1人ぼっちのバレンタインデー大作戦
バレンタインデー。
それは古代ローマ時代が起源と言われており、恋人たちが愛を誓い合う日とされていた。
しかし、現在では、少し捉え方が変わっている。
西欧諸国では、恋人だけでなく、お世話になった人に物やケーキなどのプレゼントを贈ったり、また地域によっては、男性からもプレゼントを贈る場合もあるそうだ。
こと、日本においては、更に変貌を遂げていった。
時を経て、女性から男性に対してチョコレートを贈るという年中行事になっていった。
贈るものはチョコレートに限定されてしまっている。ここが他の国と違うところである。
ただ女性がチョコを贈る相手は多岐にわたり、それに応じて名前まで変わってしまうのだ。
本命チョコ、義理チョコ、友チョコと渡す相手に応じて変わってくる。
恋人や意中の相手なら本命チョコ、異性の友人やお世話になった人に贈るのが義理チョコ、女性同士で交換し合うのが友チョコ……。
この名前にカテゴライズされて、この名前に縛られるがため、世の男性の中には贈られたチョコレートが何なのかを悩ませることが多々ある。
バレンタインデーをおめでたい日として終えるのか、もしくは残念な日として終えるのか……。
そんな怪異とは全く関係ない日の男の苦悩。今回はそんな話をしよう。
・ ・ ・
2月14日
祐は事務所のデスクに肘を乗せ、鼻の下で両手の指を交差させていた。
時は残酷だ。時計の針は止められても、進み続ける時の流れには逆らえないのだから。
遂にこの日を迎えてしまったのだ。2月14日、バレンダインデーが。
天よ、あなたのお力で時間を飛ばしてください。と思いたくなるほど、この日は辛いのである。
貰えないとは思いつつ、期待をしてしまうからだ……。
事務所に女性はいる。あくまで性別は女性だが、心が乙女とはとても思えない、福空 幸だ。
しかし、彼女はオカルト関係以外に関してはかなり無頓着である。こちらの気持ちには気付くまい。
さぁ、どうする。自分から、今日はバレンタインデーだね、なんて言える訳もない。
目だけを幸に向けた。やはりオカルト本を読んでいる。お互いに世話になっているから、チャラだとでも考えているのか。
いや、何も考えていないだろう。
仕方ない。とりあえずは精神安定剤代わりに、自分用のチョコレートを食べることにした。
椅子からゆっくり立ち上がり冷蔵庫を開ける。
ない!? 必ずストックまで買っていたチョコレートがない!
クッキーを食べるモンスターは聞いたことはあるが、チョコレートを食べるモンスターは知らないぞ!
やつしかいない、幸だ。しばらく俺が食べてない間に食べていたのだ……。
「幸ちゃ~ん、冷蔵庫に入れていたチョコレート知らないかなぁ?」
我ながら下手な芝居だと、自嘲した。
「あぁ、ごちそう様でしたぁ。本を読むと甘いものが欲しくなるんですよねぇ。祐さんが甘党で良かったでぇ~す。」
そう言うと、板チョコを噛んで割った良い音が事務所に響く。
「ああ…そうなんだ。…んじゃあ、また買わなきゃね……」
口から魂が出ているのか、言葉に力が入らない。
「はい、よろしくお願いしま~すぅ」
幸の言葉に肩が落ちる。買い出しも俺がするのか。
幸がチョコを食べる良い音をさせていると、はたと本を読む手を止めた。
幸がこちらを見てくる。何か追加の注文があるのだろう。
「はい、バレンタインデーです」
幸はそう言いながら、俺の目の前にチョコレートを差し出した。
でも、これは君の食べ掛けで、元は俺のチョコレートだったものだ。
「ホワイトデー、良い物を期待してますよぉ」
幸から脱力させるようなバレンタインデーのチョコ(元俺の)を貰っても、心が全くと言っていいほど踊らない。
コーヒーでも飲もうと思い、プレシャス・タイムに向かう。
「いらっしゃいま…どないしたんや、お前? なんや魂抜けたような顔しとるで」
三善が心配してくれるほどに疲れ切った顔をしているのだろう。
とりあえずコーヒーを注文し、三善と話す。
「お前…そんなしょ~もないことで、悩んどったんか? アホなんか?」
出されたコーヒーを飲みながら、三善の話しを聞く。
「今日日、バレンタインデー言うても、チョコを贈らん子も仰山おるんやで?
そんな中、もういい歳したわい等がチョコを貰う機会なんて少ないのも当たり前やろ?
もろたとしてもや、そないなことで一喜一憂してどないすんねん」
さぞ過去に多くの女子からチョコをいただいたであろう男の言葉を聞かされた。
「…三善だって、チョコ、貰ったら…嬉しいだろ? …嬉しかっただろ?」
亡霊のような声を出した。三善にだって、そんな思い出があるはずだ。
「そら、お前……。まぁ、確かになぁ……。
そうは言うても、もろたらホワイトデーに3倍返しを期待されるかもしれへんねんぞ? 喜びも吹き飛んでまうわ」
それは三善よ、貰った者のみに許された言葉だ……。
ただ日が過ぎるのを待つか? 布団に潜り込んで、ただ時が過ぎるのを。
明日になれば貰えなかった事実はなくならないにせよ、このムードから、この悩みからは逃げることができる……。
そんな見えない恐怖から逃げるような選択はダメだ、と逃げたい心を押し殺した。
カウンター席に突っ伏して、考える。頭上の電球が光った。
「三善、今日は円ちゃんはいるか!? 天使のような彼女なら何がしかのチョコを、」
「残念やったなぁ、今日は桔梗ちゃんや」
三善の言葉に愕然とした。円なら、このイベントに終止符を打ってくれると思ったのに……。
「もう万策尽きた~! 俺の最終兵器が~!」
頭を抱えながらひとしきり悶えて、またカウンターに突っ伏す。
「最終兵器て、出番早すぎやろ。…どや、桔梗ちゃんにバレンタインデーのチョコの話を振ってみ?
もしからしたら、貰えるかもしれんで?」
半笑いで三善は言った。絶対にそんな話はできない……。
「桔梗ちゃんにそんな話をしてみろ。俺の心を突きぬくような目をして、鼻で笑うだけだ……。
そんなトラウマになりそうな危険は犯したくない」
ただでさえ怖いのに、バレンタインデーのチョコはどうした? なんて口が裂けても言えない。
言えたとしても、口を裂かれるかもしれない……。
頭を抱えて唸るしかできない。考えろ、考えるんだ、俺、と頭で念じながら…。
ドアの開くベルの音がした。音の方を見ると、ほぼ毎日くる常連の女性2人組だ。
カウンターに近づいてくる……。鞄から包装された四角い箱を出している……。
これは!
「三善さん、ハッピーバレンタイン」「バレンタインのチョコです」
そう言って、三善にチョコレートを渡すと、彼女等はテーブル席に向かって行った。
「み~よ~し~……!」
「いやいや、義理チョコやろ。そもそも、あん子等とお前は接点ないやろ?」
それはそうだ。俺に渡す義理は何もないのだから。
「でも、これであん子等へのお返しを考えなあかんくなったなぁ……。どや、貰うのも面倒なこっちゃろ?」
勝ち組の言う言葉には耳を傾けない。貰ったという結果が重要なのだ……。
「あ! お前に渡してくれそうな子が4人もおるやんか!?」
閃いたと言わんばかりに、三善は明るい顔をしてこちらに話しかけてきた。
「誰だよ? そんなに候補者がいるのか? 円ちゃん入れても、3人もいるぞ?」
「いや、円ちゃんは諦めろや……。幸ちゃんやろ、萌香ちゃん、加奈ちゃんに天ちゃん。
ほれ4人やろ? この子等なら、チョコくれるんちゃうか? 特に萌香ちゃん達は、よおここで勉強しに来とるで?」
「残念。女子高生組は受験の真っ最中。
あと幸ちゃんからは、元は俺が買ったチョコレートの食べ掛けを貰ったぞ。それを1個とカウントできるのか?」
俺の悲しすぎる話を聞くと、三善は頭に手を当てて、深いため息をついた。
「まあ、幸ちゃんのはとりあえず置いとこか……。何や、悲しゅうなってきたわ」
三善から同情の目を向けられる。俺の方が悲しい、とは言わなかった。
バレンタインデーの女神がいるのなら、俺に恋をして嫉妬しているのか……。
だからチョコレートが貰えないのですか!? こんな仕打ちを何年受けさせるのですか!?
頭を抱えながら、心の中で懇願し続けていた……。
「さっきからチョコレートがどうとか騒いでおりましたが。店長、仕事の手が止まってますよ。
バレンタインデーで浮かれているんですか?」
この声に顔を上げた。桔梗だ。2人のモテる男とそうでない男の会話に入ってきたのだ。
こちらの動きに気付いたのか、桔梗がこちらを見てくる。いや、見下しているように思える。
「もしかして、祐さん……。店長とバレンタインデーについて語っていたのですか。
そんな不毛な会話をするぐらいなら、もっと実のある話しをされた方がよろしいのでは?」
怖っ! 不毛って言われる程の酷い話しをしているつもりはない。
「桔梗ちゃん、男にとってはかなり重要な話なんだよ。女性からプレゼントを貰えるなんて素敵じゃないか。
そんな女性の気持ちを優しく受け止める男性、」
途中で話しが止まってしまった。
桔梗の目がゲスなものを見るかのような目になっていたからだ。
「女性からプレゼントを貰えるようにならないと話になりませんね。
やはり不毛な話のようですね。店長、ホットコーヒー2つとカフェオレ1つです」
そう冷たく言い放って、桔梗はフロアに戻って行った。
酷い! あんまりだ! 涙が出そうになった。ここまで言われるほど、俺は酷いのか!?
三善が苦笑しながら、注文されたものを黙々と作っている。
俺はここに何をしに来たのか……。
三善がチョコレートを貰うのを見て、桔梗にはガラスのマイハートを砕かれて……。
いつものバレンタインデーのように寂しい思いを仕事で晴らせたら。
こんな時に仕事が入っていないのが、恨めしい。
お客の来店を告げる、ドアを開けたときのベルの音がした。
目を見開くとは、正にこの事だった。
入店してきたのは萌香たちだった。
萌香達はテーブル席に座りにいった。
僥倖とはこの事かもしれない。
何せ、あの3人とはすべて何かしら接触したことがある。
「お前、あん子等が来たんが嬉しいんやろ? 貰える可能性がでてきたんやからなぁ」
こちらの考えを先に察知したかのように、三善がニヤニヤして語りかける。
そうだ。これが最後のチャンスかもしれないのだ。
しかし、どうする。なんて言えば良い……。優しく受け取るよ、君の思いとプレゼントを……。
いや、これはキモい。じゃあ、どうする物欲しそうな顔をしてみるか?
うつむいて、また答えが出そうにない考え事を始めた。
「あん子等が、お前を見とるで。手ぇぐらい、振ったらどうや」
うつむいた顔を上げて振り返ると、手を振る天、笑顔で会釈する加奈、目礼…といった感じの萌香がいた。
三善の言葉に従い、3人に軽く手を振る。
3人は挨拶を済ませると、参考書を取りだし受験勉強を始めた。
これはチョコレートどころではないだろう。こんな大事な時期だ。
それを俺みたいな男に割く時間はないだろう。
コーヒーを飲み干し、おかわりを注文する。
「あら、なんや、空振りやったんか? なかなか若い子は厳しいわ」
「いやいや、彼女達は今が人生の大きな分岐点なんだぞ?
俺みたいなしょうもない男に関わってる場合やないんや……」
思ったことを言ったが、最後は自分を卑下してしまった。何故か関西弁で……。
「お前……。疲れとるんや。今日はもう休め……」
三善に憐れみの言葉を掛けられた気がする。
期待した自分が悪いのは分かっている。
ここは三善の言う通り、帰って布団の中で震えようと思った。
・ ・ ・
諦めの境地に至り、覚悟を決めてコーヒーを飲み干した。
「祐さん、ちょっと良いですか?」
後ろから名前を呼ばれて振り返ると、加奈の姿があった。
「加奈ちゃん、どうしたの? 何か困ったことがあった?」
もしかして怪異絡みの話しか? それとも、まだ何かしら影響が残っているのか?
「あの、これチョコレートです。こんなのですいませんが、何かお礼がしたくて。受け取ってください」
加奈はそう言い、包装された四角い箱を差し出して来た。
呆気に取られてしまったが、お礼を言いながら受け取った。
それでは、と礼儀正しくお辞儀をして、席に戻って行った。
「…三善……。なぁ、三善!」
「分かった分かった。良かったなぁ、これで今日はええ夢見れるなぁ」
喜びが爆発しそうな俺に対して、三善は受け流すように言った。
「やばい、涙が出てきた……。お手洗いで顔を洗ってくる」
涙は出ないがキモい笑みが溢れそうなので、冗談めいた言葉を口にして、お手洗いを使わせてもらう。
「顔洗っても、イケメンにはならへんぞぉ」
お手洗いに行く俺に向けて、三善が笑いながら声を掛けてきた。
そんなことがあれば新しい童話が作れるぞと思った。
御手洗いのドアを開けようとすると、腰のあたりを軽く2回突つかれた。
振り返ると…目線を少し下げると天の姿があった。
「あれ、天ちゃんもお手洗い使うの? なら、お先にどうぞ」
天が通りやすいように体を避ける。
「ううん。あれだけでお礼っていうのも……。だから、これ」
鞄からハートの形で包装されて、その上からリボンを巻いた物を差し出して来た。
天の顔がほんのり赤く染まっている。あの時のことを思い出す……。
「んん!? ああ、いや、うん、ありがとう。ホントありがとう、いただきます」
天が、それじゃ、と言って戻っていく。その背中を呆けた顔で眺めていた。
お手洗いで顔を洗う。鏡を見ると、頬がユッルユルになっている。
ニヤニヤが止まらないのだ。これはキモい……。顔を何度もキリッとするが、また顔がニヤける。
処分屋をそれなりにやってきたが、ここまで良い思いをしたことがない。
天よ、あなたは私の今までの行いを見ていてくださったのですね。
と、天を仰ぎたくなる。ただ、この店を出るまでは顔を維持しなければならない。
お手洗いから出て、三善の前に行く。
そんな俺に気付いたのか、三善が気になるような顔をしたので、片側だけ口角を上げた。
一安心したような顔の三善に見送られながら、会計を済ませて店を出る。
早く事務所に戻ってチョコを見たい、愛でたい、と思って店から事務所に向かうと、後ろから店のドアが開く音がした。
軽く振り返って見てみると、萌香がいた。
「…事務所に…忘れ物が……」
萌香が事務所に行く旨を言ったので、うん、とだけ言った。
やや古くなってきているビルの階段を上る。
萌香が少し遅れて付いて来ている。
流石に萌香がいる前でニヤけるのは不味いので顔は引き締めたままだ。
「…祐さん……」
萌香から階段の踊り場で声を掛けられた。ん? と言って振り返った。
萌香は鞄を開き中から、包装された四角い箱を出した。
「あの、それって…バレンタイン……?」
普段からよくわからないところがあったが、気にしてくれていたのか?
いや! しまった、バレンタインのチョコじゃなかったら……。
萌香は少し顔を背けてしまった。なんてことだ、早とちりをしてしまったんだ。
「…その、チョコです……」
顔を背けたままそう言って、チョコを俺の前に差し出してきた。
「あ、ありがとう。ごめんね、気を使ってもらって。嬉しいよ、本当に嬉しいよ」
チョコを貰うことも嬉しいが、萌香がこういうイベント事を楽しめるようになったことが、素直に嬉しい。
辛い頃はこんなことを気にすることもできなかっただろうから。
「…頑張りましたから……」
そう言うと萌香は階段を足早に降りて行った。
少しだけ恥ずかしそうな顔をしていた。
もし自分が渡す側だったら、恥ずかしくもなるだろうと思いながら、事務所のドアを開けた。
・ ・ ・
「祐さん、おかえりなさ~い。お返しは持ってきましたかぁ?」
あんなものでお返しを要求するのか。元は俺のだ。
「幸ちゃんはいつから時が操れるようになったの?まだ2月14日だよ」
「そんなぁ、時間に縛られてはダメですよぉ。お返しに日にちなんて関係ないですよぉ」
相変わらず自分本位な考えの話しをしてくる幸を放っておく。
皆から貰ったチョコレートを机の上に置く。(幸のは冷蔵庫に戻してある)
やばい、また顔がニヤけてくる。こんな顔を幸に見られる訳にはいかない。
先ずは加奈から貰った箱の包装を丁寧に剥ぐ。
既製品のチョコレートだが、お高いブランドのチョコなので謝礼の意味が強いのかもしれない。
しかし、義理チョコだとしても、これは嬉しい。冷蔵庫に入れておこう。
さて、次は天から貰ったものを開けよう。包装を丁寧に剥ぐ。
ハートの形に包装するのは大変だったであろう。
出てきたチョコレートはファンシーなものであった。
これぞ女の子のチョコレート。
デコレーションもバッチリで、真ん中にHappy Valentineとホワイトチョコレートソースで書かれている。
流石は天だ。可愛さ全開ではないか……。
また、あの記憶を思い出して、照れてしまう。
やはり、天のチョコを最初に食べるべきだろう。
ファンシーなチョコレートを口の中に招き入れる。
苦っ! あ、甘い? やっぱ苦っ! これはビターチョコレートを超越している。
ぎりぎりまでカカオのみで作ったチョコレートのようだ。
おそらくだが、通常のチョコレートと、ビターチョコレートの比率を間違えて、逆に入れてしまったのだろう。
しかし、これは食べなければならない……。食べきらねば……。
何度か口に運び、咀嚼する。苦い……、食べるスピードが上がらない。
そうだ! これしかない、と思い駆け出した。
事務所を出て、プレシャス・タイムに駆け込む。
「いらしゃいま…、かなり顔色はよおなったみたいやなぁ」
茶化してくる三善には申し訳ないが、こちらは緊急なのだ。
「三善、ホットココアをお持ち帰りで!」
そういうと、三善は、お? おお、とだけ言い作り始めた。
ホットココアを貰い、事務所に戻る。
そう、苦いものには、甘いもので相殺させるのだ!
チョコを苦いと感じる前に、甘いココアを飲めばいける、はず。
その思惑は失敗に帰した。
甘味より苦みが勝っている。舌にこびりつく苦みに渋い顔をしながら死闘の末、何とか完食した。
今はチョコの味云々より、食べ切ったことによる達成感で心が満たされている。
チョコレートでここまで苦戦させられるとは……。
加奈のチョコレートが安全牌であることが救いだ。
あとは萌香のチョコレートだ。包装の感じからは既製品ではなさそうだ。
先ほどのビタービターチョコレートが頭から離れない。
中から出てきたのは…なんてことはない、小分けされた生チョコだ。
ご丁寧に小さなフォークも付いている。
いざ! …美味しい。失礼な物言いかもしれないが、普通に美味しい。
萌香はこういうのが得意なのか? 今度会うときにお礼ついでに聞いてみよう。
萌香の話はあまり聞いたことがないから良い機会かもしれない。
そう思いながらチョコを食べていると、幸が口をモゴモゴさせているのが見えた。
立ち上がって覗いてみる。その箱には見覚えがある。
「幸ちゃん、つかぬ事をお伺いいたしますが、そのチョコレートはどこから?」
顔をこちらに向けた幸は相変わらず口をモゴモゴさせたまま、指をさした。
信じたくない……。そんなことはないと思いながら嫌がる首を指のさす先へ……。
冷蔵庫が電気を受け取り、冷気を作りだしているのが見える……。
いや、そうじゃない。中だ、中に…一縷の望みが絶たれた。
「幸ちゃん、それ俺の! 俺が貰ったチョコなんだよ!?」
幸のチョコを食べる手は止まらない。咀嚼を完了させてから、返答してきた。
「祐さん、他にもチョコ貰ってたじゃないですかぁ? 冷蔵庫に入れたから、食べないのかと思いましてぇ。
とても美味しかったですよぉ」
「いや、勝手に食べないでよ? 俺のチョコレートだぞ!」
「私からのチョコレートがあるじゃないですかぁ」
「あれは元々、俺のだ!」
桔梗ではないが、不毛な言い合いをしばらく続けた。
いつも通り、幸の詭弁と言うか、屁理屈と言うか……。
その言葉にこちらが折れるしかなかった。と言うか諦めた。
しかし、チョコレート1つでここまで熱くなるとは……。
今まではただ愚痴を言って終わるだけの、バレンタインデー。
だが、今年はバレンタインデーを通して、人との繋がりを確認することができた。
それぞれがどういう思いでチョコを渡しているかは分からない。
ただ人に物をプレゼントするという行為は大変だと思う。
その人のことを思い浮かべ、どのようなものを渡せば喜ぶのか。
高いものが良いのか、安くても手間が掛かったものが良いのか……。
考えることが多くなればなるほど、億劫になるだろう。
それでもプレゼントをするのは、その人の喜んだ顔が見たいという、ささやかな願いなのかもしれない……。
今日は1日で何度、喜ばせてもらっただろう。
今度はこちらから喜んでもらえるようなプレゼントをしよう。
そうして、喜びを与え合う関係が築けると良いなと思った。




