第17話 地獄のプールサイド
市民プールのリニューアル記念・広報ポスターのモデル撮影当日、閉鎖中のプールサイドは異様な熱気に包まれていた。
「はい、残りあと50往復。最後の方はフォームが乱れていたわよ、ワワワ」
紗良がストップウォッチを片手に厳しい声を飛ばす。だが、その視線はプールサイドで息を切らせるワワワの肉体に、完全に釘付けになっていた。
(……ああ、この日のために食事制限と筋トレで作り上げた最高級のワワワ・ボディ! 面積が法律の限界に挑んでいるブーメランパンツから伸びる、彫刻のような脚!、濡れて光る大胸筋、そして……美しさすらあるアンニュイな表情。この世の誰にもまだ見せていない、私の究極のワワワ。今すぐここで誰の目も気にせず、その濡れた肌を指でなぞり回して……、汗と水の混じった匂いを嗅ぎ尽くしたい……!んふーっ! んふーっ!!)
紗良は鼻息荒く口元を緩ませ、頬を紅潮させていた。彼女の脳内では、ワワワを誰も触れられない自分だけの「宝物」として愛でる、いかがわしくも狂気じみた妄想が渦巻いている。
「……ッ!」
美月がクーラーボックスを抱えて駆け寄り、ワワワの姿を認めた瞬間、ピタリと足を止めた。
「和久井、さん……?」
普段の地味な公務員という仮面が剥がれ落ち、海パン一丁の「雄」としてそこに立つ彼。露わになった引き締まった身体のラインと、濡れた肌が放つ圧倒的な生命力。いつもは隠されているはずのメガネの下の端正な素顔に加え、鎖骨や腹筋の溝に、陽光が妖しく反射している。
(うそ……いつもと全然違う。なんて身体……。直視しちゃいけないってわかってるのに、目が、目が離せない……私の清純な脳内が、今までにない『不純物』でオーバーヒートしてるのを感じるっ……!)
美月の顔が、瞬く間に火照り始める。心臓が早鐘を打ち、口の中が急に乾くのを感じた。いつもは紗良の過保護なベールに隠されていた、彼の「本当の姿」。それに触れてしまったという背徳感が、美月の背筋をゾクゾクと駆け抜けていく。
「ハァ……ハァ……も、もう、肩が……」
ワワワの荒い息遣いを聞くたび、美月の脳内には甘い熱が広がった。
「テストの乳酸値」
プールの縁では、テストがタブレットを手に、ワワワの筋肉を解析している。
「ちょっと紗良ちゃん! 死んじゃうわよ、和久井ちゃんが!」
クミが大型のビート板を構えて叫ぶが、その横でニク課長は、自慢の椅子に深く腰掛け、恍惚とした表情を浮かべていた。
「案ずるな、クミくん。極限の疲労こそが、肉体の陰影を際立たせる天然のフィルターなのだよ……」
ニク課長が立ち上がると、プールサイドの空気が一変した。
スーツを完全に脱ぎ捨てた彼は、銀色に輝く超ハイレグ競泳水着一丁。しかし、その輝かしい布地の下では、「メタボな三段腹」が無慈悲な存在感を放っていた。
「これぞ、管理と官能のシンフォニーだね」
パンパンと張った銀色の布地が、課長の豊かな腹肉に耐えかねて「たすけて」と悲鳴を上げている。それはまさに、美しきワワワの姿とは対極にある「欲望の墓場」のような姿だった。
「ニク! 仕事しなさいよ!! というかその腹、公共の場で見せていいもんじゃないでしょ!」
クミが反射板を課長の腹に叩きつけるが、課長は「オフッ……光を反射して、私の腹がより輝くよ」と微動だにしない。
「和久井さーん! 栄養補給の時間です!」
ニク課長とクミのボケたやり取りをよそに、美月は動揺を隠すように声を上げクーラーボックスを置いた。
「ちょっと!何勝手にしてるのよ!」
紗良が美月を止めようと前に立ち、激しい罵声が火花を散らす。二人の傍らで、ふとワワワは不意に鼻腔をくすぐった揚げたての衣の香ばしさに、思考のすべてを乗っ取られた。それは理性を焼き切るほどに官能的で、彼の喉の奥は、黄金色の塊を求めて猛烈にせり上がった。
(あ……マズい。出るっ……本能が……出るっっ……!)
ギュルルルルルルゥッッッッ
ワワワの腹の虫が、プールの底に響くような音を立てた。
その隣で、ニク課長の腹も「ブリュリュリュリュリュリュ……」と共鳴する。
「あぁ……共鳴だね、ワワワくん。我々の本能が、同時に闇を求めている……」
「いやニク……あんたのは絶対違うでしょ」
物陰でカメラを構えるPは、ワワワの飢えた瞳と、課長の揺れる腹肉が同時に入る「地獄のような構図」を、無情にもレンズに収め続けた。




