第25.5話「Direct Question」
ホテルの部屋は静かだ。
広い。ベッドも大きい。窓の外は東京の夜景で、正直かなりきれいだと思う。
でも今、アリアにはそういうことがどうでもいい。
ソファに座って、スマートフォンを持って、天井を見上げている。
天井を見ても何もない。当然だ。
(……なんで毎日行ってるんだろう)
口に出すと答えが出る気がするので、出さない。代わりにスマートフォンの画面を見る。遼とのトーク画面。
技術の話が十二往復あって、その後がない。
技術の話は返ってくる。いつも。「ここはこういう構造で」「この計算式が」「より正確には」——全部返ってくる。即座ではないけれど、ちゃんと返ってくる。
でも、それ以外のものは既読のまま止まる。
アリアは昨日、試した。
*"Did your meeting end?"* と送った。
(ミーティング終わった?)
既読。
終わってる。分かってる。終わってなかったら返信が来るわけがない。
*"What did you do today?"*
(今日は何してた?)
既読。
*"Can I come again?"*
(また来てもいい?)
既読。
一個だけ、返信がある。
*"No problem."*
(問題ないです)
……*"No problem."*
三つ聞いて、一つしか返ってこない。しかもその一つが「No problem」。これは嬉しいのか、嬉しくないのか。遼にとっての「No problem」が何なのか、二日経ってもまだ分からない。
アメリカで付き合っていた人は、一時間以内に返信しないと怒った。まあそれはそれで面倒だったけど、少なくとも既読になっていた。
翌朝、朝食をロビーで食べていたら、ロバートが来た。
"Good morning."
ロバートがコーヒーを一口飲んでから、少し遠い目をした。遠い目というより、何かを覚悟する目と言った方が正確かもしれない。
"Aria. Are you planning to visit again today?"
(アリア。今日もまた行くつもりですか)
"Yes."
即答。
ロバートが額に手を当てた。
"I thought so."
(そうかと思いました)
"Robert, can I ask you something?"
(ロバート、一つ聞いていい?)
"Of course."
(どうぞ)
"What kind of person is Ryo?"
(柊遼って、どんな人?)
間があった。
ロバートがコーヒーカップを置いて、少し考える顔になった。「どんな人」という問いが職業や能力についてではないと分かったのかもしれない。四十五歳のCTOは、そういうことを察するのが上手い。
"He's someone who loves his work."
(仕事が好きな人です)
"Anything else?"
(他には?)
"……That's it."
(……それだけです)
アリアはフォークを止めた。
"That's it?"
(それだけ?)
"That's it."
返事が変わらない。
"Nothing beyond 'loves his work'?"
(仕事が好き、以外に何もないの?)
ロバートが少し眉を動かした。「ないわけではないと思いますが」という顔だ。でも言葉は選んでいる。
"He's consistent. Whatever he's doing, he does it the same way."
(一貫しています。何をしていても、やり方が同じです)
"Consistent."
(一貫してる)
"Yes."
"Is that a compliment?"
(それって褒めてる?)
"I think so."
(そのつもりです。多分)
多分。
アリアはスクランブルエッグを食べながら、「一貫している人」について考えた。
一貫している人を、今まで何人か知っていた。スタンフォードにも、父の仕事仲間にも。でもほとんどは「自分の分野で一貫している」という種類の人だった。
遼は、何に対しても同じだ。技術の話でも、日常の会話でも、アリアに対しても、たぶん誰に対しても。
それが何なのか、うまく言葉にならない。
"Robert, one more thing."
(ロバート、もう一個聞いていい?)
"What is it?"
(なんですか)
"Why doesn't Ryo reply to texts?"
(遼ってなんでテキスト返さないの?)
間があった。
ロバートがコーヒーを一口飲んだ。
"……Because he doesn't feel the need to."
(……必要を感じないからだと思います)
"He doesn't feel the need to."
(必要を感じない)
"Yes."
(はい)
"Even when it's been read?"
(既読になってても?)
"Especially then. If he read it and didn't reply, it means he had nothing to add."
(むしろそうです。読んで返信しなかった場合、付け加えることがなかったということです)
アリアは少し黙った。
"That's kind of rough for the person who sent it."
(送った側はひどくない?)
"I understand how you feel."
(お気持ちはわかります)
"What do you think, personally?"
(ロバートはどう思う?個人として)
ロバートが一瞬だけ何かを考える顔をした。それから、静かに言った。
"I've adapted to it."
(慣れました)
"You adapted to it."
(慣れたんだ)
"After working with him for a while, yes."
(しばらく一緒に仕事をすると、そうなります)
アリアはスマートフォンを見た。昨日の既読群。
"Yes."
(はい)
"So he's basically the ultimate read-and-ignore machine?"
(つまり最強の既読スルーマシンってこと?)
ロバートが口元を動かした。笑ったわけではないが、何かをこらえた顔だ。
"I wouldn't use that phrasing in a business context."
(ビジネスの場ではそういう表現は使いませんが)
"We're not in a business context right now."
(今ビジネスの場じゃないじゃん)
"……Fair point."
(……まあ、そうですね)
"So can I go again today?"
(じゃあ今日も行っていいですか)
"……Please go. But if Ryo says he's busy, please respect that."
(どうぞ行ってください。ただし、遼が忙しいと言ったらそれを尊重してください)
"Of course I will."
(もちろんそうするよ)
"And please don't stay more than four hours."
(それから、四時間以上はいないでください)
"Why four hours?"
(なんで四時間?)
"Because yesterday you were there for five hours and forty minutes."
(昨日、五時間四十分いたからです)
アリアは少し黙った。
"……You were counting?"
(……計ってたの?)
"I had no choice."
(そうせざるを得ませんでした)
"Why?"
(なんで?)
"Because I was waiting downstairs in the car."
(車で下で待っていたからです)
アリアの手が止まった。
"……I'm sorry. I'm genuinely sorry about that."
(……ごめん。それは本当にごめん)
"Please remember it next time."
(次回はご留意ください)
ロバートの声に怒りはない。ただ、長い出張の疲れとCEOの娘の管理という二重の責務を静かに背負っている人間の、穏やかな諦めがある。
アリアは少し反省した。少しだけ。
昼前に柊家についた。
インターフォンを押す。
「はい」と遼の声。
"It's Aria."
(アリアです)
「どうぞ」
ドアが開く。
今日の遼は、作業台の前に立っていた。何かの基板を手に持っている。作業の途中に来てしまったか、とも思うが、遼の顔を見る限り特に何も変わっていない。来客があっても変わらないのが遼だと、そろそろ理解してきた。
"What are you working on today?"
(今日は何してるの?)
"Noise countermeasures. Verification."
(ノイズ対策の検証です)
"Noise?"
(ノイズ?)
"External electrical interference. It mixes into the signal and reduces accuracy."
(外部からの電気的な干渉のことです。信号に混じると精度が落ちる)
"Oh, EMI."
(ああ、電磁干渉ね)
"Yes."
(そうです)
アリアはリビングに入りながら、ソファには座らずに作業台の横に立った。昨日もそうした。一番見やすいのはそこだ。
"What kind of interference?"
(どういう干渉が入ってるの?)
"High-frequency components are larger than expected. Checking whether shielding can handle it."
(高周波成分が想定より大きくて。シールドで対処できるか確認してます)
"Shielding—you mean physically enclosing it?"
(シールドって、物理的に囲むやつ?)
"Yes. Also considering adding a filter circuit."
(はい。あとはフィルタ回路を追加する方向でも見てます)
アリアは基板を覗き込んだ。精密な、小さな部品が並んでいる。
"Is this resistor different from before?"
(この抵抗、さっきと違う?)
遼が少し顔を向けた。
"You noticed."
(気づいたんですか)
"It looks smaller than what was here yesterday."
(昨日ここにあったやつより小さい気がする)
"I swapped it. The previous value didn't match the filter characteristics."
(交換しました。前の値だとフィルタの特性が合わなかったので)
アリアはそれを聞いて、少し前のめりになった。
(……なんで来たんだろう。私)
技術の話をしに来た。それは本当だ。でも、それだけかと聞かれると少し詰まる。
二時間ほど作業の話をして、遼がいったん手を止めてお茶を入れに行った。
リビングに一人になる。
アリアはソファに腰を下ろして、スマートフォンを取り出した。
昨日の既読群がある。
また一個試した。
"You could have asked what I wanted to drink."
(お茶、なに飲みたいか聞いてくれてよかったのに)
送った瞬間、遼が台所から声をかけてきた。
"Barley tea okay?"
(麦茶でいいですか)
アリアは少し笑った。
既読はついた。
返信はなかった。本人が目の前にいるから当然だ。
でも画面の中の既読と、台所からの "Barley tea okay?" が同時に起きているのが少し面白くて、アリアはスマートフォンをしまった。
遼がグラスを二つ持って戻ってきた。
"Thank you."
(ありがとう)
"Go ahead."
(どうぞ)
麦茶を一口飲む。冷たくて、ちょうどいい。
"Can I ask you something?"
(一個聞いていい?)
"Go ahead."
(どうぞ)
"Do you watch sumo?"
(相撲、見る?)
遼が少し止まった。
"……Sumo?"
(……相撲ですか)
"Sumo. Japan's national sport."
(相撲。日本の国技の)
"I've watched it. Not particularly knowledgeable, though."
(見ないことはないですが、特別詳しくはないです)
アリアは真剣な顔になった。
"Who do you think will win this tournament?"
(今場所、誰が優勝すると思う?)
遼がまた止まった。
"……Never thought about it."
(……考えたことないです)
"I'm thinking probably Shoten-zan. His stability in the second half of last tournament was good, and his left-side grip has improved."
(私はたぶん翔天山だと思う。先場所の後半の安定感がよかったし、左の差し身が改善されてた)
遼が、今度は少し長い沈黙の後で言った。
"……You really know a lot about this."
(……そんなに詳しいんですか)
"I love sumo. My dad took me and I got completely hooked."
(好きなの。相撲。お父さんに連れてってもらって、すごく面白くて)
"That's unusual. For an American."
(珍しいですね、アメリカ人で)
"None of my friends get it. They don't believe me when I say I know all the winning techniques."
(友達には誰も分かってもらえない。決まり手を全部言えるって言っても信じてもらえないし)
"All of them?"
(全部?)
"All of them. Want me to list some? Yorikiri, oshidashi, uwatenage, shitatenage, hatakikomi, hikiotoshi, tsukidashi, tsukiotoshi——"
(全部。ちょっと言おうか?寄り切り、押し出し、上手投げ、下手投げ、はたき込み、引き落とし、突き出し、突き落とし——)
"That's fine."
(あの、大丈夫です)
"There's more."
(まだあるけど)
"That's fine."
(大丈夫です)
遼が少しだけ困った顔をした。困った顔、というより、予測していなかった情報量に少し処理が追いついていない顔だ。アリアはそういう遼の顔が何故か好きだった。いつも変わらないのに、こういう瞬間だけわずかにずれる。
"Ryo, want to go together next time? To the Kokugikan."
(遼、今度一緒に行かない?国技館)
"I have work."
(仕事があるので)
"I'll get tickets. On a day you don't have work."
(チケット取るから。仕事がない日に)
"……I'll think about it."
(……考えます)
"How many days until you give me an answer?"
(何日以内に返事くれる?)
"I don't know."
(分からないです)
"Let me know within a week. By text."
(一週間以内に教えて。テキストで)
遼が少し考えてから言った。
"……If I reply, does that mean I'm going?"
(……返信したら、行くということですか)
アリアは少し止まった。それから笑った。
"Yes. That works."
(うん、それでいい)
"……Understood."
(……分かりました)
帰りの車の中。
乗り込んだ瞬間、ロバートが前を向いたまま言った。
"Three and a half hours. Within the limit."
(三時間半。範囲内ですね)
アリアは少し笑った。ずっと下で待っていたから、時間は全部分かっている。「取り決め」。ロバートが一方的に決めて、アリアが一方的に従わされた取り決めだ。
アリアは今日の分析を始めた。
遼は今日、三時間半一緒にいた。ノイズ対策の話を一時間半。相撲の話を三十分。その他の沈黙を三十分。残りはお茶を飲みながらアリアが日本語の「文脈」について質問を重ねた時間だ。
(……で、何が分かった?)
遼は技術の話になると言葉が増える。いつもより少し速くなる。「こうで、こうなって、だからこう」という説明の仕方が正確で、でも難しいと思わせない。アリアが途中で「それって……」と言い始めると、答える前に少し待つ。
(ちゃんと聞いてる)
相撲の話は、完全に想定外という顔をしていた。でも「そんな話をするな」とは言わなかった。「全部言えるのか」とは確認した。興味があったわけではないと思う。ただ、予測外のことへの反応が正直だ。
(正直な人だ)
アリアはそこで少し止まった。
「正直な人」というのは、今まで好きになった人にも使っていた言葉だ。でも少し違う気がする。以前の人たちは「自分の意見に正直」だった。遼は「自分の状態に正直」だ。忙しければ「忙しいです」と言う。分からなければ「分からない」と言う。考えていなければ「考えていないです」と言う。
それだけなのに、何故か信用できる気がする。
(何で信用できる気がするんだろう)
車が角を曲がった。
アリアは窓の外の景色を見た。東京の住宅街が流れていく。
(……好きかも)
その言葉が頭の中に来た。
来た、というより、気がついたらそこにあった。
アリアはしばらくそれを見つめた。
直球で来た。いつもそうだ。気づいたら「好きかも」がある。で、次には「好き」になる。迷った記憶がない。
(でも確認しなきゃいけないことがある)
本当に「好き」なのか。それとも「面白い人を見つけた」なのか。
アリアは冷静に考えようとした。
面白い人を見つけた場合、どうなるか。毎日会いに行く。話したい。もっと知りたい。
好きな場合、どうなるか。毎日会いに行く。話したい。もっと知りたい。
(全く同じだ)
アリアは諦めた。
"Robert, can I ask you something?"
(一個聞いていい?)
ロバートが少し間を置いた。前を向いたまま。たまに待つ。アリアが変なことを言う前に、精神的な準備をしているのかもしれない。
"If someone gives the same answer to 'I want to see you every day' and 'I like you,' what do you think that means?"
(「毎日会いたい」と「好き」に同じ答えが返ってくる場合、それって何だと思う?)
長い沈黙。
ロバートのメッセージが来るまでに、一分以上かかった。
"Aria."
(アリア)
"What."
(なに)
"Please don't ask me these kinds of questions."
(そういった質問は私にしないでください)
"Why not?"
(なんで?)
"Because I'm your father's colleague, not a counselor."
(私はあなたのお父さんの同僚であって、カウンセラーではないので)
"I'm not asking as a counselor. I'm asking as someone who knows Ryo professionally."
(カウンセラーとしてじゃなくて、遼のことを仕事で知ってる人として聞いてる)
また長い沈黙。
"……I honestly don't know."
(……正直、分かりません)
「分からない」とロバートが言うのは珍しい。
"Why not?"
(なんで?)
"Because Ryo is the kind of person who's genuinely difficult to read."
(柊遼という人は、本当に読みにくい人間なので)
"Even for you?"
(ロバートにも?)
"Even for me."
(私にも)
アリアはスマートフォンをベッドの上に置いた。
天井を見た。
(読みにくい人間か)
読みにくい人間、というのは分かる気がする。でも「読めない」というのとは少し違う。「読もうとするとずれる」という感じだ。技術の話はちゃんと分かる。でも「何を考えているか」は分からない。
「好きかも」という気持ちはある。
でも遼は今、何も考えていないかもしれない。
その非対称性が、少しおかしかった。おかしい、というより、面白い。自分がここまで考えているのに、向こうは今おそらく基板を眺めているか、プログラムを書いているか、プリンを食べているか、そのどれかだ。
(好き、だな)
さっきより少し確信が強くなっていた。
根拠は特にない。「さっきより面白くなったから」だ。
「読みにくい人が好き」というのは初めてかもしれない。アリアが今まで好きになった人は全員、自分の意見を持っていてはっきり言う人だった。遼もそうかもしれないが、少し種類が違う。
もっと知りたいと思う。
それだけは確かだ。
翌朝。
また朝食のロビーに、ロバートが来た。
また遠い目をしている。
"Aria."
(アリア)
"What."
(なに)
"Are you going again today?"
(今日も行きますか)
"Yes."
(うん)
ロバートがコーヒーを一口飲んだ。
"……I understand."
(……分かりました)
"Robert, did you think about my question from yesterday?"
(ロバート、昨日の質問の答えって考えてくれた?)
"I tried not to."
(考えないようにしました)
"Honest of you."
(正直だね)
"I learned from Ryo."
(遼から学びました)
アリアは吹き出した。
ロバートは真顔だった。
"Robert, do you like Ryo?"
(ロバートって遼のこと好き?)
"As a potential employee, yes."
(採用候補として、はい)
"What about beyond that?"
(それ以外では?)
"……Complicated."
(……難しい質問です)
"Why?"
(なんで?)
"Because he's the kind of person that makes you feel slightly tired and slightly relieved at the same time."
(少し疲れて、少し安心する、という種類の人間なので)
アリアはそれを聞いて、少し考えた。
"……I think I understand that."
(……分かる気がする)
"Do you?"
(そうですか)
"Tiring, but genuinely there. Something like that."
(疲れるけど、ちゃんとそこにいる、みたいな)
ロバートが少し止まった。それから、静かに言った。
"That's a more accurate description than mine."
(私より正確な表現かもしれません)
アリアはそれを聞いて、少し嬉しかった。
ロバートに褒められるとは思っていなかった。
スクランブルエッグを食べながら、今日何を話すか考えた。相撲の続きでもいいし、ノイズ対策の続きでもいい。
どちらでもいい。
向こうが「技術の話をしたい」と思っているなら技術の話をする。「黙っていたい」と思っているなら黙っている。
ただ、一個だけ確認したいことがある。
"Robert, how do you think I can get Ryo to come to the sumo with me?"
(ロバート、遼を相撲に誘うにはどうしたらいいと思う?)
ロバートが少し間を置いた。
"Then wait."
(では待ってください)
"How long?"
(どのくらい?)
"Until he says something."
(何か言うまで)
"What if he says nothing?"
(何も言わなかったら?)
"Then ask again."
(また聞いてください)
"When?"
(いつ?)
"……After a reasonable amount of time has passed."
(……適切な時間が経過した後で)
"How many days is a reasonable amount?"
(適切な時間って何日?)
ロバートが目を閉じた。一秒くらい閉じていた。
"Aria. That's something you need to decide yourself."
(アリア。それはご自分で決めてください)
"Three days then."
(じゃあ三日)
"Your decision."
(お任せします)
アリアはオレンジジュースを飲んだ。
(三日後にまた聞こう)
決まった。
遼がなんと答えるかは分からない。「行きます」かもしれないし、「仕事があります」かもしれないし、「考え中です」かもしれない。
でも何かしら返ってくるはずだ。
技術の話では返ってくるから。
相撲は技術の話ではないけれど、まあ、試してみればいい。
ダメだったらまた考える。
アリアはそういう人間だ。
その日の午後、柊家のリビング。
遼がプログラムのエラーを追っていた。アリアは隣で、スマートフォンの相撲のデータベースを眺めていた。今場所の取組結果を見直していた。
しばらく静かな時間が続いた。
遼のキーボードの音と、外の車の音と、たまにアリアが「ほんとかよ」と呟く声だけがある。
「何かありましたか」と遼が言った。
"The result on day fourteen surprised me. I didn't think Shoten-zan would lose."
(十四日目の結果、びっくりした。翔天山が負けるとは思わなかった)
"Matches are unpredictable."
(……勝負の世界は分からないですね)
"Right. That's why predicting is interesting."
(そう。分からないけど予想するのが面白い)
"Similar to engineering."
(技術に似てますね)
アリアは手を止めた。
"How so?"
(どのへんが?)
"Even if the theory gives you a prediction, the actual result can be different. But thinking about why is interesting."
(理論では予測できても、実際は違う結果になることがある。でもなぜそうなったかを考えるのが面白い)
アリアはしばらく遼を見た。
遼は画面を見たままだ。特に何かを意図した顔ではない。ただ思ったことを言っただけという顔だ。
(相撲と技術が似てると思ってる。この人)
それが何か、とても自然なことのように聞こえた。
アリアは少し笑って、また画面に目を戻した。
"I'd be happy if you let me know about the Kokugikan within three days."
(……国技館、三日以内に返事くれると嬉しい)
"I remember."
(覚えてます)
"Okay."
(分かった)
二人でまた別々の作業に戻った。
(好き、だな)
もう悩まないことにした。
答えは出た。




