番外編「今日のイケメンは普通です」
番組の正式タイトルは『ギャル魂MAXIMUM!!』という。
深夜ではなく昼の情報バラエティの顔をしているのに中身は全力でギャルという、不思議なポジションの番組だ。視聴率は堅調で、スポンサーも安定していた。毎週土曜の昼に放送されるのに、テーマだけはいつも本気。
今日のテーマは、「街角イケメン発掘!!ギャルが本気でスカウト」。
スタジオでは角井ニャン子が、MCの田村の隣で小首を傾けていた。今日はコンビの相方・ポチ子が外でリポーターを務め、ニャン子はスタジオ担当という布陣だった。人気はニャン子のほうが高い。経験値はポチ子のほうが高い。番組スタッフはそれをよく分かった上で二人を使い分けていた。
「ニャン子ちゃん、今日は気合い入ってる?」
「うーんとね、なんか……入ってるかも?」
「『かも』なの」
「よくわからないです、気合いって」
田村が軽く天を仰ぐ。スタッフも笑っている。角井ニャン子、二十四歳。見た目はアイドルで、喋るたびに視聴者の好感度が上がっていく天然の生き物だった。スタジオに立っているだけで絵になる。何もしなくても仕事になる。それが彼女の才能だった。
「外、ポチ子に頑張ってもらいましょうか」
「ポチ子、頑張ってくれると思います」
「なんで言い切れるの」
「なんとなくです」
田村が苦笑した。
「ポチ子、よろしく!」
画面が切り替わる。
渋谷、明治通り沿いの歩道。
マイクを握って立っているのは丸井ポチ子、二十四歳。本名非公開、芸名。某国立大学理工学部を首席で卒業した経歴の持ち主で、コンビを組む角井ニャン子とは見た目も中身もまるで正反対。「一緒に芸人やろうよ」という誘いを五秒で引き受けたことはコンビ結成の経緯として語り継がれている。
「ハーイ! 生放送でーす! 今日は渋谷で本物のイケメンを探しに来ましたよ!! 気合い入ってますのでどんどんいきます!」
テンポが良い。カメラを完全に理解している。生放送特有の緊張感を、まったく感じさせない。これが場数というものだった。
ただ、最初の二十分は苦戦した。
声をかけるたびに断られ、立ち止まってくれた男性はマイクを向けた瞬間に石になり、カメラを向けると空を見た。ポチ子は笑顔を崩さず「カメラに恥ずかしがってくれる男性、可愛くてこちらが申し訳ないです!」と締める。田村が「難しいな今日は」と言い、ニャン子が「難しいんですかね〜」と言った。
その時間、自宅のソファで転がっていた柊華は、テレビをつけたまま台本の確認をしていた。
ポチ子とは映画のイベントで同じ楽屋になり、それ以来なんとなく連絡を取り合っている。芸能界の文脈がまるで違うので話しやすい相手だった。ポチ子が生放送で一人リポートを捌いている様子を半目で眺めながら、ふと手を止める。
生放送で、外で、一人で。
台本なし。段取りなし。転んでも自分で起きる。
ポチ子がさらっとやっているから見えにくいが、考えてみればかなりのことだ。華は映画の現場で即興に強いと思っているが、テレビの生放送でこの動きはできない。ちゃんとすごい。ポチ子のリポートを見るたびにそう思う。
「……また断られてる」
画面の中でポチ子が爽やかに敗退していた。
そのとき。
雑踏から一人の男が歩いてくる。
黒髪。Tシャツ。ジーンズ。服に何のこだわりもない。ただ歩いているだけなのに、顔が良い。特に主張もしていない、ただそこにある顔が、客観的に整っていた。
ポチ子は三秒で動いた。
「みつけましたーっ!!」
男が足を止める。不思議そうな顔をしている。
「すみませーん! テレビのインタビューなんですけど、少しよろしいですか!!」
「……テレビ?」
「生放送です!!」
「ああ」
返答が淡かった。が、断らなかった。
ソファの上で、華の背筋が伸びた。
「……あれ」
台本を膝から落とした。
「遼じゃん!!」
「お名前聞いてもいいですか?」
「柊遼です」
「柊さん! 学生さんですか?」
「違います」
「お仕事は?」
「フリーランスです」
一秒の間。
「フリーランス!!」
ポチ子がカメラを向き直す。
「フリーランスのイケメン来ました!! 普段は何をされてるんですか?」
「プログラムの開発と、あとは機械設計を少し」
「エンジニア系! 頭良さそう!!」
「普通です」
「謙虚!!」
遼は「謙虚なわけでもないです」と言った。
「具体的にはどんなプログラムを?」
「今は……組み込みシステムの制御ロジックを書いてます。マイコンに載せる処理を最適化するやつです」
「なるほど!!」
ポチ子が一拍おいて振り返る。
「みなさん、今なんとおっしゃったかお分かりになりましたか!! 私だけです!! 分かったの!!」
スタジオが沸いた。
田村が「え、ポチ子分かったの?」と前のめりになる。
「分かりました! マイコンっていうのはマイクロコントローラーのことで、小型の電子機器に使われるチップです。組み込みシステムっていうのはその機器の中で動く専用のソフトウェアで、制御ロジックっていうのはその動作の——」
「ポチ子が突然教授になった!!」
ニャン子がぽかんとしていた。
「……なんか、すごい人なんですかね〜、外の人も」
「内部事情が複雑すぎる番組だよこれ!!」
「あの、詳しいんですか」と遼が聞いた。
「理工系出身なんです」とポチ子が言った。
「どこの大学ですか」
「国立です。電気情報工学科でした」
「そうなんだ」
遼の声が、少しだけ変わった。同じ「そうなんだ」でも、さっきまでとテンションが違う。ポチ子はそれを見逃さなかった。
「柊さんも理系ですか?」
「工学部の電子制御でした」
「同じ方向ですね!」
「そうですね。制御系と情報系ってどこで分岐するかが微妙なんですよね、カリキュラムによって」
「分かります! うちは三年から情報寄りになりましたけど、一年の回路理論の時点で半分脱落してましたよ」
「回路理論は脱落率高いですよね。キルヒホッフ乗り越えたら急に景色変わるんですけど」
「キルヒホッフ! 電流則と電圧則!!」
「そうそう、それ」
「私、電圧則のほうは好きでした。電流則で一回死にかけました」
「どっちかって言うと電流則のほうが直感的じゃないですか」
「分岐点で考えるやつですよね。分かってはいるんですけど連立方程式が複雑になった瞬間に頭から抜けるんですよ私」
「あー、行列で解くやつが嫌になるやつですね」
「そうです!! あの行列です!! ノード法でやるとまだマシなんですけどね」
「ノード法は整理しやすいですよね」
「メッシュ解析にした瞬間詰みました」
「メッシュはループが多いと確かにしんどい」
「しんどいどころじゃなかったです!! あのとき単位落としました!!」
「メッシュ解析で単位を」
「メッシュ解析で単位を落としました!! 生放送で言います!!」
スタジオに振られる。
田村が「……何が起きてますか?」と言った。
ニャン子がモニターを見ながら「なんか、楽しそうですね〜」と言った。
「楽しそうっていうか、次元が違う会話してるよ」
「そうなんですかね〜」
「ニャン子ちゃんはキルヒホッフって知ってる?」
「……キル?」
「半分しかない」
「なんでしょうね〜」
「今日はどちらに向かってたんですか」とポチ子が聞いた。
「納品が終わったので、このあと秋葉原に寄ろうと思って」
「納品! お仕事中だったんですか!!」
「さっき終わりました」
「渋谷で納品して秋葉原!! フリーランスっぽい!! 秋葉原では何を?」
「電子部品を買いに」
「何を作るんですか?」
「センサーのキャリブレーション用の治具を自作しようと思って」
「治具! いいですね! どんなセンサーですか」
「温度と湿度の複合センサーで、出力特性が個体差あるやつなので、基準値を取るための器具を作ったほうが早いなと思って」
「分かります! 個体差のキャリブレーションって市販の機材だと微妙にズレること多いですよね」
「そうなんですよ。一個ずつ取っていったほうが結果的に精度が上がる」
「何個くらいのセンサーを使う予定なんですか?」
「今のところ十二個。並列に並べたいので」
「十二個!! それ、かなりの規模のシステムですね」
「普通だと思いますけど」
「普通じゃないです!!」
「ポチ子! スタジオに振って!!」と田村の声が入ってきた。
「失礼しました! スタジオの皆さん、今ですね、渋谷で納品を終えてそのまま秋葉原に部品を買いに行こうとしていた男性を発見しました!! センサーを十二個並べてキャリブレーションの治具を自作するそうです!!」
田村が「すごいね!? 何作ってるの普通に!?」と言った。
ニャン子がモニターを見ていた。
「……なんか」
「なんか?」
「顔が良いですね〜」
「それは最初から言ってたよ!!」
「でも今の方が、なんか……顔が良い気がします」
「気のせいだよ!!」
「そうですかね〜。なんか喋ってると、顔が良くなっていきますね〜」
「喋るたびにイケメン度が上がってる!?」
ニャン子がそっとモニターに近づいた。
「あの人、結婚してますか?」
「してないって言ってたよ!? 彼女もいないって!!」
「……良かったです」
「急に真顔になった!!」
「続けてもいいですか」とポチ子が遼に言った。
「どうぞ」
「フリーランスって、収入は安定しますか」
「案件によります」
「生活はできてますか」
「普通にできています」
「自炊はしますか」
「します」
「何を作りますか」
「なんでもそれなりに作れますけど、大体は一番効率いいもの作ります」
「効率のいい料理」
「栄養のバランスが取れて、工程が少なくて、洗い物が少ないもの」
ポチ子がカメラを向く。
「イケメン、料理の基準が工程数と洗い物です!!」
「効率が大事なので」
「それで彼女はいないんですね!!」
「関係ないと思いますけど」
「あります!! 絶対あります!!」
遼は「そうですか」と言った。まったく傷ついていない顔だった。
「趣味は何ですか?」
「機械をいじること、あとは壊れたものを直すこと」
「休日は何をしてますか」
「機械をいじっています」
「休日も?」
「休日のほうが時間があるので、むしろ多くいじれます」
「仕事のためじゃなくて?」
「趣味なので」
ポチ子が止まった。カメラを見る。
「趣味と仕事が一致しているどころか、仕事がなくても機械をいじっている人が来ました!!」
「普通じゃないですか、好きなことしてたら」
「好きなことが電子回路の人ばかりじゃないんですよ!!」
「そうなんですか」
「そうなんです!! 私は分かりますけど!! でも普通の人にとって『マイコンが好き』はけっこうハードルが高いです!!」
「難しくないですよ、慣れれば」
「その慣れまでに九割が脱落するんですよ!!」
遼は「そうか」と言って少し考えた。
「でも最初の一個LEDを光らせるのが楽しくて、そこから続く人は続くと思うんですけど」
「LEDが光ったとき、嬉しかったですか」
「嬉しかったです」
「どのくらい?」
「…………かなり」
「今、ちょっと照れましたね!!」
「照れてないです」
「照れましたよ!! LEDの話だけ声のトーンが上がりました!! スタジオ見てました!?!?」
田村が「見てた見てた!! 明らかに声変わったもんね!!」と言った。
ニャン子が真剣な顔でモニターを見ていた。
「……なんか、良いですね」
「良いね。素直だよね」
「LEDって、光るやつですよね?」
「そう、光るやつ」
「それが嬉しいんですかね〜」
「趣味の人にとっては嬉しいんじゃないかな」
ニャン子が少しのあいだ黙っていた。
「……あの人って、毎日楽しそうですね」
田村が少し意外そうな顔をした。
「なんで?」
「なんか、好きなものが多そうです」
「……確かに」
「好きなものが多い人って、なんか……良いですね〜」
田村が「ニャン子、これ完全に惚れてるよね」と言った。
「惚れてるんですかね〜?」
「自分で分からないの!?」
「よく分からないんですけど、なんか、見てたいです」
「それが惚れてるんだよ!!」
「そうなんですかね〜」
「最後に一つ聞いてもいいですか」
「どうぞ」
「柊さんって、自分のこと、すごいと思ったことありますか」
遼が少し考えた。
「ないです」
「本当に?」
「技術って、できることが増えたら見える景色が広がるだけで、その分できないことも見えてくるので。すごいって言葉が当てはまる感じがしない」
ポチ子がカメラを向く。
今度は何も叫ばなかった。
三秒ほど間を置いて、静かに言った。
「……めちゃくちゃいいこと言いましたよ、今」
「そうですか」
「そうです。かなりいいことを言いました」
「普通だと思いますけど」
「その『普通』が、普通じゃない人が言う『普通』なんですよ」
遼は「そうか」と言い、少し首を傾けた。
分かっていない顔だった。
「以上、渋谷からでした!! 柊さん、ありがとうございました!!」
「ありがとうございました」
遼は頭を下げ、また歩き始めた。秋葉原の方向へ、特に急ぐでもなく、まっすぐに。
カメラが追いかけ、人混みの中に溶けていく背中を映した。
スタジオが少しの間、静かになった。
「……良かったね」と田村が言った。
「良かったです」とニャン子が言った。
「あの人、またどこかで会えるかな」
「分からないです」
「会いたい?」
ニャン子がモニターから目を離さないまま答えた。
「……会いたいです」
「じゃ探そうか、今度」
「探せるんですかね?」
「名前分かったじゃないか、柊遼さんって」
「……あ、そうですね」
「よし次の企画で——」
「田村さん」
「なに?」
ニャン子がはじめてモニターから目を離した。田村を見た。至って真剣な顔だった。
「あの人、秋葉原にいますかね」
「今日は多分いる!!」
「行きましょう」
「収録終わったら行くの!?」
「行きましょう」
「本番中だから!! 続きがあるから!!」
「続き、あとでいいですかね〜」
「良くない!!」
自宅のソファで、柊華はテレビを見ながら固まっていた。
台本は床に落ちたまま、しばらく拾えなかった。
やがて、スマートフォンを持ち直して、ポチ子にメッセージを送る。
「今の人、うちの兄です」
三秒で返信が来た。
「え゛」
続いて。
「待って電圧則の話めちゃくちゃ話し合った」
また続いて。
「なんで言ってくれなかったんですか華さん」
「遼が渋谷にいるとは思わなかったし」
「さっきニャン子からLINE来たんですけど」
「え、何が」
「『秋葉原に行きたい』って」
「……なんで」
「私が聞きたいです」
華は五秒ほど考えた。
それから遼にメッセージを送った。
「テレビ出てたの今」
返信は三分後に来た。
「そうだったの? しらなかった」
「スタジオのアイドルが秋葉原に行こうとしてるんだけど」
「どうして」
「遼に会いに」
また三分後。
「行っても俺は部品見てるだけだけど」
華はスマートフォンを顔に当てた。
「なんで……」
答えてくれる人は家にいなかった。




