第二話
あいつは、予想通りの反応だった。
理解していないことは、一目瞭然だ。
バレていないと思っているのか、笑って誤魔化していた。
その勘違いを逆手に取ろうと決めたのは、呑気に「和食が良い」と言われたときだった。
包囲網なんて、張り巡らすのは簡単だ。いつから一緒にいたと思っている。
一緒に昼寝をさせれられるたび、蹴りを入れられるような乳幼児の頃から傍にいた。本人は覚えていないかもしれないが、蹴られたオレの優秀な脳には、いまだに記憶されている。
弱点も欠点も知りつくし、どんなことを考えているときの反応かなんて分析の必要もないほど、相手の事を知っている。ある意味、お互い様なのだろうけれど。
鉄壁のポーカーフェイスと言われるオレの表情を、誰よりも正確に読み取ることができるのは、おそらくあいつだけだろう。
決意したその瞬間、ちらりとオレの顔を見たあいつは、視線をそらせていた。
怒っていることは勘付かれたらしいが、別段構わない。そのくらいでオレから離れるような相手ではないから、問題ない。
ガキの頃から一緒にいたせいか、異性というものはこういうものだ、とオレが思いこんだのは、だいたいあいつに起因している。身近にいたわかりやすい対象があいつだったのだから、擦り込みのようなものだったのだろう。
社会人になったオレは、そこそこ女性に声をかけられるようになった。
映画だの食事だのに行ったこともある。
だが、いつも一度で終わった。
最初は、単純に経験値が足りないのだろうと思っていた。
だが、基本が間違っていた。それを先輩に指摘されるまで、オレは全く気付かなかった。一生の不覚だとさえ思った。
正直なところ、社会人になるまでずっと、勉強が楽しくて仕方なかったのだ。
あいつには、何度か熱く語ってみたことがある。
手近にいた暇そうな人間は、あいつだけだったからだ。
他人の事にはさほど興味を向けないあいつが、珍しく「凄いね」という称賛を口にしたのも、オレの熱意の効果だろうか。
あいつは、決して思ってもいない事は口にしない。要するに、かなり不器用だった。
相手を喜ばせるためのリップサービスとか、配慮とか、詭弁を擁するということはない。
だから、女性というものは、そういうものだと思っていた。
映画といえばアクションかホラーかB級コメディ。外食といえばチェーンの牛丼屋かファミレス。デザートはもっぱら大判焼きを食べ歩く。移動はなにがなんでも徒歩。買い物と言えば百均。服は断然ユニクロ。贈り物は盆栽が一番で、二番目は本、三番目が水草。お気に入りの場所は老人会の詰め所で、毎週末、囲碁の腕を磨く。金を貯めるのは、高価な盤面を買うため。
「はぁ? マジ?」
真顔で言われた日には、さすがに少しだけ落ち込んだ。
オレは、流行のハリウッド映画なんて知らないし、お洒落なレストランも足を向けた事がない。化粧品やアクセサリーなんてろくに見た事もないし、ブランドショップなんてテレビの中で活躍する備品だと思っていた。
どうりでどの女性も、不満そうな顔をしながらついてくるわけだ。
文句があれば、言えば良いのに。というより、察してくれということ自体が疲れる。
「どんな子なんだよ、その女の子」
先輩が興味を示したので、携帯で映していたあいつの寝起きの顔を見せてみると、「今度紹介してくれ」と言われた。好みなんだそうだ。
おそらく、顔のつくりは悪くないのだろう。
学生時代には、よく見知らぬ男に声を掛けられていた。
オレといるときはさすがになかったが、一人で出かけると、よくあったらしい。あいつの友人が聞くと、決まって「道をきかれた」「時間をきかれた」と言っていた。
「つきあってくれと頼まれたので、買い物に付き合った。妹の誕生日プレゼントだそうだ」
と、聞いたこともあったので、あいつは世間一般で言われる女のくくりに入る価値観を持っているのだろう、と思っていたのだが、そこが大きく違っていたようだ。
ただ、あいつの名誉のために言っておくと、興味の対象が一般女子とズレているだけで、中身はそこまで悪くない。
オレに近寄ってきた女性のように、なにか含んだような物言いはしないし、むやみに頼ってくることも、絡んでくる事もない。それ以上に、このオレでも先が読めない言動をやってのける。なんというか、傍にいて厭きない。
その時、ようやく気がついた。
面倒くさい相手と出かけて疲れるよりも、疲れない相手といたほうが良いことに。
そして、疲れないうえに面白い珍獣のようなあいつが手元にいたことに。
時折、言いがかりのように詫びを入れさせられ、慰謝料がわりに奢らされるが、だいたいは千円もあれば満足する。誕生日にねだられる盆栽の若木だって、一万円ほどあれば足りる。
なんでも、本当の盆栽通というものは、自分で種から育ててこそ、なんだとか言うが、だったら種を買えば良いのに、若木を強請るところがわからない。理屈が通らない言動を繰り返しているのだが、庭に並べられた若木は、針金で枝を固定され、順調に育っているのだから、不満は特にない。
針金をはずす時期になったら、一鉢くれるそうだ。
上機嫌で言われたので「ありがとう」と言っておいたが、そもそもオレの金で買ったものじゃなかっただろうか、という素朴な疑問は横に置いておくことにした。
いかに安く良い物を仕入れたか、を日々自慢しているあいつのほうが、オレを誘ってくる女性よりも、楽しそうに生きている気がする。
それは、あいつの数少ない長所だと思う。
オレには学歴も収入も人望もある。少なくとも、あいつよりはある。
贔屓目なしの、客観的事実だ。
金も、稼ぐ以上に使う機会がないので、平均よりも貯まっていると思う。
あいつの両親にも、嫌われてはいない。むしろ、他の男よりは好印象だろう。
オレにとってあいつが異性として映らなかったように、あいつにとってもオレは異性として映っていはいないだろう。
盆栽好きが高じて、盆栽センターの事務員などをしている変人だ。
周囲にそれらしき男の影などあるまい。あったなら、オレに将来有望な友人知人を紹介しろ、などとは言わないはずだ。
オレは、遠慮なく外堀から埋めていくことにした。