第33話 痛みの先にある光
雨上がりの月曜日。僕たちの間に流れる空気は、以前のような「管理者と被験者」という味気ないものから、より濃密で、逃げ場のない「共犯者」のそれへと変質していた。
昼休み、僕は初めて自分から紗良を誘った。
「……少し、歩かないか」
彼女は何も言わず、ただ短く頷いて僕の後に続いた。
向かったのは、市役所の裏手にある小高い丘。かつて、地獄のダイエットプログラムで僕たちが何度も走り込み、泥まみれになって夕焼けを見たあの場所だ。今は整備された公園になっているけれど、潮風の混じった空気の匂いだけはあの頃と少しも変わっていなかった。
展望台に続くベンチに座ると、僕は彼女に向き直った。
「紗良。……本当のことを教えてほしい。君は、僕をどうしたい?」
美月さんは僕を「自由」にしたいと言った。ありのままの僕を肯定し、檻の外へ連れ出そうとした。
けれど、僕は知っている。僕の輪郭を削り出し、今の僕という存在に価値を与えたのは、目の前にいるこの残酷な支配者だけだということを。
紗良は、僕の問いにすぐには答えなかった。
彼女はおもむろに立ち上がると、僕の顔を覗き込むようにして、無造作に僕の眼鏡を外した。
「……あ」
至近距離にある彼女の瞳だけが、燃えるような情熱を湛えて僕を射抜いていた。彼女の冷たい指先が、僕の頬をなぞり首筋から鎖骨へと滑り落ちる。それは愛撫というよりも、自分の作品の状態を確認する芸術家の手つきに似ていた。
「自由にしてあげたいなんて、そんな甘いこと……私は一秒だって思ったことはないわ」
彼女の声は、低く、低く、僕の鼓膜を震わせる。
「私が苦労して、あんたの醜い肉を削ぎ落として、ようやく手に入れたこの『最高傑作』を、どうして外の世界なんかに晒さなきゃいけないの? 他の誰かが、あんたを安っぽい肯定で汚すなんて許せるはずがないわ」
彼女は僕の頬を両手で強く挟み込み、逃がさないように固定した。
その瞳には、かつての少女のような面影はなく、狂おしいほどの独占欲に満ちた一人の女がいた。
「私はね、あんたを剥製にして私だけの暗室に閉じ込めておきたいの。誰も見ることができない、光さえ届かない場所で、私だけがあんたを鑑賞し、管理し、愛し続ける。……それが、私の理想よ」
それは、普通の人間なら恐怖で逃げ出すような、あまりにも歪んだ愛の形。
けれど、その言葉を聞いた瞬間、僕の胸を支配したのはこれまでにない深い安堵感だった。
(ああ、そうだ。僕は、ここに入りたかったんだ)
美月さんがくれた広すぎる世界よりも、紗良が用意したこの狭くて息苦しい「独占という名の檻」こそが、僕にとって唯一の安息の地。
僕は彼女の細い手首を握り返した。
「……いいよ。なら、死ぬまで僕を閉じ込めておいて」
僕たちは、かつて一緒に見た夕焼けの下で、新たな、そして永遠の契約を交わした。
管理という名の鎖は、もう二度と解かれることはない。
僕という宝石は、彼女という唯一の所有者の手の中で永久に磨かれ続けることを選んだのだ




