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免罪符  作者: 椿 さつき
2/9

萩籐冴子編 教師として


少し肌寒い青空の下、年度末の仕事も一段落し、新入社員もようやく一日の仕事の流れを掴みかけた頃、この時期、花見の場所取りに所々青い絨毯で公園の敷地内を覆い尽くす。  

 

新入社員は、公園で夜を明かし、ピンク色の夜空を見上げながら翌日の花見の為に毛布を握りしめ硬い地面に恨みの言葉を吐きかけながら眠る。



春はきっと、自分が思っているよりやさしい季節じゃないと思う。



出会いの季節と皆は言うけれど、出会いがあれば別れも有り、きっと出会いで別れを覆い被せ忘れる季節だと思い知らされる。


小学校で教師をしている私にとって春は新入生が入ってくる季節であり、卒業生を忘れる季節だった。


今年は、卒業生と一緒に自分も卒業し、今までと違った生活を始める新しい季節となった。


教師を辞め、今まで子供達と過ごしていた時間がとても貴重な物だった事に気付かされる。


毎日の生活に発見を見つけ、子供達の笑顔が嬉しくて、時には厳しい事を言った事も何度も有る。


「私は子供達にとってどんな教師だったのかしら?」


辞めてしまった過去に想いを巡らせ、自然と口を開く。


自分が受け持っていたクラスの子供達の顔が思い浮かび、卒業まで受けもてなかった事が悔やまれる。


心の何処かで病気だからと言い訳を繰り返しながら、子供達に対する罪悪感を打ち消すかのように何度も何度も強く重い想いを抱え込む。


「もし、彼が私の罪を許してくれたならあの子達は、私の事を忘れてしまうのかしら?」


今更ながら自分の事を忘れられてしまう事に対しての恐怖が襲いかかる。


死ぬ事は諦めがつく、だけれども妹や自分の受け持った生徒、恋人の冬至さんに自分の存在が無かった事にされる寂しさに押しつぶされそうになる。


その寂しさを振りほどくように、強く歩を進め、ケヤキの木に覆われたマンションの敷地を歩き、自動ドアをくぐる。


「姉さんお帰りなさい」


「ただいま」


「今日は、何処まで行って来たの?」


「今日は近所よ。 途中で眩暈がするから帰ってきちゃった」


「そう」


真純の顔に影が映り、伸ばした前髪がその目元を隠すように垂れ下がる。免罪符を譲って良かった事は、真純の心の声が聴こえなくなった事だろう。


以前なら、真純の強い後悔の声を聴き、慰める事の出来ない自分を、もどかしく思っていただろう。


顔を見れば、何を考えているか解るのだから余り意味はないのかもしれないが声が聴こえなくなっただけでも少しは楽になった。


鈍感だと言われて来た自分が多感になって気がついた事が沢山あり、特に妹の気持ちの変化には敏感になっていた。


心は常に後悔に犯され、言葉には、ためらいが入り混じり、想いの全てを噛み殺し、押えた感情は行き場を失い自身の吹き溜まりへと抑え込む。


そんな姿を目の当たりにして、以前の関係に戻りたいと望みながらもハッキリとは言えない自分の臆病な部分に苛立ちを感じながら日々を送っていた。


こんな弱気な自分が、最後にあんなにも強い気持ちで行動出来たのは一人の教え子のおかげだった。



まだ冬の寒さを感じる夕暮れ時、窓の外には毎日、毎時間の様に変化を繰り返す空が綺麗に朱に染まり始め、浮かぶ雲は風に流され優しく夕陽を覆い、夜を迎えようと夕暮れ時に終わりを告げている時間帯だった。

突然長い静寂をインターホンの音色が訪問者の存在を告げる。

「はい・・・」

受話器を取り、モニターの向こうには黄色の帽子が忙しなく左右に揺れ動き何処か落ち着かない様子だった。


モニターから判断できるのは、黄色い帽子を目深にかぶった子供が俯き加減で左右に揺れている姿だけだった。


「はぎとうせんせい」


受話器越しに聞こえてくる幼い声は、不安で今にも押しつぶされそうなほど儚かった。


「その声は功治君かな?」


「うん。はぎとうせんせ助けて」


「功治君どうしたの? まず中に入ってきて! 先生のお部屋解るかな?」


「うん」


受話器を戻し、自動ドアを開け、功治君をマンションの中へと招き入れる。


それから、しばらくしてから功治君がドアの外でインターホンを押す音がして、すぐにチャイムが鳴り出す。


扉を開けると黄色い帽子を目深に被り、薄いブルーのランドセルを背負った、自分の胸ほどの背丈の男の子がもじもじしながら立っていた。


「功治君いらっしゃい。 さぁ上がって!」


「お、おじゃまします」


功治君はためらうように一歩を踏み出し、扉をくぐる。


「せ、せんせ、一人で住んでるの?」


功治君は戸惑うように此方の顔をうかがう。


少しでも子供に安心を与える為に笑顔で「いいえ、妹と二人で住んでいるのよ」と答えると、笑顔をみて安心したのだろう、ぎこちない笑顔を返してくる。


功治君は被っている黄色い帽子を脱ぎ、背負っていたランドセルをソファーの上へと置いた。


「功治君オレンジジュースで良いかしら?」


「ありがとう。 せんせ」


「功治君、私はもう先生じゃないのよ」


その言葉を聞いた功治君は、悲しそうに俯きながら、行き場を失った目線を自分の指先へと移し、じっと見つめていた。


そして、その小さな体から、精一杯の勇気を振り絞るかのように「せんせい僕が来てめいわくだった?」と聞いてくる。


「先生は嬉しいわよ。 元とは言え、教えていた子が遊びに来てくれるなんて滅多に無いもの」


「ほんとう?」


「ええ本当よ」


功治君は安心したのか、少し表情が明るくなった。


「それで功治君、今日はどうしたの?」


功治君は、戸惑う様に口をひらき、たどたどしく話し始めた。


「せんせ、きょうこちゃん覚えてる?」


「京子ちゃんって3年2組だった今井京子ちゃんの事?」


「うん」


「京子ちゃんとは、今年のクラス替えで一緒のクラスになったのかな?」


「うん」


功治君は、その一言を口にする勇気を絞り出す。


「いじめられてるの」


「京子ちゃんは、誰にイジメを受けてるのかな?」


「クラスの女の子達に」


「功治君は、京子ちゃんが何でイジメられているのか解るかな?」


「わかんない」


「どんな風にいじめられているのかな?」


「んっとね、みんなで、きょうこちゃんを知らないふりしてるの」


「無視をしているのね」


「うん」


「功治君は、京子ちゃんを助けてあげなかったの?」


功治君は、俯きながらその目に薄い涙の膜を貼り「たすけようとしたけど」と言いよどむ。


「したけど、功治君も無視されて怖くなっちゃった?」


「みんなが、お話してくれないのは・・・こわかったの」


「そっか~功治君は、京子ちゃんの事好きなのかな?」


顔を真っ赤にして、もじもじしながら功治君の目線は行先を失い、指先を忙しなく動かす。 困った時の功治君の癖だ!


自分が教師ををしている時に、算数の問題を解く時に、黒板の前でよく見かけた功治君の癖を懐かしく思い返していた。


一つの想い出を引き出す事で、沢山の想い出が溢れ出してくる。


由美ちゃんの自慢話をする時の顔とか、体育の時間の歩君の頑張り、休み時間に一生懸命描いた希里江ちゃんの絵、読書の時間で図書室で迷子になる麻衣子ちゃん、思い出せば出すほど懐かしく輝いていた想い出だった。


「せんせ、僕きょうこちゃんを助けたい」


「功治君、担任の先生に相談したのかな?」


「はせがわせんせ、目がこわくて話せなかった」


後任の長谷川先生は、新しく春日小学校に赴任して来た先生で引き継ぎの時に何度か話した事はあるが、あまり良い印象を持てなかった。


「そっか~京子ちゃんは誰にも相談しなかったのかな?」


「わかんないけど、きょうこちゃん、泣いてた」


功治君は、自分の不甲斐なさに罪悪感を感じ、目を潤ませぎゅっと口を閉じる。


窓から外を覗くと、夕陽がゆっくりと雲の影へと隠れ始め、デコボコだらけの地平線へと沈みかけていた。


これ以上は、功治君の両親に心配をさせてしまう思いから「功治君、京子ちゃんが何で皆に無視されているのか聞いてみてくれるかな? そしたら、また先生のお家に来てくれる?」と功治君に言い聞かせる。


「うん。聞いてみる。」


素直に了承してくれた功治君にほっと胸を撫で下ろし功治君にそろそろ帰る時間だと伝える。

帰り際功治君は、玄関の扉を開きながら此方を振り返り「せんせ、何でがっこやめちゃったの? 僕たちがせんせのいう事、あまり聞かなかったから? いう事聞くようになったらもどって来てくれる?」


「功治君ごめんね。先生病気で皆の所に戻りたくても戻れないの」


「じゃ~びょうきが治ったらもどって来てくれるの?」


「え、えぇそうね」

 

望みの無い功治君の願いを、戸惑いながら頷く事しか出来ず、教え子に嘘をついてしまった罪悪感に心を痛め、功治君の後ろ姿を見送る。

 

功治君が去った後、少しの目眩を感じ、リビングのソファーで少し横になりながら眼を閉じる。

 

壁掛け時計を見ると何時の間にか時刻は7時を過ぎ、功治君が帰って2時間以上も過ぎていた。


「ただいま」


妹の真純が仕事から帰宅するまで目を覚ます事無く眠についていた事に額然としながらも、もうすぐ自分の寿命も終わりだと気づかされる。


「お帰りなさい」


立ち上がる脚に力が入らずよろけながら、近くの食器棚に手をつき自分の体を支える。


「姉さん!」


慌てて真純が駆け寄り、体を支え ソファーへと戻され横になる。


「何か疲れちゃったみたい」


「姉さん、部屋まで送るわ」


そう言って、私に肩を貸す妹の表情は暗かった。


部屋へ入りベッドで横になるとすぐに、意識が遠のく。


開け放たれた窓から入ってくる風は心地良さそうにカーテンを揺らし、静まり返る空間の中、ただ黒板とチョークがこすれる音だけが聞こえてくる。


そこには一人の女性が算数の問題を黒板に書いており、ちょうど道のりと距離の問題を書き終えた時だった。


「はい、この問題を誰に解いてもらおうかな・・・解る人?」


そこには、元気な頃の自分が居た。


教室内の数人の子供達が手を挙げ、自信に満ちた顔で此方を見てくる。


数ヶ月前まで繰り返されてきた日常をもう一度繰り返す事が出来るのは夢の中だけなのだと知らされ、今、自分は夢を見ているのかそれとも、死んでしまったのだろうかと呑気に夢の中で考えていた。

 

目を覚ましたのは、自分のベッドの上だった。


力なく横たわる自分の体を優しく見守るように恋人の冬至さんがそばで手を握っていた。


冬至さんに握られた手は、暖かく、そのぬくもりは心を包み込むように優しく体に染み渡る。


誰もがこの状況に幸せを感じる事が出来るだろう。 残りわずかしか生きられない自分がほんのひと時の幸せを感じるのだから、それが、普通の人だったら本当に幸せなのだろうと思う。


「おかえりなさい。 冬至さん」


「冴子さん、大丈夫?」


「えぇ、少し体も楽になったわ」


彼は、決して大げさに接しない、その少ない口数に優しさを感じる。


自分の体のことを心配はしてくれる。だが、過剰に心配されるのは重荷でしかない。


冬至さんはそれが解っているのだろう。


決して余計な事をせず、そして普段の生活でも私が助けを求めない限り手を貸そうとはしない。


それが、私には嬉しかった。


一人の人間として接してくれている冬至さんの優しさが嬉しくそして愛おしい。


つかの間の幸せを感じながら少しの間だけでもこの幸せの時間を大切にしたいと想い、心の奥へしまい込む様にもう一度眼を閉じ、ねむりにつく。


「おやすみ。冴子さん」


薄れてゆく意識の中で微かに冬至さんの声を聞き、安心感に包まれる。




外は東の空をうっすらと黄金色に染め、西にそびえ立つビルの群れにその輝きを浴びせかける。


雲は所々に浮かんでおりその影をビルから反射された光が差込、ビルの周りだけが明るく照らされた景色が綺麗だった。


「今朝は朝焼けが綺麗」


目がさめ、生きている実感を感じる。


少しずつ体を動かし、ベッドから起き上がり、ゆっくりとベランダへと向かう。 窓を開け、まだ肌寒い春の空に朝のにおいに包まれながらベランダへゆっくり降りると、視界が広がり遠くの雲から鳥達が公園の木々へと帰ってゆく群れをなしていた。


「姉さん、おはよう。」


「おはよ」


「体は平気?」


「今日は平気みたい」


自分自身の体の健康状態を不安気にしか言えない不甲斐なさに寂しさを覚えながらも真純に少しでも安心を与えるために笑顔で応える。


「そろそろ部屋に入ったら? 身体に触るわよ」


「そうね・・・」


部屋に入り着替えを終えるまで妹は、ずっと動かず此方を見ている事に恥ずかしさを感じ、先にリビングへ向かう様に促すが、真純は聞き入れてくれずにその場で着替えが終わるまで待っていた。


リビングへ入り、ソファーへ腰を下ろすと真純が向かい側に座り此方を見つめてくるので、我慢出来ず「このまま会社にも行かず、私を見張ってるつもり?」と聞くと

「しばらく休む事にしたわ」と真顔で答える真純に、しばし某然としてしまう。


「私の事を心配してくれての事だと思うけれど、そこまでしなくても良いんじゃ無い?」


「それでも、心配なの」


「でも、私は・・・」

「少しは心配させて!」


いつもにもまして真剣な妹の表情に押され、ただ頷く事しか出来なかった。


その日から、妹と一日を過ごす時間が増え、何度か喧嘩もした。 それら、総てが思い出として心の中へと仕舞いこむように記憶へと刻み込んでゆく。


自分の死後、その思い出は消えてしまうかもしれない。


そう、彼八重樫楽が私の本当の目的に気が付かなければ、きっと何も考えず私の罪を許してくれるだろう。


少しは、彼に対しての罪悪感は有る。 だが、彼よりも自分の寿命が短い事が救いだろう。


だからこそ、彼に自分の願いをかなえてもらうように頼んだのだから。


きっと、今は自分の死について、深く考えを巡らせている事に精一杯だろう。


八重樫楽の事を思い出しながら、彼に対する罪悪感から深くため息をつく。


夕方になり功治君が再び訪ねて来た。


妹は、戸惑いながらも私に功治君の訪問を知らせる。


「姉さん、功治って子が来てるんだけど知ってる?」


「えぇ、私の教え子よ」


しばらくすると、功治君が妹に連れられ不安気にリビングへと入ってくる。


功治君は、私の姿を確認すると安心したのか笑顔で近よって来る。


「せんせ、こんにちは」


「功治君こんにちは、元気だった?」


「あんまり元気じゃなかった」


功治君の顔は少し陰りだし表情を曇らせる。


京子ちゃんの事で何かあったのだろうか、妹へ席を外す様に目線を送る。


妹が去った後功治君が口を開く

「せんせ、きょうこちゃんのお母さん居ないの」


突然の話題に考え込む沈黙が訪れ、多少の戸惑いを混ぜた質問をする。


「それは、京子ちゃんが虐められている理由かな?」


「うん」


「功治君はその事、長谷川先生に相談した?」


「怖くて出来なかった」


こんなにも生徒に怖がられている長谷川先生は、普段どんな授業をしているのだろうか? 疑問に思うが、一度長谷川先生と話さなければならないと思いながらも教室での京子ちゃんがどの様に扱われているのかが気にかかる。


「教室で京子ちゃんはどうしてるの?」


「きょうこちゃんは・・・・・・・・・」


功治くんは、言葉をためらい、なかなか口に出そうとはしなかった。


その行動だけで、どの様な状況か理解が出来た。


これ以上は、功治君が耐えられないだろうと話を変える。


「功治君、長谷川先生に相談してみようかと思うんだけど良いかな?」


功治君は戸惑いながらも頷く。


翌日学校へ電話をするとすぐに長谷川先生へと繋いでくれた。


「お電話代わりました長谷川です」


「萩藤です」


「どうも、萩藤先生お久しぶりです。 今日は、どういったご用件ですか?」


「実は、そちらのクラスの子がイジメを受けているみたいなのですが」


「ほぉ~それは初耳ですね」


「それで、先生に何らかの手立てを取って頂けないかと思いまして」


「なぜ萩藤先生が私の受け持つクラスにイジメがあるとお気づきになったのでしょう?」


「それは・・・教え子が・・・」


功治君の名前を出すべきか迷うが、功治君が長谷川先生を怖がっている事を思い出し、口をつぐむ。


「あぁ~なるほど、元教え子が、先生に会いたい口実にそちらに伺ったって事ですか」


「なっ! 違います! その子は嘘をつく様な子じゃ有りません!」


「そんな事言われても、子供の言う事をまともに信じられてもね」


「あ、あなたは普段からその様な態度で子供達と接してるのですか!?」


怒気を隠しきれず目眩を引き起こしながら電話の向こうの長谷川先生に怒鳴り散らすが、相手は冷静で心をえぐり出すような一言を呟く。


「子供なんて生き物は、ウソを平気で吐き続け、お互いの存在が気に入らなければ共食いをする様に出来てるんですよ」


その一言は、心をえぐり、身体から力を奪い、坊然と電話の電源ボタンを押しながら意識の電源も切れてゆく。


目を覚ますと、そっけない天井と蛍光灯が照らす光に視力を奪われ、固い病院のベッドに横たわっていた。


「姉さん気が付いたのね」

安心した様に真純が話しかけてくる。


「ここは病院?」


「えぇリビングで倒れてたのよ!」


窓の外には、ビルの森の中、ひとすじの川がビルの谷間に海を目指し流れ、それに逆らう様に船が上流を目指し積み荷を運んでいた。

水鳥達は、船の起こす波に揺られ寂しくその羽を休め、空は陰り、白かった曇は灰色に染まり始め、夕暮れ時の寂しさを感じながら疑問に思っている事を口にする。


「私が倒れてからどれ位経った?」


「確か二日よ!」


「そう・・・・・・・・・」


二日と言う時間は短いかもしれないだが、自分にとっては決して短い時間ではなかった。


その二日間で功治君の問題も少しは解決に向かう事も出来たかもしれない、今、自分は立ち止まっているわけには行かなかった。


ベッドから体を起こし、立ち上がろうとすると、真純に肩をつかまれ、睨み付けられる。


「姉さん何処へ行こうと言うの?」


「お願い行かせて!」


「この間の男の子ね!」


「姉さんが倒れてからまた、来たわ!」


「功治君は何て言っていたの?」


「知らないわ、すぐに追い返してしまったから」


「どうして?」


「どうして? どうしてって、姉さんは自覚を持ってる? 私の事見えてる? たった一人の姉の命を大切に思ったらいけない? 小さな子供がイジメにあっているのを知っていてもなお、自分の姉の命を優先しちゃいけない?」


真純は、泣き出しそうな声で訴えてくる。 自分が発した言葉が総て正しいと言えない事を承知で私に同意を求めてくる。


それは、たった二人の姉妹で唯一の肉親だからこその心配と気遣いだと承知していたが、最後に何かを、そう、自分の存在が消えるかもしれない事を何らかの形で自分を残しておきたいと言う望みなのかもしれない。


もし、八重樫楽が自分の罪を許してしまえば、自分の存在が皆の記憶から消えてしまう。


その事は、死ぬことより恐ろしく、そして、寂しい事だった。


だからこそ、思い出として誰かの心に残りたいと言う願望があった。


それが、たとえ自分の存在が消えた記憶でも、自分がそこに居た出来事は消えない。


それが、どんな形であれ、自分がそこに居たという記憶になるのだから。


その小さな記憶の欠片にすがり付くように、誰かがほんのちょっとした事で忘れてしまうような記憶の欠片だとしても、それだけで自分の寿命をかけてもなしあげなければならない事であり、そして、卒業まで見守ってあげられなかった自分の生徒達との思い出を少しでも増やしておきたいと言う想いからだった。


夜になり、いつの間にか眠りについていたベッドから目を覚まし、ふと、妹の姿を探したが、そこには妹は居らず代わりに恋人の冬至さんが椅子に座り、膝元にノートパソコンを乗せ、仕事をしていた。


「冬至さん?」


「ごめん、起こしちゃったかな?」


「いいの。 冬至さんこそ、ごめんなさい。 また、心配かけてしまったわ」


「いいんだよ。 君の病気は心配を食べさせて抑えているんだから」


「ふふふ、それじゃ、もっと心配してもらわなければならないわね」


「そうさ、沢山僕が心配してあげる」


冬至さんの目は、優しさに包まれ、窓の外から差し込む月の光に照らされた彼の顔が私に近づき影を指す。


二つの影は一つになり、その別れを惜しむように離れて、彼の唇の感触を残しながら少しでもこの時間が長く続く事を祈るように目をつぶる。


彼の手が優しく私の頭をなでる感触に閉じた目を開きながら微笑をかえし、彼には総てを話さなければならないと決意する。


「冬至さん、聞いて欲しい事があるの」


その言葉を聞いた瞬間、冬至さんは真剣な顔になり、「やっと打ち明けてくれるんだね」どこか、ほっとしたような表情でそう、言った。

 

総てを聞いた冬至さんは、難しい顔になり、少し無言だった。

私は、彼の考えがまとまるまで待っていた。 その時間は、一瞬の様な永遠の時間で、流れが止まった砂時計のようにただ、ずっと無言の時間が過ぎゆく。


そして、息を吸う音が聞こえ、その勢いのまま、息が吐き出され、冬至さんは言葉を発する。


「冴子さんは、最後に自分が受け持ったクラスの子供達を正しい道へと導いてあげたいんだね」


「そんな、大げさなものじゃないわ、ただ、功治君と京子ちゃんを助けてあげたいだけ」


「僕に出来る事はない?」


「見守ってくれる事、見なかった事にしてくれる事、そして、妹、真純を説得してくれる事」


「重要な仕事だね」


「えぇ、私の婚約者になってしまったのが不運だったわね」


「最高の婚約者だよ。 僕にとっては」


「そう言ってもらえると、とても嬉しいわ」


「人の痛みの解る優しい婚約者のために、僕は壁になるよ。 君を止めようとする人たちを抑える壁にね」


「ありがとう、冬至さん、あなたと知り合えて私幸せだった。 愛してる」


「何を言っているんだい。 これから君を幸せにするんだよ」


その言葉は、決してかなわぬ現実だと知りながら、その言葉にすがりつく。


「えぇ、そうだったわね」


とても、笑顔といえるような顔ではないと、自分でも自覚しながらも笑う事が出来た自分を誇らしく想い、そして、そのまま眠りにつく。


何処か、遠くで冬至さんの声が聞こえてきた。


「おやすみ」





翌日私は、病院を抜け出す為、朝から、着替えを済ませていた。

冬至さんは病室で着替えを済ませ会社へと向う。


「冴子さん、行ってきます」


「行ってらっしゃい」


訪れる事の無い未来の自分を思い浮かべ、彼の妻として見送る幸せを感じながらキスを交わす。


真純は、冬至さんに気を使っているのか、冬至さんが病室にいる時は、二人だけの時間を作ってくれていた。


今日も、午後から病室にやって来ると言う連絡があり、計画を実行するには、今日がうってつけだった。


朝七時半、病室の扉を開け、通路へと向かうと、看護師さんが声を掛けてくる「萩藤さん、どちらへ?」


「ちょっと下の売店まで」


「そうですか、売店までにしては、よそ行きの服装ですね」


「えぇ、婚約者を見送りましたので」


そこで、看護師さんは納得したのかそれ以上の追求は無く、忙しそうにナースステーションへと小走りに向かって行った。


病院の通路は、所々に患者と看護師が行き交い点滴のキャスターを引きずりながら患者さん達が朝の挨拶を交わし、お喋りを楽しそうに繰り返していた。


病院のタクシー乗り場には、人もまばらで、待つ事も無くすんなりとタクシーに乗り込む事が出来学校へ向う。


学校は、丁度職員会議の真っ最中で、校門には人も居なく、廊下は生徒達が楽しくお喋りや、走り回っている姿があちこちで見受ける事が出来、生徒達は私のすがたを見かけ、走っていた足を止めて歩きに切り替えたり、お喋りやを辞め、教室へと戻る姿が懐かしく思われた。


扉の小窓から見える風景は、窓から春の日差しが差込み、暖かく机の上を照らしていた。


教室のとびらを開け、中に入るとその場に居た生徒たちが皆此方を振り向き驚いた顔を向ける。


「はぎとうせんせい?」


なぜ私が教室に現れたのか、現状が理解できないとばかりに静寂が走り出す。


「功治君!」


教壇に立った私の前に功治君がビックリした表情で、何故私が現れたのか理解出来ず、所在なさげに立ちながら指先を忙しなくいじり出す。


「先生はもう皆の先生じゃ無いけど今日は、皆に教える事が出来なかった大事な事を教えに来ました。 功治君! 言いたい事が有るんでしょ?」


「せんせ・・・」


「頑張って! これは功治君が頑張らないといけない事なの!」


「・・・う、うん」


功治君は、指先をいじる癖を強く握り締めた拳で防ぎながら精一杯の勇気を振り絞る。


「ぼく」一度ためらいながらも、おおきな声でもう一度言葉を発する功治君の後ろ姿は、逞しく、少し大人に見えた。


「ぼくは、きょうこちゃんが好きです! 皆はきょうこちゃんが嫌いなの? お母さんが居ないからって、きょうこちゃんが悪い子なんて僕思えない! だからきょうこちゃんと一杯お話ししたい! でも、皆がお話ししたく無いのは悲しいから僕嫌だ!」

 

その言葉はクラスの皆に届いたかは今後のクラスにしか解らない。 だけれど、功治君が示した勇気は、無駄にはならないだろうと思う。 そして、最後に教師としての仕事をしなくてはならないと言う想いをぶつける。


「先生は、この学校を去った人間です。 だから、皆にこう言う事を言う権利は無いかもしれません。 だけど、少しだけ功治君の手助けをさせて下さい。 少し難しい事を言います。 イジメの加害者は、常に鈍感で気付かないからこそ繰り返すものです。 だけど、少しだけ考えて下さい。 自分がされて嫌な事を、他人にし続ける事がイジメだと気付いて下さい。 お母さんが居ないと言う事は、皆さんより沢山の悲しみを乗り越えて来たという事です。 その事を恥ずかしいと思っている人は、自分のお母さんが居なくなった時の事を思い浮かべて下さい。 これは先生から最後の宿題です」


言葉尻を打ち消すかの様に、激しく扉を開く音が静けさを増した教室に響き渡る。


「萩藤さん勝手な事をされては困ります!」


他の教職員の先生方にとって、私はすでに教師として認識されて居ないのだろう。


長谷川先生は、言葉尻の先生を抜いて私に呼びかける。


怒りに顔を真っ赤に染め、目をむき出して詰め寄る長谷川先生は、私の左腕を強くつかみ、想像した以上の握力で握られた左腕に激痛が走り、顔を歪ませながら、強く長谷川先生の顔を睨みつける。


長谷川先生はメガネの向こうの目が冷たさを増し、その眼光に貫かれるように心が折れかかる。 一触即発な瞬間に、功治君が行動に出る。


「はぎとうせんせを離して!」

その言葉は、恐怖におびえながらも勇気を出して、やっと言った言葉だった。


長谷川先生は、功治君を睨みつける。


「君は下がってなさい」


功治君は「ひっ」っと引きつり半歩後へ下がる。 それでも功治君は両拳を握りしめ、食い下がろうともがく様に言葉を発する。


「でも・・・」


「下がってなさいと言っている!」今度は、視線だけでは無く、怒気を孕んだ声で威嚇する。


その効果は、功治君だけでは無く、クラス全体に広がり、一瞬の静寂を生み出す。


生徒に、向ける冷たい視線の奥には、厳しさでは無く、何処か憎しみの様な感情を感じ、一気に自分の感情がこみ上げ、勢いに任せせめたてる。


「貴方は、いつも生徒にその様な接し方をしているのですか?」

 

先ほどの恐怖を吹き飛ばす様に、おおきな声で長谷川先生に怒鳴りつける。


周りには、騒ぎを聞き付けた生徒達が集まり、出入り口を塞ぎ、此方の様子をおそるおそる伺っている。

 

クラスの生徒一人一人の顔を見渡しながら「貴方たち一人一人は善悪の基準が違います。 ですが、誰かが嫌な思いをする事、これは皆にとって良い事だと胸を張って言える人が居ますか? 少しの気持ちで良いですから考えてみて下さい 。 嫌な事は、嫌と言える勇気を身に付けてください。 正しい事は、正しいと誉める心を持ってください。 間違っている事を間違っていると言える正義感を身に付けてください。 皆が少しでも間違っていると思ったときに、思い出してください」


クラスを見渡し、誰しもが答えない沈黙を破ったのは、長谷川先生だった。「ここは、私のクラスだ! 関係のない貴方に、出しゃばって欲しくありませんね」


無理矢理左腕を引っ張りながら、教室から連れ出そうとする長谷川先生に、功治君が「やめて!」と、叫ぶ声が何処か遠くから聞こえて来た。 辺りは暗くなり、意識が薄れる。 「私じゃ無いぞ! 勝手に倒れたんだ! こら! お前何だその目は! そんな目で私を見るな!」失う意識の途中に長谷川先生の怒鳴り声が聞こえてくる、そこで糸が切れる様に意識が遠のき、目をさましたのは病院のベッドだった。


ベッドの隣では、真純と冬至さんがやつれた顔でこちらを見ていた。


私が目を覚ますと、安堵の表情を浮かべ真純は赤く腫らした目に涙を貯め、声を殺しながら泣いていた。


冬至さんは、私の手を握り、やさしく笑いかけ、「お疲れ様」と私に言葉を贈った。


その一言には、沢山の意味が込められている様に、彼の優しさを感じさせる。


あれから、どれ位経ったのだろうか、あの後、生徒たちはどうなったのか? 沢山の心残りを思い出していると、真純がユックリと、懐から一枚の手紙を差し出してきた。


手紙には、「はぎとうせんせいへ」と鉛筆で、つたない文字で書かれており、封筒を開けると、クマさん柄の可愛い便せんに功治君が一生懸命に書きながら練習したのだろう、何度も消しゴムで消された跡を残しながら書かれていた。



「はぎとうせんせい、体は平気ですか?

せんせいが、きゅうきゅう車ではこばれた後、しょくいんかいぎで長谷川先生が学校をやめちゃいました。

クラスのみんなは、きょうこちゃんに知らないふりをやめてくれました。

せんせい、早く病気をなおしてぼくらのクラスにもどって来てください」



少ない漢字に幼い平仮名で書かれたその手紙は功治君の気持ちの総てが詰め込まれていた。


ゆがみのある文字が、一層涙でゆがみ、可愛い便せんを濡らす。


教師としてあの子達に何かを残せたのだろうか?


今はきっと解らなくても、あの子達が大人になった時、思い出してくれれば自分の教師としての人生は、それ程悪いものでは無かったのかもしれない。


それは、自分が死んだ後の話かもしれないが、今はこの気持ちで充分だった。


「冴子さんおめでとう」


冬至さんが私の嬉しそうな泣き顔を見て、微笑みかけてくる。


その笑顔を思い出に私は旅立つ事が出来る。


残された真純の幸せを願いながら

私は、半月後に旅立った。


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