第10話 地下書庫の乱入者
「ねえテスト、やっぱり無理やりこじ開けるのは――」
美月が躊躇いながらノブに手をかけた、その時だった。
「おやおや、扉の向こうで三日月が泣いているというのに、鍵という名の雲が邪魔をしているねぇ……」
背後から忍び寄る、湿り気を帯びたバリトンボイス。
「テストの不審者再び」
「ひゃあ!? 課長さん!?」
美月が飛び上がって振り返ると、そこには自分のデスクから持ち出した緊急用マスターキーを指先で弄ぶニク課長が立っていた。その背後には、彼を逃がすまいと追いかけてきたクミが、肩で息をしながら仁王立ちしている。
「ちょっとニク! 勝手にマスターキーを持ち出すんじゃないわよ! ……って、あら。アンタたち、さっきの覗き見コンビじゃない」
「あ、えっと、その……」
美月が言い淀む間もなく、ニク課長は優雅な手つきで鍵穴にキーを差し込んだ。
「愛に、境界線など存在しないのだよ。……いざ、開門」
カチリ、と硬質な音が地下の静寂に響き、鉄扉がゆっくりと内側へ開かれた。
「――だから、あなたは私の言うことだけを……!」
「わ、分かってる、分かってるから……!」
開いた扉の先。
そこには、埃っぽい書庫の壁際にワワワを追い詰め、その胸ぐらを掴んで至近距離で「私以外を見ちゃダメ」と説教を垂れていた紗良の姿があった。あまりに濃密で、かつ「一方的」なその光景に、現場は一瞬凍りつく。
「……何よ。部外者は立ち入り禁止よ(ああっ、美月! 見られた! 今の私の顔どうなってたかしら!?)」」
紗良は冷たく言い放地つつ、内心では「一番見られたくない美月に、私のワワワ独占現場を抑えられた!」というパニックに若干陥る。
「紗良ちゃん、やりすぎよ! 和久井ちゃんが怯えてるじゃない!」
クミが太い腕を振り回して突入するが、それより早く美月が叫んだ。
「ひどいです! こんな暗い場所に閉じ込めて……和久井さん、今助けますから!」
「……はあ? 助ける? 誰が誰をよ」
紗良の目が、美月の「正義感溢れる瞳」を捉えて険しくなる。ワワワを掴む手にぐっと力を込め、宣言するように言い放った。
「ワワワは私のものなの。あなたみたいな『昨日今日見かけただけの人』が口を出していい領域じゃないわ」
「私のものって……そんなの、和久井さんの気持ちを無視してるだけじゃないですか!」
美月と紗良。地下の淀んだ空気の中で、二つの視線が激しく衝突し、火花を散らす。
その喧騒の真ん中で、ワワワは一人、別の限界を迎えていた。
密室の湿気、そして乱入者たちが巻き上げた大量の埃。それが、彼の敏感な鼻腔を容赦なく刺激したのだ。
(あ……ヤバい。これ、出る……。出るぞ……本能がっ、出るっっ……!!)
「ワワワ? 何よそのふざけた顔は、私の話を聞きなさい!」
紗良が彼の顔を覗き込み、さらに距離を詰めた。
「テストの……臨界点突破」
テストがスマホを構えた瞬間。
ワワワの胸板が大きく膨らみ、眼鏡がズレるほどに表情が歪んだ。
「……ッ、ハッ、ハッ…ブワハアァァァク……ショオオオオオオオオォォォォン!!」
それは、くしゃみというよりは、地底から響く地鳴り。
あまりの風圧に、「ホゲッ」と紗良は後ろへ吹き飛び、地下書庫全体を震わせるほどの「野獣の咆哮」が、ついに静寂を粉砕した。




