第23話 禁断の補給
「ハァ……ハァ……ここまで来れば、大丈夫よ」
紗良がワワワの腕を引き、滑り込んだのは閉館後の市営資料館の暗がりだった。配信ジャックにより市役所周辺はパニック状態だが、ここならPの監視カメラも届かないこともあり紗良は冷静さを取り戻していた。
「ワワワ、しっかりしなさい。……追っ手は?」
「……テストの逃走成功」
テストが暗闇で淡々とタブレットを操作する。その横で、ワワワは壁にもたれかかり、荒い息を吐いていた。喉の仏が上下に激しく動き、視線は定まらない。限界だった。
「和久井さん……もう、見てられません!」
美月が覚悟を決めた表情で、抱えていた保冷バッグ―通称「欲望のコンテナ」を床に叩きつけた。バッグから取り出したのは、三段重ねの重箱。蓋を開けた瞬間、密閉されていた「欲望」が解き放たれる。
茶色く輝く鶏の唐揚げ、バターが染み込んだ特厚の卵焼き、そして、岩のように巨大な、マヨネーズ和えのおかかおにぎり。
「……ッ!!」
ワワワの鼻腔が、雷に打たれたように痙攣した。
「だめよワワワ! それは毒よ! あなたの毛細血管を脂で汚す、甘美な毒なんだから!」
紗良がワワワの肩を掴むが、ワワワの腕は既に、無意識のうちに唐揚げへと伸びていた。
「毒じゃありません! 私が朝の3時から仕込んだ、和久井さんのための『ガッツリ系特製・必勝弁当』です!」
「……テストの2500キロカロリー」
ワワワの手が、震えながら唐揚げを一つ掴んだ。その瞬間、ワワワの脳内で何かがパチンと弾ける音がした。
「ガ、アッ…………!!んぼおおああああ!!」
ワワワはもはや言葉を紡がなかった。喉から漏れたのは、言葉以前の、歓喜に震えるような叫び声。
ボリッ、という衣が砕ける暴力的な音と共に、彼は唐揚げを二つ同時に口へ放り込んだ。咀嚼するたびに溢れ出す肉汁が、数日間乾燥しきっていた彼の細胞を、容赦なく、そして鮮烈に叩き起こしていく。
「……ハムッハフッ、ガフッ……ッ!!」ぐァつぐァつ
一心不乱。重箱をひったくるように抱え込み、マヨネーズがべっとりと絡んだ巨大おにぎりを、文字通り「引き千切る」ように食らいつく。米粒と油が口角から飛び散り、汗で濡れた胸板に滴り落ちる。それはもはや食事ではなく、生存のための「略奪」だった。
「あぁ……和久井さんが、私の料理を……」
美月が感極まって頬を染める。
「ワワワ! やめなさい! その一口で、私がミリ単位で調整したあなたが……ああっ……俗悪な脂で塗り潰されていく……!!」
紗良はその場に膝をついた。彼女が心血を注いで維持してきたワワワの「純潔な肉体」という名の聖域が、美月の持ち込んだハイカロリーな暴力によって、無残にも解体され、背徳の喜びに塗り替えられていく。
「ダメ……私のワワワが、汚されていく……こんな、こんな野蛮なカロリーに……っ!」
紗良の絶望をよそに、ワワワの瞳にはギラギラとした野生の光が宿る。最後の一つまで重箱を空にしようとするその姿は、あまりにも猛々しく、そして美しかった。
「テストの野獣オーバーフロー」
その時。
暗闇の中から、パチ、パチ、パチ、とゆっくりとした拍手の音が響いた。
「素晴らしい。やはり君は、食べている時が一番美しいね。和久井 輪」
資料館の非常階段の上。逆光を背負って、一人の男が立っていた。ついに、Pがその姿を現したのだ。




