春を告げる鐘 台本 Part8
S-62 三浦家・リビング 夜 (10月)
柚、ソファで本を読んでいる。
朔、帰ってくる。
朔
「姉ちゃん」
柚
「何」
朔
「桐島さん、入院した」
柚、本を閉じる。
柚
「いつから」
朔
「先月から。葵は毎週会いに行ってる」
柚
「葵ちゃんは知ってるの。病気のこと」
朔
「……少しは。でも全部は知らないと思う」
柚、少し黙る。
柚
「朔は?」
朔
「俺は……調べた。あの薬の名前」
柚
「それで」
朔
「重かった。すごく重い病気だった」
間。
朔
「姉ちゃんに言ったら、どうにかなると思ってた。でもどうにもならないよな」
柚
「どうにもならない」
朔
「……うん」
柚
「葵ちゃんのそばにいてあげて」
朔
「いる。でも何もできない」
柚
「いるだけでいい。それが今できることだから」
朔、返事をしない。
柚、また本を開く。
S-63 三浦家・柚の部屋 深夜
柚、ベッドに横になっている。
眠れていない。
天井を見ている。
ナレーション(柚)
「桐島茉莉に、二度会ったことがある。
一度目は朔に引き合わされたとき。
二度目は学校の文化祭。
たった二度だけで、分かった。
あの子は何かを抱えている。
笑うとき、目の奥が笑いに追いついていない。
そういう笑い方を、私は知っていた」
S-64 三浦家・廊下 翌朝
柚、身支度をしている。
朔、朝食を食べている。
柚
「今日、仕事終わったら病院に行ってくる」
朔、箸を止める。
朔
「桐島さんのとこ?」
柚
「うん」
朔
「なんで」
柚
「気になったから」
朔
「葵ちゃんには言うの」
柚
「言わない」
朔、柚を見る。
朔
「……姉ちゃん」
柚
「何」
朔
「ありがとう」
柚、特に返事をしない。
鞄を持って出ていく。
S-65 病院・エントランス 午後
柚、エントランスに入る。
受付で確認する。
受付
「ご関係は?」
柚、少し間を置く。
柚
「弟の友人の……知人です。近くまで来たので」
受付、案内する。
S-66 病院・病室前
柚、廊下を歩く。
病室の番号を確認する。
ドアの前に立つ。
少し止まる。
ノックする。
茉莉
「はい」
柚
「三浦柚といいます。朔の姉です。突然すみません」
間。
茉莉
「……どうぞ」
S-67 病院・病室
柚、入る。
茉莉、ベッドに起き上がって座っている。
驚いた顔。でもすぐ笑う。
茉莉
「わざわざ来てくれたんですね」
柚
「近くまで来たので。迷惑でしたか」
茉莉
「全然。嬉しいです。座ってください」
柚、椅子に座る。
しばらく、二人で静かにいる。
茉莉
「三浦くんから聞いてましたか。私が入院してること」
柚
「朔から少し」
茉莉
「心配させてますよね。朔くんに」
柚
「してる。でも本人には言えないんでしょうね」
茉莉
「……三浦くんって、不器用ですよね」
柚
「昔から。大事なことほど言えない」
茉莉
「葵ちゃんと似てる」
柚
「似てる。二人とも、損なところが同じ」
茉莉、少し笑う。
茉莉
「三浦くんから、お姉さんの話は聞いてました」
柚
「どんな話を」
茉莉
「頭がよくて、物静かで、でも朔くんの話はちゃんと聞いてくれる人、って」
柚
「買いかぶりすぎです」
茉莉
「そうですか? でも今日、会いに来てくれた」
柚
「……それは」
茉莉
「理由、聞かないですよ。来てくれただけでうれしいから」
柚、少し黙る。
柚
「茉莉さんって、強いですね」
茉莉
「強くないですよ。ただ……葵ちゃんの前では、弱くいたくないから」
柚
「なんで」
茉莉
「葵ちゃんが普通でいてくれると、私も普通でいられるから。だから葵ちゃんの顔を変えたくない」
柚
「……葵ちゃんには、まだ話してないんですね。全部は」
茉莉
「話したら変わるから。もう少しだけ、今のままでいたい」
柚、うなずく。
茉莉
「変ですか」
柚
「変じゃない。よく分かります」
S-68 病院・病室 (続き)
しばらく、他愛ない話をする。
朔の子供の頃のこと。学校のこと。柚の仕事のこと。
茉莉、楽しそうに聞いている。
茉莉
「朔くんって子供の頃、泣き虫だったんですか」
柚
「よく泣いてました。でも人前では泣かない子で。一人で部屋に帰ってから泣く」
茉莉
「今もそうなんじゃないですか」
柚
「たぶん」
茉莉
「……葵ちゃんもそうかもしれない。私の前では泣かないから」
柚
「茉莉さんが泣かせたくないんでしょう」
茉莉
「そうかもしれない。でも……葵ちゃんには泣いてほしい。ちゃんと泣いてほしい。私がいなくなった後で」
柚、返事をしない。
茉莉
「変なこと言いましたね」
柚
「変じゃないです」
間。
茉莉
「柚さんって、こういう話、慣れてますか」
柚
「慣れてはいない。でも、逃げない」
茉莉
「逃げない人って、少ないですよ。みんな困った顔をするから」
柚
「困ってないとは言えない。でも困った顔をするのは違うと思って」
茉莉、柚を見る。
茉莉
「朔くんが頼るはずですよね。こういう人が姉なら」
S-69 病院・病室 帰り際
柚、コートを着る。
柚
「また来てもいいですか」
茉莉
「来てください。嬉しいから」
柚
「葵ちゃんに、伝えたいことがあるなら、伝えていい」
茉莉、少し止まる。
茉莉
「……伝えようと思ってる」
柚
「うん」
茉莉
「でも伝えたら変わるから。葵ちゃんの顔が変わる。私を見る目が変わる。それが……もう少しだけ、先でいい」
柚
「分かった」
茉莉
「怒りますか。伝えないことを」
柚
「怒らない。あなたが選んでいることだから」
茉莉、少し息を吐く。
茉莉
「ありがとうございます」
柚
「お大事に」
柚、ドアに向かう。
手をかけたところで止まる。振り返らない。
柚
「葵ちゃん、ちゃんと来てますか」
茉莉
「毎週来てくれてます」
柚
「そっか」
ドアを開ける。
S-70 病院・廊下
柚、廊下を歩く。
エレベーターを待つ。
ナレーション(柚)
「あの子は、葵のために笑っていた。
それが分かった。
分かって、少し重かった。
葵のために笑える人間が、葵の隣にいたということ。
そしてその人間が、今あの部屋にいるということ」
エレベーターが来る。
柚、乗る。
ドアが閉まる。
S-71 病院・エントランス 外
柚、外に出る。
秋の空。
しばらく立っている。
スマホを取り出す。
朔に電話をかける。
朔
「姉ちゃん」
柚
「行ってきた」
朔
「どうだった」
柚
「……いい子だよ」
朔
「うん」
柚
「朔、葵ちゃんのそばにいて。茉莉さんがいなくなった後も」
朔
「……うん」
柚
「それだけ」
電話を切る。
柚、歩き始める。
ナレーション(柚)
「いなくなった後も、と言った。
何も聞かなかった。
分かっていたのかもしれない。
あるいは、聞けなかっただけかもしれない。
どちらでもよかった。
大事なことは、伝わった」
S-72 三浦家・リビング 夜
柚、帰ってくる。
朔、リビングにいる。
二人、しばらく黙っている。
朔
「姉ちゃん、飯食った?」
柚
「まだ」
朔
「作る」
柚、ソファに座る。
朔、台所に立つ。
何かを作り始める。
柚
「朔」
朔
「何」
柚
「……ありがとう」
朔、返事をしない。
鍋が温まる音がする。
ナレーション(柚)
「弟は、大事なことほど言えない。
でも大事なことほど、ちゃんとやる。
それが朔という人間だった。
私も同じかもしれない、と思った。
言えない代わりに、動く。
今日、病院に行ったのも、そういうことだった」
暗転。




