二撃
静まり返った教室も、次第に喧騒に包まれ始める。内容はもっぱら京を如何に倒すかであった。
如何に頭になったとは言え、タイマンで近藤を倒したに過ぎない。それまでに近藤が体力を使っていたのだから、納得するには無理がある。おまけに、それが背の低い、小柄な京なのだから尚更だ。火花を散らしているとは言え、見るからに真面目な夏織といるのも、理由の一端を担っている。
近藤は少ししたら目を覚まし、舌打ちを残して空いてる席に座った。その背中から、異常なまでの殺気を放っている。彼もまた、京に倒された事を認めたくないのだろう。
あの、破壊力っ!だが、実際に拳を食らった近藤が一番よく解っていた。京の拳の破壊力はかなりのものだと痛感していた。中学時代に何度も喧嘩してきた。凶悪な拳も何度も貰ってきたが、京の拳程ではなかった。最悪にして、最凶。こめかみでなく、顎を殴られていたならば骨は折れ、歯も何本か折れていたハズだ。
危険過ぎる。アイツはヤベー。そう解っていても、敗北による屈辱が、近藤を苛む。人数集めたとしても、勝てるイメージが沸かなかった。
ホームルームが終わると、近藤は早々に独りの生徒の元に向かう。ビクッ、と怯える様が、のんとも愉快だった。自分が強いと、認識出来る。その顔を一発、今朝の不満を晴らすように殴る。
華奢な男子生徒は吹っ飛び、床に転がる。夏織は、男子生徒に駆け寄る。殴られた頬は腫れ上がり、無惨なものだった。
「あなた! やって良い事と悪い事があるでしょう!? いきなり殴るなんて、どういう了見かしら!?」
「うるせぇよ、真面目ちゃん。ここはテメーの来るガッコじゃねェぞ? ……オイ、メガネ。金貸してくれよ?」
「……わ、解ったよ、近藤、くん」
メガネと呼ばれた男子生徒が財布を出すと、近藤はそれを奪い、財布の中身を全て抜き取る。その財布をポイッ、とメガネに投げ付ける。
夏織は近藤の事を哀れに思った。それは、今もっともやってはならない事だった。
まだ、このクラスには明確なトップがいない。
近藤が最有力候補だったが、今朝方京に負かされたばっかりだった。
そして、その京は今体格のせいで頭として認められていない。
そして、教師は居らず、ほぼ全員がクラスに残っている状態での、カツアゲ。
「おーい、そこのハゲ頭にダッセェ刺青入れちゃってる残念野郎?」
ガタッ、と京が立ち上がった。ホームルームの間ずっと寝ていたが、ホームルームが終わって間もなく起きたところだった。そして、寝起きの京は異常な程機嫌が悪い。
クラスの全員が近藤を見た後、京を見る。そして、恐怖した。
小柄な身体のどこにそれだけの力があるのか。圧倒的な威圧感。立っているだけで、誰もが恐怖した。
鋭い牙と爪を持った猛獣を前にすれば、警鐘が鳴る。理性よりも先に、本能が逃亡を命じるのだ。
教室にいる誰しもが、その暴力の爪牙が自分に向かない事を願った。
「何してんだ、コラ?」
「……あぁ?金、借りてんだよ」
ビリビリと、肌に伝わるプレッシャー。そのプレッシャーに負けぬように、近藤が強気に返す。京がゆっくりと近藤の元に向かう。
「おーし、テメェ等? 俺の事が気に入らねェ奴ァ今からコイツ助けてやれ。もし俺からコイツ守れたら、俺ァ頭張らねェ。別の奴に譲る」
京が近藤の前に立った。近藤の間合い。京の間合いの外で止まる。
「代わりに、今からコイツをボコる。そしたら、俺が頭だ。頭が今から一つルールを作る」
ギュォッ、京が拳を握る。
「弱い者イジメ、カツアゲは一切禁止だ」
ダンッ! 強い踏み込み。近藤の足が京の顎に迫る。鋭く重い一撃。
「……解ったか?」
滴る血を舐めながら、京がゆったりと近藤との距離を潰す。
ドンッ! 近藤の背が壁にぶつかる。吐き気。胃が持ち上がるような感覚。遅れてくる、腹部への激痛。
蹴られた? 理解するよりも先に、京の拳が振り下ろされる。大ぶりの右。避ける事も出来ないままに、まず顎が吹っ飛ぶ。そして、身体ごと転がって行く。
身体がバラバラになるような、痛み。豪雨のような暴力。
思いっきり右の拳を振り抜く。今まで、何人も病院送りにしてきた必倒の拳。
メキャッ! 確かな手応え。だが、振り抜く事が出来ない。
悪魔のような顔が、嗤って見下していた。
心身共に砕く、折れる暴力。暴行。
もう、どこを殴られているのか解らない。意識が、埋没して行く。
気がついた時、既に暴力の雨は止み、数人の友達が囲んで声をかけていた。
「猛君!」
「目ぇさめたんだな!?」
「良かったー」
「……」
喋る、気力すらない。静まり返った教室。誰もが声を発せないでいた。
「頑丈だな、オイ」
声の方に首を向けると、悪魔が机に座ってたばこを吸っていた。紫煙を吐き出す姿は、勝者の余裕。
「……グッ、テメ」
「本当に頑丈だなァ。普通なら病院送りだぜ?」
立ち上がる近藤を見ながら、京が余裕そうに言う。骨くらい、折れているかもしれない。
「バッカ、折れてねェよ。肋骨とか、そーいうヤベェとこは全部外してあんだからよ?」
「……で、だ」
「あァ?」
「なんで、不良がカツアゲしちゃいけねェんだよ!?」
「……」
プハー、と煙を吐くと、火を消す。
「どうしてだと思うよ?」
「知るかよッ! テメ―も、不良なら解んだろ!? 強-奴が上! 弱い奴は食われちまうんだよ!」
「なら、どうしてテメェはそいつ等を喰わねェ?」
「あぁ!? 仲間だからだよ!」
「なら、なんでそいつ等は、武器持って俺の前に立ってんだ? 今のオメェよか、そいつ等の方が強ェだろ? 仲間っつっても、テメェ等は対等じゃねェだろ? 上に登りてェハズだろ?」
「……知るかよッ!」
「マジか? テメェ」
京が立ち上がると、近藤の舎弟達が武器を構える。傷付いた近藤を守るように。
「強ェ奴に従うのが不良の常。だが、コイツ等は今、オメェより強い俺に立ち向かってる。その理由が解らねェのか?」
「……」
解らない訳がない。中学から、いや、それこそ、小学校から一緒につるんでいる奴もいる。意味なんてない。メリットもなにもない。足手まといなのに。
だが、それでも、彼らは仲間だ。京に恐れ逃げ出した何人かとは違う、確かな絆。いや、仲間じゃない。彼らは、友達だ。
「俺んダチにゃ中々愉快な奴がいてよー」
京は思い出す。もう、何年も前に別れた友達の事を。
「面倒だなんだって言いながら、よ? 困ってる奴見ると放っておけねェ奴でよ? 俺ァ損な奴だってずっと思ってた。けど、俺ァそいつに救われたんだよ」
小さな変化も見逃さなかった。幼いながらずっと隠そうと決めていた自分の葛藤を見抜いて。
「俺の憧れだよ。心ン中で、いつでも輝いてるァ。……そうなりてェ。だから、困ってる奴、言いだせない奴なんて奴を作らねェ。全員、誰もが腹割って話せるような奴になりてェ。だから、苛めなんて、カツアゲなんて事を許さねェ」
「馬鹿、か?」
そんな事、出来る訳がない。快く思わない奴なんて、いくらでもいる。いくら歩み寄っても、歩み寄った分だけ、嫌いになる奴だっている。
その、全員が腹をわって? 本音で? そんなの、無理に決まっている。
「おお、馬鹿よ。大馬鹿よ。だからこんな学校しか来れねェんだわ? ……けど、よ。無理だって思ったから挑まねェなんて、ダサくねェかよ?」
「……アホくせェ」
近藤は立ち上がって京に背を向ける。納得だ。馬鹿なんだから、痛みにも鈍感なのだろう。いくら殴ったところで、痛まないんだろう。いくら裏切られたって、気付かず、痛まないのだろう。
痛みを、知らないんだろう。
「おーい、近藤。テメェ、俺とつるもうぜ? 愉しいと思うぜー? カツアゲなんかなくたって、皆で遊べばよ?」
「……馬鹿が」
ヨロヨロと、友達に囲まれながら、近藤は帰る事にした。どいつもこいつも、身を案じている。
「ムカつく奴だぜ! あの京とかって奴!」
「偉そうに説教たれやがって!」
「猛君! 今度、人数集めてボコろうぜ!?」
「……止めとけよ、テメェ等……」
敵いっこない。人数集めて、どうこうなるような相手じゃない事だけは解った。
何よりも、あの無慈悲な暴力。あれだけの暴行を食らったあとなのに、なんだというのだろう。ただ強者に下るのとは違う、心に残るあの姿は。
恐怖ではない。恐れ従った先輩なんていうのも昔はいたが、そういう連中とは、明らかに違った。
「あー、いたいた、近藤猛君?」
ゾロゾロと数人の生徒が行く手を塞ぐ。全員が緊張を隠せない。二年生だ。
果たして、いびられるのか。
警戒する近藤達を見て、二年生達は笑う。
「警戒しないでよ、一年坊? 俺らぁパーティーに誘いに来ただけだからさ」
「パーティー?」
「そそ。頭張れそうな奴見つけて一年の統率頼むためにもね。ほらー、荒れてるガッコでしょ? 刃向ってくるのも面倒だから、だったら先に一年生と仲良くなろうって事♪」
「……」
きな臭い。おまけにボコボコにされた後の自分が頭を張れるとは思わない。あのクラスの頭は、間違いなく京なのだ。
「いや、先輩。すんませんけど……」
ゴッと、高等部に衝撃を覚えた後に、近藤猛の意識は途切れた。暗闇の中に沈みながら、いやらしい笑い声を聞いた気がした。