第2話 紗良の逆鱗と拡散される秘密
翌朝、市役所市民課の空気は、前日とは明らかに違っていた。
出勤したワワワは、デスクに座るなり、クミがスマホの画面を突きつけてくるのを見た。
「ちょっとワワワちゃん……。あんた、ついに世界デビューしちゃったわよ」
そこには、昨日裏庭で唐揚げを貪り食うワワワの姿があった。
野獣のような咆哮、そして狂ったような咀嚼。
動画の再生数は既に数万を超え、コメント欄には『捕食系公務員』『この咀嚼音で白米三杯いける』といった言葉が躍っている。
「……あ、あはは。これ、僕じゃないですよ。他人の空似です」
「嘘おっしゃい! この、左耳の後ろにある小さなホクロ……。私が見逃すとでも思ってるの?」
クミの鋭い指摘に、ワワワは滝のような冷や汗を流す。
さらに最悪なことに、背後から「ねっとり」とした気配が忍び寄っていた。
「和久井く〜ん……。観たよ…動画を」
ニク課長が、ワワワの耳たぶを薄く掠めるように囁く。
「君のあの、激しい顎の動き……。まるで、獲物を引き裂く豹のようだ。私の心も、君のその強靭な臼歯ですり潰されたい……」
「課長、仕事してください、本当にお願いします」
ワワワが絶望に暮れているその頃。
市役所の正面ロビーには、場違いなほどに輝かしい二人の美女が立っていた。
「テストの聖地巡礼」
不思議なオーラを纏った美女、テストが、スマホを片手に事務室を覗き込む。
その隣には、通り過ぎる全職員が二度見するほどの美貌を持つ女、美月がいた。
「ねえテスト。本当にあの動画の人、ここにいるの? 全然それっぽくないよ。みんな普通だし。……あのおじさんのポエムはちょっと怖いけど。」
「テストの……観察」
美月とテスト。
「美の化身」と「不思議系美女」という、本来であればこの古びた市役所には縁のない二人が、Pの放った一石によってこの場に引き寄せられていた。
しかし、ワワワにとって真の恐怖は、職場に押し寄せたファン(?)でも、変態上司でもなかった。
昼休み。ワワワのスマホが、昨日よりも激しく振動する。
通知画面には、短いメッセージ。
『紗良:今夜、店に来なさい。逃げたら、あんたの食事は全部カロリー抜きにするから。……覚悟はいいわね?』
「……終わった」
ワワワは、膝から崩れ落ちた。
スマホの画面に踊る『食事のカロリー抜き』という言葉は、彼にとって「食事の悦びをすべて剥奪する」という、死刑宣告にも等しい脅しだった。
今夜、バー『La Cave』にて待ち受けているのは、話し合いなどではない。
それは、彼の生活すべてを掌握し、逆らうワワワの精神をピンヒールで踏みつける「支配者・紗良」による一方的な査問会だ。
逃げ場はない。市役所の正面には好奇心に満ちた美月たちが、ネットの海にはPが放流した動画が、そして背後にはねっとりとした眼差しで獲物を狙う?ニク課長がいる。
しかし、その誰よりも、幼馴染という名の「暴君」が一番恐ろしい。
焦ったワワワは震える指で、何を血迷ったのかまるで勝ち目の無い賭けに出た返信を打ち込んだ。
『……おねぃさ〜ん、夜は俺と遊ばない?付き合ってよ〜素敵なおねぃさぁ〜ん。』
店に行く肯定と受け取れるユーモアとサングラスをかけた茶髪のおにいさんのデフォルメスタンプを送ることにより笑いを誘い、紗良の怒りを有耶無耶にする作戦である。
『ふざけてるの?……和久井 輪』
答えは急な本名呼び。本能で命の危険を感じたワワワは直ぐに謝罪の返事を送った。
『誠にごめんなさい。行かせて頂きます。定時ぴったりに』
紗良とのメッセージを終えると、ふといつもバーのカウンターの端に座っている、あの客の姿が脳裏をよぎった。どんな時でも、ただ一言「生一つ」とだけ注文する姿。
今夜、自分が紗良に精神を削られている傍らで、あの人はまた、何も知らずにビールを喉に流し込んでいるのだろう。その光景を想像するだけで、ワワワは自分の葬送曲を聴いているような気分になった。




