表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
たくさん食べていいですかっ!?  作者: ニクものがたり


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

28/35

第27話 美月の誘い、紗良の沈黙

昨日、紗良がくれたカツサンドの脂の甘みが、まだ舌の裏側にこびりついているような気がした。


皮肉なものだ。彼女がくれた「許し」という名のその一切れは、僕の空腹を満たすどころか、眠っていた本能を乱暴に叩き起こしてしまった。絞りすぎた僕の肉体は、栄養を求めて絶え間なく悲鳴を上げている。視界の端が時折ちかちかと白く光り、自分の足取りがどこか他人事のように心許ない。


「……和久井さん、無理は禁物ですよ」


市役所の非常階段の踊り場。美月さんは僕の様子を伺うようにそっと隣に並んだ。彼女からは紗良のとはまた違う、陽だまりのようなどこか懐かしくて甘い香りがした。


「今度の日曜日、一日だけ……わたしに時間をくれませんか?」


美月さんの声は、静かだが確かな熱を帯びていた。


「紗良さんに内緒で街へ行きましょう。わたしが和久井さんを自由にします。重い眼鏡も、厳しいカロリー計算も全部忘れて。……お腹いっぱい、好きなものを食べさせてあげたいんです」


自由。そして、満腹。

それは今の僕にとって、どんな宗教の救いよりも甘美で毒々しい響きを持っていた。紗良を裏切ることになる。それは分かっている。けれど、ふらつく意識の中で僕は、彼女の差し出した救いという名の「共犯関係」に、抗うことができなかった。


その日の夕暮れ。僕は重い足取りで広報課の資料室へ向かった。

窓の外は、血のような夕焼けが街を塗り潰そうとしている。影の中に立つ紗良に、僕は美月さんとの一件を告げた。隠し通せる相手ではない。何より、僕の中に残った僅かな良心が彼女の糾弾を求めていた。


「……日曜日、美月さんと出かけてくる」


怒声が飛ぶと思った。あるいは、冷徹な言葉で僕を縛り上げるのだと。

けれど、返ってきたのは、鼓膜に届くかどうかの微かな沈黙だった。


「……そう。好きにすれば」


紗良は僕を見ようともせず、ただ俯いたまま力なくそう言った。

いつもの傲岸不遜な支配者の姿は、そこにはなかった。逆光の中に浮かび上がる彼女の肩は、驚くほど細く頼りなく見える。


「紗良……?」


僕が戸惑って声をかけると、彼女は一歩だけ僕に歩み寄った。

そして、震える指先で、僕のシャツの裾をほんの少しだけ縋るように掴んだ。


(……行かないで)


そんな声が聞こえた気がして、胸の奥が鋭く痛んだ。

けれど、彼女はすぐにその指を離した。まるで、何かに弾かれたかのように。


「私には、あんたを止める権利なんて……よく考えたらなかったものね。……もう行って」


突き放すような言葉。けれど、その声は微かに震えていた。

背を向けて去っていく彼女の後ろ姿を見つめながら、僕は得体の知れない喪失感に襲われた。


自由を手に入れるための切符は、手の中にあった。

でも、どうしてだろう。美月さんが約束してくれたはずの「満腹」が、今は何よりも虚しく、遠いものに感じられて仕方がなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ