第20話 流出
数日後、市役所の広報課ブース。窓の外には、夏の終わりを惜しむような強い西日が差し込んでいた。
「ふふふ……これぞ人類の至宝、究極のアートだわ。ワワワの美しさに当てられて、街中の交通事故が増えないか心配だわ」
紗良は、デスクに広げた校正刷りをうっとりと見つめていた。彼女は優雅にカップを傾け、勝利を確信したコーヒーを啜る。その脳内では、ポスターを見た市民たちが感動に震え、プールの来客数が前年比2000%という天文学的数字を叩き出す光景が再生されていた。
しかし、その静寂は、雷鳴のような勢いで扉を蹴破ったクミの絶叫によって粉砕された。
「ちょっと!! 大変よ紗良ちゃん!! 今すぐ駅前の巨大モニターを見て!!」
「なによ騒々しいわね、私のポスターに感動した市民がパレードでも始めたのかしら……」
余裕の笑みで窓の外、駅前広場のデジタルサイネージに目を向けた瞬間、紗良のカップがカチャリと音を立てて震えた。そこに映し出されていたのは、至高の芸術品ではない。
『市民プール、リニューアルオープン。……私と一緒に、溺れないか?』
そんなキャッチコピーと共に画面いっぱいに表示されていたのは、波打つメタボ腹によってパンパンに張った銀色の例の水着を限界まで食い込ませ、カメラ目線でウィンクを決めるニク課長であった。
「な、……何よこれえええええ!!」
紗良は悲鳴を上げ、モニターを指差して発狂した。
「業者に連絡して! 今すぐあの『動く公害』を消去しなさい! 公共の電波が汚染されているわ!」
「……テストのアクセス拒否。テストのPのシステムジャック」
激昂する紗良だったが、ふと隣で困惑するワワワに視線を向けた瞬間、彼女の瞳の奥で歪んだ知性が閃いた。
「大変よ、ワワワ! 街は今、あの汚物(ニク課長)によってパニック状態だわ!」
紗良は怒りを瞬時に「使命感」という名の独占欲へ変換し、ワワワの肩をガシッと掴むと、部屋の隅にあるパーテーションの裏へと彼を強引に追い詰めた。
「危ないから私の影に隠れていなさい! 視覚情報のテロからあなたを守るわ!」
「えっ、でも紗良、そこまでしなくても……」
「いいから! これは緊急事態なのよ!」
紗良は怒りに震えるふりをしながら、至近距離でワワワの胸板に身体を預けた。鼻腔をくすぐる石鹸の香りと、引き締まった肉体による体温。ポスターを無駄にされた怒りの補填として、彼女は「防衛」という名目でワワワに密着する悦びに浸り、その顔は怒りと恍惚が混ざり合った、実にいかがわしいものへと変貌していた。
その頃、駅前広場では市民たちが足を止め、「新手の視覚テロ?」「市役所、ついに狂ったか……」と、戦慄と困惑の渦に包まれていた。しかし、人間の好奇心は残酷だ。SNSでは既に「#シルバーサンセット」「#市役所の怪人」のタグが爆発的に拡散されている。
「あぁ……三日月を隠す厚い雲(肉)。これぞまさに、神秘のベールだね……」
銀色のスカーフを巻き直し、自身の腹を太鼓のようにパチンと鳴らすニク課長。
「ニク!! 悦に浸ってないで責任取りなさいよ!」
クミの怒声が響く中、紗良のスマホが不吉なバイブ音を立て、画面にはPからの不敵なメールが表示された。
『第1弾:銀色ハイレグ水着エンタメ編。……前座で十分に暖まったことだし、次は本命だ。ワワワの「実食ライブ配信」を全世界に届ける準備はいいかな?』
「……なんですって?」
紗良の背筋に、本物の戦慄が走った。
彼女にとって、ワワワを磨き上げポスターにしたのは、世界をひれ伏させる「圧倒的な美」を誇示するためだ。だが、この『実食配信』は話が違う。
(絶対にさせないわ……! ワワワをネットの肥やしに、安っぽいエンタメ(娯楽)として消費させるなんて! )
紗良はワワワを抱きしめる腕に力を込めながら、次の「防衛作戦」を練り始めた。




