第21話 野獣隠密給餌作戦
駅前の巨大サイネージがニク課長の「腹肉バイブレーション」で埋め尽くされる中、市役所広報課はかつてない混乱に陥っていた。苦情の電話は鳴り止まず、クミは受話器を両手に持って「ですから、あれは事故なんです!」と叫び続けている。その喧騒のど真ん中で、紗良だけは「ワワワ成分」を過剰摂取しすぎて、脳内から謎のハッピー物質がドバドバ出ているトランス状態にあった。
「……次のフェーズが来るわ。ワワワ、あなたを絶対に外へは出さない」
紗良はワワワの腕をがっしりと掴んだ。焦燥で震えているように見えた指先は、実のところどさくさに紛れて「ワワワと密着している」という至福の事実に脳内麻薬がドバドバ出ているせいだ。
「でも、紗良さん。Pのメールには『実食ライブ配信』って……。和久井さんをここに閉じ込めておいても、食べ物を与えなければ、彼、飢え死にしちゃいます!」
美月が食ってかかる。彼女の足元には、いざという時のための「高カロリー非常食詰め合わせ」が用意されていた。
沈黙を守っていたテストが、無機質にタブレットを差し出す。画面には、市役所内の全防犯カメラのアイコンが赤く点滅し、Pの紋章に書き換えられている異常事態が映し出されていた。
「テストの……配信待機中」
テストの短い報告が、事態の深刻さを物語っていた。ワワワが何かを口にした瞬間、その姿は全世界へ「無修正の捕食シーン」としてリアルタイム配信されてしまう。広報課全体が、巨大なスタジオと化していた。
その時、スピーカーから加工された不気味な声が流れた。
『さあ、ランチタイムだ。和久井 輪。……君のデスクを開けてごらん』
ワワワが吸い寄せられるようにデスクを開けると、そこには市内で最も行列ができる名店『龍神軒』の特製チャーシュー麺が、湯気を立てた状態で鎮座していた。
「……ッ! なぜ、引き出しの中にラーメンが……!」
数日間の食事制限で極限状態にあるワワワの脳内に、暴力的な香り、滴る脂、極太のメンマ、そして黄金色のスープが「早く啜れよ」と直接語りかけてくる。
「あぁ……三日月が、龍の巣に飲み込まれようとしている。官能的な終焉だね……」
上半身が銀色のハイレグ水着の上にワイシャツを羽織っただけのニク課長が、自身の腹を撫でながらうっとりと呟く。
「ニク! 黙ってなさいよ!! 紗良ちゃん、どうするの!?」
クミが叫ぶのと同時に、紗良が動いた。
「……ワワワ、じっとして。今、あなたの顔を世界の邪悪(と泥棒猫たちの視線)から封印してあげるわ!」
紗良は気合十分にワワワの目をストールで覆ったが、力みすぎて自分の人差し指まで一緒に結び目に巻き込んでしまい、「あだっ……!」と小さく情けない声を漏らした。
(……落ち着け、私。今、私はワワワを視覚遮断し、私への依存度を極限まで高める完璧なムーブをしているはず。……ああ、でも布越しに伝わるワワワの熱が尊すぎて、結び目を作る指が言うことを聞かない……!)
「紗良さん、これ……ちょっと、いやかなりキツいです。鼻が完全に潰れて……息が……」
「黙りなさい! これは『聖なるヴェール』なのよ!」
「次に美月……、あなたの出番よ。……その『不純物だらけの非常食』を出しなさい」
「えっ……協力してくれるんですか?」
「勘違いしないで。ワワワの『秘密』を見せていいのは、私だけよ。」
その間も引き出しから漂い続ける『龍神軒』のラーメンの香りに、ワワワが「ぐぬぬ……」と悶絶する。紗良は美月に背後からの給餌を命じた。
「美月、あなたは後ろからゼリーを流し込みなさい。私は前から彼をホールドして、カメラの死角を作るわ。……あ、ちょっと! 私の計算だとここが死角のはずなのに、私の頭がワワワの顎にぶつかるわね。……ええい、もっと密着すれば解決よ!」
一生懸命すぎるあまり、ワワワを押し潰さんばかりに抱きしめる紗良。隠密作戦というよりは、端から見れば「全力すぎるハグ」にしか見えなかったが、本人の顔は至って真剣(かつ、隠しきれないデレ顔)であった。
「……もう、な…何がなんだか……んぐ……っ…んぐ……っ」
「いいわ、ワワワ。そのまま私だけを感じてなさい。余計なものは見なくていいわ……」
紗良の執着と、美月の献身。二人の女がワワワを挟んで密着し、監視を欺く「隠密給餌作戦」が始まった。
しかし、引き出しの中のラーメンは、なおも魔力的な香りを放ち続けていた。




