第25話 真夏の終わり
「ガ、アアアアアアッッつ!」
咆哮と共にワワワが放ったのは、食欲への屈服ではなく、Pへの猛攻でもなかった。
彼はテーブルを掴むと、その凄まじい筋力でフルコースの乗ったテーブルごと、自分と紗良を覆い隠すようにひっくり返したのだ。
ガシャァァァン!!
銀の食器が散らばり、最高級ステーキが宙を舞う。テーブルクロスが巨大な幕となり、ワワワと紗良をカメラの視線から遮断した。
「なっ……!?」
Pが絶句する。
テーブルクロスの内側、暗闇の聖域で、ワワワは床に落ちる前にちゃっかりとキャッチしたステーキ肉をむさぼり喰らった。全世界への配信画面に映るのは、不自然に揺れる布と、内側から響く「獣の咀嚼音」だけ。
「……ハッ、グ、……ん、ぅ……」
「いいわ、ワワワ。そのまま、誰にも見られずに食べなさい。……あなたの美も、野生も、この暗闇の中で私だけが独り占めよ……」
紗良は布の中で、脂に汚れたワワワを強く抱きしめた。カメラには何も映らない。Pの狙った「美しい崩壊のエンターテイメント」は、紗良の執念によって、文字通り闇に葬られた。
「テストの視聴者困惑」
テーブルクロスが巨大な幕となり、ワワワと紗良を「物理的」に隠蔽した瞬間、モニターには「ただ揺れるだけの布」という事故映像が映し出された。
Pが泣きながら操作するカメラは、必死に主役を探して右往左往し、最終的に現場の隅で恍惚としていたニク課長を「主役」としてロックオンした。
「え、何これ? テーブルクロス映して何がしたいの?」
「イケメンどこ行ったしwwww」
「配信グダグダすぎて草。学芸会かよ」
「期待して損した。解散解散」
「……待て、後ろにいる『銀色の塊』は何だ?」
視聴者の興味は、もはや「見えないイケメン」から、画面中央で堂々と三段腹をバイブレーションさせている銀色の怪異へと急速にシフトしていった。
「……おやおや、私の出番かな?」
ニク課長は、おもむろに羽織っていたシャツを脱ぎ捨てた。
銀色のハイレグに、月光を反射して白く輝く「メタボな三段腹」。彼はカメラに向かって、自慢の腹肉をリズミカルに叩き踊り始めた。
ボフン。ボフン。ボフゥン……。
「これこそが、満月を飲み込んだ後の、真実の夜だよ」
全世界のモニターに、ワワワの代わりに映し出されたのは、銀色の布地をパンパンに張らせる肉と、重力に従ってゆったりと揺れる管理職の贅肉だった。
……数分後。
SNS上ではワワワへの興味は霧散し、代わりにニク課長の腹肉を加工したコラ画像が秒単位で生成され始めた。
『このおじさん、逆に潔くて好き』
『イケメンはもういいわ、この腹の揺れ、10時間は見てられる』
『市役所の最終兵器(物理)』
「……クソすぎる。僕の演出が、こんなのに負けるなんて……」
Pは膝をつき、カメラを放り出した。しかし、ふと画面に表示された「同時接続数」のグラフを見て、彼の瞳に邪悪な光が戻った。
(……待てよ。これは……金になるッ!)
Pは目出し帽をずらし、不敵な笑みを浮かべてニク課長を見上げた。
「……ターゲット変更だ。和久井 輪はもう古い。次は……あの銀色の腹肉を全世界に売り出す……!」
一週間後。
市役所の掲示板には、ワワワ達のポスターが寂しげに貼られていた。しかし、市民たちはその前を素通りし、スマホで『ニク課長・腹肉ASMR』のライブ配信をチェックしている。
「ニク、また市民から『あの腹を叩かせてくれ』って電話よ」
クミが呆れ顔で受話器を置く。
「フフ、私の欲望の象徴が平和の象徴になるとはね」
ニク課長は、今日もしっかりとボタンの弾けそうなシャツの下に、銀色のハイレグを仕込んでいた。
一方、ワワワは再び、地味な事務服に身を包んでいた。
「和久井さん、なんか……普通の人に戻っちゃいましたね」
美月が少し寂しげに、ワワワにささみを差し出す。
「……いいんです。これで見られることもありませんから」
ワワワは安心したように微笑む
「……ありがとうございます」
ワワワは微笑むが、その瞳の奥には、あの日、テーブルクロスの下で味わった「禁断の脂」への飢えが、一粒の火種として残り続けていた。
それを見つめる紗良の瞳は、以前よりも深く、昏い。
その頃。
ニク課長のデスクには、Pから届いた「新作:超電磁シルバーハイレグ(電動バイブ機能付き)」の試供品と、大規模な海外撮影の契約書が置かれていた。
「フフ、管理職の次なるステージは『世界のアイドル』かな?」
クミが受話器をニク課長の頭に投げつける音と、ワワワの胃袋の切ない鳴り響きが、夏の終わりを告げていた。
【第2章:完】




