表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
姉と妹が国民的女優ですが、俺は機械をいじっていたい  作者: よんまるよん
第二部「世界が広がっている」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

89/163

第25話「もう一回」

 翌朝、ロバートはコーヒーを飲みながら、ホテルの窓から東京の空を見ていた。

 昨日のことを整理しようとしていた。

 娘さんが訪問先で作業机に張り付いて三時間話し込んでいた、という事実を、どのように本社の日報に書けばいいのか——

 スマートフォンに通知が来た。

 アリアからだった。

"Going again today."

(今日も行くね)

 ロバートは少し目を閉じた。

"Understood."

(了解しました)

 それ以上のことは言えなかった。


 (ひいらぎ)家のインターフォンが鳴ったのは、午後一時過ぎ。

 (りょう)はリビングのテーブルで部品の確認をしていた。電子部品を並べて、抵抗値を順番にチェックしている。集中の種類としては、軽い方。

 「はい」とインターフォンに答えると、"It's Aria. I'm here." という声が返ってきた。

(アリアです。来ました)

 遼は部品をまとめてケースに戻した。

「どうぞ」


 玄関に下りて鍵を開けると、昨日と同じ金髪がそこにいた。

 今日の格好はデニムジャケットに白のインナー。スニーカー。カジュアルだが、立っているだけでどこかの広告に見える。本人は何も考えていない——それはもう昨日で分かった。

"Hi."

(Hi)

「どうぞ」

 遼はそのままリビングに向かった。アリアが続いて上がってくる。

"It looks bigger than yesterday."

(昨日より広く見える)

"Fewer people than yesterday."

(昨日より人が少ないので)

"Is it usually like this?"

(いつもこんな感じですか?)

"My older sister and younger sister are usually here."

(普段は姉と妹がいます)

"Today?"

(今日は?)

"Both at work."

(どちらも仕事です)

 アリアは少し辺りを見回した。生活感のあるリビング。本棚に技術書が混在している。テーブルの上に部品ケース。窓から春の光。

"Looks like a comfortable place."

(居心地よさそうな部屋)

"I see."

(そうですか)

 遼はテーブルの前に座り直して、部品ケースを再び開けた。アリアはその向かいに腰を下ろした。


 アリアはしばらく、遼の手元を見ていた。

 小さな抵抗器を一本一本、テスターで確認している。値を読んで、問題なければケースの所定の位置に戻す。問題のあるものを別の列に移す。静かで、反復的な作業。

"Is there a reason to do that by hand?"

(……それ、手作業でやる意味ある?)

"A tester would sometimes be faster, but for this quantity I can track it better by hand."

(テスターの方が早い場合もありますが、こういう量なら手でやる方が把握しやすい)

"'Track it.'"

(把握、か)

"If I learn the individual variations by feel, I can make faster judgments when I use them later."

(部品の個体差を感覚で覚えておくと、後で使う時に判断が速い)

 アリアはそれを聞いて、少し前に乗り出した。

"So even the same model number can vary?"

(それって、同じ型番でも個体差があるってこと?)

"Yes. Especially older batches."

(あります。特に古いロットは)

"In the lab at Stanford, we didn't manage things that carefully."

(スタンフォードの実験室では、そこまで管理してなかった)

"For experiments, the tolerance is wider."

(実験なら許容範囲が広いので)

"But you're not doing an experiment."

(でもあなたは実験じゃない)

"Right."

(そうです)

 アリアは遼の手元をもう一度見た。遼の手が止まらない。話しながら作業が続いている。こういう人間を、アリアはあまり知らない。スタンフォードの院生たちは、質問を受けると作業を止めて答えた。それが礼儀だと思っているから。遼はそういう種類の礼儀を持っていない。代わりに、作業と会話が同じ重さで共存している。

"I looked something up when I got home yesterday."

(昨日、家に帰ってから調べた)

"What?"

(何を)

"The robot control program you designed. It was cited in a paper."

(あなたが設計したロボット制御のプログラム。論文になってた)

 遼の手が一瞬だけ止まった。

"...I see."

(……そうですか)

"The author of the citing paper was from MIT."

(引用した論文の著者、MIT出身だった)

"Doesn't matter."

(別に関係ないです)

"Why not?"

(なんで関係ないの)

"I made it because I thought it was good. Whether it's cited isn't related."

(自分がいいと思ったから作った。引用されたかどうかは関係ない)

 アリアはそれを聞いて、少しだけ黙った。

(……こういう人間が、世界にいるんだ)

 口には出さなかった。


 三時を過ぎた頃。

 アリアがスマートフォンを見てため息をついた。

"Ryo."

(Ryo)

"Yes?"

(なんですか)

"You didn't give me your contact info yesterday."

(昨日、連絡先を教えてもらえなかったじゃない)

"That's right."

(そうでしたね)

"Can I get it today?"

(今日は教えてもらえる?)

 遼は少し考えた。

「……どうぞ」

 スマートフォンを差し出した。アリアが自分の番号を入力する。

"I'll send you a message."

(送っておくね)

「はい」

 数秒後、遼のスマートフォンに通知が来た。

「Hi, it's Aria」とだけ書いてあった。

 遼は読んだ。

 既読になった。

 返信はなかった。

 アリアがスマートフォンの画面を見た。

"...You read it, right?"

(……読んだよね?)

"Yes."

(読みました)

"No reply."

(返信がない)

"Nothing to respond to."

(特に返す内容がなかったので)

"You could say 'got it' at least."

(『了解』とかあるじゃない)

"The content didn't require acknowledgment."

(了解する性質のものではなかったので)

 一件目のメッセージは「Hi, it's Aria」だった。

 確かに、了解する性質のものではない。

 遼は作業を続けている。

"...Is this normal in Japan?"

(……日本では、これが普通なの?)

"Fairly common."

(よくあります)

"Why?"

(なんで?)

"If a reply isn't necessary, not replying is the understood norm."

(返信が不要な時は返信しない、ということが了解されているので)

"How do you know whether a reply is needed?"

(了解が必要かどうか、どうやって分かるの?)

"...Context."

(……文脈で)

 アリアはしばらく考えた。

"Context."

(文脈)

「はい」

"That's hard for foreigners."

(それ、外国人には難しい)

"...Possibly."

(……そうかもしれません)

 遼はこの会話を続けながら、作業も続けていた。

 特に問題はなかった。


 四時を過ぎた頃。

 玄関のドアが開く音がした。

「ただいまー」

 (はな)の声だった。

 リビングに入ってきた華は、テーブルの向かいに見知らぬ金髪が座っているのを見て、一秒止まった。

「……あ、昨日の」

「こんにちは」とアリアが日本語で言った。アクセントが少し変だった。

「こんにちは……えっと、アリアさん、だっけ」

"That's right."

(そうです)

 華が遼を見た。遼は部品のケースを閉じていた。

「遼、また来てたの?」

「来たいって言うから」

「止めなかったの?」

「止める理由がなかったので」

 華はもう一度アリアを見た。アリアはにこにこしている。華はとりあえず鞄をソファに置いた。

「何してたの、二人で」

「技術の話」と遼が言った。

「……ずっと?」

「ずっと」とアリアが日本語で言った。

 華は「そっか」と言って台所に向かった。

 お茶を入れようとして、グラスを三つ出した。来客に出す、というより、気がついたらそうしていた。


「ありがとうございます」

 アリアがアイスティーのグラスを受け取りながら言った。日本語の発音は確かに変だが、不思議と感じよかった。

「アリアさんって、何してる人なの?」と華が聞いた。

 遼がアリアに英語で伝えた。

"On a leave of absence right now. Studying electrical engineering at Stanford."

(今は休学中。スタンフォードで電気工学を勉強してる)

「休学中で、スタンフォードで電気工学を勉強してるって」

「すごい」

"She says that's impressive."

(すごいって言ってる)

"It's normal."

(普通だよ)

「普通だって」

 華は少し考えた。「普通……?」

 遼が顔を上げた。

"Normal?"

(普通?)

「スタンフォードで電気工学ってすごいじゃない」

"It's a question of baseline. There are a lot of people like that around me."

(基準の話です。周りにそういう人が多い)

「周りにそういう人が多いから普通、ということらしい」

"I see."

(……そうか)

"What about you?"

(あなたは?)

"I'm just normal."

(自分は別に)

 アリアが少し笑った。

「……普通って言い合ってる」と華がぽつりと言った。

 遼は気にしていない。アリアも気にしていない。華だけが少しだけ不思議そうな顔をしていた。


 五時前になって、アリアが席を立った。

"I should head out."

(そろそろ行く)

"I see."

(そうですか)

"Can I ask you something?"

(Ryo、一個聞いていい?)

「なんですか」

"Do you ever get tired of doing this every day?"

(毎日これをやってて、飽きない?)

 遼は少し考えた。

"Not tired of it. Just normally."

(飽きないです。普通に)

"What does 'just normally' mean?"

(普通に、って何)

"I do it because I like it, so I don't get tired of it."

(好きでやってるので、飽きないということです)

"...I like people like that."

(……そういう人、好きだな)

 遼は返事をしなかった。今の文章の構造に少し時間がかかっていた。

"Thank you."

(ありがとうございます)

 アリアはそれを聞いて、笑った。少し呆れたような、でも嬉しいような、複雑な顔。

"Can I come again?"

(また来ていい?)

"If I'm working, I'll be here."

(仕事があれば、ここで作業してます)

"Then I'll come."

(じゃあ来る)

「そうですか」

 玄関で靴を履きながら、アリアは振り返った。

"Ryo."

(遼)

「なんですか」

"I'd be happy if you replied to my message. But you don't have to."

(連絡先、返信してくれたら嬉しい。しなくてもいいけど)

"...Understood."

(……分かりました)

"See you."

(じゃあね)

「はい」


 アリアが出ていってから、リビングに戻ると華が麦茶を飲んでいた。

「遼」

「なに」

「あの人、また来る?」

「来ると言ってました」

「……毎日来るの?」

「分からない」

 華は少し考えた。

「なんか、真っすぐな人だね」

「そうですね」

「遼と話してて、楽しそうだった」

「技術の話が好きな人みたいです」

「……そうじゃなくて」と華が言いかけたが、遼はもう部品ケースを開け直していた。

 華はもう一口麦茶を飲んで、「まあいいか」と思った。


 夕方、桜井(さくらい)詩織(しおり)は駅のホームで電車を待っていた。

 初出社から三週間ほど。職場は思ったよりずっと動きやすかった。先輩のチェックが丁寧で、仕事の流れも分かってきた。文芸の仕事は、やっぱり好きだと思う。

「桜井さん」

 後ろから声がした。高瀬悠斗。文芸部門三年目。入社してすぐに挨拶をした、穏やかで気が利く人。「高瀬さん。同じ路線でしたっけ」

「二駅だけですが。ホームが一緒で」

「そうか」

 電車が来るまで、少し話した。職場の話、担当した作品の話、読んでいる本の話。高瀬は話が上手く、詩織の言葉をちゃんと受け取る。

「桜井さん、来週末って空いてますか」

「来週末、ですか」

「近くで映画がやっていて。文芸映画なんですが、桜井さんが好きそうだなと」

 詩織は少し考えた。

 高瀬悠斗は誠実だ。声のトーンも、言い方も、嫌な感じが一つもない。断る理由も特にない。

「……いいですよ」

「ありがとうございます。詳細、明日連絡しますね」

 電車が来た。二駅分、他愛のない話をして、高瀬は先に降りた。「また明日」と言って、ホームに消えていく。

 詩織は残り一駅、つり革を持って外を見た。

 夜の街が流れていく。

 楽しかった。高瀬と話す時間は、普通に楽しい。

 そのことと、頭の片隅に遼の「まあ」が残っていることは——たぶん別の話だ。

 たぶん。


 週末。

 映画は良かった。

 原作があって、脚本が丁寧で、登場人物の感情の流れが素直。詩織の仕事に近い視点で見てしまうのは職業病かもしれないが、それでも純粋に面白い。

「どうでしたか」と高瀬に聞かれて、「良かったです」と答えた。本当のこと。

 映画館を出て、駅まで歩く。五月の夕方は少し蒸し暑くて、風が一本だけ吹いた。

「主人公の最後の選択、どう思いました?」

「最後まで迷ってたのが良かったと思います。答えより、迷う過程の方が映画だなって」

「分かります。決断映画よりも、揺れる映画の方が残るんですよね」

 帰り道じゅう、そういう話をした。高瀬は意見が丁寧で、詩織の言葉をちゃんと受け取る。良い時間だな、とは思う。

 駅で別れた。「また今度」と高瀬が言って、「はい、また」と詩織は返した。


 電車の中。

 詩織は窓に頭を預けた。

 良い映画だった。良い時間だった。高瀬さんは良い人だ。

 なのになぜか、帰り道の景色を見ながら——

 遼のことを考えていた。

 特に理由はない。

 映画の中で誰かが「好きな人に連絡したくなる映画だ」と言っていた。たしかに、と思った。ただそれだけのこと。

 スマホを取り出して、アプリを開く。

 遼との会話画面。最後のやり取りは数日前の「終わった」「まあ」。

 打ちかけた。何を打つつもりだったか、自分でも分からない。

 結局、一文字も送らなかった。スマホをしまって、また窓の外を見る。

 夜の街が続いている。

 (この人のことを考えないようにするのは、たぶんずっと無理だろうな)

 どうにもならないことには、慣れている。

 詩織は、静かに目を閉じた。


 同じ頃、柊家。

 遼はプログラムの続きを書いていた。

 作業は順調。今夜中に片付けたいブロックがあと一つ。集中できている。

 スマホに通知。アリアからのメッセージ。

"I looked up the noise filter stuff when I got home. It was interesting."

(今日のノイズフィルタの話、帰ってから調べた。面白かった)

 遼は読んだ。少し考えて、返信した。

"There's reference material. Should I send it?"

(参考資料があります。送りますか)

 即返信が来た。

"Send it."

(送って)

 リンクを貼って送信。また作業に戻る。

 三十分後、"Read it. Interesting. Can I ask a question?"

(読んだ。面白い。質問していい?)

"Go ahead."

(どうぞ)

 質問が来た。技術的な内容で、遼の説明が必要なもの。答えた。また質問が来た。また答えた。

 気づいたら五往復していた。

 スマホを置いて、画面に戻る。

 特に何も考えない。技術の話をしただけだ。普通だろ。

 そのまま作業を続けた。


 深夜、柊家のリビングに電気がついている。

 (りん)が台本を読んでいた。

 神崎(かんざき)恒一(こういち)の撮影は今週も続いた。「上手い。でも安全圏にいる」——あの言葉がまだどこかで反響している。

 台本のページをめくる。このシーンの主人公は何を考えているのか。どうすれば「安全圏の外」に出られるのか。

 正直、まだ分からない。

 分からないままページをめくっていると、遼が水を飲みに来た。

「まだ起きてるのか」

「台本読んでた」

「何か詰まってる?」

「……なんで分かるの」

「顔に出てる」

 凛はため息をついた。遼は水を一杯飲んで、台本に一瞬目を落とした。何か言いたそうな顔をしたようにも見えたが——「まあ頑張れ」とだけ言って部屋に戻っていく。

「それだけ!?」

 廊下に声をかけたが、返事はなかった。

 凛は台本を膝に置いて、天井を見た。

 安全圏の外、か。

 いつもの自分の演技が、どこかの枠の中に収まっているとしたら——その枠の外には、何がある?

 分からない。でも、分からないうちはまだその枠の中にいる。

 凛はもう一度、台本の最初のページに戻った。


 夜が深くなる。

 詩織は部屋で文庫本を開いていたが、どこを読んでいるか分からなくなって閉じた。

 アリアは今日の技術の話をノートにまとめながら、「明日も行こう」とあっさり決める。

 ロバートはホテルの部屋で業務連絡を打ちながら、「CEOへの日報に何と書けばいいんですか……」と独り言を言った。

 声に出た。

 しまった、と思ったが、部屋には一人しかいないので問題なかった。

 遼は、プログラムのブロックを一つ書き終えた。

 椅子の背もたれに頭を預けて、天井を見る。

 今日も普通の一日だったな、と思った。

 特に間違いはない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ