第6話 秘密
市役所庁舎の二階。市民課の喧騒とは無縁な広報課の奥にある、窓のない備品倉庫。
重い扉が閉められた瞬間、ワワワは反射的に首をすくめた。
「……ワワワ。眼鏡を外しなさい」
紗良の声は、怒りというよりは、大切な宝物に傷をつけられた主のような、切実な響きを帯びていた。
ワワワが震える手で眼鏡を外すと、そこには紗良が心血を注いで「秘匿」してきた、涼やかで端正な素顔が現れる。しかし、その瞳は恐怖に怯えきっている。
「誰に撮られたの。ねえ、和久井 輪。……私が、あなたが変な虫に目をつけられないように、わざわざあんなダサい眼鏡で封印してきた美貌が、あんな『悪趣味な動画』で世界に晒されているのよ? これ、どう責任とってくれるつもり?」
前回の説教の時と同様、ガンギマリの目でワワワに呪詛を吐く紗良。
「ヒエ〜!!ご、ごめん……。でも、まさかあんなところに誰かいるなんて……」
「言い訳は聞かないわ。……今日から週末まで、夜の自由時間はすべて没収。バー『La Cave』への直行も禁止。私の部屋で、そのすぐ隙を見せるヨワヨワの根性を一から叩き直してあ・げ・る」
紗良はワワワの胸ぐらを掴み、至近距離で言い放った。
「あなたは私の……ううん、私が守らなきゃいけない大事な『幼馴染』なの。」
(誰の目にも触れさせず、私だけが愛でるはずの……。それを、あんな……っ)
その瞬間、紗良の言葉が詰まった。
彼女の視線の先には、ワワワの口元に残っていた、微かな「鶏の照り焼き」のタレ。先ほどの監視を掻い潜って盗み食いした、野性の証だ。
紗良はそれを親指で乱暴に拭い取ると、自分の指をじっと見つめ、呪詛のように呟いた。
「……明日からも、お弁当は私の目の前で食べなさい。一粒も、変な隙は見せちゃダメよ。……いいわね?」
一方その頃、一階のロビーでは、美月が呆然と立ち尽くしていた。
「……テスト。私、さっきのあの人、忘れられないんだけど」
「テストの……ターゲット捕捉」
美月の脳裏に焼き付いていたのは、紗良に睨まれ、怯え、消え入りそうになっていた「地味な公務員」ではない。
紗良が目を離した一瞬、餓えた獣のように照り焼きを飲み込んだ、あのギラついた瞳。喉が鳴る音。それから、眼鏡を直す際に見えた、ハッとするほど綺麗な横顔。
「ほんとはあんなに美味しそうに食べるのに、あんなにひもじそうに食べて……。それに、あの女の人にいいようにされて……。なんだか、見てられないよ」
無自覚な美の化身、美月の心に「保護欲」という名の火が灯っていた。
「テスト。私、もう一回あの……ううん、和久井さんに会いたい。ちゃんと話してみたい」
「テストの……修羅場」
テストが淡々とスマホにメモを走らせる傍らで、美月は窓の外に広がる夕焼けを見つめていた。
彼女はまだ知らない。自分がその足を踏み入れようとしている場所が、紗良が十数年かけて築き上げた、狂気的なまでの「管理区」であることを。
そして誰もいなくなった市民課のフロア。
ニク課長は、主のいないワワワのデスクを愛おしそうに眺めていた。
「あぁ……。行ってしまったね、私の三日月くん。雲に隠れてしまうなんて、少し寂しいじゃないか……」
彼はワワワの椅子にそっと手を置き、その感触を確かめるように撫でる。
「でもそれもいい〜んだよねぇ。隠れれば隠れるほど、次に姿を現した時の光は、私の網膜を強く焼いてくれるはずだぁ。……フフ、楽しみに待っているよ、和久井くん……」
闇に溶けるような、ねっとりとした独り言。
その様子を物陰から見ていたクミが、「あのおっさん、本当に一回埋めたほうがいいわね」と、特製プロテインを握り潰しながら呟いていた。




