第三話
頭の中で、クエスチョンマークがいつくも飛び交っている。
私は今日、ヤツの結婚式によばれたんじゃなかっただろうか。
なんで私が、白い着物を着なくちゃならんのだ。
「ちょっと、待ってください。人違いですから」
「はい、少し動かないで、これ持っていてくださいね」
紐のようなものを握らされ、私の背後では係の人だろうか、帯をしゅるしゅると器用に結いあげている。
私の右手は、背面に回った帯の先端を押さえており、左手には渡された紐がある。そして、身動きが取れないでいた。動くと係の女性に怒られるからだ。
「はい、帯を放してもらって結構ですよ。紐も、もう大丈夫です」
言われた通りに話すと、最後に大きな圧迫がかかり、係の女性は笑顔になった。
「お綺麗ですよ」
「ありがとうございます」
反射的にお礼を言ってしまったが、そもそもが違うのだ。どうしよう。
ノックの音が響き、見慣れた顔がそこから出てきた。
「ふぅーん、馬子にも衣装って感じか?」
「やかましいわっ! それよりも、これ、余興? 本物の嫁は?」
「ここにいるだろう?」
「はぁ?」
「オレの嫁は、お前だから」
人間、驚きすぎると声を失うって本当だった。
声どころか、思考回路も働かないくらい、頭真っ白ってこんな感じなんだ、とまた新たな体得をした。いや、違う。それはいま、どうでも良い。
「オレ、言ったよな。結婚したいと思うって」
「うん、言ったね」
「誰と、って聞かなかったよな」
「興味なかったからね」
「あれ、プロポーズだったんだ。お前、よろしくって言ったよな」
言った気はする。確か、最後に。
「その前にさ、他の事も言ったよね。将来有望な友人知人紹介しろ、とか、未来のダンナとか……」
「ああ、だからさ、未来のダンナはオレで良いだろう? 将来有望だろうが。ちゃんと式で会えただろうが。友人知人なら、後でちゃんと紹介してやるよ」
「意味が違うっ!!」
確信犯の胸倉をつかみ上げたが、如何せん、上背はヤツのほうが高いので様にはならない。
「知ってるよ。でも、お前にだってこの状況、理解できるよな」
人相の悪いヤツの顔がにやりと歪むと、より凶悪に見えた。同時に、私はおそらく正確な状況把握ができていた。
人生、諦めが肝心。
それを幼くして悟ったのは、ヤツが巧妙に手回しするのを見てきた、いくつもの経験則だ。ヤツこそが、私に現実を見せ付けたのだ。
大元を辿れば、私がしでかした不始末の後を拭ってくれていただけな気もするが、ヤツを敵に回すとロクなことがない。それは間違いなかった。
私がここに連れてこられたということは、両家の両親もグルだ。
ヤツは頭が良い。少なくとも、私にはできないような芸当ができる程度によく回る。そして、私の逃げ道を完全に潰す用意くらいはしているはずだ。
追い詰められた小動物って、こんな気持ちなんだろうか。
私は、こみ上げてくる悔しさと怒りと焦りと、自分の無力さに泣きそうになった。
「人生、諦めが肝心なんじゃなかったのか?」
「諦めるのは得意でも、自分の人生、捨てた覚えはないからねっ!!」
「ああ、それも知ってる」
いつの間にか、ヤツの手が背後に回り、私の逃げ道を塞いでいた。
よし、こうなったら、正面突破しかない。
私は両手に力を込めて、それを引き寄せた。
「ケンカ売ってんのね?」
「さあね」
当然、という言葉が聞こえた気がした。
余裕綽々の笑顔に、嫌な予感がした。
気がつくと、着させられていた白無垢の裾はヤツの足の下にあった。
身動きが取れない。
重い着物は動きを妨げるし、きつく締められた帯には息苦しさを感じる。
睨みあげると、ヤツは面白そうに私を観察していた。そう、観察だ。
「言い忘れてたけどさ、婚約指輪なんて、お前いらないだろう? 代わりに、蛤碁石と柾目碁盤、買っといたぜ。勿論、両方とも国産の最高級品。それだけで数百万はいったかな。備品も色々買っといた」
くそっ、このお金持ちめっ!!
一瞬だけ、私の目が揺らいだのを確認したらしい。
ううっ、私のバカ。だって、ずっと欲しかったんだもん。ヤツには知られて久しいけれど、お金をためていた目標だったんだもん。
私もヤツも、特別ケチというわけではない。
無用な出費は極力減らすけれど、必要な所には使うほうだ。
普段は、質素倹約を掲げる私だが、冠婚葬祭とかで金額をケチったりすることはない。
服や化粧品より碁盤が好きなだけで、高級食材よりも盆栽が好きなだけで、数少ない友人に義理を欠く真似はしないと心に決めていた。
だから、今日だってご祝儀は持ってきたのだ。三万円だけど、普通の事務員だったらこれは相場だろう。友人価格はこんなもんだ。
憧れの碁盤も碁石もすっごく欲しい。喉から手が出るほど欲しい。
でも、結婚は嫌だ。
「よっしゃ、それ、半額で引き取ってあげる。だから、結婚はナシの方向で」
「往生際、悪いのな。囲碁の道具なんて、お前に半額で引き取ってもらうくらいなら、爺さんにくれてやる。死ぬ前に一度くらい、爺孝行というのも悪くない」
ヤツの爺様は、現在進行形で認知症を患い、施設に入所なさっていたはずだ。
まともだったときの爺様は、私のオアシスだった。
なにせ、ヤツと私を比べない、数少ないできたお人の一人。
私に囲碁や盆栽を教えてくださった師匠でもある。
そう、師匠のことは今でも大好きだが、ぼへーっと、日向でお茶を飲むだけの爺様に、高給囲碁セットは必要あるまい。
「なっ、それ、爺様いらなくない?」
「贈り物は、相手に必要かどうか、なんて考えて渡さないだろう? 自己満足の最たるものだ。オレが買ったもの、どうしようとオレの勝手だ」
嫌になるくらいの正論で、ヤツは私の口を塞ぎにかかる。色気とは無縁の、文字通り、言葉には言葉で返されるのだ。
「とりあえず、今日はおとなしく高砂に座っておけ」
「なんでさ、嫌だよ」
「お前の好きな和食のフルコース、食べられないぞ。だって席、そこしか空いてないもんな」
おおっ~!? なんでだ。それを一番楽しみにしてきたというのに。
それって、わざわざご祝儀持ってきた知人に対する態度として、どうかと思うよ。そんなんだから、モテないんだ。顔も、もともと怖いし。
「卑怯じゃない、それ。楽しみにして来たのに」
結婚式で、食事以外、なにを楽しめと言うんだろう。それしかないのに。
「どこが? 席はあるって言ってんだろ」
「ふざけんなっ!!」
唯一自由に動く部分で、ささやかな反撃をしてみた。
そう、私は諦めは良くても、できる限りの抵抗をしてみる性質なのだ。抵抗せずに諦めるなど、愚の骨頂。やれることはやって、試して、体当たりして、それから考えるのだ。
だからいつも、「お前、バカだな」とヤツに言われ続けてきたのだけれど。
その日、結婚式の主役が座る高砂では、口の端を切って唇を大きくはらした新郎と、おでこに大きなたんこぶをつくった新婦が、大層険悪な雰囲気で座っていたという。
他人の祝辞をまるっと無視し続けた新婦は、最後の最後まで食事に専念し、最後に新郎の制止を無視して両親へ贈呈するはずだった花束を床にたたきつけ、足音荒く会場を出ていったそうだ。
事情を知らない招待客がざわめく中、両家の親族と友人一同は苦笑していたという。