の世にあってはならないものを与えることで地獄の鎖を強固なものにし、地獄行きを確定させるために押し付けられた力。
『祝福の手』は『禍ツ喰らい』の血をサタンに渡さないために、『不死の体』の呪いを超えるほどの善行を積めるように与えられた力。
どちらも自分の『禍ツ喰らい』の力を巡って、天国と地獄の応酬合戦である。
自分の力でさえ厄介に思っていた時期もあったのに、ここまで来ると自分が選ばれし者とか勘違いしそうだが、結局、欲しいのは自分の血だけなのだ。
力を持つ者は、それを正しきことに使え。ある人から引き継いだ言葉だ。
力を持つ状況は人それぞれだ。
自分のような稀なケース以外は生まれた時から持つこともあれば、何らかのきっかけで後から得る場合もある。
しかし、嬉しい力ではない。できれば得ることのないまま、人生を終えて欲しいと思う。
そうならない為に自分ができることをする。
そんなことを考えながら、車に乗り込んだ。
・ ・ ・
11月初旬
祐は都家に向かっていた。先日、話しをした娘の萌香のアフターケアのためだ。
近くのコインパーキングに車を停める。助手席に放っていた鞄を持ち、都家に向かうことにする。
都家のインターホンを押す。最近のインターホンは顔が分かるようにカメラがついてるが、どういう顔をしていればいいのかと無駄なこと考えていると、ドアが開いた。
出てきたのは母親であった。先日、見た時よりもだいぶ顔色が良い。
「今日はお忙しい中、わざわざお越しきいただき、ありがとうございます」
母親は、本当に恐縮そうに言った。まぁ、あまり忙しくはないんですけど、と言いそうになった。
「いえいえ、こちらこそ。できれば早いうちにという要望をお聞きいただき、ありがとうございます」
これは本音である。過敏になった霊感は百害あって一利なし、なのだ。
家のリビングに通される。母親がコーヒーを淹れに行っている間に変なものがいないか部屋を見て、簡単にチェックする。
こざっぱりとしたリビングだ。ただ、昔の名残か少々殺風景にも見える。
母親がコーヒーを淹れ終わったようで、こちらに来てコーヒーを差し出された。
「どうぞ、お飲みください。何かお茶請けも持ってきますね」
そう言って立ち上がろうとした母親に遠慮させていただく旨を伝えた。
コーヒーを飲みながら切り出す。
「現在、ご家族の関係はいかがですか。特に萌香さんに変わった様子はありませんか」
先ずは必ず聞いておきたいことを最初に切り出した。
「夫は仕事の少ない部署に異動願いを出していますし、今は早めに帰ってきて家族でご飯を食べて、家族とできるだけ一緒に居ようとしてくれてます」
母親の言葉から、父親は俺の話しを聞き入れてくれたことが分かり安心した。
「萌香については、以前いただいたお香を部屋で炊くようにしていますし、何かないか聞きましたが、何もないと言っております」
母親の言葉に少し安堵した。どうやら悪化はしていないようだ。
「安心しました。それでは娘さんのアフターケアを行いたいのですが、本人をこちらにお呼びいただけないでしょうか」
やっと本題を切りだした。そもそも、これが仕事である。
少し間をおいて階段を2人が下りてくる音が聞こえてきた。
萌香は相変わらず伏し目がちである。あまりこちらを見ないのは警戒心があるのだろうか?
いや、何に警戒されるのであろうか。今まで女性からは安全な男としか言われたことがないのに……。
どうでもいいことを考えてしまった、頭を切り替えて話をする
「今からアフターケアを行いたいんだけど、萌香ちゃんが安心できる場所で行いたいんだ。
これは心が安定した状態の方が治療の効果が高いからなんだ。どこがいいかな?」
そう言って、萌香の反応を待つ。
「…なら…自分の部屋…が、良いです……」
萌香の相変わらず間の空いた言葉から、自室に行くことにした。
母親は心配かも知れないが、1対1の方が余計な影響がなくて良いと言って2人で向かった。
ここで気付いてしまった。女の子の部屋である。前回は仏間だったから何も思わなかったが、女の子の部屋なのである。
胸のドキドキが止まらない。目の前に広がるワンダーランドが頭をよぎる。
入ってしまえば、どうということはなかった。本当に殺風景なのだ。
勉強机とベッド、服を入れるためのものなのか簡素な箪笥、これだけである。
友人を呼んだときに使う座卓や、クッションもない。ファンシーなものも飾られていないのだ。
友人がいないのか? と思ってしまったが、聞くのはプライバシーの侵害であろう。
「とりあえず、座布団かクッションみたいな楽に座れるものはないかなぁ?」
聞いてみたが、萌香は頭を横に振るだけであった。母親から借りてくれば良かったか。
「…このままで…大丈夫、です……」
まあ、本人が良ければと考え、早速治療に取り掛かる。
『群青百足…』
呟いて、ぎりぎりまで薄く発現させた百足を自分の周りに浮かせた。
「萌香ちゃん、俺の周りに何か見えるかな? 何か見えたなら、どんなものが見えた」
俺にとっては見えないと言ってほしい。見えるのはあまり良くないからだ。
「…うっすらと…蛇…? のような…ものが先生の…周りに……」
萌香の言葉にガックリという言葉が正しい程に肩を落とした。これは重症だ。鎖で繋がれていた期間が長すぎたのだろう。
これが見えるほど霊力が高まっている。
気を落としても仕方がないし、萌香に余計な心配を掛けないようにしよう。
「見えたんなら、それで良い。それらを見えないようにするのがアフターケアなんだからさ」
努めて明るく萌香に言う。心中穏やかではないが、できることをしよう。
まず部屋を暗くし、特製のろうそくに火を灯す。この怪異が見えやすい状況で、治療をする。
逆に言えば、見えやすいということは、霊的なものや怪異の干渉を受けやすい状況なのだ。その状況下にすることで霊力を落ち着かせる治療を行うのが効果的なのだ。
「では治療に入るよ。まず、目を閉じて。ちょっと冷たいかも知れないけど、聖水を何回かつけるよ」
そう言うと、スキットルから聖水を手に少しだけ出す。左手に溜めた聖水を右手の指先につけて萌香の瞼に付ける。呪文を唱えながら、これを3回ほど続ける。
次に目の後ろ側、後頭部に同じように聖水をつけて、呪文を唱える。
「これは見る力を鈍くするためのもの。次は首に手を当てるよ。また聖水をつけるから冷たいかも」
そう言って今度は手に聖水を広げて、萌香の首をほぐすようにしながら、呪文を唱える。
「最後に、恥ずかしいかも知れないけど、服を上にあげてもらえないかな?あ、おへその上までね」
首の時と同じように、へその上に手を当てて呪文を唱える。
「とりあえず治療は終了。目を開けて良いよ」
俺の声を聞き、萌香は目を開ける。部屋を見回している。
「何か見えるかな?」
先ほどと同じように、百足を自分の周りに浮かせて萌香に質問した。
「…何も…見えません……」
萌香の言葉に安心した。
今は聖水と呪文の力で鎮静化させてはいるが、ここで見えてなければ、あと数回もすれば霊力も元々の力に戻るだろう。
しかし、ここで注意事項を萌香に伝えないといけない。
「萌香ちゃん、今は俺の力で鎮静化させている状態なんだけど、変なものが見えてもそれを見ないように。自分を見てもらおうとしているヤツもいるんだ。
無視しないと霊力が刺激されてしまい、また治療が必要になる。怖い思いは嫌だろ?」
最後は少し明るい言い方をしたが、これは重要なことである。
「そして、変なものに近づかないように。付いてくるものがいれば、部屋に帰って香を炊くか、俺に電話してほしい。変なものからは必ず逃げるようにね。
あ、あと、先生じゃなくて、下の名前で呼んでくれていいから、親近感湧くでしょ」
ここまで話して萌香は小さく頷いた。最後の言葉に了承したかは分からないが……。
治療が終わったことを母親に伝え、次の治療のために都合が良い時間を連絡するように言い、都家を後にする。
玄関までのお見送りは母親だけだったが、外に出て萌香の部屋を見ると、部屋から軽く手を振る萌香の姿があった。
幸に連絡し、仕事の依頼が来てないかの確認をした。
「残念ながら、一本も電話ありませんでしたよぉ」
本当に残念に思っているのかと問いたくなったが、了解して電話を切った。
事務所に急いで帰る必要がないので、事務所下にある喫茶店に行くことにする。
『precious time』大切な時間。友人の営む喫茶店だ。
店内は落ち着いた洋風の作りで、調度品などはすべて友人が探してきて
店に合うものを買い、ここぞという場所に置かれている。
「いらっしゃいませ、ってお前かい」
前半の優雅な声から、一転して適当な声に変えたこの男は三善 遊人。
「金払ってコーヒーを飲みに来たお客様に口にしていい言葉かよ」
お気に入りのカウンター席に座りながら言い返した。
・ ・ ・
萌香は登校の準備のため、制服を着て、鞄に教科書を入れる。
何か月ぶりの登校になるのだろう?
体が動けなくなくなってから、時間が長く感じていたため、すぐには思い出せなかった。
カレンダーは11月になっている。5月に倒れてから、半年近く経っていたことになる。
もっと長い時間倒れていたように感じてたけど、と少し困惑した。
「萌香、いってらしゃい。きつかったら、帰ってきてもいいんだからね。迎えに行くから」
学校に行くときに母とこんな話しをしたのはいつぶりだろう。少し気恥ずかしい。
「…うん…行ってきます…」
もっと言うべき言葉があったんじゃないか、玄関を出てそう思った。
学校への登校時間は徒歩で20分足らず、近いので徒歩で通っていた。
自分と同い年ぐらいの高校生達が1人であったり、友人達と一緒に登校している。
時間は経っても、登校の風景は変わっていない。少し安心した。
ただ、クラスでの自分はどうなんだろう、という不安が残っていた。
下駄箱入れを抜けて、廊下の隅を歩く。一番端にある3年1組を目指して。
クラスのドアを開けるのに、一瞬戸惑った。
その戸惑いを弾くように、誰かが飛び出してきたため、ドアは開け放たれてしまった。
もう入るしかない、そう決めて踏み出した。
挨拶は普段からしてなかったので、自分の机を探す。
誰か近づいてきた。学級委員の花山さんだった。
「都さん、久しぶり。ごめんね、席替えがあったから。都さんの席はここだよ」
花山は謝ったけど、謝る必要があるのか疑問に思った。
「…ありがとう……」
とりあえず、お礼を言って席についた。
見回すと、クラスメイトの名前と顔が分からない人が多いことに気付く。
5月から休んでいたから仕方のないことかと思い、HRの開始を待つ。
出席確認の際に自分の名前が呼ばれたので、返事をした。
先生は何も言わなかったから、多分、出席になったのだろう。
そんなとき、クラスのドアを静かに開けて女子生徒が入ってきた。
先ほど、飛び出してきた女子だと気付いた。
手には濡れた体操着を持っていた。
何で?と思ったけど、後ろから人を小馬鹿にしたような笑いが聞こえたので、なんとなく分かった。いじめだ。
意外にも、淡々と授業を終え、放課後となった(体育は見学した)
皆が帰ったあとも机に座っていた。何をするでもなく、この空間、この空気を吸いたかったのかもしれない。
いい加減にして帰らないと親も心配すると思って、席を立ち下校することにした。
そんなとき、遠くから笑い声が聞こえた。帰ろうと思ったいたけど、気になって笑い声の方に向かって行った。
それは女子トイレから聞こえた。見ると3人の女子が、一つの個室トイレに向けて放水していた。
「トイレ用の洗剤も掛けてみる? もっときれいになるかもよ」
「いや、洗剤は不味いっしょ、ハンドソープで良いんじゃね」
楽しそうに笑いながら言っている内容から、誰かをいじめていることだけは分かった。
私の存在に気付くと、ばつが悪そうな顔をして水を止めた。
3人組は私を突き飛ばすように、トイレから出て行った。
「このことチクったら、あんたも同じ目に合わせるからね!」
「いや、こいつ幽霊だから大丈夫っしょ」
「あはっ、それ言えてる~」
笑いながら、3人は廊下を曲がり見えなくなった。
静寂の訪れた女子トイレ。閉まっている個室からは何も聞こえない。
勇気を出して聞いてみようと思い近づいた。何をされていたの?
そんなとき、静かに個室のドアが開いた。
ずぶ濡れの女子の姿がそこにはあった。
「…大丈夫……?」
聞きたかったことではないことを聞いた。
彼女は無言で、服を手で絞り、水をできるだけ落としている。
次の言葉が出ないまま立ち尽くしていると、彼女が先にトイレから出ていこうとした。
「大丈夫なわけ…ないじゃないっ」
悔しそうな顔で女子は走り去っていく。
走り去っていく姿を見ることしかできず、また立ち尽くして見ていた。
その姿に一瞬、黒い物が彼女の背中にへばり付いているのが見えた。
家に帰り、母から色々と尋ねられたた為、無難な返事をしておいた。
いじめの現場に遭遇したなんて聞きたくないだろうし。
とりあえず、遅れた分を取り戻すために勉強をする。
夕食は家族3人で食べるのが日常になってきた。
父と母が話し合っているのが嬉しい。2人の笑顔を見ていると心が満たされる気がする。
ただ、自分のことをうまく話せないのが心苦しくもあった。
入浴を済ませ、再度、勉強に打ち込む。勉強は嫌いじゃない。
特に数学や物理など、法則が決まっているものを綺麗に思ってしまう。
さすがに日をまたぐ前に寝ようと思い、床についた。
興味が湧いた訳じゃない。ただ、何故いじめられているのか、そして背中のものがなんだったのか、それを頭がよぎった。
久しぶりの登校から2週間は過ぎた。祐の治療は予定が合わず来週になりそうだという。
この2週間でだいたいのことが分かってきた。
いじめられていた子は足立 加奈。
いじめられた切っ掛けは分からなかったけど、おそらく受験のストレスのはけ口にされているのだろう。
いじめられているのに登校してくる。心が強い子だと思ってしまうけど、彼女の言葉が忘れられない。
『大丈夫なわけ…ないじゃないっ』
逃げることができない状態なんだろうか、それとも別の理由があるのだろうか。
聞くこともできず、そんな勇気もない。彼女も目を合わせようとしない。
結局、何もできない自分はそのことを忘れるように授業に集中した。
放課後、授業が終わったら図書室で勉強して帰るのが日課である。
皆が帰る下校時刻は人が多くて、あまり好きではない。
そろそろ切り上げて帰ろうとしたとき、校舎の裏に引っ張られていく足立 加奈の姿が見えた。
このままでいいのだろうか……。
いじめに割り込んで止められないまでも、いじめている現場を遠くから撮影して、先生に報告できないだろうか。
色々な思いが頭を駆け巡った。でも、もし自分がそうなったら。
自分は1人でいるのが心地よくも感じているため、今の『幽霊』扱いでも構わない。
でも、もし、そんな自分が他人と関わりを持って、いじめられたら。
踏み出そうとした足が動かない。ごめんなさい……。足立 加奈に伝わるはずもない、謝罪の言葉を胸の中で何度も唱えて、足早に学校を去った。
・ ・ ・
暗い部屋の中、アルバムを見ている。唐突にドライバーをアルバムに叩きつけた。
特定の人物にめがけて何度も何度も。次にはさみで顔写真を切り取り、安全ピンで何度も刺す、刺す、刺す……。もはや顔を認識できなくなっていた。
その写真と工具箱を持ち出し、近くの雑木林の一本の木に写真を張り付け、釘を打ちつけた。何度も、何度も、何度も……。
足立 加奈はそれらを終えて、すこし気が晴れた顔になった。
何度もあいつらを殺したかった。でも殺してしまえば、家族はどうなる。
失うものが多すぎて、耐えることしかできなくなった。
しかし、いつ頃からだろう。殺したくなったのは……。
こうすると殺していないあいつらが、いずれ死ぬのではないかとイメージするようになったのは……。
・ ・ ・
結局、萌香はいじめを見て見ぬふりをした。
いじめがあっていることは、おそらく周りも知っている。
でも、受験で忙しい、巻き込まれるのは嫌だなど、自分可愛さからか無いものとしている。
自分も結局そうなのだろう。せっかく、あの苦しみから解放されたんだ。
今の生活を手放したくない。
しかし、いじめは見過ごせても、足立の背中にこびりついている赤黒いものは無視できなかった。
前はもっと小さかったのに、今じゃ肩にまで広がっている。
気にはなるけど、祐に言われた通り、見ないことに努めた。
事態が急変したのは、数日後、祐から治療を受ける前日だった。
足立をいじめていた3人組の机の上に、小動物の腹を引き裂き、腹の部分にいじめた3人それぞれの写真が張り付けられていた。
クラス中が悲鳴と驚き、恐怖に包まれていく。
当の3人組みも恐怖していたが、次第に怒りの表情に変わっていく。
「足立!どこにいんだよ!マジふざけんなよ!」
足立の姿はない。登校してきてないのだろうか。
「足立を探すんだよ!絶対、許さねぇ…探すから付いて来い!」
3人組のリーダー格が怒り狂ったように教室を出ていく。
HRの際に、小動物の死骸は業者にお願いし、釘の後が残る机は、予備の机と交換をした。
3人組はまだ帰ってきていない。
3人組が帰ってきたのは、昼休みになってからだ。
クラスの中でも不良と呼ばれる男子に話しかけていた。
聞こえてきたのは、『呼び出し、午後9時、学校』
これから察するに、3人組を足立さんは夜の9時に学校に呼び出したということだ。
それに対して、3人組は不良たちを集めて、仕返しをするつもりのようだ。
足立は無謀なことをしているのでは? 下手をしたら自分の命に係わりかねない。
止める術を考える。警察に連絡する? 信じてもらえるの?
自分が出て行っても、解決できる力なんてない。
そうだ!先生に言おう。9時ならまだ残っているかもしれない。
でも、言ったことがバレたら…。ここまで怒りが沸点に到達している3人組みのいじめなんて、想像したくない。
結局、また見過ごすことしかできない……。
勇気を出そうとした心が萎んでいくのが分かった。
あの人ならどうか…私を助けてくれた人。
父から聞いた話だと、私を助けるために有無を言わせず動いてくれた人。
携帯の電話帳から守屋 祐の名を選択した。
・ ・ ・
携帯のバイブレーションで居眠りしていた祐は起こされた。
丁度、素行調査の真っ最中であった。
携帯のディスプレイを見ると、都 萌香と表示されていた。
治療の件かと思い電話に出る。
「…あの、守屋さん…の携帯でしょうか……?」
いつも通りの喋り方で萌香が確認してくる。
「祐で良いよ。まあ、どっちでも良いけど、名前の方が親近感が湧く気がしない?」
反応がない。しまった、この言葉2回目だ。と軽く後悔をした。
「…あの…助けてほしい…人がいますっ……」
先ず事情を確認せねばならない。
「助けてほしい人? どんなことで困っている人? 分かる範囲で良いから教えてくれる?」
俺の問いかけに、萌香はゆっくり答えだした。
いじめがあっていること、いじめられている子の背中に赤黒いものがいること、小動物が殺されていたこと。
そして、今夜9時にいじめられた子がいじめっ子を呼び出したと。
これは自分が出る案件か悩んだ。
怪異がらみではなく、その呼び出しがいじめられた子の復讐のための罠の可能性だってある。警察に言っても動かないだろうし、先生が動くかどうかも。
でも、もしかしたら…。赤黒いものが気になる。その可能性も捨てきれない自分がいるのも確かだ。
「…あの、やっぱり…ダメでしょうか……」
萌香から、再度確認の言葉が出る。
「…私は…逃げたんです。…足立さんが…いじめられて……」
涙交じりの声で絞り出すように萌香は言った。ここまで来て見過ごすのは性分ではない。
「分かった。午後の9時に君の高校に行けば良いんだね?」
「…はいっ」
心なしか強い意志を感じる声だった。
今は午後4時、事務所に戻って準備をして向かえば、十分に間に合う時間だ。
怪異絡みでなければ、警察に連絡し適当に場を抑えるとしよう。
式神に指示を出したおき、事務所に戻る。
今回の萌香の行動、あれは彼女なりの精一杯の勇気なんだろう。
それが少し嬉しくもある。が、喜ぶのは解決してからであると気を引き締め直す。
ただ、できれば逃げておいて欲しかった。
事務所には相変わらずの光景が目に入ってくる。
とりあえず、幸に電話番と式神への指示、萌香からの依頼の話をした。
「分かりましたぁ。で、萌香ちゃんの件はもしかして、ノンギャラですかぁ?」
だらけた姿勢をしている幸の言葉に、心配するのはそこかよ!俺の心配は!? と1人ツッコミを入れる。
「高校生からお金を取るのも気が引けるだろ。まぁ、怪異絡みじゃない可能性もあるし」
「結局、何かあってもなくてもノンギャラなんですねぇ」
幸よ。それじゃ、あんたは守銭奴だよ……。
午後9時前、とりあえず目立たない場所に車を停めた。
ヤンキーたちはまだ来ていないようだ。
まあ、5分前行動するか分からん輩だからな、と蔑んだ思いを持ちながら、時を待つ。
車の窓をノックする音に少しだけ肩が跳ねた。見ると萌香が立っていた。
「萌香ちゃん、こんな時間に出歩くもんでもないし、今回の件は俺が対応するから帰りなさい」
できるだけ、大人らしい話し方をした。
「…助けを…お願いしたのは私…なので……」
萌香の気持ちは分かった。最後まで知りたい、見届けたいのだ。
「分かったよ。でも、あまり前に出てこないようにね。近づくと霊力が刺激されるから。それと…最後は必ずハッピーエンドになるとは限らないよ」
・ ・ ・
祐は止めた車の中で、時が来るのを萌香と共に待っていた。
けたたましいバイクのマフラーの音がした。
下品な音が彼らの到着を知らせてくれたことに、いちいち確認に出向かずに済むことに感謝した。
車を降りて彼らの言動を陰から確認しに行った。
話し声から察するに決起集会じみたことをしている。
もう9時過ぎてるぞ、さっさと行けよ、と心の中で愚痴をこぼしていると、横に萌香が来ていた。
「もうちょっと後から来て良かったのに」
そう言うと、萌香は頭を横に振る。仕方がないと思っていると、やっと集団が動き始めた。
1人の女の子に向かって、複数人で金属バットや木刀やら持っていくのは如何なものかと思うが……。
集団の後を追って、学校のグラウンドに入ると、1人の少女の姿が確認できた。
校則を守っているであろう普通の女子高生に見える、足立 加奈の姿である。
ただし、包丁を両手に持っていることを除いては。
「足立ぃ!あんた、あんななめたことしやがって!もう許さねぇからな!」
怒りが沸点に達しているのか、ケバい少女が大声で叫ぶ。
「もともと許す気なんてなかったくせに…許しを乞うのは…あんたよ……」
足立がゆらゆらと歩きながら言った。そのまま、ゆっくりと集団に近づく。
急に1人の男子が大声を上げて、金属バットを振りかざしながら走っていった。
足立に目がけて、振り下ろしたはずの金属バットが宙に浮き、男子も同じく宙を舞っていた。
集団は何が起きたか分からず呆気に取られているのが見えた。
俺には見えた…。彼女の高速な裏拳が男子を吹き飛ばしたのだ。
男子がやられたことに触発されたのか、他の男子も各々の武器を手に襲い掛かっていったが、ことごとく宙に舞った。
あれだけ威勢の良かった女子どもは腰が抜けたようだ。
そうもなるだろう。もはや足立 加奈は怪異と化しているのだ。
顔や体、手、足など、ほぼ全身から赤黒い液が張り付き、両目も赤い。
口から漏れ出る笑い声は男の声と女の声が混じっている。彼女は怪異と同化していることが分かった……。
足立 加奈だった者は…怪異は包丁を持つ手を垂らして、女子たちに近づいていく。
ここが限界だろう。そう判断し、動きだした。
小さなビンを怪異に向かって投げた。当たって割れると同時に大きなうめき声を上げた。
「お楽しみのところ申し訳ないが、そろそろお開きにしないかい?」
怪異は低いうなり声を上げ、赤い目を見開き憎しみを向けてくる。聖水の効果はあるようだ。
「これは、まだ遊びたりないって感じかな? 来いよ、夜はまだ長いんだからさ」
そう言って、挑発するように右手で手招く。それと合わせて、怪異を見る。
怪異は足立 加奈の姿を残したまま、自分の力を上乗せしている。
要は、皮膚の上にさらに怪異の皮膚や筋肉、血管が張り巡らされているパワードスーツ状態だ。
と、観察しているところに飛び掛かってきた。
早っ!? 背中から激痛が走ったと思うと宙を舞って、サッカーのゴールポストに叩きつけられた。
一通り呻くと、せめて枠内に入れてくれよ、とぼやいた。
怪異は俺を排除したと思い、改めて女子達のもとへ近づいていく。
女子達は泣きながら謝罪しているが、もともと許すつもりはないだろう。
殺しに来たのだから。
『鬼気狂い(ききぐるい)』。
昔から恨みや憎しみを持った者に寄生して負の感情を吸って大きくなり、『最後』は感情を爆発させて宿主を乗っ取る。
その後には分裂して、この世をまた彷徨う怪異である。
この『最後』には含みがある。
『鬼気狂い』の求めるものは宿主の達成感などではなく、絶望などの負の感情なのだ。
足立 加奈の思考を読み、復讐し、殺害することが一番の絶望を与えると考えたのだろう。
更に怪異が女子たちに近づく所で、怪異に向けて落ちていた鉄パイプを投げつけた。
「全力で蹴りを入れ、ゴールポストに叩きつけられたのにどうして? って思ってるな」
怪異が体がこちらを向いた。さて、ここからどうするか考えないと……。
「群青百足……」
右の首元から百足が踊るように飛び出してきた。とりあえずはこれで抑えねば。
群青百足を左右に何度も大きく振るうが、怪異は飛び、しゃがみ、すばしっこく走り避けるため、当たらない。
とにかく早い。彼女の体にも負担が掛かる力で動いているのだろう。
消えた!? と思った時に腹部に激痛が走る。
持っていた包丁で刺されていた。苦痛の声を上げてしまう。
群青百足を即座に呼び戻し怪異に飛びつかせたが、すでに距離を取られてしまった。
「うぅぅ、痛いことしてくれるじゃないか……」
腹部の傷は深いが、すぐに元通りになる。
問題は群青百足では複数の怪異などをまとめて蹴散らすのには向いてても、1対1となると、攻撃が大ざっぱになる。何とか捕獲したいのだが……。
さて、どうしたものか…、と考える暇を与えてくれない。
怪異の攻撃の波が次々と襲い掛かってきた。
みぞおち!息を全部吐き出させられる。
力任せの左足へのローキック!足が嫌な音を立てた。
倒れ掛かったところに右側頭部へのハイキック!
1回転して、地面に叩きつけられた。
「…女の子のすることじゃ…ないね……」
まだ、軽口を叩く余裕はあった。
次に見たときには、すでに距離を取られている。このままじゃ、じり貧だ。
しかし、彼女の体を考えると百足の変鋼はできるだけ避けた、
考えがまとまる前に、強烈な右ストレートが顔に入って吹き飛ばされた。
この一発でブサメンがイケメンになんねぇかなぁ、と考える余裕もまだあった。
・ ・ ・
萌香は見るだけしかできなかった。
祐の百足も、足立の赤い液体まみれになっているのも、なんとなく見えてしまっている。
更に祐がボロボロになるのを見て、呼んでしまったことを後悔してしまいそうになった。
なんとかしないと……。震える足でグラウンドに近づいて行った。
・ ・ ・
怪異は距離を取ったままである、やはり群青百足が伸びたところを狙って一気に近づき倒そうとしているのであろう。やるしかないか……。
「お~い、鬼さんよぉ。そんな攻撃を何発入れても俺は殺せないぜ。狙う場所、教えてやろうか?」
そろそろあちらも焦れているところだろう。上手くやれるか、覚悟を決める。
「俺の体は基本、不死身でな。ただ刺したり殴ったりしてても、時間の無駄なんだよ。
それで、時間短縮のために弱点を教えてやるよ。」
挑発するように小馬鹿にした言い方をする。そして首を指さす。
「こ~こ。首をはねれば俺でも死ぬ。ただ、だからこそ首だけは刎ねられないようにする。さあ、どうする?」
答えは早かった、全力で来たのだ。
右足!骨が折れる音、激痛が!
左腕!ねじる様に無理やり浮かされ、地面にうつ伏せで叩きつけられ、ねじ折られた。
背中!痛みを感じる時間も与えられず、勢いをつけた膝落としが背骨に直撃する。
すべてが流れるような動きだった。組み伏せられた形になったと思った時には、首に包丁が刺しこまれた痛みを感じた。
・ ・ ・
萌香は見てしまった。祐が一瞬のうちに地面に倒れたのを。
なんとかしないと、何か注意を引くもの? ない。あの怪異に何もできない。
いや、せめて少し、ほんの少しだけでも注意が引けたら、少しだけ、あなたのような勇気を。
空気を吸い込み、一気に吐き出す。
「やめてっ!」
自分にとって初めて出した大声、心から願う声。
・ ・ ・
怪異は萌香の声に反応し、萌香の方を向いたあと、静かに動き出そうとしていた。
怪異の動きが止まり、下を見た。首を切断したものと油断していた怪異の下で、祐はほくそ笑んでいた。
怪異の体に百足を巻き付けることに成功したのだ。
「ふぅ、やっと捕まえれらたか。手間を掛けさせてくれる」
立ち上がりながら、自分の服の汚れ具合を確認して、手で汚れを払った。
「あぁ、首をはねたら死ぬってのは嘘だから。ごめんな」
怪異に謝るのも変だが、嘘は嘘だから一応の礼儀として言っておいた。
「で、ここからが本題だ。お前と足立さんを切り離さなければならない」
神妙な面持ちで、怪異と足立 加奈に伝える。
怪異が勝ち誇ったかのように、男女の混じった声で高らかな声を上げて笑った。
「俺は心に寄生するが、所詮は心の一部、初期の状態では退魔士などに消されてしまう。
だが、今は違う。体を手に入れた、宿主が俺という存在を受け入れ同化しているんだよぉ!」
「…違う…足立さんは…そんなに弱くないっ!」
足立が自分の物だと言わんばかりの言葉に対して、萌香が怪異に向かって言い放った。
足を振るわせながらも、しっかりとした声で。
「違うもんかぁ。受け入れたから、俺は加奈の求めるようなことをしてやったんだからなぁ!」
怪異は否定する。求めるものに応じた対価が、同化するためと言わんばかりに。
「…足立さんは…そんなこと…求めてない…したくないっ」
萌香の言葉に怪異の様子が少し変わったのを見落とさなかった。
素早く足立の頭を左手で掴む。
「天よ!ここにいる者の魂に住み着きし悪しきものを、この者の魂から切り離したまえ」
天への呼びかけに応じるように左手が輝き、足立の体から赤黒い物質が剥がれて浮き始めた。
「くそっ、お前はこちら側の人間じゃなかったのか? 天から力を借りるなんてことがっ!?」
怪異が足立から完全に離れたところで、群青百足に喰らわせた。百足は満足そうに体に戻っていく。
倒れた足立に駆け寄ったのは、萌香だった。
「…足立さん…足立さん…大丈夫? 足立さん……」
何度も声を掛ける萌香。俺は救急車を呼ぶため電話を掛けることにした。
・ ・ ・
萌香は何度も足立に呼びかけていた。
「都さん…? どうしたの? 泣いてるの……?」
足立が目を覚ました。自分でも泣いていることに気付かなかった萌香は、手で涙をぬぐった。
「…足立さん…大丈夫……?」
「都さん…大丈夫だよ」
足立の微かな笑顔に、私は涙が溢れてくるのが分かったのか顔を手で覆った。
・ ・ ・
祐は何台もの救急車が学校に駆けつけてきたのを遠くから確認していた。
サイレンが響いてきたことを確認し、萌香と2人で車に戻ってきたところだ。
「今日は萌香ちゃんに助けられてしまったな。怖かったのに頑張ってくれて、ありがとう」
素直にお礼を萌香に伝えた。その顔は少しだけ嬉しそうに見えた。
「萌香ちゃんが、怪異を否定して足立さんの意識を目覚めさせてくれたことで、切り離すのが容易にすんだよ。
じゃないと、足立さんの魂を削る形での除霊になるところだったから」
そうなってしまえば体にどんな影響が出るか分からない。そんな方法は取りたくなかった。
「『鬼気狂い』は心の隙間に入り込む怪異なんだ。
逆に『鬼気狂い』の心に隙間を作る…。今回の萌香ちゃんの行動のように、やつの行為を全否定したことで心に隙間ができたんだろうね」
短所が見ようによっては長所であるように、自分の強みが仇となったといったところか。
「…怪異にも…心があるんですね……」
「あるさ。人間と共に生きてきたやつらだ。良くも悪くも人間の心を理解するためにね……」
萌香は少し神妙そうな表情をしていた。そう感じるのも無理はないことだ。
そろそろ都家へ着く。謝りに伺おうと話したが、萌香が自分で話すと言った。
「…祐さん…本当にありがとう…ございました……」
萌香のお礼に軽く返事し、早々に事務所に向かった。
「ただいまぁ~」
「お疲れでぇす。式神ちゃんたちからの報告はあちらでぇす」
こんなに疲れた顔で汚れてボロボロになった格好なのに、容赦ない言葉を投げつけてくる幸に慣れてきている。
いや、麻痺したのか?
所長席に座って考える。
足立 加奈の心の隙間と、本当に求めていたことを……。
隙間は間違いなく、いじめによるものだろう。
では『鬼気狂い』の考えではない、足立が本当に求めていたものは……。
「幸ちゃん、その場所って快適? もし、それがなくなったらどう思う」
「快適ですねぇ。居心地サイコーです。なくなったらぁ……発狂するでしょうね」
前半のまったりした口調と、最後の恨み感満載の口調の差が怖い。
おそらく、足立 加奈の求めていたものは居心地の良い環境だろう。
それが『鬼気狂い』の力により暴走して、いじめっ子を排除することが目的となってしまった。
「もしかして、このソファベッドを捨てる気ですか?」
本気の目をした幸が、怨念でも掛けてきそうな口調で言ってきた。
「そ、そんなことはしないよ。そこは幸ちゃんの寝床兼グータラスペースだからね。それに大切な場所だから……」
最後の言葉はささやき程度のものだった。でも、本心だ。
「グータラスペースという言葉が引っかかりますが、捨てないならOKです」
そう言い終わると、幸はまた本に目を戻した。
居心地のいい環境。足立 加奈にとって学校が、クラスが、そうなると良いなと思う。