第12話 放たれた野獣、街へ
夕暮れの街を、ワワワは無我夢中で走っていた。
背後からは、紗良の鋭い怒声と、美月の必死に名前を呼ぶ声、そしてクミの地響きのような足音が追いかけてくる。
「ハァ、ハァ……どこだ、どこにある……!?」
額に張り付いた髪も構わず、血走った眼で周囲を見回しながら、剥き出しの歯を食いしばって雑踏を掻き分けていく。
そしてワワワの鼻腔は、排気ガスの匂いを突き抜け、ある一点から漂う「暴力的な匂い」を捉えた。それは、数日間紗良に禁じられていた、醤油と豚脂とニンニクが混ざり合った、魂を揺さぶる背徳のアロマ。
「ッッ!!」
角を曲がった先。黄色い看板に黒文字で大きく書かれたその店が、彼を待っていた。
『ラーメン 餓狼』。
周囲の景色など視界に入っていないかのように、瞳の奥にただ一点の目的だけを灯し、荒い呼吸とともに歪んだ笑みすら浮かべて店へ疾走する。
「テストの目的地補足」
いつの間にか背後に迫っていたテストが、感情の消えた声で呟く。
ワワワは吸い寄せられるように、店の暖簾を潜った。
「いらっしゃい!」
威勢のいい店主の声が響く中、ワワワは酒の切れたアル中のようにブルブルと震える手で千円札を券売機に叩き込んだ。選んだのは当然。
「全部のせ特製大盛りだ!」
さらに、迷うことなく『ニンニクマシマシ・アブラギトギト』のボタンをアタタタタター!とどこかの暗殺拳の伝承者のように連打する。
「ワワワァ!! 止まりなさい!! そのボタンは地獄への門を開けるスイッチよ!」
背後の扉が「バーン!」と勢いよく開き、紗良が肩を上下させながら飛び込んできた。その後ろには美月、そしてニク課長とクミも滑り込む。
「なんてこと……こんなカロリーと脂が支配する場所に来るなんて。和久井 輪、その食券を今すぐゴミ箱に捨てなさい。私が手塩にかけて調整したあなたの栄養バランスが、その一杯で無残に……ドロドロのデブ細胞に書き換えられてしまうわ!」
紗良の叫びに、店内の客が「なんだなんだ、新手のフードポリスか?」と顔を上げる。しかし、ワワワは振り返らない。
カウンターに座り、ただ前だけを見つめている。
「ふーー〜〜っ…ふーー〜〜っ…」
鼻息荒く歯を食いしばる男のその背中は、もはや「従順な役人」のものではなく、「今夜、僕は脂になる」と決意した一匹の野獣の背中であった。
「……紗良さん、今日くらいは許してあげてください」
美月が震える声で間に入る。
「和久井さん、あんなに必死なんです。……あんなに、食べたがってるんです!」
「黙ってて! あなたみたいに何も知らない子が甘やかすから、ワワワが勘違いして隙を見せるのよ。私達が毎日必死に守り抜いてきた努力の結晶なの! あなたみたいな無責任な誘惑に、私のワワワは負けさせないわ!」
「テストの一触即発」
「フフ……いいぞ、衝突すればいい。美しき者たちが、一杯のどんぶりを巡って魂をぶつけ合う……」
ニク課長がカウンターの端で、ティッシュで眼鏡を拭き始ながら呟いた。
「おまちどうさま! 全部のせ大盛り、ニンニクマシマシだぁッ!!」
ドスン、という重量感のある音と共に、カウンターへ置かれたのは、山のようなモヤシと肉の塊が鎮座した、まさに『雄の咆哮』を誘う一杯。
立ち上る湯気が、ワワワの眼鏡を一瞬でホワイトアウトさせる。
ワワワはゆっくりと、震える手で箸を割り、曇った眼鏡を乱暴に外した。
その剥き出しになった瞳は、獲物を前にした獣のそれだった。
「……いただく、ます」
「ダメよ!!」
紗良の手がワワワの肩に伸びたその時、店の外。暗がりに潜むPが、ライブ配信の開始ボタンをタップした。
【ライブ配信中】
タイトル: 市役所の野獣、禁断の捕食。~我慢か、本能か~
同時視聴数: 2,400人突破
物語は、全世界が見守る「野獣の捕食」へと突入する。




