第七話
結婚式場から自宅に帰ったら、野良犬を追い払うような仕草で追っ払われた。
何故だ、父。娘が可愛くないのか。
玄関で押し問答していると、母がボストンバックを持ってきて、笑顔で手渡してくれた。
これ、なんなのさ。私、旅行とか行く予定、ないんだけれど。
散々文句を言ったが、まったく聞いてもらえなかった。最後には鍵まで取り上げられて、玄関から叩き出された。
締め出された玄関のまえで、茫然と立っていたら、ヤツに肩を叩かれた。
自宅の一室を貸してくれるそうだ。
自宅ってなに? いつ買ったの? 知らなかったよ、私。
でもまあこの際、大いに助かるので、世話になることにした。
ヤツとの同居は、まったく違和感なく続いていた。そりゃそうだろう。乳幼児の頃から一緒にいた相手なんだから、傍にいても苦痛じゃない。
私が丹精込めて育てていた盆栽達も、気付くとヤツが持ってきてくれていた。物凄く感謝した。一番心配していたことだったからだ。
そのとき、思い出したので結婚式のバイト代を請求してみたが、私の粗相が祟って報酬は半分に値切られてしまった。友人に愚痴ってみたが、当たり前だと言われたので、多分、ヤツが正しいのだと思う。
しかも、それをもらうだけなのに、色々署名させられた。
面倒くさいので「勝手にやっておいて」と言ったら、自筆の署名じゃないとダメなんだそうだ。仕方がないので色々署名して押印した。
でも、報酬の碁石は最高で、毎日枕元に置いて寝ている。なにかあったら、持って逃げないと後悔すること間違いなしだからだ。
老人会の囲碁仲間にも自慢してしまった。羨ましがられて大変だった。いつもは、友人の持ち物を自慢されていたのだから、一度くらい自慢してみたかったんだ。
そんなこんなで、数カ月経っただろうか。
爺様が亡くなった。
そう、私の師匠である。
慌ててヤツと一緒に、ヤツの実家に行った。
葬式そのものは、セレモニー会場で行うそうだが、通夜の今日だけは、自宅でご遺体を安置するそうだ。
爺様が住んでいた家は、施設の入居のさいに売ってしまったから、この家に戻ってきたそうだ。
ご高齢だったから、寿命なんだとみんなが言った。
木の棺に入った爺様は、思い出の姿よりも小さく見えた。触れてみると冷たくて、ご遺体というよりも、そっくりな蝋人形をつくって安置しているような気分になる。
死んだと聞かされても、実際にご遺体に対面しても、まるで実感がわかない。
私の父も母も、身内の縁が薄かったのか、早くに親と死に別れたため、私が爺様と呼んだのはこの人だけだ。
近所に住んでいたから、小学生の頃はよく遊びに行った。実の孫であるヤツをさし置いて、一人で遊びに行っても歓迎してくれた。爺様は足が悪かったから、そんなに外出したりはしなかった。行けばいつでも会えた。
あの家に行けば、昔のように迎えてくれる。
私の頭を撫でて、いつものように慰めてくれる。
そんな気がしてならなかった。
室内に立ち込めるお香の匂いと、すすり泣く人の声が、現実であることを知らしめる。
そういえば私、これまで知り合った人と死に別れたことがなかった。
今は会えなくても、どこかで皆が生きている。
いつでも会えるから、それは態の良い言い訳だったのだ。
毎日の忙しさにかまけて、ろくに会いにも行かなくなった。施設に入所したと聞いても、面会にも行かなかった。
爺様は私に、いろんなことを教えてくれた。
ヤツと比較されて落ち込む私を、いつだって励ましてくれた。
「人間、諦めが肝心」と最初に教えてくれたのも、爺様だった。
だから、ヤツと無駄に張り合うことを止めた。比べられても平気な顔をした。泣きつく相手は爺様だけにして、私は強くなろうと思った。
父や母と、爺様は違う。
爺様になにを話しても、誰かに伝わったりはしない。後でほじくり返されたりもしない。ただ笑顔でなんでも聞いて、最後に「よく頑張ったのう」と頭を撫でられた。そんな爺様が、私は大好きだった。
明日が今日と同じだなんて、どうして思っていたんだろう。
ヤツのご両親や兄ちゃんが、業者や手配で忙しく動き回っているなか、私は棺の隣でぼんやりと座り込んでいた。
「おい、暇ならお前、役所に行って死亡届を出してこい。火葬場の手配が追いつかない」
ヤツに渡された封筒をもって、役所に行った。
業者の人が代行してくれるサービスもあるそうだが、私にできることがあるならやりたかった。
こんなことで、爺様への懺悔が薄くなるわけじゃないけれど、少しでも何か役に立ちたかった。
役所の人は、提出した封筒の中身を見て一瞬怪訝な顔をしたが、火葬許可書をくれた。
斎場に行く前、出棺の直前、棺を打ちつける最後のお別れで、ヤツに貰った碁石を一緒にいれてあげようとしたけれど、業者の人に止められたので、白と黒の石を一つずつだけ入れた。
斎場で別れても、拾骨のときになっても、爺様はどこかに隠れているだけな気がしていた。
白灰のなかから確かに骨を拾い上げたのに、骨壷はここにあるのに。
遺影の爺様は笑っているのに、なんで皆が泣いているのかわからなかった。
親族が集まっているヤツの家をこっそり抜け出して、爺様の家だった場所に行く。
そこは空き地になっていた。
私は近くにいて、こんなことも知らなかったのだ。
ねえ、爺様。いるのに会わないことと、もう会えないのは、全然違う。
自分のバカさ加減に、泣きたくなった。
家に戻ると、騒ぎが起きていた。
私の友人が、ヤツに掴みかかっていた。
あれ? 爺様の葬式にきてくれたんじゃなかったっけか。
「だから、どうしてそうなるのよっ!」
「お前の言った通りにさせたぞ。なんの文句があるっていうんだ」
しめやかな葬式の名残もなく、ヤツの両親も兄ちゃんもうろたえている。
私の父と母は、相変わらず読めない顔つきで、お客様宜しくすみっこに座っていた。
「どうしてこの状況で、婚姻届が出せるのよっ!!」
よくわからないが、誰か入籍したようだった。
別に良いじゃないか。爺様の葬式だからって、しんみりするのは親族知人、友人関係だけで十分だ。世の中では、いつでもめでたいことが溢れている。
私が戸口で突っ立ったまま聞いていると、友人が私の存在に気付いた。
「ほら、当人が帰ってきているわよ。ちゃんと自分で説明してごらんなさい」
なんか、女王様みたいだな、友人。
腰に手を当ててふんぞり返っているが、様になっている。
「おう、おかえり」
「ただいま」
微笑するヤツの顔は、まるで私がどこへ行っていたのか見透かしていたようで、面白くない。
「あー、あのな、話があるんだ」
珍しく言い淀む口調で、ヤツは言った。いつも自信満々なだけに、気味が悪い。
「なに?」
「お前、オレと結婚したから」
「へー……。誰と誰が、何だって?」
一度で理解できなかったのから、確認してみた。
「だから、オレとお前が夫婦になったって言ったんだよ」
「どうしてっ?」
「お前、爺さんの死亡届出しに行っただろう? あの封筒の中に、婚姻届も入ってたんだよ、ちゃんとお前自身の署名捺印つきのが」
ほう、死亡届と婚姻届を同時に提出か。どうりで、役所の人、変な顔をしていたわけだ。
いや待て。その前に、理解できない部分が多すぎる。
「そんなもん、書いた覚えがないんだけど」
「いや、自分でちゃんと書いてたぞ。碁石欲しさに、ろくに確認しないで署名捺印しまくった書類の中に、婚姻届もまぎれてた」
うん、確かにあの時、読まないで署名押印しまくった。
でも、婚姻届は自発的に紛れ込んだりしないはずだ。
ただの有機物だからな。
誰かが入れないと、紛れ込むはずがないもんな。
「なんでそんなもん、一緒に入れてんの。まぎらわしい。大丈夫。今から役所にいって、返してもらってくるから」
踵をかえしたその時。
「一度受理されたもんは、返してもらえないぞ」
断定口調のヤツが、呆れた顔でこっちを見ていた。
「いやいやいや、人の人生左右するようなもん、殴ってでも返してもらわないと」
上手く手加減できるだろうか。油断すると、殴り殺してしまいそうだ。
放ちかけた殺気を悟られたのか、背後から父に、羽交締めにされてその場に押し付けれた。
「少しは落ち着け、バカ娘が。そんなことをさせるために、武道を教えたんじゃないぞ」
「だって、父っ! このままじゃ、私の人生がっ」
「どうなるっていうんだ? 彼の所にいて、何か不自由でもあったのか?」
言われて思い返してみたけれど、全然なかった。
むしろ、口煩い母がいないぶん、快適だった。
ヤツはもともと、そこまでかまってくる人間でもないし、家事とかも最低限、うちの母に仕込まれてできるので、私の負担は特にない。
いかんっ! ここで丸めこまれてどうする、私。
「でもさっ、結婚ってそんなもんじゃないでしょ!?」
「書類も見ないでサインするようなバカ娘には、勿体ない相手だと思う」
いやっ、違うよ、父。
ヤツが悪いでしょ、この場合。
私だって、どんな書類でも、中身見ないで署名押印なんてしないから。
そりゃ、父とか母とか信用できる人に出された書類はあんまり見ないけれど、ちゃんと少しは考えているんだから。これでも、普通に社会人やってるんだからっ!!
だいたい、結婚式あげたって、入籍しないと夫婦じゃないもん。
そう、友人にも聞いたもん。
婚姻届は自筆の署名がないと、私文書偽造になるから、名前さえ書かなきゃ結婚したことにはならないのよって。
だから、油断してただけだもんっ!
「諦めが肝心じゃなかったのか?」
他人事のようにヤツが言う。
「自分の落ち度を少しは反省しろ」
拘束を解きながら、父が言う。
よくわかった。ここには私の敵しかいないということが、もう、よっくわかった。
「いいもんっ!! これから一生、反省するのを諦めるからっ!」
即、全員に「そこは諦めるな」と叱られた。
その後、骨になった爺様に縋りついて、泣いた。
ねえ、爺様。閻魔に魂売ってもいいから、還ってきてくれないかな。
私の味方は、やっぱり爺様だけだよ。
生き返ってきて、こいつら全員に、みっちり説教してやって。